第12話 不動産王への第一歩
現在の所持金はマイナス20,000G。
リーナの借金を肩代わりした翌朝、隆之介は宿のベッドで天井を見つめていた。
「……港区時代、カードの残高がマイナスになったことは何回かあったけど。異世界でもマイナスって、俺の人生どうなってんの」
隣のテーブルでリーナが帳簿をつけている。
「正確に言うと、マイナス20,000Gです。バルドさんへの返済分を差し引くと、実質的な借入総額は——」
「やめて。数字で殴らないで」
「事実を述べているだけです」
隆之介は起き上がり、窓の外を見た。レンドールの朝。二つの太陽が昇り始めている。
いつもならここで「よし、次のビジネスだ」と切り替えるところだが、今回ばかりは少し考えたいことがあった。
「……リーナさん。ちょっと聞いていい?」
「なんですか」
「俺、この街に来てからいくつビジネスやった?」
「炙り亭、掲示板改革、竜宮城、配達サービス。四つですね」
「で、今手元に残ってる金は」
「マイナス20,000Gです」
「……つまり、四回も働いて、収支マイナスなわけだ」
リーナが珍しく何も言わなかった。事実すぎてツッコミようがない。
「港区にいた頃、ある先輩に言われたことがある。『金城くん、君は稼ぐのは上手いけど、残すのが壊滅的に下手だね』って」
「……的確な人ですね、その先輩」
「うるさいよ。でもさ、あの人が続けて言ったんだ。『フロー収入を追いかけてるうちは、一生ラットレースだよ。ストック収入を作れ』って」
リーナが首を傾げた。
「フロー収入とストック収入?」
「フロー収入は、働いた分だけもらえる金。屋台の売上とか、配達の手数料とか。働くのをやめたら止まる。一方で、ストック収入は、一回仕組みを作ったら、寝てても入ってくる金。家賃とか、権利収入とか」
「寝てても入ってくる……」
「そう。俺に今、必要なのはそっちだ」
隆之介は宿を出た。今日は商売をしない。街を歩く。考える。
◇ ◇ ◇
レンドールの下層区を歩いていて、隆之介は気づいた。
空き家が多い。
大通りから三本裏に入ると、窓が板で塞がれた石造りの建物がいくつも並んでいる。かつては住居か倉庫だったらしいが、今は誰も使っていない。
鑑定眼を向ける。
——鑑定結果——
物件:石造二階建(下層区第三通り)
築年数:推定60年
現状評価額:80,000G
推定適正家賃:月額 8,000G(1階・2階各1室)
現在の入居率:0%
周辺相場との乖離:推定家賃は相場比65%(割安)
備考:構造は健全。内装の劣化が著しい
「……八万Gの物件で、月八千Gの家賃が取れる? 利回り……年間で十二パーセント?」
隆之介の目が光った。
港区の不動産利回りはせいぜい三〜四パーセント。十二パーセントは異常な高利回りだ。つまり、この世界の不動産は——。
「圧倒的に、過小評価されてる」
理由はすぐにわかった。この世界では「不動産投資」という概念がない。家は「住むもの」であって「稼ぐもの」ではない。土地や建物は相続するか、ギルドが管理するか。個人が物件を買って貸し出すという発想自体が存在しないのだ。
「リーナさん、この空き家の持ち主って誰?」
「下層区の空き家は、たいてい商業ギルドの管理物件ですね。持ち主が街を離れたり、亡くなったりした物件をギルドが預かってます。でも管理費がかかるから、ギルドも持て余してる」
「持て余してる——つまり、安く借りれる可能性がある?」
「借りる? 住むんですか?」
「住まない。貸す」
リーナが固まった。
「……借りたものを、貸す?」
「サブリースって言うんだ。物件を安く借り上げて、内装を整えて、相場に近い値段で又貸しする。差額が利益になる」
「それは……規則的にはグレーですね。商業ギルドの物件管理規定に又貸し条項があったかどうか……」
「調べてくれる?」
「……調べますけど。また何か始めるんですか、マイナスの状態で」
「マイナスだからこそだよ。フロー収入で穴を埋めようとしたら永遠に追いつかない。仕組みを作って、毎月勝手に返済される状態にしないと」
「理屈はわかりますけど、マイナス20,000Gの人間に物件を貸すギルドがあると思います?」
「……そこは交渉力でなんとかする」
「いつものやつですね」
