第15話 港区おぢ 選挙に出る
商業ギルドの評議員選挙。
レンドールの商業政策を決める五人の評議員を、商人とB級以上の上級冒険者の投票で選ぶ。任期は三年。現在の五人のうち二人が今期で退任する。つまり、二つの椅子を巡って候補者が争う。
リーナの説明を聞きながら、隆之介は頷いた。
「要するに、票を持ってるのはギルド登録済みの商人と、B級以上の冒険者。有権者は何人くらいなの? そこだけわかればいいや。」
「登録商人が約三百人。B級以上の冒険者が約五十人。合わせて三百五十票前後です」
「三百五十票。しかも顔が見える距離感。これ、港区の区議選より簡単かもしれない」
「簡単って言わないでください。ギルドの選挙は命懸けですよ。負けた候補者は面目を失って商売に影響が出るし、勝った方は既得権益を動かす力を手に入れる」
「だからこそ、勝たせるプロが要るんだよ」
パルムが肩の上で首を傾げた。
「ねえリュウ。選挙って、要するに人気投票?」
「近いけど、ちょっと違う。人気だけじゃ足りない。『この人が当選したら、自分の商売にとって得だ』って思わせないと票は動かない。インセンティブの設計なんだよ、選挙も」
「インセンティブ……ウーバーイーツのときに聞いたやつだね!」
「お前、覚えてんの? えらいじゃん」
「えへへ。でもあのときは盛大に失敗したよね」
「……覚えてなくていい部分まで覚えてるな」
◇ ◇ ◇
候補者を探すのに三日かかった。
条件は「勝てる可能性があるが、自力では戦い方がわからない候補者」。港区の選挙コンサルの鉄則だ。すでに勝てる候補者はコンサルを必要としない。絶対に勝てない候補者は時間の無駄。その中間を見つけるのが腕の見せどころだ。
見つけた。
ハンス・ブレンナー。四十代の穀物商人。中堅どころで、取引先からの信頼は厚いが、知名度が低い。政策に対する考えはまともだが、演説が壊滅的に下手。
「ハンスさん。あんた、なんで立候補したの?」
大通りの茶屋で向き合った。ハンスは恰幅のいい男で、日焼けした顔に誠実さがにじんでいた。
「……正直に言っていいかね」
「どうぞ」
「下層区の商人たちが、ギルドの税制に不満を持っとる。上層区の大商人ばかりが優遇されて、俺たちは高い手数料を取られるばかりだ。これを変えたくて立候補した」
隆之介は鑑定眼を向けた。
——鑑定結果——
ハンス・ブレンナー
資産規模:約800,000G
信用スコア:82(高い)
支持基盤:下層区穀物商人ギルド(約40票)
知名度指数:23/100
備考:政策の方向性は明確だが、訴求力が著しく不足
パルムが小声で補足した。
「リュウ、この人……すごく真っ直ぐ。空気がキラキラしてる。でも、周りの人にそれが伝わってない感じ」
的確だった。ハンスには中身がある。足りないのは見せ方だけだ。
「ハンスさん。俺がコンサルタントとして、あんたの選挙戦略を全部組み立てる。報酬は成功報酬で、当選したら50,000G。落選したらゼロ」
ハンスが目を見開いた。
「50,000G!? 高すぎる!」
「高くない。当選したら三年間、評議員としての影響力が手に入る。50,000Gはその価値に対して安すぎるくらいだ」
「……だが、金が——」
「だから成功報酬にしてる。負けたら俺は一銭ももらわない。つまり、俺が本気で勝ちにいく保証になる」
ハンスは腕を組んで考え込んだ。
「わかった。頼む」
握手した。ハンスの手は、穀物商人らしく分厚くて温かかった。
◇ ◇ ◇
選挙まで三週間。
隆之介はハンスの選挙戦略を三つの柱で組み立てた。
第一、ターゲティング。三百五十票のうち、確実に対立候補に入る票と、確実にハンスに入る票を除外する。残った浮動票が約百二十票。この百二十票を取りにいく。
「百二十人の顔と名前と商売を全部覚えろ、とは言わない。でも、この人たちが何に困ってるかは把握する。リーナさん、リスト作って」
「もう作ってます」
「仕事が早い」
「褒めてません。あんたが遅いんです」
第二、メッセージング。ハンスの政策を一言で言えるフレーズにする。港区でいうキャッチコピー戦略だ。
「ハンスさん。あんたの政策、要するに『下層区の商人の手数料を下げる』でしょ。それを一言で言うなら『同じ汗には、同じ報酬を』」
「おお……。いい言葉だ」
「これを繰り返し言え。演説でも、酒場でも、道端ですれ違ったときでも。人は三回聞いたら覚える。七回聞いたら信じ始める」
