第10話 異世界ウーバーイーツ(後編)
「冒険者便」は、開始二週間で爆発的に成長した。
仕組みはシンプルだった。レンドールの飲食店と契約し、注文を受け、配達員が届ける。配達員はD級やE級の低ランク冒険者。ダンジョンに潜る実力はないが、街の中を走り回る体力はある。
配達報酬は当初、ゴルドの助言に従って距離別に設定した。近距離200G、中距離300G、遠距離500G。だが初週の時点で問題が出た。配達員が近距離の注文ばかり取って、遠距離の配達を誰もやらないのだ。ゴルドが懸念した通りだった。
隆之介は報酬を一律150Gに変更した。距離に関係なく均等に配達が回るようにするためだ。対策としては理にかなっている。少なくとも、そのときはそう思った。
客からは配達手数料300Gを取る。差額の150Gが隆之介の取り分だ。
ゴルドのアドバイスで、配達員には冒険者ギルドで見かけた「色分け」を応用した腕章をつけさせた。赤い腕章が「冒険者便」の配達員だとひと目でわかる。これがローカライゼーションだ。港区のウーバーイーツのアプリを再現する必要はない。この世界にあるもの腕章と口頭注文で同じ機能を実現する。
契約飲食店は十二軒。配達員は八人。一日の配達件数は平均六十件。
一日あたりの粗利は9,000G。竜宮城の借金返済を差し引いても、手元に残る。
「ゴルドさんのおかげだよ。ちゃんとローカライズしたら、こんなにスムーズに回るとは」
「調子に乗るな。まだ二週間だ」
ゴルドは竜宮城のカウンターでエールを飲みながら、素っ気なく言った。
「二週間で見えるのは、うまくいってる部分だけだ。仕組みの穴は、うまくいってるときには見えん。負荷がかかったときに初めて見える」
「負荷?」
「注文が増えたとき。配達員が疲れたとき。天気が悪いとき。トラブルが起きたときとか、そういう『普通じゃない日』に、お前の仕組みが耐えられるかどうかだ」
隆之介は頷いた。頷いたが、正直、実感はなかった。
今のところ、全てが順調だった。
◇ ◇ ◇
最初の異変は、三週目に起きた。
配達員のトモルという若い冒険者が、一日に十八件の配達をこなした。前日までの最高記録は十二件だ。
「トモル、すげえな。十八件って、ほぼ倍じゃん」
「へへ、頑張りました。報酬2,700Gっすよね? 一日の稼ぎとしちゃ最高です」
隆之介はトモルの背中を叩いて褒めた。
だが、その日の夜。契約店の一つ——レンドール大通りのパン屋から苦情が入った。
「おい、今日うちから出した配達、客から文句が来たぞ。スープが半分こぼれてたってよ」
「え? すみません、確認します——」
翌日。別の店から。
「配達が遅い。注文から一時間かかってる。冷め切った料理を届けるくらいなら、やらない方がマシだ」
さらに翌日。今度は客の側から。
「注文したのと違うものが届いたんだけど。鶏肉の煮込みを頼んだのに、干し肉の包みが来た。しかも別の店のやつ」
隆之介は配達記録を確認した。
原因はすぐにわかった。トモルだ。一日十八件を達成するために、複数の店の注文をまとめて受け取り、最短ルートで一気に回していた。その過程で、袋の中身が混ざり、スープがこぼれ、配達先を間違えている。
だが、トモルだけが問題ではなかった。
トモルが十八件で2,700G稼いだ話は、他の配達員にも広まっていた。全員が「件数を増やせば儲かる」と気づいた。
四週目。配達件数は一日九十件に増えた。だが、苦情も比例して増えた。
「スープこぼれ」が三件。「料理が冷めている」が五件。「注文と違う」が二件。「配達員の態度が悪い」が四件。
リーナが帳簿と苦情記録を突き合わせて、隆之介の前に広げた。
「見てください。配達件数と苦情件数が、完全に比例して伸びてます」
「……たまたまじゃないの?」
「たまたまじゃありません。これ、あんたが作った仕組みの構造的な問題です」
リーナの指が、報酬体系の欄を指した。
「一件150G。件数に応じた報酬。これだと、配達員は『丁寧に届ける』より『たくさん届ける』を選びます。当たり前です。丁寧に運んでも雑に運んでも、報酬は同じ150Gなんですから」
隆之介は黙った。
「品質が良くても悪くても報酬が変わらないなら、速さだけを競うようになる。速さを競えば、中身がこぼれる。間違える。冷める。仕組みがそうさせてるんです」
