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異世界転生港区おぢ ── 金なし、地位なし、戦闘力ゼロ。武器は口だけ。──  作者: 八乙女モモ
第2章

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第2話 異世界フランチャイズ(後編)

 異変の知らせが、三つ同時に届いた。


 一つ目は、グレンハイムの加盟店からの苦情。「マニュアル通りにやっているのに客が来ない」。二つ目は、ベルクスの加盟店の近隣住民から。「あの店の肉、臭い」。三つ目は、リーナが握りしめた帳簿。


「リュウさん。加盟料の入金が止まりました」


「……は?」


「グレンハイムの二号店が契約解除を申し出ています。理由は『炙り亭の看板を出しても客が入らなくなった』とのことです」


 隆之介りゅうのすけは椅子から立ち上がった。


「なんで。あんなに好調だったじゃん」


「好調だったのは最初の二週間だけです。その後、客足が急激に落ちています。全店舗で」


 パルムが隆之介の肩の上で、ぎゅっと小さくなった。


「リュウ……ボク、鑑定かんていしてみようか?」


「頼む」


——鑑定結果かんていけっか——


 炙り亭フランチャイズ 全体評価


 加盟店舗数 5店舗

 顧客満足度 32(前月比 −41)

 ブランド信用度 28(前月比 −35)

 事業継続判定 危険


「……あ、数字が真っ赤だ」


 パルムが泣きそうな顔で言った。


◇ ◇ ◇


 隆之介はリーナを連れて、片道三日かけ、馬車でグレンハイムに向かった。着いた瞬間、嫌な予感が的中した。


 「バルドの炙り亭 グレンハイム店」の看板が掲げられた店。外装は立派だ。隆之介が設計した通りの配色と看板。


 しかし、中に入った瞬間。


「……なんだ、この匂い」


 焦げ臭い。油が酸化したような、鼻の奥にまとわりつく匂い。


 出てきた料理を見て、リーナが絶句した。


「これが……炙り香草ステーキ?」


 黒く焦げた肉の塊に、乾燥した香草がぱらぱらと振りかけてある。バルドの炙り亭の、あの黄金色に輝く炙り肉とは似ても似つかない。


「マニュアル通りに作ってるはずなんだが」


 店主が不満そうに言った。


「火加減は書いてある通りだろ? 香草の量も書いてある。言われた通りにやってんだ」


 隆之介はマニュアルを見返した。確かに、火加減も香草の量も書いてある。だが、


「……肉の下処理が違う」


「下処理?そんなんマニュアルに書いてなかったぞ」


 隆之介は頭を抱えた。これはバルドにとっては「当たり前すぎて書く必要がない」工程だ。干し肉を水で戻す時間、塩抜きの加減、筋の方向に沿った切り方。三十年の経験で体に染みついた工程が、マニュアルには一行も書かれていなかった。


「八十点で十分、とか言ってたの誰でしたっけ」


 リーナが冷たい目で言った。


「……俺です」


「八十点どころか三十点ですね、これ」


◇ ◇ ◇


 グレンハイムだけではなかった。


 次の街ベルクスはもっとひどかった。安い雑草を香草の代わりに使い、「看板料を払ってるんだから材料費は自由にさせろ」と開き直る始末だった。


 五店舗中三店舗がこの有様だった。マニュアルを無視するか、穴を突いて手を抜くか。出てくる料理は「バルドの炙り亭」の名に値しない代物ばかり。


 客は正直だ。「炙り亭、大したことない」という口コミは、レンドール本店にまで波及し始めていた。


「本店の客足にも影響が出ています」


 帰りの馬車で、リーナが帳簿を開いた。


「他の街で『まずい』と聞いた商人が、本店にも来なくなっています」


◇ ◇ ◇


 レンドールに戻った日の夜。


 炙り亭の前に、バルドが立っていた。


 腕を組み、仁王立ちで。


 隆之介は、バルドの顔を見た瞬間、すべてを悟った。この男は知っている。自分の名前を冠した店が、大陸中でとんでもないものを出していることを。


「おっちゃん——」


「黙れ」


 バルドの声は低く、静かだった。怒鳴られるより怖い。


「……お前は俺に言ったな。『看板の価値で客が来る』と。そうだな?」


「……言った」


「じゃあ聞く。今、俺の看板はどうなった」


 隆之介は答えられなかった。


 バルドが一歩前に出た。


「グレンハイムの客から手紙が来た。『バルドの炙り亭、期待して行ったのにがっかりした。二度と行かない』。知らない奴が俺宛てに送ってきたんだぞ、この手紙。俺が作ったわけでもない飯で、俺の名前に傷がついた」


「……すまん。俺が——」


「すまんで済むなら、商業ギルドはいらん」


 バルドはそう言い捨てて、店に戻った。


 隆之介は立ち尽くした。パルムが肩の上で、小指の先ほどの大きさに縮んでいた。


◇ ◇ ◇


 翌朝。


 隆之介はゴルドがいつもいる炙り亭のカウンター席に向かった。ゴルドは朝からエールを飲んでいた。


「ゴルドさん。知ってたんでしょ。こうなるって」


「看板の話はしただろう」


「……聞こえてなかった」


「聞こえてなかったんじゃない。聞く気がなかっただけだ」


 ゴルドがエールの杯を置いた。


「フランチャイズってのはな、看板を売る商売だ。看板の価値が落ちたら全部終わる。そして看板の価値を守るには、看板を出す全員に同じ品質を出させる仕組みがいる。お前にはそれがなかった」


「品質管理の仕組み……」


「マニュアルは『こう作れ』と書くだけだ。だが、書いた通りにやらない奴、手を抜く奴は必ず出る。大事なのはマニュアルじゃない。マニュアル通りにやっているかを誰がどうやって確認するかだ」


