第66話 氷刃の救済
王太子の影が覆いかぶさり、僕の視界は暗く沈んだ。
呼吸が浅くなり、胸が締めつけられる。
逃げられない――そう理解した瞬間、体温が一気に奪われた。全身に震えが走る。
「やっと……観念したようだな。美しい人」
耳元で低く笑う声。
その声が、僕の心臓を氷の手で掴む。
動けない。
声も出ない。
ただ、恐怖だけが脳を支配する。
――その時。
ガンッ!!
部屋の扉が、外側から叩き割られた。
「……っ!」
王太子の動きが一瞬止まる。
砕けた扉の破片が視界に飛び散った。
「やめろ! リオネルに触れるな!」
低く鋭い、聞き慣れた声が部屋中に響き渡る。
「レオン……ハルト……」
かすれた声で名を呼んだ瞬間、
王太子の肩越しに黒い影が飛び込んできた。
「離れろ」
その声は、氷の刃のように冷たかった。
王太子が振り返るより早く、
レオンハルトの拳が一直線に王太子の顔面を撃ち抜いた。
鈍い音が響き、王太子の体が横へ吹き飛ぶ。
「ぐっ……!」
床に転がった王太子は、信じられないものを見るように目を見開いた。
「貴様……私が誰だかわかっているのかっ!」
「隣国に我が国の武器を横流ししていた末の王太子だろう? 私は、リオネルの夫だ」
レオンハルトの声は低く、怒りで震えていた。
その背中は僕の視界を完全に覆い、王太子を遮断する壁となる。
「リオネル……」
僕の名を呼ぶように、彼は振り返らずに言った。
「もう大丈夫だ。必ず守る」
その言葉が、崩れ落ちそうな僕の意識をつなぎ止めた。
よかった。レオンハルトがいる。
彼はいつだって、僕の味方だ。
王太子がよろよろと立ち上がり、怒りに顔を歪める。
「はぁ……はぁっ……監査官風情が……! 私に逆らう気か! 誰か! 侍従! 皆、どうしたのだ? 部屋の前で見張っていたはずなのに!」
「逆らう? 違うな」
叫びを無視して、レオンハルトはゆっくりと王太子に歩み寄る。
その足取りは静かで、しかし確実に殺気を帯びていた。
「お前がリオネルに触れた時点で――もう終わりだ」
王太子の顔が青ざめる。
「ま、待て……!」
「待たない」
レオンハルトの瞳は、氷のように冷たかった。
次の瞬間、
王太子の叫び声が部屋中に鳴り響いた。




