第13話 情報を制す者(前編)
情報ビジネス。
言葉にするのは簡単だが、何から始めればいい?
隆之介はレンドールの大通りを歩きながら考えていた。リーナが半歩後ろをついてくる。
「リーナさん。この街の人って、商売に必要な情報をどうやって手に入れてるの?」
「どうって……人づてですよ。知り合いの商人に聞くか、ギルドの掲示板を見るか。あとは自分の足で市場を歩いて相場を確認するか」
「それだけ?」
「それだけです。それ以外に何があるんですか」
「俺の故郷には『新聞』っていうものがあったんだ。毎日、街で起きたことや相場の動きをまとめた紙を配る。商人はそれを読めば、足を動かさなくても市場の動きがわかる」
「……紙を配る?毎日?」
「そう。で、その紙に金を払う人がいる。月額いくらで定期購読する。これを——」
「サブスクリプション、とか言い出すんでしょう」
「あれ、知ってた?」
「知りません。あんたの口癖のパターンが読めてきただけです」
隆之介は笑った。リーナの学習速度は本当に速い。
◇ ◇ ◇
まず隆之介がやったのは、情報の棚卸しだった。
レンドールの市場で、どんな情報に価値があるか。鑑定眼を使いながら、一日かけて調べた。
食料品エリア。干し肉の相場が先週より八パーセント上がっている。原因は南方街道で魔獣が出没して、家畜の輸送が滞っているらしい。
この情報、干し肉を扱う商人なら金を出してでも知りたいはずだ。
武器防具エリア。鉄の剣の価格が店によって三割も違う。どちらの店も自分が適正価格だと思っている。比較する手段がないから。
価格の一覧表があるだけで、買い手は安い店を選べるし、売り手は相場を知って値付けを修正できる。
冒険者ギルドの掲示板。依頼の報酬にバラつきがある。同じゴブリン討伐でも、5,000Gの依頼と8,000Gの依頼が並んでいる。冒険者は片っ端から見比べるしかない。
依頼の報酬相場表があれば、冒険者は効率よく稼げる。依頼主も相場に合った報酬を設定できる。
「……全部バラバラだ。情報が整理されてない。統合されてない。比較できない」
隆之介は木片のメモ帳を見返した。一日でぎっしりとデータが溜まっている。
そして、あることに気づいた。
鑑定眼がいつもと違う。
いつもは物を見れば数字が浮かぶだけだった。市場価値、原材料コスト、利幅率。淡々とした数字の羅列。
だが今日は、数字の奥に何か別のものが見える。
薬草ポーションの瓶を見つめた。数字が浮かぶ。いつも通りだ。しかし、その数字が揺れている。まるで、水面に映った文字のように。
「……なんだ、これ」
「リュウさん?どうしました?」
「いや、鑑定眼がちょっとおかしくて——」
その瞬間。
視界の中心で、数字が弾けた。
光の粒が散って、くるくると回って——手のひらサイズの、小さな人影が現れた。
透き通った羽。青い髪。まんまるの目。
手のひらに収まるほど小さな少女が、隆之介の顔の前で浮かんでいた。
「ふー、やっと出られた!」
高くて、よく通る声。鈴を転がしたような。
「ずっと中にいたんだよ!暗かったんだよ!数字ばっかりで退屈だったんだよ!」
隆之介は固まった。
リーナも固まった——ように見えたが、リーナの目は隆之介の顔だけを見ていた。小さな少女を見ていない。
「……リュウさん。何を見てるんですか」
「え。見えないの?このちっちゃい女の子」
「は?」
「目の前に。ほら、ここに。青い髪の——」
「あんた、ついに壊れました?」
「壊れてないって!」
小さな少女が、くるりと回って隆之介の肩に着地した。
「ボク、パルム!あなたの鑑定眼に宿ってる精霊だよ!」
「精霊……?」
「そう!あなたが最初に鑑定眼を使ったときからずっといたの!でも、あなたの魔力がゼロだから、出てこれなかったんだ」