 隆之介は目を閉じた。


 港区時代。コンビニのフランチャイズ。回転寿司チェーン。どれも本部に品質管理の専門部隊がいた。覆面調査員が抜き打ちで店を回り、基準を満たさない店舗は改善勧告、最悪は契約解除。当たり前のインフラだ。


 当たり前すぎて、忘れていた。


「俺の故郷じゃ、スーパーバイザーって呼ぶんだよな……」


「なんだそりゃ」


「品質を監視する人間のこと。全加盟店を巡回して、基準に達しているか確認する。それを作らずに看板だけ配った。設計ミスだ、完全に」


◇ ◇ ◇


 その日の午後、バルドが動いた。


 隆之介に一言も告げず、馬車を手配し、グレンハイムに向かったのだ。


 翌日、リーナが青い顔で駆け込んできた。


「大変です!バルドさんがグレンハイム店に乗り込んで、看板を引き抜きました!」


「は?」


「看板を物理的に引っこ抜いて、店主に叩きつけたようです。『こんな飯を出す店に俺の名前は使わせん』って」


 さらに翌日。バルドはベルクスに移動し、同じことをした。


 三日間で五店舗を回り、うち四店舗の看板を全て回収。唯一残ったのは、マニュアルを誠実に守り、バルドに追加の調理指導まで頼んできた一店舗だけだった。


 帰ってきたバルドは、回収した四枚の看板を炙り亭の裏に積み上げた。


「おっちゃん……」


「二度と、俺の名前を安売りするな」


 バルドはそれだけ言って、厨房に戻った。


 隆之介はしばらくその場に立ち尽くしていた。


 ゴルドが横に来て、ぽつりと言った。


「あいつはな、三十年、あの味だけを守ってきた男だ。金のために味を落とすくらいなら、最初から商売なんぞやっとらん」


「……分かってます」


「分かってない。だが、分かろうとしているのは、前のお前にはなかったじゃろう」


◇ ◇ ◇


 その夜。隆之介はバルドの店の片隅で、帳簿をにらんでいた。


 FC事業の最終収支。加盟料で一時的に30,000G入ったが、巡回費用、返金対応、バルドの出張費で25,000G飛んだ。実質利益、5,000G。黒字にはなったが、かけた労力を考えれば大赤字だ。


 パルムが恐る恐る鑑定結果を出した。


——鑑定結果——


 炙り亭FC事業 最終評価


 純利益 5,000G

 ブランド毀損度 重大

 残存加盟店 1店舗(グレンハイム3号店)

 事業評価 失敗



 リーナがため息をついて話した。


「リュウさん、一つだけ良いニュースがあります」


「……何」


「グレンハイムの三号店。バルドさんの直接指導を受けた唯一の店舗ですが、あそこだけ客足が伸びています。バルドさんが作った品質基準——肉の下処理の手順書、調理中の確認チェックリスト、完成品の見た目基準。これ、商業ギルドの飲食業組合が参考資料として欲しいと言ってきました」


「え?」


「バルドさんが自分で書いたんです。マニュアルじゃなくて、職人の目線で書いた品質基準書。あれは正直に言って、あんたのマニュアルより百倍実用的です」


「……褒めてないよね、それ」


「褒めてません」


 隆之介は笑った。笑うしかなかった。


 バルドの品質基準書。それは隆之介のマニュアルとは根本的に違った。調理手順ではなく、「この状態はOK、この状態はNG」という判定基準がバルドの不器用な絵で描かれている。


 肉の色がこれならOK。この焦げ方はNG。香草はこのくらい。


 職人が三十年かけて蓄積した暗黙知を、初めて形式知に落とした瞬間だった。


「おっちゃんが、経営者になった日だ」


 隆之介は小さく呟いた。


 バルドが厨房の奥から声を上げた。


「何か言ったか」


「何も! おっちゃん、今日の炙り肉、いつもより美味くない?」


「いつも通りだ。馬鹿舌が」


 リーナが帳簿を閉じた。


「所持金、更新しますね。FC事業の純利益5,000Gを加算して、現在の手持ち、25,000Gです」


「少なっ……労力に見合わないなあ」


「だから最初にリスクヘッジの仕組みを——」


「それはもう言わないで」


 パルムが少しだけ元の大きさに戻った。隆之介が落ち込みすぎていないのを感じ取ったのだろう。


 ゴルドがカウンターの向こうから声をかけた。


「おい、リュウ」


「なんですか」


「バルドの品質基準、ありゃ大したもんだ。だが、あれが生まれたのはお前が看板をばらまいたからだ。失敗がなけりゃ、あの男は一生、自分の暗黙知を紙に書こうなんて思わなかった」


「……投資だと思えと?」


「お前の口癖だろう」


 隆之介は空を見上げた。二つの太陽が沈みかけている。


「よし。次だ」


 リーナがため息をついた。パルムが「お、もう立ち直った!」と飛び跳ねた。


「あんた、次は何をやらかす気ですか」


「やらかす前提でものを言うな。リーナさん、商業ギルドの掲示板に面白い張り紙があったの、見た?」


「知りません」


「『新規事業の資金、募集します』って書いてあったんだよ。あれ、要するにクラウドファンディングじゃん」


「くらうど……何ですか?」


「完成前に出資を募って、完成品を優先的に届ける仕組み。港区じゃ山ほどあった」


「……嫌な予感しかしません」


「大丈夫大丈夫。今度こそ仕組みから作るから」


「その台詞、前も聞きました」


 港区おぢのビジネスは、転んでも転んでも起き上がる。


 今回残ったもの。バルドの品質基準書と、たった一軒の誠実な加盟店。そして隆之介の中に刻まれた教訓。


 看板は信頼でできている。信頼は品質でできている。品質は仕組みで守るものだ。


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