パルムが目をキラキラさせた。
「三回で覚える、七回で信じる! すごい、リュウ! それ本当?」
「広告業界の経験則だよ。セブンヒッツ理論っていう」
「セブンヒッツ……。ボク覚えたよ! 三回で覚えて七回で信じるんだね!」
「……まあ、実際に七回言ったら鬱陶しがられることもあるから、加減は大事だけどな」
第三、草の根戦略。大商人は組織票を持っているが、下層区の小規模商人たちは一人一票がバラバラだ。これを束ねる。
「ハンスさんには毎日、下層区の店を五軒回ってもらう。商品を買って、店主と話して、困りごとを聞く。そして翌日、その困りごとに対する自分の考えを手紙で届ける」
「手紙?」
「手書きだ。一人一人に、名前を入れて。港区の選挙でもこれが一番効く。人は『自分のために時間を使ってくれた人』を裏切れない」
ハンスは真面目な顔で頷いた。
「……わかった。やる」
ゴルドが茶屋の隅で杯を傾けながら、聞いていた。
「おい、リュウ」
「なんですか」
「戦略は悪くない。だが一つ、忠告しておく」
「はい」
「候補者を信じすぎるなよ。」
隆之介は笑った。
「大丈夫ですよ。ハンスさんは誠実な人だ。鑑定眼の数値が保証してる」
「数値で測れないものがあるから言っとるんだ」
隆之介はその言葉を、聞き流した。
◇ ◇ ◇
二週間が経った。
ハンスの知名度指数は23から61に跳ね上がった。下層区の商人たちの間で「同じ汗には、同じ報酬を」が合言葉になりつつある。
対立候補はオットーの息子、カール・ベルガー。金と組織力で票を買い集める旧来型の選挙戦。
だが、隆之介の草の根戦略が効いていた。下層区の商人たちは、初めて「自分たちの声を代弁してくれる候補者」を得たのだ。
投票三日前。ハンスの陣営に、ある人物が訪ねてきた。
ヴェルクだった。
「ハンスの選挙を手伝っているのはお前か、リュウ」
「そうですけど。何か問題でも?」
「問題はない。だが……忠告しておく」
二人目の忠告だった。
「選挙は、勝った後が本番だ。候補者というのは、勝つまでは従順だが、勝った途端に変わることがある」
「ゴルドさんと同じこと言いますね」
「ゴルドが言ったなら、なおさら聞いておけ」
ヴェルクは去った。背中が妙に寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。
◇ ◇ ◇
投票日。
結果は、ハンス・ブレンナー当選。得票数百四十七票。二位のカール・ベルガーに三十票差の圧勝だった。
下層区の酒場で、ハンスの支持者たちが歓声を上げた。
「ハンスさん、おめでとうございます!」
隆之介は満面の笑みで握手した。ハンスも笑っていた。
しかし、握手の力が、少し弱い気がした。
翌日。隆之介は報酬の受け取りにハンスの事務所を訪ねた。
事務所には、見知らぬ男が二人いた。スーツに相当する高級な仕立てのローブを着た、明らかに上層区の人間。
「ハンスさん。報酬の件について——」
「ああ、リュウさん。紹介するよ。こちらはラング法務事務所の——」
「弁護士?」
「法務顧問だ。評議員になるにあたって、法務体制を整えることにした」
隆之介の港区センサーが、全力で警報を鳴らした。
「報酬の件なんだが」
ハンスの目が、三週間前と違っていた。あの真っ直ぐなキラキラは消えて、どこか泳いでいる。
「相談したんだが……そもそも、口頭での約束だったろう? 契約書は交わしていない」
空気が凍った。
「……ハンスさん。俺の戦略で当選したんだよね?」
「戦略は参考にした。だが、実際に有権者を回ったのは私だ。手紙を書いたのも私だ。汗をかいたのは、私自身だ」
パルムが隆之介の肩の上で、急激に小さくなった。米粒くらいの大きさになって、震えている。
「リュウ……この人、空気が変わった。選挙のときはキラキラしてたのに、今は……モヤモヤ。灰色。ドロドロで気持ち悪い。」
隆之介には見えていた。いや、見えていなかった。ゴルドの忠告を、ヴェルクの忠告を、聞いていたのに。
「……書面がないから、払わないと」
「払わないとは言っていない。ただ、50,000Gは高すぎる。10,000Gなら——」
「ハンスさん」
隆之介の声が変わった。怒りではない。静かな落胆だ。
「港区でも、こういう人いたんだよ。勝った途端に『あれは自分の実力だった』って言い出す人。選挙コンサルの業界では定番の話だ」
