第4話 魔獣素材の先物取引(前編)
新しいビジネスアイディアを思いついたきっかけは、炙り亭の仕入れ帳だった。
「リュウさん。ちょっとこれ見てください」
リーナが帳簿を広げた。バルドの仕入れ記録だ。これは干し肉の原料となる魔獣素材の価格推移が見れる。
「ゴブリンの皮が、先月は一枚800Gだったのに、今月は1,200Gになってます。五割増し」
「季節変動?」
「はい。秋口はダンジョンに潜る冒険者が減るんです。収穫祭の手伝いとか、街道警備の依頼が増えるので。素材の供給が減って、価格が上がる」
隆之介は帳簿を覗き込んだ。半年分のデータが並んでいる。春は安い。夏はやや上がる。秋に急騰し、冬に落ち着く。毎年同じパターンだ。
「……これ、完全に予測可能な変動じゃん」
パルムが肩の上で鑑定結果を出した。
——鑑定結果——
魔獣素材 価格変動分析
ゴブリンの皮 春:700G → 秋:1,200G(変動率 +71%)
オークの牙 春:1,500G → 秋:2,800G(変動率 +87%)
森狼の毛皮 春:2,000G → 秋:3,200G(変動率 +60%)
季節変動の予測精度 92%
「リュウ、すごいよこれ。毎年ほとんど同じパターンで動いてる。予測精度92パーセントだよ」
隆之介は声に出さず頷いた。パルムの鑑定は自分にしか見えない。だが、帳簿の数字だけでも十分に読み取れる。
「リーナさん。この変動で困ってるのは誰?」
「加工業者です。武器屋、防具屋、薬品商。彼らは素材を仕入れて加工して売る。秋に素材が高騰すると、仕入れ値が跳ね上がって利益が圧迫される。でも完成品の値段はすぐには上げられない」
「じゃあ冒険者側は?」
「冒険者は逆です。春に大量に狩っても、供給過多で買い叩かれる。秋は高く売れるけど、そもそも狩りに行けない」
隆之介の目が光った。港区の脳みそがフル回転している。
「両方とも、価格の変動に振り回されてるわけだ。だったら——」
◇ ◇ ◇
翌日。隆之介は冒険者ギルドに向かった。
ドルフの前で、木片のメモに書いた図を広げた。
「ドルフさん。今、冒険者が春に魔獣素材を売ると、一枚700Gでしょ。でも秋には1,200Gになる。この差額、もったいなくない?」
「もったいないも何も、春に売らなきゃ倉庫代がかかるだろう。冒険者に在庫を抱える余裕はない」
「だよね。だから、こういう契約を考えた」
隆之介は図を指した。
「春の時点で、秋の価格を決めちゃう。たとえば『ゴブリンの皮を秋に一枚950Gで売ります』って契約を、今の時点で結ぶ。冒険者は秋に950Gが保証される。加工業者は秋に950Gで買える。どっちも安心」
ドルフが首をひねった。
「秋に1,200Gで売れるかもしれないのに、950Gで約束するのか? 冒険者が損するだろう」
「損じゃない。保険だよ。秋に1,200Gになるかもしれないけど、800Gに下がるかもしれない。950Gで確定させれば、最悪を避けられる。俺の故郷では、これをヘッジって呼ぶんだ」
「へっじ?」
「最悪を防ぐための契約。儲けは減るかもしれないけど、損も減る。農家が台風の前に保険をかけるのと同じだよ」
ドルフは腕を組んだ。
「理屈はわかる。だが、うちのギルドでそんな契約を仲介した前例がない」
「だから冒険者ギルドじゃなくて、商業ギルドの掲示板でやる。ドルフさんには冒険者への告知だけ手伝ってもらえればいい」
「……ヴェルクの許可は取ったのか」
「先行予約の件で運用規定を作ってもらったでしょ。あれと同じ枠組みで、価格保証契約として届け出る」
リーナが横から口を挟んだ。
「……一応、商業ギルドには確認済みです。ヴェルクさんは『規定の範囲内なら認める。ただし取引記録の報告義務あり』と」
ドルフは少し考えて、口元を緩めた。
「お前、今回はちゃんと手順を踏んでるじゃないか」
「成長したんですよ、俺も」
「本当か?」
「たぶん。七割くらい」
◇ ◇ ◇
一週間後。隆之介は商業ギルドの掲示板に、新しい仕組みを掲示した。
名前は「素材予約契約」。
仕組みはシンプルだ。冒険者が「秋にゴブリンの皮を一枚950Gで売る」と約束する。加工業者が「秋にゴブリンの皮を一枚950Gで買う」と約束する。隆之介が仲介手数料として一件あたり50Gを取る。
最初の契約が成立したのは、掲示から三日目だった。
森狼の毛皮を扱う防具職人と、C級冒険者のパーティーだった。秋の納品、一枚2,500Gで十枚で契約。
