第11話『城山の超韋駄天と、うどんのバランス』前編
深夜の『城山』の山頂での霊力チャージを終え、私たちが軽トラで薄暗い山道を下りていく途中のことだった。
急カーブが続く坂道で、私はおかしな違和感に気づき、思わず隣の横顔を振り返った。
「あの……護さん。この軽トラ、時速何キロ出てますか?」
「ん? 二十キロやけど、どうしたん? 運転が荒くて酔うてしもうたんか?」
「いや、そうじゃなくて……ちょっと、変なものが見えるっていうか……」
私は冷や汗を流しながら、助手席側のサイドミラーを恐るおそる覗き込んだ。ミラーの奥、ヘッドライトの光が届かない闇の中から、何かが猛烈な勢いでこちらに迫ってきている。
「あのー、護さん。できれば、もう少しだけスピードを出してもらえると、嬉しいんですけ――」
「どしたんな。こむぎちゃん、えらい歯切れが悪いな。讃岐うどんも探偵助手も、歯切れが命やで?」
「歯切れとかどうでもいいです! 髪の長い、白髪のおばあさんが走って軽トラを追いかけて来てるんですけどーーーっ!」
「……何やて!?」
護さんの目が一瞬で据わった。
「霊脈の高い城山にまで、低級怪異が現れるとはな……! こむぎちゃん、しっかり掴まっとけ、振り切るぞ!」
「はいっ!」
護さんがアクセルを踏み込む。軽トラのエンジンが悲鳴を上げ、山道のヘアピンカーブを猛スピードで駆け抜けていく。私は車内で右に左にと激しく振り回されながらも、死に物狂いでしがみついた。
タイヤが軋む音を響かせ、なんとか山の麓の平坦な道まで降りてくる。バックミラーを確認すると、執拗に追ってきていたお婆さんはいつの間にか消え去っていた。
「はぁ、はぁ……な、なんとか……振り切ったみたい、ですね……」
「いや、油断するのはまだ早い。あの婆さんはな、ただの浮遊霊やない。城山を深夜にツーリングするバイカーたちの間でも恐れられとる、都市伝説の『ターボ婆さん』や!」
「そんな……バイクのスピードに生身の足で追いつけるなんて……って言うことは……!」
私と護さんが、嫌な予感を覚えて同時に顔を見合わせた、その瞬間だった。
『キーヒッヒッヒ! その通りじゃ。それしきの軽トラのスピードで、このワシから逃げ仰ると思われちゃ『ターボ』の名が廃るわい!』
突如、助手席の窓ガラスに、歪んだ老婆の顔がピタリと張り付いた。時速六十キロ以上で走る軽トラと完全に並走しながら、老婆は不気味に笑っている。
「で、で、出たァァァーーーっ!!!」
「ばあさんや! 普段は城山の山道を暴走するバイカーへの注意喚起をしとるはずの地元の怪異が、一体この麺場護になんの用や!」
『キーヒッヒッヒ! すべては、讃岐の地に蘇りし『うどん皇子』の願いなるぞ!』
「皇子の……願い?」
『そうじゃ。再びこの日本を、うどんが統治する至高の世にするために、全土の怪異へ大号令がかけられたのじゃ! 麺場家当主よ、皇子の野望を果たすためには、貴様のその強大なる怪異祓いの力も借りねばならん!』
「俺の力を……?」
『そうじゃ。目障りな江戸蕎麦派の妖怪どもを、貴様のコシの力で根こそぎねじ伏せる。その隙に、ワシら皇子の軍勢が、日本全土を占領するのじゃ!』
お婆さんの傲慢な提案に、護さんはハンドルを強く握りしめた。
「ばあさん! いかん、それは間違っとる! そんな独裁的なことをしたら、蕎麦派だけでなく日本全土の食文化が巻き込まれて、もはやうどんそば戦争どころでなくなる。その先に待ち受けるのは真の地獄やぞ!」
『ええい、黙れい! 人間風情が! 皇子の悲願なるぞ。このばあばも、大いなる麺の意志に従うまでじゃ! 貴様がどうしても従わんというなら……相応の覚悟をしてもらう他あるまいな!』
「覚悟だと……?」
『そうじゃ。清めの麺棒が奪われた今、目覚めたのはうどん皇子だけではない。今や、うどんとそばだけの戦いではない。……それは貴様も、薄々気付きうるところであろう?』
「な、まさか……他の一族まで動き出したというんか……!」
護さんの顔から、一瞬で血の気が引いていく。
「どういう意味なんですか、護さん!? うどんと蕎麦だけじゃないって、一体何が起きているんですか!」
「……こむぎちゃん。もしかしたら、俺たちが恐れていたことの、何十倍もの恐ろしい『大戦争』が、この世界の裏側で起こりよるかもしれん」
『キーヒッヒッヒ! 皇子の意向に従わぬというなら、貴様にも用はない。今ここで、その小娘ごと跡形もなく消えてもらうぞよ!』
張り付いた老婆の顔から、肌を刺すような禍々しい冷気が車内にまで吹き込んでくる。
「ぐっ……! なんちゅう妖気や。これはただのターボ婆さんのモノやない。うどん皇子の呪いが、各地の怪異どもに異常な力を与えとるというんか!」
護さんは再びハンドルを強く握り直すと、軽トラのアクセルを床まで思い切り踏み込んだ。
「くそっ、このまま市街地まで一気に走るぞ!」
護さんはタイヤを激しく鳴らし、急カーブが続く夜の山道でターボ婆さんを振り切ろうと必死にハンドルを切った。