「何が言いたい」
「何も。俺の見る目がなかっただけだ」
隆之介は立ち上がった。
「10,000G、いらないよ。その代わり、ハンスさん。一つだけ覚えといて」
「なんだ」
「選挙は勝った後が本番なんだって。それ、二人の人に言われたのに、俺は候補者選びの方に生かすべきだった」
ハンスは何か言いかけたが、隆之介はもう振り向かなかった。
◇ ◇ ◇
バルドの炙り亭。
隆之介はテーブルに突っ伏していた。いつものポーズだ。いつものステーキが出てきた。
「……バルドさん。俺って、人を見る目ないのかな」
「ある方だろ。じゃなきゃ俺んとこに最初に来てねえよ」
「……おっちゃん」
「泣くなよ」
「泣いてない」
リーナが帳簿を開いた。
「収支を出しますね。選挙コンサルの三週間、活動経費が8,000G。茶屋での打ち合わせ代、紙代、情報収集の移動費。報酬はゼロ。差し引き——」
「言わなくていい」
「マイナス8,000Gです」
「言ったじゃん!」
「帳簿は嘘をつきません」
所持金が28,000Gから20,000Gに減った。また逆戻りだ。
ゴルドが杯を掲げた。表情は読めない。
「言っただろう」
「……はい」
「候補者は勝ったら自分の手柄、負けたらコンサルのせいにする」
「……はい」
「だが」
ゴルドの目が、少しだけ優しくなった。
「お前がハンスに教えた選挙戦略は、レンドールの選挙を変えたぞ。草の根で有権者を回る。一人一人に手紙を書く。今まで誰もやらなかったことだ。次の選挙から、全員がやり始めるだろう」
「……それ、俺に一銭も入らないやつですよね」
「入らん。だがな、下層区の商人たちは覚えとる。誰が最初にあの戦略を考えたか。誰がハンスを評議員に押し上げたか。ハンスは忘れても、票を入れた人間は忘れない」
パルムが少しだけ膨らんだ。米粒サイズから小指サイズに戻った。
「リュウ。下層区の人たちの空気、まだキラキラしてるよ。ハンスじゃなくて、リュウのこと覚えてる人たち」
隆之介は顔を上げた。
「……そうか」
金は消えた。クライアントに裏切られた。契約書がなかったのは完全に自分のミスだ。
だが、街が変わった。下層区の商人たちが初めて「自分たちの代表」を選ぶ経験をした。そのきっかけを作ったのは、隆之介だ。
またこのパターンだ。
金は消える。人が残る。仕組みが残る。
リーナがため息をついた。何回目か、もう数えていない。
「……あんた、次は何をやるんですか」
「次?」
隆之介は考えた。選挙コンサルで学んだことがある。人を動かすのは金でも権力でもない。「この人についていきたい」と思わせる何かだ。ハンスにはそれがあった。でもハンスは、それが自分の力だと勘違いした。
「次は、、まだ決めてない」
リーナが少し驚いた。
「珍しいですね。いつもは失敗した三十秒後には次のアイデアを語り始めるのに」
「……ちょっと考えたいことがある。この街に来てから、いくつビジネスやった?」
「炙り亭、掲示板、竜宮城、冒険者便、不動産、情報メディア、選挙コンサル。七つです」
「七つやって、七つとも、なくなったか形が変わった。でも——」
「人脈は残りましたね。あんたのことを知ってる人は、最初の頃と比べ物にならないくらい増えた」
隆之介は二つの太陽が沈んでいくレンドールの空を見上げた。
「港区では、失敗したら人が離れた。成功してるときだけ寄ってくる人ばかりだった。でもここでは——」
「ここでは?」
「……いや、なんでもない。独り言」
「独り言にしてはずいぶん感傷的でしたけど」
「感傷的じゃねえよ。分析だよ、分析」
パルムが隆之介の耳元で言った。
「リュウ。ボク知ってるよ。今、ちょっとだけ泣きそうだったでしょ」
「泣いてねえよ。目から汗が——」
「目から汗は出ないって、バルドさんも言ってたよ」
ゴルドが杯を空にした。
「さて。選挙コンサルに乾杯するか」
「乾杯する気分じゃないんですけど」
「失敗に乾杯しないやつは、次に進めん。俺の師匠の言葉だ」
隆之介はしぶしぶグラスを持った。
「……選挙コンサルに、乾杯」
「乾杯」
「乾杯です」
「かんぱーい!」
四つの声——いや五つか。パルムの声は、隆之介にしか聞こえなかったけれど。
夕暮れの炙り亭に、グラスの音が響いた。
港区おぢの選挙コンサルは失敗。
だが、レンドールの下層区に「民主主義の種」が蒔かれた。
それが芽吹くのは、もう少し先の話だ。




