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北の監査官は別れたオメガ妻に未練があるらしい  作者: 茉莉 あまね
第4章 四年の空白、再び動き出す運命

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第23話 ノルディアの雪夜に灯るもの

ノルディアの町は夕暮れの冷気に包まれていた。

石畳の道に薄く霜が降り、吐く息は白く揺れる。


レオンハルトはリオンを抱いたまま、迷いなく進んでいく。


「この先に、昔よく通った店がある」


「……そんな思い出の場所に、僕たちが行っていいんですか」


「いいに決まっている。あそこは誰でも歓迎してくれる」


やがて、木造の小さな食堂が見えてきた。

看板には、ノルディアの象徴である“雪狼”の絵が描かれている。

扉を開けると、暖炉の熱気と、蜂蜜とバターの甘い香りが押し寄せた。


「わあ……!」


リオンが目を輝かせる。

僕もだ。

甘い菓子の香りは久しぶりで、お腹がグーグー鳴りはじめる。レオンハルトに聞こえていないといいのだけれど。


店内は素朴で、木製の長テーブルが並び、壁には干したハーブが吊るされている。

客たちは厚手の外套を脱ぎ、温かいスープをすすっていた。


「いらっしゃい。……おや、レオンハルトじゃないか!」


店主の太い声が響く。


「久しぶりだな。今日は家族連れか?」


レオンハルトは一瞬だけ僕を見た。


「……まあ、そんなところだ」


僕の心臓が跳ねた。

店主は気にする様子もなく、笑顔で席へ案内する。


「さあ、座りな。寒かったろう。まずは温かいスープだな。今日はベリーのスープがよくできてるぞ」


レオンハルトが僕を見る。


「リオネル、ベリーのスープは好きだろう?」


「……はい」


「ホイップしたクリームをたっぷりつけてくれ。リオンにはハニーポリッジを。甘さは控えめにしておこう」


「やった!」


リオンは椅子にちょこんと座り、足をぶらぶらさせている。

レオンハルトは続けて言った。


「それと、スフレを三つ。リオネルの分には蜂蜜煮のベリーを多めに。蜂蜜酒も頼む」


「はいよ!」


店主が厨房へ戻ると、レオンハルトは僕へ向き直った。


「……リオネル。君が甘いものを食べるときの顔が、私は好きなんだ」


「ぇっ……」


「四年前も、よく笑っていた。あの頃の君を、また見たいと思っている」


ハシバミ色の瞳がやさしい光を帯びてくる。

胸が熱くなる。

けれど、レオンハルトには婚約者がいる。

それに――冤罪であったとしても、僕は罪人の息子だ。


「…………」


僕は無言でレオンハルトを見返す。

失われた時間は戻らない。彼もそれを知っているはずだ。


そのとき、湯気の立つスープと粥、蜂蜜酒が運ばれてきた。


ベリーのスープは深い赤色で、表面に白いクリームが溶けている。

ハニーポリッジは黄金色に輝き、テーブルの上に蜂蜜の香りがふわりと広がった。


「わああー……おいしい……!」


さっそくスプーンですくって食べ始めたリオンが、たちまち目を丸くする。


僕もスープを口に運ぶ。

甘酸っぱいベリーの味が口いっぱいに広がり、胸の奥がじんわりと温かくなった。


「リオネル。君がこうして食べてくれるのが、私はいちばん嬉しい」


「……レオンハルト……」


僕たちがおいしそうに食べる様子を、レオンハルトは蜂蜜酒を片手に目を細めて見守る。

そういえば四年前も、彼はこんなふうに僕を見ていた。


言葉にしなくても、視線が多くを語っていた。

あの頃に戻れたら、どんなに――。


スフレが運ばれてくると、リオンは歓声を上げた。


「ふわふわだー!」


レオンハルトは微笑む。

僕もひとくち食べ、言葉を失った。

久しぶりの甘味に、口の中がとろけそうだ。


「リオネル、君が甘いものに弱いことを……私は最初からお見通しだよ」


「……っ」


甘い香りと、レオンハルトの甘い視線。

胸が苦しくなる。


だけど――

胸によぎる、レオンハルトのフィアンセの影。

それでも、この時間は僕だけの幸せだ。


湯気の立つハニーポリッジがリオンの前に置かれた。

黄金色の粥の上に溶けた蜂蜜がとろりと光り、甘い香りがふわりと漂う。


リオンは目を丸くした。


「……いいにおい……」


レオンハルトが微笑む。


「リオン、熱いからゆっくり食べるんだぞ」


「うん!」


リオンは木のスプーンをぎこちなく握り、恐る恐る粥をすくって口に運んだ。


一瞬、動きが止まる。


そして――


「……あまい……!」


その声は、驚きと喜びが混じり合った、まっすぐな響きだった。


リオンはもう一口、そしてもう一口と、夢中でスプーンを動かし始める。


「おいしい……! あったかい……!

なんか……ここが、ぽかぽかする……!」


小さな手で胸を押さえながら、リオンは笑った。


その笑顔は、寒いノルディアの冬を一瞬で溶かすような、まぶしいほどの純粋さだった。


僕は思わず目を細めた。嬉しすぎて涙が出そうになる。

レオンハルトも同じらしく、リオンそっくりのハシバミ色の瞳が潤んで光っていた。


「リオン……そんなにおいしい?」


「うん! こんなの、はじめて……!

これ……しあわせの味だよ!」


胸がきゅっと締めつけられた。

リオンは、こんなにも小さなことで幸せを感じられる子なのだ。


レオンハルトも、優しい目でリオンを見つめている。


「リオン。甘いものは、頑張った子へのご褒美だ。今日は……特別な日だな」


「とくべつ……?」


「そうだ。君が初めて外の世界を見て、初めて甘いものを食べた日だ」


リオンは嬉しそうに頷き、またスプーンを口に運んだ。


その姿を見ているだけで、僕の胸の奥まで温かくなっていく。


――この子には、もっとたくさんの“初めて”を見せてあげたい。


そう思った瞬間、レオンハルトがそっと僕を見た。


「リオネル。君も……食べなさい。

君が甘いものを食べるときの顔を、私はどんなにか……」


言いかけて、レオンハルトは言葉を飲み込んだ。


僕は視線を逸らし、スフレにそっとスプーンを入れた。

ふわりと湯気が立ち、蜂蜜煮のベリーがとろりと溶け出す。


「……いただきます」


口に入れた瞬間、甘酸っぱいベリーと柔らかな生地が広がった。


「……おいしい……」


レオンハルトが微笑む。


「だろう?」


リオンは粥を食べながら、僕とレオンハルトを交互に見て、にこにこしている。


「リオネル、うれしそう……!」


その言葉に、僕は思わずスプーンを止めた。


胸が熱くなり、僕はそっとリオンの頭を撫でた。


「リオン……ありがとう」


リオンは嬉しそうに笑い、また粥をすくった。


その小さな背中を見つめながら、僕は思った。


――この子の“しあわせ”を守るためなら、どんな困難でも乗り越えられる。


ノルディアの寒い夜の中、三人の食卓だけが、静かに温かく灯っていた。

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