「これで冒険者は秋に25,000Gの収入が確定する。防具職人は秋の仕入れ値が確定する。お互いに予算が立てやすくなるでしょ」
リーナが帳簿に記録しながら言った。
「仕組みとしては理に適ってます。……今回は」
「『今回は』って何」
「いえ、何も」
一週間で契約数は十五件。仲介手数料は750G。最初は小さいが、確実な収入だ。
二週間目。契約数は四十二件。
三週目。八十七件。
噂が広がった。「春のうちに秋の価格を決められる」という仕組みが、冒険者と加工業者の双方に歓迎されたのだ。
パルムが興奮気味に報告した。
「リュウ! すごいすごい! 契約数がどんどん増えてる! 仲介手数料だけで今月4,350Gだよ!」
隆之介は声を出さず、満足げに頷いた。
だが、異変はそこから始まった。
◇ ◇ ◇
四週目。
契約の内訳に、奇妙な変化が現れた。
「リュウさん。おかしいです」
リーナが帳簿を叩いた。
「新規契約のうち半分以上が、冒険者でも加工業者でもない人たちからです。この人、穀物商人ですよね。魔獣素材を使わないはずなのに、オークの牙を秋に3,000Gで買う契約を結んでます」
「……何のために?」
「たぶん、秋に3,000Gで買って、実際の相場が3,500Gに上がったら、契約を転売して差額500Gを抜くつもりです」
隆之介の表情が変わった。
「それ、投機だ」
ヘッジではない。価格変動で儲けることだけを目的にした、純粋な投機。
港区時代、先物市場で何度も見た光景だ。本来は農家や製造業者が価格変動リスクを避けるための仕組みが、いつの間にか投機家の遊び場になる。そして投機が過熱すると——
「リュウさん。契約価格が上がり始めてます。先週まで2,500Gだった森狼の毛皮が、新規契約では3,200Gで取引されてます。実際の秋の相場予測を超えてます」
「バブルの匂いがする」
パルムが肩の上で首をかしげた。
「バブルって何?」
隆之介は声に出さず、唇だけ動かした。
風船だよ。膨らむだけ膨らんで、最後に弾けるやつだ。
◇ ◇ ◇
その夜。炙り亭で、ゴルドに話した。
「ゴルドさん。素材予約契約が想定以上に広がって、投機筋が入り始めてる。やばい気がするんだけど——」
「やばいと思ってるなら、止めろ」
ゴルドが即答した。
「新規の契約受付を止めて、今ある分だけで回せ。投機が入った仕組みは、制御できなくなってからでは遅い」
「でも、止めたら手数料収入が——」
「リュウ。お前、自分で『やばい』と言ったばかりだろう。やばいと分かっていて止められないのは、お前が儲けに目が眩んでる証拠だ」
隆之介は黙った。
ゴルドがエールを一口飲んで続けた。
「投機とヘッジの違いを教えてやろう。ヘッジは最悪を防ぐ。投機は最高を狙う。で、最高を狙った奴は大抵最悪に落ちる。お前の仕組みは本来ヘッジのための道具だ。だが今、投機の道具に変わりつつある。道具は変わらん。使い方が変わっただけだ。問題は、お前がそれを止められるかどうかだ」
「止められるよ。新規受付を絞れば——」
「絞っても、既存の契約が転売されるだろう。お前が仲介しなくても、当事者同士で勝手に契約を売り買いし始めたらどうする」
「それは……」
「止められんよ。仕組みは作った瞬間にお前の手を離れる。それがどう使われるかは、もうお前には制御できん」
隆之介は答えられなかった。
ゴルドの言葉は正しい。頭では分かっている。だが——。
手数料収入は月に5,000Gを超え始めている。竜宮城の家賃を払って、リーナの給与を払って、それでもまだ手元に残る。この仕組みを止めるということは、安定収入を自分で捨てるということだ。
「……もう少しだけ、様子を見る。投機筋への新規契約は制限して、本来の冒険者と加工業者の契約だけに絞る。それならコントロールできるはずだ」
ゴルドは何も言わなかった。エールを飲み干して、立ち上がった。
「リュウ。お前が一番危ないのは、自分は制御できると思い込んでいるときだ。覚えておけ」
老商人は背を向けて、夜の大通りに消えていった。
隆之介は一人、カウンターに残った。
パルムが肩の上から、小さな声で言った。
「リュウ……ゴルドさん、怒ってた?」
隆之介は声に出さず答えた。
怒ってない。たぶん心配してるんだ。
だが、心配されている理由を正面から受け止める勇気が、今の隆之介にはまだなかった。
翌朝、市場の相場板を見た。魔獣素材の契約価格が、また上がっていた。