ゴルドが横でエールを飲みながら、静かに言った。
「インセンティブ設計の失敗だな」
「……インセンティブ設計?」
「報酬の仕組みが、お前の望まない行動を誘導しとる。お前は『丁寧に速く届けてほしい』と思っとるが、報酬体系は『速くだけ届ければいい』と言っとる。人間は言葉じゃなくて報酬に従う。当たり前の話だ」
隆之介は頭を抱えた。
「じゃあどうすればいいんですか? 苦情があったら減額するとか?」
「ペナルティを増やすと配達員が辞める。そもそも低ランク冒険者は他に仕事がいくらでもある。条件が悪くなれば、すぐにいなくなるぞ」
「じゃあ、丁寧に届けたらボーナスを?」
「『丁寧』をどう測る? お前が全件チェックするのか? 八人の配達員の九十件を?」
「……無理だ」
「だろう。つまりお前の仕組みには、品質を担保する構造がない。売上を増やす仕組みはあるが、品質を維持する仕組みがない。車にアクセルはあるがブレーキがない状態だ」
隆之介は窓の外を見た。二つの太陽が傾いている。
港区時代、ウーバーイーツが日本に入ってきた頃のことを思い出した。最初は便利で画期的だと騒がれた。だが、配達員のマナー問題、料理の品質低下、事故。これら全部、同じ構造の問題だった。インセンティブが「件数」に偏ると、品質が犠牲になる。
知っていたはずだ。知っていたのに、自分が設計する側に回ったら、同じ罠にはまった。
「ゴルドさん。最初から気づいてたでしょ」
「気づいとったよ」
「なんで止めてくれなかったの」
「止めたら、お前は学ばん。自分で痛い目を見ないと、構造の問題は理解できん。それに」
ゴルドはエールを飲み干した。
「お前が気づくのが遅すぎたら止めるつもりだった。だが、嬢ちゃんが先に気づいた」
リーナが少しだけ顔を赤くした。
「……私は帳簿を見てただけです」
「帳簿から構造を読めるのは、才能だよ。嬢ちゃん」
◇ ◇ ◇
隆之介は対策を打った。
報酬体系を変えた。一件150Gの件数報酬に加えて、「苦情ゼロの日は日当ボーナス500G」を追加。さらに、客からの評価が高い配達員には月末に特別報酬を出す仕組みを作った。
だが、対策が遅すぎた。
既に飲食店の三軒が契約を打ち切っていた。「うちの料理の評判が落ちる」というのが理由だ。
さらに悪いことに、配達員同士のトラブルが発生した。「あいつが俺のルートを横取りした」「こっちの方が先に注文を受けた」など、件数報酬制が生んだ競争意識が、仲間内の対立に変わっていた。
五週目。配達員が八人から四人に減った。残った四人も士気が低い。
六週目。契約飲食店は十二軒から五軒に。一日の配達件数は二十件を割り込んだ。
隆之介は【鑑定眼】で数字を確認した。
——鑑定結果——
冒険者便:日あたり配達件数 18件
粗利 2,700G
契約店離脱率 58%
配達員離脱率 50%
顧客苦情率 22%
事業継続判定:困難
「……撤退だ」
リーナが顔を上げた。
「珍しいですね。あんたの口から撤退って聞くの」
「港区では『損切り《そんぎり》』って言うんだよ。傷が浅いうちに撤退するのも、経営判断だ」
「竜宮城のときは撤退できなかったのに」
「……竜宮城のときは、自分が沼に浸かってたから。今回は頭が冷えてる。ゴルドさんのおかげだな」
ゴルドは何も言わなかった。ただエールを飲んでいた。
◇ ◇ ◇
冒険者便の最終日。
隆之介は残った配達員四人を竜宮城に集めた。
「すまん。仕組みの設計が甘かった。お前たちのせいじゃない。俺の設計ミスだ」
配達員たちは黙っていた。
トモルが口を開いた。
「リュウさん。俺、この仕事好きでしたよ。走るの得意だし、届けたときに『ありがとう』って言われるの、冒険者の依頼じゃなかなかないから」
「……そうか」
「あと、この仕事のおかげで、街の飲食店の店主と顔見知りになれました。今度パン屋のおっちゃんのとこで、配達じゃなくて店の手伝いをしないかって誘われてます」
隆之介は少し笑った。
「いいじゃん。行けよ。お前、人当たりいいから向いてるよ」
「本当ですか。リュウさん、また何か始めるときは呼んでください。今度は走りますから」
別の配達員が言った。
「俺も。リュウさんの仕事、他の依頼より面白かったです」
