第40話 禁忌の煙
「月が隠れたせいか……さっきよりも、ずいぶんと暗いな」
レオンハルトに会ったあたりの回廊へ差しかかる。
この先には、まだ足を踏み入れたことがない。
さきほどレオンハルトとアーロンがいたときは、頭上の宮殿上階の窓に灯りがともり、人の気配もあった。
だが今は、どこもかしこも真っ暗だ。
「はあ、はあ……あれ?」
息が苦しい。体が言うことを聞かない。
頭がぼんやりして、視界が揺れる。
どうしたんだろう。
さっきまでは、そんなことまったくなかったのに。
「はあっ……この感覚……」
六年前の出来事が脳裏をよぎる。
ルクス神学院裏の森で、レオンハルトを見ていたときに起きた、あの変事。
「発情が……!」
嘘だ。
僕はまだ発情期じゃない。
それに、抑制剤を常に飲んでいるから、発情なんて起こるはずがない。
「おかしい……うっ……」
キイイーッ――。
回廊が途切れ、右側に手をつく。
そこは小部屋の入り口で、扉には鍵がかかっていなかった。
吸い寄せられるように中へ入り、壁にもたれて息を整える。
「はああっ……ふううぅ……」
どうしよう。やっぱり発情期だ。
鼻先に、妙な匂いが漂っていることに気づく。
「……っ!」
部屋の奥の棚に、香炉が置かれていた。
そこから透明な煙がたなびいている。
光があれば見えなかっただろう煙の筋が、暗闇の中ではっきりと浮かび上がっている。
「発情促進魔法……!」
王家のみが使用を許される禁忌の魔術。
オメガに強制的に発情を起こさせるものだ。
「はあっ……」
荒い息を吐きながら、重たい体を引きずって香炉へ近づく。
「たしか……心の中で呪文を唱えれば……」
声を出さず、簡易の解除呪文を暗唱した。
シュウウゥゥ――。
香炉から立ちのぼっていた煙が、たちまち消え去る。
「……?」
この匂いを、どこかで嗅いだことがある気がした。
だが、今は考えている余裕などない。
「はあ、はあ……早く、ここから出ないと」
発情促進魔法が使われていたということは、誰かが意図的に仕掛けたということだ。
僕は、そこをたまたま通りかかっただけ。
早く離れないと、魔術を仕掛けた相手が来てしまう。
おそらくアルファだ。
目的のオメガの代わりに、僕が襲われてしまう。
「僕は……発情してしまった……!」
息をするだけで苦しい。
だが、こんなところで襲われるわけにはいかない。
壁につかまりながら、足を引きずるようにして暗い部屋の奥から少しずつ這い出す。
「はあっ……うっ……」
発情期特有の苦しさが加わり、呼吸するだけで精一杯だ。
頭がくらくらして、視界が白く霞む。
レオンハルトの姿が何度も脳裏に浮かぶ。
この状態では抑制剤は効かない。
今すぐアルファに体の熱を鎮めてもらわなければ、感情が暴走して気が狂ってしまう。
「レオンハルトに……でも……」
アーロンという婚約者がいる今、彼に助けを求めるわけにはいかない。
「はあっ……」
なんとか扉の前までたどり着いた。
そのとき、回廊の奥から誰かが歩いてくる気配がした。
「……っ!」