「じゃあなんで今——」
パルムは小さな手で顎に手を当てた。考える仕草が妙に可愛い。
「うーんとね。たぶん、今日たくさんの情報を鑑定したでしょ? 物だけじゃなくて、情報の価値を読もうとした。それがボクのエネルギーになったの。鑑定眼って、本当は物の値段を見るだけのスキルじゃないんだよ。情報の流れとか、市場の空気とか、もっと大きなものを読むためのスキルなの」
隆之介は目を瞬いた。
「……つまり、俺が情報を鑑定しようとしたから、お前が目覚めた?」
「そう!ボクが見えるのはあなただけだけどね。魔力がゼロだから、他の人には見えないの」
リーナが腕を組んで隆之介を見ている。完全に「この人おかしくなった」という目だ。
「リュウさん。虚空に話しかけるのやめてもらっていいですか。通行人が見てます」
「待って待って。本当にいるんだって。パルム、お前何ができるの?」
パルムは胸を張った。手のひらサイズのぺったんこの胸を。
「鑑定の数値を口頭でお伝えします! あと、市場の空気を感覚的に読めるよ! たとえばこれ!」
パルムが薬草ポーションの瓶を見つめた。
「この商品、なんかモヤモヤする。数字は悪くないのに、空気が澱んでる。たぶん需要が落ち始めてる。三日後くらいに値崩れするかも」
「……マジで?」
「たぶん!あ、でもボク計算ちょっと苦手だから、細かい数字は信用しすぎないでね。利益率97.3パーセントです!あ、ごめん、97.1パーセントに修正して!みたいなことたまにあるから」
隆之介は吹き出した。
ポンコツだ。可愛いけど、ポンコツだ。
「……まあいい。よろしくな、パルム」
「よろしく!ご主人!」
「ご主人はやめて。リュウでいいよ」
「リュウ!よろしく!」
パルムが嬉しそうにくるくる飛び回った。光の粉が散る。隆之介だけに見える、小さな祝祭。
リーナが深いため息をついた。
「……架空の友達ができたんですか。いよいよですね」
「架空じゃないって。そのうち証明するから」
「はいはい」
◇ ◇ ◇
パルムの存在を——というより、パルムの存在をリーナに信じてもらうことを一旦諦めて、隆之介は情報ビジネスの設計に取りかかった。
商品名は「レンドール・マーケット・レポート」。
内容は三部構成。第一部が「本日の市場相場」。主要商品五十品目の価格一覧。第二部が「冒険者ギルド依頼動向」。依頼の種類別・ランク別の報酬相場。第三部が「街のうわさ」。街道の安全情報、天候、入荷予定など。
「これを毎日一枚の紙にまとめて、購読者に届ける。月額3,000G。冒険者の月収が150,000Gだから、収入の二パーセント。この価格帯なら手が出る」
リーナが帳簿で計算した。
「紙代と印刷、いえ、この世界に印刷はないですね。書写するんですか? 一枚ずつ?」
「最初はそうするしかない。でも購読者が二十人なら一日二十枚。俺とリーナさんで手分けすれば、朝の二時間で書ける」
「私も書くんですか」
「もちろん。月額3,000Gで二十人なら、月の売上60,000G。紙代を引いても利益は50,000G以上。借金なんか一ヶ月で返せる」
パルムが隆之介の肩の上で飛び跳ねた。
「すごいすごい!リュウ、商売の天才だね!」
隆之介は声に出さずに「ありがとう」と口だけ動かした。声に出すとリーナにまた変な目で見られる。
「問題は、購読者をどう集めるか」
「……また試食作戦ですか」
「近い。無料お試し号を三日間配る。タダで市場レポートを配って、価値を実感してもらう。四日目から有料に切り替える。最初のバルドの炙り亭の前でやったのと同じだ」
「あんたの成功パターン、全部『最初タダで配る』ですよね」
