総ては見えぬ糸で繋がっている
*
「よう、キャメロットの。しばらくぶりだなぁ、五ヶ月ぶりか?」
「バショカフ先生、からだの調子はもういいんですか?」
ハリスの声には心からロエッタ・バショカフ教諭の体調を気遣っている響きがあった。実際、ハリスの人となりからして、本当に心配していたのは間違いないだろう。
「ああ、もうすっかりよくなったよ。悪かったなぁ、長いこと授業してやれなくってよ」
「ホントっスよ、ホランド先生の代理授業なんか、そりゃもう……」
ほかの科目よりはいくぶん和やかに始まった文字方陣学。もちろん教室内には軍人が屹立しているはずだが、控えめとはいえ、生徒たちの笑い声が聞こえた。
キリクはその笑い声がもれる教室でやや歩をゆるめ、うしろにぴったりとついてくる兵士に勘繰られるまえに、階段へと足を向けた。
一階の玄関ロビーは思った以上に閑散としていた。
いまは授業中であるから、生徒の姿がほとんどないのは当然といえば、当然。しかし、以前ならこのフロアをせわしなく行き来する教職員の姿は当たり前のようにあった。
ところが現在は軍の介入によって、必要以上に動かないことが暗黙の了解事項となっている――。
玄関ロビーを支える三本柱のそばで、なにを守っているのかよくわからないが、玄関口をにらみつける三人の兵士が立ちはだかっていた。
「ご苦労様です」
キリクが紳士的に会釈をすると、三人のうちのひとりが、「おい」と声をかけてきた。
「なにか?」
「なにかではない。なにをしている」
「なにといわれましても……そもそも答える義務が?」
「ある。男爵、履き違えてもらっては困る。ここはわれらの統治下にあるのだ」
「統治下」
言って、大仰に目を大きくしてみせる。
「それはそれは、いち教師であるというのにまったく存じませんでした……だから伍長殿ほどの軍人さまがふんぞり返って廊下を歩いておられるということですね? とんだ無知をさらしてしまい、お恥ずかしい限りです」
照れ笑いを浮かべてやると、目の前の男はみるみる顔を赤くした。どうやら皮肉が通じるユーモアセンスはあるらしい。
「貴様! 国の保護下にあるからといって、悪魔の分際で――」
「ヘクトール伍長、つっかかるだけ無駄だ。持ち場に戻りなさい」
顔をまっ赤にした男を制したのは、キリクの監視役を努める中年の軍人だった。おや、とキリクは背後をふり向く。五十をすこし過ぎたあたりの少し疲れた表情の彼は、キリクを見るや、一瞬だけふっと苦笑を漏らしてすぐに視線をそらした。
もしかすると、軍のなかでもこのおかしな状況に、心身ともに疲弊してきている者もいるのかもしれない。悪魔男爵のきょうのお供を勤める、背後の彼のように。
「感謝いたします、大尉」
これに、大尉の階級バッジを襟で光らせる男は無言を貫いた。
悔しそうに歯ぎしりをする伍長らの脇を抜けて、キリクは悠然と玄関口へ向かう。
そろそろ時間だ。
重厚な両開き扉に教鞭をふれば、ギギッと蝶番が軋む。ゆっくりと外側に向けて扉が開け放たれると、雪まじりの冷たい風がびょうと入り込んできて、思わず背筋がぶるっとふるえた。――ちょうどそこで、コーン、と妙に甲高いいななきが校内にすべり込んできた。
一台の一頭牽き馬車が、門柱を抜けて玄関前のエントランスでゆるやかに停車した。
一角馬のレプラホーンがまっ白な鼻息を吐いて、積もった雪をひづめで掻いている。馬車から、待ちわびた生徒が現れた。
「パーシヴァル先生!」
「ウルファート、よく戻りました!」
底抜けに明るい笑顔に似合わぬ左目の泣きぼくろ、三学年キャメロットには、やはり彼の笑い声が必要だ。
キリクは込みあげてくるよろこびを感じながら、しばらく見ないあいだに少しやつれてしまった教え子へ、以前と変わらぬほほえみを向けてやる。
「さあ、みなが待っていますよ」
ウルトは一時間目の授業の終りの鐘が鳴るまで、ガヴェイン校長があらかじめ用意していた特別措置や、復学の手続きについての説明を、職員室の一番ピカピカの机の前で耳を傾けていた。
これでちゃんと紐ネクタイをつけて、スラックスを本来の位置で穿き、左に重心を寄せて立ちさえしなければ完璧なのだが……。
ちなみにその説明をしているのは校長ではなく、ブラッド教頭である。
特別措置とは、ウルト以外にも家族が被災し、亡くなったことでしばらく休学していた生徒が何人もいたため(ちなみに休学はウルトが最長である)、生徒たちの心情を汲んで、単位の遅れを補習授業で取り戻させよう、というものだった。
「いいかね、そもそもキミに関しては、朝、夕、消灯までの時間を使っても単位が足りないのだ。つまるところ、この時点で退校、もしくは留年なのだよ、それをだな――」
だが、彼自身のやる気と、どうしても卒業させてやりたいこちら側の熱意が相まって、特例中の特例として復学がかなったのだ。
