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北の監査官は別れたオメガ妻に未練があるらしい  作者: 茉莉 あまね
第11章 国境沿いの軍部に潜む罠

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第65話 囚われの小部屋で

「はぁ、はぁっ……な、なぜ……どうして……!」


呼吸が乱れ、胸が焼けるように痛む。

パニックで頭がまともに働かない。

何が起きている――?


ヴォルン院長の指示でこの部屋に来たはずだ。

そうだ。舞踏会の夜も同じだった。

発情促進魔法が仕掛けられた小部屋。

そして、末の王太子――。


反射的に窓の方角へ身を翻した。

だが、体は鉛のように重く、膝が崩れ、床を這うように進むしかない。


「はぁ……っ、うぅ……」


頭がぼうっとして、視界が揺れる。

レオンハルト……リオン……誰か……。


「おや? 発情魔法が効いてないじゃないか。ヴォルン院長は何をしているんだ」


「……っ!」


やはり――。

どうして僕は、舞踏会での院長の不自然な指示をもっと疑わなかったのか。


レオンハルトの推測はすべて正しかった。

黒幕はヴォルン院長。

だとしたら、彼は僕の継母と――。


コツ、コツ、と靴音が近づく。


「……っ!」


反射的に身を縮め、防御の姿勢を取った。

逃げ場など、どこにもないと知りながら。


「捜したよ、愛しい人。舞踏会で見初めてから……胸が焼けるようでね。調べてみれば、かの有名なリオネル・アルヴィオン殿だったとは! レオンハルト・ヴァルター監査官の元妻……噂通り、素晴らしいオメガだ!」


「はぁ、はぁっ……おたわむれを……! 僕は、あなたには屈しない!」


体は重く、意識は霞む。

それでも、僕にはリオンがいる。

この身を明け渡すくらいなら――死んだほうがましだ。


「いいや。君は私のものだ。君ほど美しい人を見たことがない。王太子である私のものになるのが当然だ……」


「うっ……!」


王太子の手が、後ろから僕の髪を撫でる。

その指先が、ぞわりと頭皮を逆なでする。

六年前、レオンハルトに噛まれたうなじがあらわになる。


「黒く染めていたのだな。目の色まで変えて……だが、隠しきれない。髪色を変えようと、あなたの美しさは滲み出る……本当に、息を呑むほどだ。この番からの噛み痕さえも……芸術品だ」


「……っ!」


髪を愛でた手が、今度は僕の背をゆっくりとなぞる。

その瞬間、背骨の奥まで冷たい恐怖が突き刺さった。


胸が激しく脈打ち、酸素が足りなくなる。

怒りと恐怖が混ざり合い、体が震えだす。


バシッ――!


「あっ!」


残っていた力のすべてを振り絞り、王太子の手を払いのけた。


「はぁ……っ、はぁ……っ……!」


床を這いつくばり、窓を目指して必死に逃げる。

穢されるくらいなら――ここで死ぬ。

リオン、レオンハルト……ごめん。


「あーっはははは! 手負いの獲物を追い詰めるのは、実に愉しい。さて――」


「……っ!」


王太子の靴が、僕の太腿の裏を容赦なく踏みつけた。

骨が軋む音がした気がする。動けない。

それでも、腕を震わせ、必死に前へ進もうともがく。


「まだ抵抗するか……生意気なやつだ」


ガシッ!


「ぐっ……ふぅっ……!」


背中に強烈な衝撃が走る。

蹴られた。


ボスッ! ガンッ!


続けざまに、何度も。

肺が押し潰され、呼吸が奪われる。


視界が暗くなっていく。


『ヒュッ……パシッ』


九歳から浴び続けたムチの音が、耳の奥で蘇る。

肉を裂く、あの音。

その記憶に囚われ、体が完全に固まった。


逃げられたと思っていたのに――。

僕はまだ、継母の地獄に縛りつけられている。


このままでは――。


「ふふ……ははははっ! やっーとおとなしくなったな。では……味見といこうか」


王太子の影が、僕の上に覆いかぶさる。


アルファの荒い息が、すぐ近くで熱く触れた――。

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