◇ ◇ ◇
商業ギルドの本部。石造りの重厚な建物の二階、支部長室。
隆之介は、レンドール商業ギルド支部長の前に座っていた。
エレナ・ヴァイスフェルト。
隆之介が支部長室に通された瞬間、息を呑んだ。
三十代後半——いや、四十代に見えるかもしれない。だが、そんな数字はどうでもよくなるほどの美しさだった。艶やかな黒髪を一つに束ね、深い紫のローブを着こなしている。目元の小さな皺すら色気に変えてしまう、大人の女性の凄みがあった。
港区でいうところの、銀座のクラブのNo.1ママ。それも、全盛期の。
「あの、エレナさん——」
「支部長、と呼んでちょうだい」
声は穏やかだった。微笑みすら浮かべている。だが、目が笑っていなかった。隆之介の港区センサーが微かに警告を鳴らした。
この人、やばいやつだ。
「し、支部長。本日は下層区の空き物件の借り上げについてご相談を——」
「ああ、聞いてるわ。リュウノスケ・カネシロ。炙り亭のリブランディング、掲示板改革、竜宮城の開業と営業停止、配達サービスの立ち上げと崩壊。随分と派手に動いてるわね」
全部把握されていた。
エレナは書類の束を指先でとんとんと揃えた。
「で、今度は不動産。下層区の空き家を借りて又貸ししたい、と。——目のつけどころはいいわ。あの物件は管理費ばかりかかって、ギルドとしても困っていたの」
「じゃあ——」
「ただし」
エレナの微笑みが、一段深くなった。港区で十五年培った隆之介の危機察知能力が、全力で警鐘を鳴らしている。
「あなた、今いくら持ってるの?」
「……マイナス20,000Gです」
「あら。借金持ちなのね」
にっこり。完璧な笑顔。隆之介は嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
「通常、賃料は前払いよ。月額10,000G。二棟で20,000G。あなた、払えないわよね」
「それは——」
「払えない人間に物件は貸せない。それが原則」
門前払いだ。隆之介は歯を食いしばった。ここで引き下がったら終わりだ。
港区の脳みそが回る。金がないときに金を引き出す方法。それは、相手にとってのメリットを提示すること。
「支部長。一つ提案があります」
「聞くだけ聞くわ」
「今、あの空き物件はギルドに管理費だけかかって収益ゼロですよね。俺に貸しても貸さなくても、ギルドの持ち出しは変わらない。だったら、レベニューシェアにしませんか」
「レベニュー……なに?」
「成果報酬型です。賃料は固定じゃなくて、入居者から得た家賃の三割をギルドに納める。入居者がゼロなら、ギルドの取り分もゼロ。でも部屋が埋まれば、ギルドにとっては今までゼロだった物件が金を生む資産に変わる」
エレナの微笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
計算しているのだ。この女は、感情ではなく数字で判断する。
「……面白い提案ね。でも、リスクが非対称だわ。物件が傷んだ場合の修繕費はどうなるの?」
「俺持ちです。全額」
「修繕費の原資は?」
「最初の修繕は、DIYでやります。冒険者ギルドの掲示板で低ランクの冒険者に日雇い修繕を依頼する。日当は入居者が入った後の家賃収入から後払い」
「日当の後払いを冒険者が受ける保証は?」
「バルドの炙り亭の賄い飯つきにします。昼飯が出るなら日当は後払いでも来るやつはいる。日銭仕事がない低ランクの冒険者は多いので」
エレナがゆっくりと椅子にもたれた。指先が机を叩く。とん、とん、とん。
「……つまりあなた、手元資金ゼロのまま、他人のリソースだけで事業を回そうとしてるわけね」
「はい」
「大した厚かましさね」
にっこりと見た人を虜にする天使のような微笑み。だが、今度の笑顔にはほんの少しだけ、面白がっている色があった。
「いいわ。ただし、条件を追加するわね」
隆之介の背筋が伸びた。
「三ヶ月以内に入居率五十パーセント。未達の場合は即時返還。クレームが一件でも発生したら是正報告を提出。それと、家賃収入のギルド取り分は三割じゃなくて、四割」
「四割!? それだと俺の手元に——」
「嫌なら結構よ? 他にあの物件を借りたい人は……ああ、いないわね。でもあなたにも他の選択肢がないんじゃないかしら」