四人が帰った後、隆之介は竜宮城のカウンターで一人、帳簿を眺めていた。
冒険者便の最終損益。初期投資と運営コストを合わせて、赤字は約40,000G。竜宮城の利益から補填できる範囲だ。致命傷ではない。
だが、また失敗した。
炙り亭。掲示板。竜宮城。冒険者便。
四回目の挑戦で、四回目の壁にぶつかった。今回は、自分の作った仕組みそのものに欠陥があった。竜宮城のように暴走したわけでも、外部から潰されたわけでもない。設計が間違っていた。
「なあ、ゴルドさん」
「なんだ」
「インセンティブ設計って、正解あるの?」
ゴルドは白い髭を撫でた。
「正解はない。だが原則はある」
「原則?」
「報酬は、お前が相手にしてほしい行動に対して払え。してほしくない行動には払うな。簡単に聞こえるだろ? だが実際にやると、人間がどう動くかを完璧に予測しなきゃならん。人間は合理的に見えて、そうじゃない。予想外の行動を必ずする。だから仕組みには、想定外が起きたときの安全弁が要る」
「安全弁……」
「お前の冒険者便には安全弁がなかった。アクセルだけ踏んで、ブレーキがない車だった。次はブレーキを先に設計しろ」
隆之介は木片のメモに書いた。
「ブレーキを先に設計する」
港区時代の自分なら、絶対に書かなかった言葉だ。あの頃は、ブレーキはスピードの敵だと思っていた。六十点で走り出して、走りながら修正する。それが信条だった。
だが、走りながら修正できないものがある。仕組みの根っこは、走り始めてからでは変えられない。
「……次は、設計にもっと時間をかける」
「お。成長したな」
「茶化すなよ、ゴルドさん」
「茶化しとらん。本気で言っとる。お前は失敗のたびに、少しずつ違う場所で躓くようになっとる。同じ失敗を繰り返さんのは、才能だ」
隆之介は少しだけ救われた気がした。
ゴルドはグラスを掲げた。
「冒険者便に。短い命だったが、悪い仕組みじゃなかった」
「……悪い仕組みだったから潰れたんでしょ」
「仕組みの発想は良かった。設計が甘かっただけだ。発想と設計は別物だ。発想は才能、設計は技術。技術は学べる。だから、次がある」
隆之介はグラスを手に取った。自分の店の酒を飲む。リーナがいたら帳簿で殴られるところだが、今夜くらいは許してもらおう。
「冒険者便に乾杯!」
二つのグラスが、静かにぶつかった。
◇ ◇ ◇
翌朝。リーナが竜宮城に来ると、隆之介はカウンターで木片のメモを広げていた。
「……もう次の計画ですか」
「違う。今回は計画じゃなくて、反省ノート」
リーナは少し驚いた顔をした。
「反省ノート?」
「今まで四回やって、四回とも違う理由で壁にぶつかった。パターンを整理してるんだよ。炙り亭は規制を知らなかった。掲示板はスケールできなかった。竜宮城はキャッシュフローと公私混同。冒険者便はインセンティブ設計。全部違う穴だ。でも共通点がある」
「共通点?」
「全部、仕組みの問題なんだよ。アイデアは毎回悪くなかった。でも仕組みのどこかに穴がある。それを事前に見つけて塞ぐ力が、俺にはまだ足りない」
リーナは黙って聞いていた。
「だから次は、走り出す前にもっと設計を詰める。ゴルドさんに見てもらう。リーナさんに帳簿を見てもらう。一人で突っ走らない。そういう商売をやりたい」
リーナはため息をついた。だが、いつものため息とは少し違った。呆れではなく、どこか安堵に近い響き。
「……あんたがそういうことを言うの、初めてですね」
「え? 俺いつもこういうこと言ってない?」
「言ってません。いつもは『大丈夫、六十点で走り出せば——』でしょう」
「……そうだっけ」
「そうです。まあ、今のあんたのセリフ、覚えておきます。次に暴走しかけたとき、そっくりそのまま返しますから」
「怖い」
「褒め言葉です」
朝日がカウンターに差し込んでいる。
冒険者便は消えた。だが、四人の配達員はレンドールの街に散らばって、それぞれの場所で新しい仕事を始めている。トモルはパン屋の手伝い。他の三人も、配達で顔見知りになった店に世話になっているらしい。
隆之介が作った仕組みは壊れた。だが、仕組みの中で生まれた人のつながりは残った。
また同じパターンだ。金は消えて、人が残る。
そのことの意味に、隆之介はまだ気づいていない。