「いいかねリンデル君、その不真面目な容姿については、いまは置いておくが……いいかね、キミは五ヶ月も休学したのだ、それをわれわれの厚意でもって復学を許可したわけだが、すでに十月末、卒業試験は例年通り一月だということはわかっているだろうな? ん? 就職に向けてすでに動いている生徒もいれば、さっそく就職先が決まった生徒だっているのだよ、キミは学業も、将来働くことについても――」
云々かんぬん。
「ウルト!」
職員室の扉が開くなり、すっかり気疲れしたウルトが腰掛ける応接ソファに飛んできたのは、アリアだった。そのままウルトを羽交い絞めに抱きしめる。
「手紙のひとつも寄こさないで! ずっと心配してたんだから!」
「あはは、わりーわりー……ところでアリアさん、チチが当たっているんですけど……うれしいような、怖いような、なんかフクザツ……」
バシッと容赦のない平手打ちがウルトの右頬を直撃した。
「ぶふっ」
「ばっかじゃないの! サイッテー! ひとが心配してるってときに! ばかじゃないの!」
「二回もバカバカひどくね?」
「なにコントしてんねや」
現れたユーリのツッコミも変わらずなかなか良い切れ味だった。
「いまひと通り、今後の説明などをしていたんですよ」
キリクも応接ソファから立ち上がって三人それぞれに目を向ける。
「さて三人とも、そろそろ二時間目の準備をなさい。次の授業はたしか幻魔獣学でしたね? ベルガモット先生の話をよく聞いて、使役獣とじゅうぶん心を通わせ、卒業試験に向けて励んでください」
その言葉に、ユーリとアリアはあごを引いて踵を返した。アリアからブレザーの襟をつかまれ、ウルトはたたらを踏みつつ職員室を辞してゆく。
ソファのすぐそばで軍人が目を光らせていることはユーリもアリアもよくよく承知している。だからこそ、ふたりはすぐに身をひいたのだ。
シキと近しいこの面々が集まるのは、ペンドラゴンに餌をくれてやるようなもの。いまは、なにも悟られてはいけない……。きっとハッズが使役獣を使って今後について、巧く伝えてくれるだろう。それから、ウルファートも知ってのとおり、シキが無事であるということも――。
キリクも職員室をあとにし、階段をゆっくりとのぼりはじめた。
三階を通り過ぎたあたりで、背後の大尉が慌てたように歩を速める。
「パーシヴァル男爵、どこへゆかれるのです……? あなたの部屋は、たしか三階では?」
「九階に」
「校長室に?」
「ええ、三年のウルファート・リンデルの復学の報告にゆかねばなりませんから。私が担任ですので」
キリクの斜めうしろで、大尉の緊張がにわかに高まった。
「男爵、貴公はペンドラゴン提督にとって、あまり好ましくない立ち位置にいらっしゃる。その貴公がこの国の第一権限をもつ、ガヴェイン校長先生と堂々とお会いになるのは、いかがなものか」
「つまり、提督からすると危険因子である悪魔が、校長先生とよからぬ企てをするかもしれない、と疑っておいでなのですね」
螺旋を描くようにつづく階段を、急くでもなく、のんびりとのぼる。やや後ろに退がった大尉の苦笑する気配があった。
「……軍での評判どおり、歯に衣着せぬ物言いなんですね」
「はは、ありがとうございます」
口もとに笑みを溜めて、さらに言葉を継ぐ。
「大尉殿、もし、ご心配でしたらいっしょに校長室へお入りください。あなたのような軍人であれば、校長先生も追い出しはしないでしょう」
肩越しに微笑を向けると、彼は驚いたように目を大きくした。
「――そうですか、ではこれでフェイメル・モルガーナとシキ・ヴァグナー以外の生徒全員、復学したということですね」
「ええ」
美しい飾り彫りがなされた執務机で、セラフィト・ガヴェイン校長は羽根ペンを動かしたまま、至極気楽な口調でキリクに問いかけた。応じるキリクもまた、明日の天気の話でもするように、気軽に返答する。
彼女の前に立って背筋を正すキリクのずっと離れた場所――校長室の扉に背を預けて、国軍大尉である男が、まなざしを強くしてそこに屹立していた。
ガヴェインは、キリクが招き入れたこの軍人を邪険にすることなく、むしろ空気のように扱っている。いてもいなくても、差し障りがないのだろう。
「ふむ」
手を止めたガヴェインが、眼鏡の奥の金の瞳をあげたちょうどその瞬間、二時間目の本鈴が鳴った。
「あとはみな――まあ、おもにウルファートなんですが、卒業試験に受かって無事、卒業してくれることを祈ります」
(ところで、セーラ)
キリクは眼前の老婆の耳と脳へ、ほぼ同時に声を飛ばす。それに眉ひとつ動かさぬ彼女を見、キリクのほうが思わず目を見張ってしまった。
ふつうなら、眉とまではいわないが、驚いてどこかの神経が反応してしまうはずだが――。
