第4話 発情
森の奥は、夕暮れの光が差し込んで、どこか神聖な気配をまとっていた。
レオンハルトに見惚れているうち、長い時間が経過した。
胸の奥がまだ痛む。
レオンハルトが遠くへ行ってしまう――その事実だけで、世界が色を失ったようだった。
「……どうして、こんなに苦しいんだろう」
自分でもわかっている。
初恋だからだ。
ずっと胸にしまってきた想いが、今日、行き場を失った。
これから、どうやって生きていこう。
生きていけるのだろうか。
角度を変えた風が吹き、草が揺れた。
高い木の上から不思議な香りが飛んでくる。
その瞬間、胸の奥が急に熱くなる。
「……っ、あれ……?」
息が乱れ、視界が揺れる。
体の奥からせり上がるような、どうしようもない焦燥。
こんな感覚は初めてだ。
「まさか……発情期……?」
自分は、まだまだ先だと思っていた。
もしくは、こないのではないかと。
「しまった……」
認識が浅かったようだ。
動揺したからといって、自分のうかつさに驚く。
「どうしよう」
足元がふらつき、木の幹に手をつく。
心臓が早鐘のように鳴り、呼吸がうまくできない。
「落ち着かなきゃ……誰かに見つかったら……」
そう思った矢先――。
「リオネル?」
低く澄んだ声がした。
顔を上げると、柵の向こうからレオンハルトがこちらを見ていた。
「どうして……僕の名を?」
声が震える。
「顔が赤いぞ。息も荒い……大丈夫か?」
ハシバミ色の瞳が揺れた。
その色は、いつもよりずっと深く、熱を帯びているように見えた。
「はあはあっ……」
レオンハルトは険しい表情で僕を見ていたが、
――突然、柵を乗り越え始めた。
「……来るな……レオンハルト……僕は……」
言い終える前に、足が崩れた。
倒れそうになった体を、柵から飛び降りたレオンハルトが強く抱きとめる。
彼は木の上に目を留め、一瞬、考え込んだ。
直後、口の中で何か呪文を唱えたように見えた。
彼は僕に再び向き合い、言った。
「リオネル、抑制剤は?」
レオンハルトは、僕が発情しているとわかったようだ。
「……初めて」
レオンハルトの喉がかすかに鳴った。
その腕の力が、ほんの少しだけ強くなる。
「……オメガは皆……持っているものだとばかり」
絞り出すように発っせられた声は、ひどく苦しげだ。
レオンハルトも僕の発情に煽られて――。
「離れて……」
震える声で言うと、レオンハルトは目を見開いた。
「誰か……決まった相手が?」
しまったという表情のレオンハルト。
僕は即座に首を横に振る。
彼の端正な顔に安堵の色がひろがる。
「でも……あなたには」
レオンハルトこそ、決めた相手がいるはず。
僕は苦しい息の合間に、そのことを伝える。
レオンハルトは僕を抱きしめたまま、静かに続けた。
「リオネルが苦しんでいるのに、放っておけるわけがない」
その声音は、ひどく優しかった。
僕の心の中にあたたかな感情がひろがっていく。
それは発情しきった肉体とは、まったく別の場所からくる想いだ。
森の奥で、夕暮れの光の中で――
僕たちの運命は、静かに、避けられない方向へと動き始めていた。