「フリーミアムモデルって言うんだよ。無料で引きつけて有料に転換する。港区のスタートアップは全部これ」
リーナは首を横に振りながらも、帳簿にスケジュールを書き始めた。なんだかんだで乗ってくれる。
◇ ◇ ◇
初日。
隆之介は朝五時に起きて、レンドールの全市場を回った。鑑定眼で主要商品の価格を記録し、パルムが横から補足する。
「リュウ、干し肉の価格、先週比で五パーセント上がってるよ!南方街道の魔獣出没が原因だと思う! あ、五パーセントじゃなくて四パーセントかも。ごめんね!」
よく誤差はあるが、方向性は正しい。パルムの「空気を読む」能力は、数字だけでは見えない市場のトレンドを拾ってくれる。
昼までにレポートの原稿を書き上げた。リーナが二十枚を書写してくれた。字が綺麗だ。さすが元ギルドの事務仕事をしていただけある。
午後、大通りで無料配布を開始した。
「はいはい、どうぞ!レンドール・マーケット・レポート!今日の市場の相場が一目でわかります! 無料です!」
炙り亭の試食と同じだ。最初は誰も受け取らない。
だが一人の商人が足を止めた。干し肉を扱う中年の男。
「なんだこれ。おい、ここに書いてある数字、本当か?南方街道の輸送が止まってるから干し肉の相場が上がってる、って」
「本当ですよ。今朝、全市場を回って確認しました」
商人はレポートを食い入るように読んだ。
「……これが本当なら、今のうちに在庫を積み増した方がいいな。値段がもっと上がる前に」
商人が去った後、パルムが嬉しそうに言った。
「リュウ!あの人、レポートを読んで行動を変えた!情報が人を動かしたんだよ!」
その通りだった。
情報には力がある。正しい情報を、正しいタイミングで、正しい人に届ける。それだけで、人の判断が変わる。商売が変わる。街が変わる。
一日目の配布数は四十三枚。全部なくなった。
◇ ◇ ◇
三日間の無料配布が終わった。
四日目の朝、隆之介は大通りで有料版の告知を出した。
「月額3,000G! 毎朝届くレンドール・マーケット・レポート! 市場の相場、冒険者ギルドの依頼動向、街道の安全情報!」
初日の定期購読者は十四人。
二日目は二十三人。
一週間後、三十八人。
月の売上見込み:114,000G。紙代と配布の手間賃を引いても、純利益は月90,000Gを超える計算だ。
借金の20,000Gどころか、大幅な黒字。しかもストック収入。毎月、寝てても入ってくる。
隆之介は拳を握った。
「来たぞ。ついに来た。これだ。情報ビジネスは原材料費がほぼゼロで、スケールする。購読者が増えてもコストはほとんど変わらない。これが——」
パルムが肩の上で一緒にガッツポーズをした。
「やったねリュウ!ボクたち天才だね!」
リーナが帳簿を閉じて、珍しく少しだけ口元が緩んだ。
「……今回は、うまくいくかもしれませんね」
隆之介はリーナの顔を見て、ニヤリと笑おうとした。
これならうまくいくと意気込んでいたが、
翌朝。商業ギルドから一通の書状が届いた。
エレナ・ヴァイスフェルトの美しい署名入り。
『レンドール・マーケット・レポートの発行について、商業ギルド情報管理規定に基づく事情聴取を行います。明日午前、支部長室に出頭してください。なお、聴取が完了するまで、レポートの発行は一時停止していただきます』
隆之介は書状を持つ手が震えた。
「……またかよ」
パルムが隆之介の肩の上で、しゅんと小さくなった。文字通り、一回り小さくなった。
「リュウ……大丈夫?」
「大丈夫じゃない。でも、まだ終わってない」
リーナがため息をついた。今日だけで四回目。
「言いましたよね。今回は、って。『うまくいくかも』の後には必ず何か来るんですよ、あんたの場合」
「……否定できない」




