第9話 異世界ウーバーイーツ(前編)
ゴルドは竜宮城のカウンターで三杯目のエールを空けてから、ようやく口を開いた。
「——で、思い付いたのが飯の配達サービスだと」
「そう。この街の飯屋と客を、配達でつなぐ仕組みを作りたい」
「なんでそう思った」
「ペインポイント、つまり痛みの場所がはっきり見えてるからです」
隆之介は木片のメモを広げた。この一週間で、竜宮城の客から聞いた不満を整理したものだ。
「冒険者はダンジョンに向かうから朝が早い。日の出前にギルドで依頼を受けて、すぐ出発する。でも朝飯を食べる時間がない。屋台はまだ開いてないし、宿の朝食は質が悪い。だからみんな空腹のままダンジョンに向かって、干し肉をかじりながら歩く」
「それは昔からだ」
「商人も同じ。商談中に飯が欲しくても、席を外して飯屋まで行く時間がない。上層区の大商人なんか、使用人に買いに行かせてるけど、使用人は料理の選び方を知らない。持ち帰る頃には冷めてる」
「で、それを解決したいと」
「飯屋で作った料理を、注文した場所まで届ける。客は席を動かなくていい。飯屋は店に来ない客にも売れる。両方が得する」
ゴルドは白い髭を撫でた。
「アイデアは悪くない。だが、お前の故郷のやり方をそのまま持ち込むなよ。ただ、配達する人間はどうする。お前が走り回るわけにいかんだろう」
「そこが肝です。リーナさんお願いします」
リーナが帳簿から顔を上げた。
「冒険者ギルドのランク別人数、調べてもらったやつ」
「はい。レンドール登録の冒険者、総数約六百名。そのうちD級とE級が合わせて二百四十名。全体の四割です」
「D級とE級の冒険者って、どんな依頼を受けてるの?」
「薬草採取、害獣駆除、荷物運搬……。正直、報酬は安いです。D級で月収80,000G前後、E級だと50,000G以下。まともに暮らすのも厳しい」
隆之介は指を立てた。
「この人たちを、配達員にしたい」
ゴルドの目が動いた。
「……冒険者を配達員に?」
「低ランクの冒険者は仕事が少ない。依頼がない日は酒場でぶらぶらしてる。その空き時間を使って配達をしてもらう。一件あたりの配達報酬は300G。朝の繁忙時に五件回せたら1,500G。依頼のない日の副収入としては悪くないでしょ」
「なるほど。冒険者を使う理由は、空き時間だけか?」
「もう一つある。冒険者は戦えるんですよ。この街、路地裏でたまにモンスターが出るって聞きました。普通の使用人じゃ配達中にモンスターに遭遇したら終わり。でも冒険者なら、街中のモンスターくらいは処理できる」
ゴルドは四杯目のエールを受け取りながら、にやりと笑った。
「なるほど、いいな。それはこの土地に合った形だ」
「でしょ? 港区の……俺の故郷のやり方だと、配達員は一般人がやる。でもこの世界では、配達中に命の危険がある。だから冒険者じゃなきゃダメ。——これがローカライゼーションですよね」
「偉そうに言うな。まだ何もやってない」
リーナが静かに手を挙げた。
「一つ聞いていいですか。配達の注文をどうやって受けるんですか。この世界にスマートフォン——あんたが前に言ってた『手のひらの板』はないですよ」
「そこも考えた」
隆之介は木片に描いた図を見せた。
「注文板方式。竜宮城に『注文ボード』を設置する。客が板に注文を書いて貼っておく。冒険者ギルドの掲示板と同じ要領。配達員はそれを見て、依頼を受ける。掲示板の色分けと同じで、配達先エリア別に色をつけておけば、自分の得意なエリアの注文をすぐ見つけられる」
「……あの掲示板の経験をそのまま活かしてますね」
「そう。あのときはギルドの掲示板を直しただけで、仕組みは自分のものにならなかった。今回は最初から自分のプラットフォームを作る」
ゴルドが口を挟んだ。
「飯屋との契約はどうする。お前の竜宮城の料理だけでは数が足りんぞ」
「レンドールの飯屋に片っ端から声をかけます。配達の料理一件につき、飯屋から手数料を一割もらう。飯屋にとっては、店に来ない客にも売れるようになるわけだから、一割の手数料を払っても得するはず」
「飯屋に直接交渉か。何軒くらい想定しとる?」
「最初は五軒。バルドの炙り亭は確定。あとは大通りのパン屋、薬膳スープの店、焼き魚の屋台、上層区の菓子屋。ジャンルをバラけさせて、客の選択肢を広げる」
ゴルドはエールを一口飲んで、カウンターにグラスを置いた。
「一つだけ、穴が見える」
「どこですか」