ガヴェイン校長は空気が抜けるように、ふっと短く微笑し、
「休学していた三学年も多いようですし、先生方にも苦労をかけてしまいますね」
(やっかいな頼みごとはご遠慮願いますよ、ルキフェル)
まったく同じ方法でけん制をかけてきた。
彼女も、ごく当たり前のようにこの高度伝達魔法を使ってくる。これはピンポイントで言葉を伝える高難度の魔法。だというのに、こうも軽々と口と脳で会話をしてみせるのだから、さすがとしか言いようがない。
扉の前でふたりの会話を傍聴している大尉には、耳に聞こえる言葉だけしか理解できないだろう。
「なんの、それが私たち教師の務めですから」
(相も変わらず、つれないですね。それはそうと、やっとウルファートが戻って、これでほとんどの準備が整いました)
朗らかなキリクに対し、校長はじつにうろんげな表情。
「パーシヴァル先生、あなたはほかの先生方より真面目に取り組んでもらわねば」
(黒竜王のほうも、無事にナナル・エーレーンと会えたようでなによりじゃ。軍に戻ったとはいえ、もはやペンドラゴンには、なにもできますまい)
悪魔学の教諭は乾いた笑みを貼りつける。
「痛いところを突きますね……」
(ええ。ですが、どうやらトリスタン嬢の記憶がやつの手で壊されたようで、状況は芳しくありません)
「笑いごとではありません。三学年キャメロットの担任という責務があることをお忘れなく」
(竜騎士の、あの娘ですね)
ぴしゃりとたしなめられて、肩をちょっとすくめてみせた。
「肝に銘じておきましょう」
(ええ、彼女ならば軍を見限っても黒竜王を地下牢から出すと踏んでいたのですが……早々に記憶を戻さねば、色々とまずいことになります)
「して、あなたの生徒の、フェイメル・モルガーナについてなにかおわかりですか?」
(ふむ……それで? わざわざわたくしのところに出向いた理由がおありでしょう? 怒りませんから、お話しなさい)
ガヴェインは片肘をついて、右手の甲にあごを乗せて片方の眉をぴょんと跳ねあげた。探りを入れてくる。
キリクはほんの一瞬ためらった。一瞬ためらって、それをすぐにふり払うと、
「依然行方がつかめていません」
(……卒業式が終了し次第、学校のすべての防護魔法を解除していただきたいのです。闇の魔術師がすんなり侵入できるよう)
そう切り出した。
「なんですって?」
ガヴェインが声を荒げ、教務机を平手で打つ。と同時に、ふだんは穏やかな朝日色の瞳に烈火が爆ぜる。
「ですから、言葉のとおりです。怒らないとおっしゃったではありませんか……」
「なんと馬鹿な! 納得できるとお思いですか? 説明なさい、パーシヴァル先生!」
いきなり怒鳴り声をあげた老婆と、その前で身を縮ませる悪魔の男爵を交互に見やり、少し前まで平穏極まりなかったはずのこの場の変転具合に、大尉はすっかりうろたえてしまっている。
老婆が激怒する理由が、彼にはどう足掻いてもわからない。
キリクはあえて声を低めた。
「……すべては繋がっているのです、セーラ」
ひゅっと息を吸い込んだのは、ガヴェインだ。
長い、長い沈黙。
高度伝達魔法もなく、ただただ、ガヴェインはキリクをにらんでなにかを思索している。
しばらく黙したのち、ガヴェインはたったひと言、
「いいでしょう」
そう告げるなり、しわしわの人さし指を大尉のほうへと向けた。するとすぐさま、優美な木彫りの扉がギィとひとりでに開く。
国立魔法学校校長の、もう出てゆきなさい、というご指示であった。
もはや台本はない。
だが今度ばかりは貴様のおもうようにはゆかせぬ。
シキを取り戻し、トリスタン竜騎士の記憶をよみがえらせ、フェイメルを助け出し、闇の魔術師共とペンドラゴンを――悪魔を葬る。
そのためには多くの者の助けが必要である。私ひとりでは立ち行かない。
そう、私はこの北国の人間たちの――いいや、人々の力を信じ、その力を借りるのだ……。
階段をおりる途中の小窓に、びょうと雪が吹きつけた。
暦はすでに十一月。
キリクは小窓からかすかにのぞく月の輪郭を、なぞるように見やった。その背後で、ちょうどため息をついて顔をあげたばかりの大尉が、同じように小窓に目を配る。彼の目にも、双子の月がじりじりと距離を縮めている姿がぼんやり映ったことだろう。
あと数ヶ月で、この月たちは完全に重なりあう。百年に一度の、双蝕と呼ばれる、闇の力が高まる瞬間である。
もうすぐだ。
もうすぐ、この冬が終わる。
キリクは視線をふいと戻し、ふたたび階段を下りはじめた。背後の軍靴も、同じようにふたたび歩き出す――。
そこから四ヶ月が流れ、やっと巡ってきた、三月。
三月十五日。
国立魔法学校のキャメロット、アバロン、エクスカリバーの三学年はこの日、卒業を迎えた――。