にっこり。完璧な微笑み。
リーナが横で小さく「だから言ったのに」と呟いた。
隆之介は三秒考えた。四割は痛い。だが、ゼロの六割はゼロだ。四割取られても、六割は残る。金がない人間は条件で負けてでもまず動く。これも港区で学んだことだ。
「……やります」
「あら。いい返事ね」
「ただし、入居率五十パーセントを三ヶ月じゃなくて一ヶ月で達成したら、ギルド取り分を三割に下げてください」
エレナが目を細めた。
「交渉してくるのね。でも、いいわ。一ヶ月で五十パーセント達成なら三割に見直す。ただし、達成できなかったら四割五分に上がるわよ」
「……乗りました」
隆之介は支部長室を出た後、廊下でリーナに小声で言った。
「……あの人、笑顔で人の財布の中身を全部抜くタイプだ」
「初めて会ったんですか? エレナ支部長、レンドールでは有名ですよ。『微笑みの鉄壁』って呼ばれてます」
「先に言ってよ!」
「あんたが勝手に突撃したんでしょう」
◇ ◇ ◇
翌日から、隆之介は動いた。
冒険者ギルドの掲示板に修繕依頼を出した。「日当5,000G(後払い)、昼飯つき」。初日から七人の応募があった。E級やD級の若い冒険者たち。ダンジョンの合間の日銭仕事として、昼飯つきなら後払いでも構わないという連中だった。
バルドには事情を話して、修繕チームへの賄い飯を頼んだ。
「また金がねえのか」
「ないです」
「……仕方ねえな。だが肉代はツケだからな」
「おっちゃん、ありがとう。三倍にして——」
「それは前も聞いた。まだ返してもらってねえぞ」
隆之介は自分も壁を塗り、床を磨いた。港区時代、オフィスの内装を自分で手配した経験が生きた。
「壁の色を変えるだけで、部屋の印象は倍変わる。港区のリノベ物件、全部これだったもんな」
一週間で二棟八部屋の修繕が完了した。材料費は中古の塗料や端材を掻き集めて、合計で12,000G。これもバルドへのツケだ。借金が借金を呼んでいる自覚はあった。
隆之介は各部屋に鑑定眼を向けた。
——鑑定結果——
物件:下層区第三通り 1号棟 1階A室
修繕後評価額:35,000G(修繕前:20,000G)
推定適正家賃:月額 12,000G
修繕費用:6,000G(材料費のみ)
投資回収期間:0.5ヶ月
入居者募集の告知を冒険者ギルドの掲示板に貼った。
『冒険者専用マンスリールーム! 月額12,000G! 宿屋の半額で自分だけの部屋! 炙り亭の割引券つき!』
三日で八部屋中六部屋が埋まった。入居率七十五パーセント。一ヶ月の期限まで三週間を残して、五十パーセントをクリア。
月額家賃収入:72,000G。エレナとの約束通り三割をギルドに納めて21,600G。修繕の後払い日当と材料費のツケを差し引くと、初月の手残りは——。
「約8,000G。少ないけど、プラスだ。寝てても毎月入ってくる」
隆之介は拳を握った。
「これだ。これがストック収入だ。屋台で毎日汗かいて稼ぐんじゃない。仕組みが勝手に金を生む」
リーナが帳簿を見ながら言った。
「確かに安定してますね。でも8,000Gじゃ、借金の完済に三ヶ月近くかかりますよ」
「だから、スケールさせる。この実績を見せれば、追加の物件を借りれる。二棟が四棟になれば——」
「……あんた、その顔。竜宮城の時と同じ顔してますよ」
「違う違う。今回は堅実にいく。堅実に」
◇ ◇ ◇
二週間後。四棟十六部屋に拡大。入居率八十パーセント。
エレナは追加の二棟も同じ条件で貸してくれた。実績があると交渉は速い。
このまま順調にいけばと思った矢先だった。
入居者から連絡があり、
「リュウさん。排水が壊れました。一号棟の一階、全室浸水です」
「え」
「あと、二号棟の屋根に魔獣の巣ができてます。入居者が怖がって二人出ていきました」
「えええ」
「三号棟は——」
「まだあるの!?」
不動産の洗礼だった。
港区時代、隆之介は「不動産は買ったら放っておけば儲かる」と思っていた。実際にはそんなことはない。物件は老朽化する。設備は壊れる。入居者はトラブルを起こす。管理コストは永遠に発生し続ける。
排水修理に15,000G。魔獣駆除の依頼に10,000G。退去者が出て空室が増え、家賃収入が減る。