「配達員のインセンティブだ。お前は一件300Gと言った。だが、配達先が近い注文と遠い注文がある。同じ300Gなら、配達員は近い注文ばかり取って、遠い注文を誰もやらなくなる」
隆之介は一瞬詰まって、すぐに答えた。
「距離別に報酬を変えます。近距離は200G、中距離は300G、遠距離は500G」
「それでいい。だが、もう一つある。品質管理だ。配達員が急いで走って、料理をひっくり返したらどうする。飯屋の評判も、お前の仕組みの評判も、一発で終わるぞ」
「……それは」
「今すぐ答えが出なくてもいい。だが、走り出す前に考えておけ。お前の弱点は『六十点で走り出す』ところだ。六十点で走るのはいい。だが、致命的な穴がある状態の六十点と、致命的な穴を塞いだ上での六十点は別物だ」
隆之介は黙ってうなずいた。
品質管理。今は答えが出ない。だが、走りながら考えるのではなく、走り出す前にもう少しだけ考える。
ゴルドが教えてくれたのは、そういうことだった。
◇ ◇ ◇
翌日から、隆之介は飯屋への営業を開始した。
最初に訪ねたのは、もちろんバルドの炙り亭だ。
「おっちゃん。また新しい商売を始める」
「……お前、懲りねえな」
「懲りないのが取り柄なんで。炙り亭の料理を、注文を受けた場所に届けるサービスをやりたい。配達一件につき、売上から一割の手数料をもらう。その代わり、店に来ない客にも炙り亭の料理が届くようになる」
バルドは腕を組んだ。
「……届ける? 誰が」
「冒険者。依頼のない日の副業として」
「冒険者が炙りステーキを持って街中を走るのか」
「そう。変かな」
「変だな。だが、お前の『変なこと』は大体うまくいく。最初だけ」
「最後の一言が余計だよ!」
バルドはにやりと笑って、手を差し出した。
「乗った。ただし、料理が崩れて届いたら、俺の店の評判に傷がつく。そこだけは絶対にやるなよ」
「わかってる。品質管理は——今考え中」
「考え中で走るな」
「…………善処する」
二軒目、大通りのパン屋。焼きたてのパンは配達と相性がいい。店主のおかみさんは最初は怪訝な顔をしたが、「朝の冒険者出発前に、宿まで届ける」と聞いて目の色が変わった。
「朝の五時から七時って、うちの店まだ開いてないのよ。でも焼き上がりは四時。その一時間のロスが——」
「もったいないでしょ? 焼きたてを四時半に配達すれば、冒険者は出発前に温かいパンが食べられる。おかみさんは店を開ける前に売上が立つ」
「……やるわ」
三軒目、薬膳スープの店。四軒目、焼き魚の屋台。五軒目、上層区の菓子屋。
五軒中、四軒が即決。残り一軒——菓子屋は「上層区の品格が」と渋ったが、「ギフトとして届けるサービスにしたら?」と提案したら乗ってきた。
「届ける菓子に、メッセージカードをつけて。贈り物として配達する。菓子の値段プラス配達料500G。菓子屋の売上は変わらない上に、新しい客層が——」
「いいわね。やりましょう」
隆之介はにやりと笑った。港区のギフト文化がここで活きた。
◇ ◇ ◇
配達員の募集は、冒険者ギルドの掲示板を使った。ドルフに頼んで掲示板の「その他」エリアに貼らせてもらった。
『配達員募集。依頼のない日の副収入に。一件200~500G。詳しくは竜宮城まで。※E級以上の冒険者限定』
初日に集まったのは八人。全員がD級かE級の若い冒険者だった。
その中に、一際目立つ男がいた。
赤茶色の短髪。日焼けした肌。軽装の革鎧に短剣。——目つきだけが妙にギラギラしている。
「マルクっす。C級。配達員やりたいっす」
「C級? C級なら依頼に困らないでしょ」
「いやー、パーティーの仲間とちょっと揉めて、今ソロなんすよ。ソロだとC級の依頼きついんで、つなぎで何かないかなーと」
隆之介は【鑑定眼】を向けた。
——鑑定結果——
名前:マルク
ランク:C級冒険者
年齢:28
戦闘力:87
所持金:12,000G
人脈価値:裏社会を含むレンドールの広範なネットワーク
備考:信頼性にやや難あり。ただし情報収集能力は高い
信頼性にやや難あり。——だが、情報収集能力は高い。
「マルクくん。配達員としてもいいけど、もう一つ頼みたいことがある」
「なんすか」
「この仕組みを広めるのに、口コミが必要なんだ。冒険者の間で『配達サービスが始まった』って噂を広げてほしい。君、顔広いでしょ」
マルクの目が光った。
「宣伝っすか。得意っすよ、それ。裏通りの酒場から上層区のサロンまで、俺の行けない場所はないっす」
「よし。配達員としての報酬とは別に、宣伝で客を連れてきたら一件あたり100Gのボーナスをつける」
