第12話『城山の超韋駄天と、うどんのバランス』中編
護さんはタイヤを激しく鳴らし、急カーブが続く夜の山道でターボ婆さんを振り切ろうと必死にハンドルを切る。しかし、窓の向こうの老婆は、時速を上げる軽トラに不気味な笑顔のままピタリと並走し続けている。
「護さん! なんで、さっきみたいに冷凍うどんで除霊しないんですか!」
あまりの恐怖に叫ぶ私に、護さんは前方を睨みつけたまま、少しの間を置いて静かにこう答えた。
「いくら怪異とはいえ……相手はおなごや。しかも、かなりご高齢ときとる。理由がどうあれ、年老いたおなごに男が手荒な真似はできん。それが、かつて高名な巫女を務め、怪異との戦いで亡くなった俺の母親の……生涯の願いであり、麺場家の家訓なんや」
「お母様の……家訓……」
ただのうどん狂いだと思っていた護さんの口から出た、亡き母親への深い敬意。その優しさに胸が締め付けられる。
「話は後や! とにかく、奴が追ってこれんところまで逃げ切るぞ!」
軽トラは城山の厳しい坂道を一気に下り、県道を渡って北東へ。いつの間にか、周囲には遮るもののない、のどかで広大な田園風景が広がる場所へと辿り着いていた。
「よし、この細いあぜ道なら、あの婆さんも全速力では追ってこれまい」
護さんの読み通り、あまりにも道幅が狭く遮蔽物のない田んぼの土手には、さすがのターボ婆さんも入ってこられず、遠くの暗闇から口惜しそうな呪詛の声を呟きながら、そのまま夜の闇へと消え去っていった。
「はぁ、はぁ……な、なんとか、なったか……」
ハンドルに突っ伏して息を吐く護さんに、私は荷物を整えながら訊ねた。
「でも、お婆さんを手荒に除霊する方法がないんだとしたら、どうすればいいんですか?」
「物理でええなら簡単や。やけど、さっきも言うた通り母親の家訓があるからそれは出来ん。それなら祓う方法は一つしかない。今みたいに背を向けて逃げるんじゃなく、真っ向からのスピード勝負で、あの婆さんを完全にぶっちぎって『まく』しかないんや」
「そんな……いくらなんでも、この軽トラで、しかも一般道でバイク以上のスピードの化け物をまくなんて、絶対に無理ですよ……」
「まぁ、ここで深く考えても仕方ないな。煮詰まった時はな、何かヒントを得るために、まずはすすろうや」
そう言って護さんが軽トラを止めたのは、夜が明け始めた田園の中にポツンと佇む、一軒のうどん屋の前だった。古びたお店の看板には、ひらがなで『かもん』と書かれている。
「え? 護さん、ここ……メニューが『かけうどん』しかないんですか? しかも、店内もめちゃくちゃ狭くて、座る椅子すらほとんどありませんよ?」
「ふっふっふ。そうやろ。だがなこむぎちゃん、それこそがこの『かもんうどん』の、讃岐うどんの原点にして究極の醍醐味なんや」
私は護さんに促されるまま、どんぶりに茹でたての麺を入れてもらい、セルフで黄金色のダシを注ぎ、その上に好きな天ぷらを一つ乗せて、お店の外の青空の下へと出た。護さんの手元を覗いてみても、やはりシンプルな『かけうどん』だ。
「まぁ、こむぎちゃん。四の五の言わずに食べてんまい」
「はい……いただきます」
お箸を持つ前に、まずは器を持ち上げてダシを直接口に運ぶ。
――その瞬間、私はあまりの衝撃に目を見開いた。
「な、なんですかこのお出汁……! イリコがこれでもかってくらいガツンと効いているのに、雑味が一切なくて、かと言ってどれかの素材が主張しすぎている訳でもない。完全に調和の取れた、奇跡の黄金出汁です……!」
「そやろ、そやろ!」
護さんはズズズとうどんをすすり、鼻を鳴らしながら、まるで自分のことのように嬉しそうに胸を張った。ついで、私も麺を口へと滑り込ませる。
「え、このしっかりとしたコシ、そして流れるような喉ごし……。なんですか、この全体の完成度は……!」
「この『かもんうどん』はな、確かにメニューは極端に少ない。だが、少ないが故に、一杯に対するうどんとしての完成度が尋常じゃなく高いんや。かけうどん単体、トータルで考えるなら、ここが香川でナンバーワンって答える県民もめちゃくちゃ多い。讃岐うどんの王道やな」
「なるほど……確かに、この美味しさならその言葉に全力で頷けます。それに、こうやってお外の心地いい空気の中で食べるのも、また格別ですね。すべてにおいて、最高のバランスが良いです」
「そうそう、すべてのトータルバランスがな――。ん? バランス?」
護さんが、口に麺をくわえたままピタリと動きを止めた。
「護さん? どうかしました?」
「こむぎちゃん、ナイスや……! バランス。そうや、完璧な『トータルバランス』や……! これであのターボ婆さんを、手荒な真似を一切せずに大人しくさせられるで!」
器を抱えたまま、護さんは何かを完璧に閃いたように、不敵に、そして怪しくニヤリと微笑んだ。
最強のスピードを誇るターボ婆さんを「まくる」ための秘策。それは、この『かもんうどん』が持つ、究極のバランスの中に隠されていたのだった――。