ストック収入だったはずの利益が、修繕費に食われていく。
そして、止めを刺したのはエレナだった。
三週間目の定例報告で支部長室を訪ねた隆之介に、エレナはいつもの微笑みで言った。
「リュウノスケさん。構造検査の件、まだね?」
「……構造検査?」
「レンドールの石造建築は、年に一回、ギルド認定の石工に構造点検を受けなければならないの。これは賃貸物件には必須。——って契約書の第六条に書いてあったはずだけど」
隆之介はリーナを見た。リーナは顔を真っ青にして、契約書を開いている。
「……第六条、ありました。賃借人は引き渡し後三十日以内に認定石工による構造検査を実施し、報告書を提出するものとする。未実施の場合——」
「管理権の即時返還。違約金なし、ただし原状回復義務あり」
エレナがにっこりと補足した。
「最初から言ってくださいよ!」
隆之介が叫んだ。エレナは首を傾げた。
「言ったわよ? 契約書に。ちゃんと読まなかったの?」
ぐうの音も出なかった。
「ちなみに認定石工の検査費用は、一棟あたり30,000G。四棟で120,000G。あなた、今いくら持ってるのかしら」
「……聞かないでください」
「あら。じゃあ選択肢は一つね」
微笑み。完璧な微笑み。
「全物件を返却してちょうだい。入居者さんには、ちゃんと説明するのよ?」
◇ ◇ ◇
一ヶ月後。
隆之介の不動産管理事業は終了した。
全物件をギルドに返却。入居者には宿屋を紹介し、前払い家賃は全額返金した。修繕費と日当の支払いを終え、最終収支は——。
プラスマイナスゼロ。
借金が減りもしなければ、増えもしなかった。
バルドの炙り亭で、隆之介はテーブルに突っ伏していた。
「……不動産、甘くなかった」
「当たり前だ。建物ってのは生きてるんだ。世話をしなきゃ壊れる。うちの屋台と同じだよ」
バルドが炙り香草ステーキを差し出した。隆之介は無言でかじった。うまい。涙が出そうなくらいうまい。
リーナが向かいの席で帳簿を閉じた。
「でも、収支トントンで済んだのは奇跡ですよ。入居者への全額返金は……正直、やらなくてもよかった」
「やるよ。信頼を切り売りしたら、次がなくなる」
「……それは、まあ。正しいと思いますけど」
ゴルドがいつの間にか隣の席に座っていた。竜宮城で飲んだ帰りらしく、顔が赤い。
「聞いたぞ。エレナにやられたんだってな」
「ゴルドさん……。あの人、何者なんですか。笑顔のまま人を殺すタイプでしょ」
「エレナか。あれでも昔はまともな商人だったんだがな。支部長になってからは、ギルドの規則を完璧に使いこなす。抜け道もすべて塞ぐやり手の女だ。お前みたいなのが一番カモにされるタイプだ」
「カモって言わないでくださいよ……」
「だが」
ゴルドが杯を傾けた。
「お前の着眼点は悪くなかった。この街の不動産は確かに過小評価されてる。問題はお前が——」
「土地の流儀を知らなかった、でしょ。もう何回も聞きましたよ」
「いや。今回は違う」
ゴルドの酔いが、一瞬だけ消えたように見えた。
「お前に足りなかったのは情報だ」
隆之介は顔を上げた。
「どの物件が安いか。修繕の相場はいくらか。規則の抜け道はどこにあるか。入居者の信用は。全部、情報だ。情報を持ってるやつが不動産で勝つ。情報を持ってないやつは、エレナみたいなのに笑顔で食われる」
リーナが少し考えて、言った。
「……情報に価値がある、って話ですよね。前にも似たことを言ってませんでした? この街は情報の非対称性がひどい、って」
隆之介の目が、変わった。
「リーナさん。天才かよ」
「はい?」
「情報だ。不動産じゃない。情報を売るんだ。この街に、情報インフラを作る」
「……また始まった」
「市場の相場情報、物件情報、冒険者ギルドの依頼動向、魔物の出現傾向、これらは全部バラバラで、誰も整理してない。これをまとめて提供するサービスを作ったら——」
「あんた、マイナス20,000Gなのを忘れてません?」
「忘れてないよ。でも情報ビジネスは原材料費がほぼゼロだ。必要なのは足と頭だけだ」
隆之介はにやりと笑った。バルドがため息をついた。リーナが帳簿を開き直した。ゴルドが杯をもう一杯注文した。
不動産王の夢は消えた。
だが、次の種は、もう芽吹いている。