「マジっすか。やるやる」
リーナが小声で言った。
「……あの人、大丈夫ですか。なんか軽いんですけど」
「軽いやつは足も軽い。営業には最適だよ」
◇ ◇ ◇
サービス開始は、翌週の月曜日。
名前は——隆之介は三日悩んで、ゴルドに相談した。
「名前が決まらないんですよ。俺の故郷では『ウーバーイーツ』って言うんですけど、この世界じゃ意味が通じない」
「当たり前だ。この土地の言葉で呼べ」
「じゃあ……『飛脚飯』は?」
「飛脚ってなんだ」
「走って届ける人のことで——ダメか。えーと、冒険者が届けるから——」
ゴルドが面倒くさそうに言った。
「『冒険者便』でいいだろう。わかりやすい」
「シンプルすぎません?」
「シンプルが一番だ。覚えにくい名前は流行らん」
リーナがうなずいた。隆之介は二対一で負けた。
——『冒険者便』。レンドール初の飯の配達サービス。
初日の朝。
まだ太陽が一つしか昇っていない時刻——朝の四時半。
パン屋のおかみさんが焼き上げたばかりのパンを、布の袋に包んで配達員に渡した。配達員はD級冒険者の少年。十七歳。走るのだけは速い。
冒険者ギルド近くの安宿に配達。宿の受付で名前を告げると、二階から寝ぼけ眼の冒険者が降りてきた。
「え……頼んでたパン? マジで届いた?」
「冒険者便です。焼きたてのパン、四個入り。合計400Gです」
冒険者は温かいパンの袋を受け取って、一口かじった。
「——うまっ。焼きたてじゃん。こんなの初めてだぞ」
その声を聞いて、同じ宿に泊まっている冒険者が三人、部屋から顔を出した。
「なに今の。パン届くの?」
「俺も頼みてえ」
「明日からは竜宮城の注文ボードに書いといてください。朝四時締め切り、四時半配達です」
初日の配達数——十二件。
二日目——二十三件。
三日目には、パンだけでなく炙り亭のステーキ弁当、薬膳スープの持ち帰りパックの注文が入り始めた。
一週間後——一日の配達数は六十件を超えた。
配達一件あたりの手数料収入は平均250G。六十件で15,000G。飯屋からの手数料一割が別途入って、一日の総収入は約25,000G。
竜宮城の酒場収入と合わせて、日収45,000G。
借金の返済ペースが一気に上がった。
「リーナさん、このペースなら借金完済まであと——」
「四十日です。ただし——」
リーナは帳簿のある行を指で叩いた。
「配達員への報酬支払いが、売上の六割を占めてます。配達数が増えれば増えるほど、配達員の報酬も増える。利益率は思ったほど高くない」
「スケールすれば解決するよ。配達数が百件を超えたら——」
「また『超えたら』ですか」
「……今度はちゃんと数字で話してるでしょ」
「それは認めます。竜宮城のときよりはマシです。ただ1点——」
リーナは少し言い淀んで、続けた。
「気になることがあります。昨日、配達員のD級の子が、配達先で料理の中身がぐちゃぐちゃになってたって苦情が入りました。走って届けたら、スープが全部こぼれてたって」
「……一件だけでしょ?」
「今は一件です。でも、配達数が増えたら同じことが——」
「大丈夫。走り方のマニュアルを作ればいい。こぼれない持ち方とか——」
「マニュアルで走り方は変わりません。配達員は一件でも多く回した方が稼げる。だから急ぐ。急ぐから雑になる。これ、仕組みの問題じゃないですか?」
隆之介は一瞬、返答に詰まった。
ゴルドの声が脳裏をよぎる。
——品質管理だ。配達員が急いで走って、料理をひっくり返したらどうする。
あのとき答えを出せなかった問題が、もう現実になり始めている。
「……考える。今夜中に対策を考える」
「お願いします。バルドさんの炙り亭から、『料理が崩れて届いたら契約を切る』と言われてますので」
隆之介はカウンターに突っ伏した。
仕組みは回り始めた。客も増えた。配達員も集まった。飯屋も乗ってくれた。
だが、仕組みの中に、小さな亀裂が入っている。
配達員は一件でも多く配達したい。だから速く走る。速く走れば料理が崩れる。料理が崩れれば飯屋の信用が落ちる。飯屋の信用が落ちれば仕組み全体が崩れる。
インセンティブの設計が、品質と矛盾している。
これ、港区時代にも見たことがあるぞ。フードデリバリーの最大の課題だ。配達の速さと品質は、構造的にトレードオフになる。
答えはまだ出ない。
二つの太陽が沈んでいく。冒険者便の注文ボードには、明日の朝の注文がびっしりと貼り付けられている。
仕組みは着実に成長している。
同時に亀裂も成長している。




