素敵なプレゼント
*
きょうはここ最近ではめずらしい、雪のない夜だった。
おぼろな半月が仲良く並んで浮かび、冷たい風が細い息のように吹きつける静かな夜――。
キリクを先頭に五人は本校舎から渡り廊下をひた歩いた。さらにそこから東塔の目の回るような螺旋階段を上へ上へとのぼり、ようやくてっぺんまでたどり着いて少年少女ははじめてその事実を知ったのだ。
ちなみにここは五.五階の時計塔と違って屋根がないため、一片のきらめきもない空を存分に眺めることができる。そこから地上へ目を落とすと、さすがに夜十時をまわっていることもあり、第一セクターの建物群の明かりはずいぶんと控えめになっていた。
「うはー! オレ、東塔に来たのはじめてだわ!」
「とくに来る用事もあらへんしな」
あらかじめ防寒対策万全で臨んでいるためだろうか、はたまたこのイベントに高揚しているためだろうか、いずれにしても五人はいつも以上に活き活きとしているように思えた。
「でもそれなら東塔になんの用?」
「すぐわかるよ!」
「シキくん、さっきお渡しした箱を開けてみてください」
フェイメルに促されて、シキは懐に抱えていた箱のリボンをはらりとほどいた。
ピンク色の包装紙から取り出したそれは、“天体観測キット”と書かれた子供の玩具。シキがまじまじ見つめる横で、ウルトがむずがゆいような笑みを浮かべながらのぞき込んだ。
「ウルト、これ……?」
「どーだ、オレらからのプレゼント!」
言ったそばからウルトは一切のためらいもなくキットの紙箱をビリビリに破いて、中から手のひらに収まる円筒状のものを取り出した。先端が鋭く尖っていて、三つの足の間から長い導火線が尻尾のように伸びている。
それはシキへのプレゼントでは――と喉もとまで疑問がせり上がってきたけれど、口にするのは野暮というものだ。
なにせ、そこはウルファート。
だれが取り出すか、ということは彼にとって些事にすぎない。それにシキ自身が気に留めていないのだから、なにもわざわざでしゃばる必要はなかった。
「うはは、オモチャのわりに出来いいじゃんか!」
「えーと、使い方は……」
シキがおもむろに説明書を広げて数秒、吐き気と頭痛に襲われたような顔で、携帯用の小さなランタンとあわせてユーリに手渡した。
教科書こそ苦なく読めるようになってきてはいるが、それと説明書とでは訳が違うらしい。
「『幻獣の光を利用した本品は、まっ暗にした室内でのみ使用してください。明かりが漏れていると本品の楽しさを十分満喫できません。部屋は狭ければ狭いほどよいでしょう。導火線に火を点す場合には十分ご注意下さい。なお、天井にロケットがぶつかると音が鳴りますので、ご注意下さい。小規模の美しい流星群をどうぞお楽しみ下さい』、やと」
シキが感嘆のため息をこぼした。
「流星群……! でも、それじゃ、外じゃなくて部屋に戻んなきゃだめじゃない?」
「ふつうはな」ユーリがふっと鼻で笑う。
「そう、そのために私がいるのです……まあ、四人に頼み込まれてではありますが……その執念に免じて、今回は特別ですよ」
「イヤーン、パーシヴァルセンセー大好き!」
キリクは苦笑しつつ、ウルトの投げキッスを指でピンと弾いた。
「いいですか、これからかける魔法は長くもちません……せいぜい三分くらいがいいところです。軍に気づかれないように使うのは骨が折れますからね」
言って、キリクは右腕を宙に掲げる。
「闇夜落ちよ」
またたく間に夜が夜より暗く満ちてゆき、空は完全なる常闇へと変貌した。
それはあまりほめられたものではない、強力な悪魔の呪文。そして、低級悪魔として軍に監視される身のキリクにとって、あまり使いたくはないものだった。
だが、彼らたっての頼み――。
ウルトがすぐにランタンの火を導火線に移すと、バチバチ音をたててスタートをきり、火花が一気に駆け上がる。ついで、ばんっと炸裂音を打ち鳴らして中空へ向かったロケットははじめこそ勢いがよかったものの、数秒後には頭が半分下がっていた。
「さあ、ここからが本番ですよ」
もちろんこれで終わりのはずがない。
懐から取り出した教鞭を指揮棒のようにキリクが振れば、魔法にかかったロケットはジェット噴射のように尻から炎を吐き出し、ぐんぐんスピードを上げていった。
すっかりロケットが肉眼で見えなくなったとき、キリクは締めくくりにパチンと指を打つ。
どどーん、と轟音すさまじい爆発音は、空中で爆弾が炸裂したかのような衝撃波をともなった。五人は驚いてそれぞれ悲鳴をあげ――ウルトに限っては腰を抜かしてひっくり返っている。ちなみに、本校舎では謎の爆発に驚いた生徒や教員らが、次々と部屋の明かりをつけて様子をうかがう始末だった。
――軍ではなくて、セーラからおとがめがありそうですね……。
大爆発が起こった場所からどんどん星のきらめきが広がっていき、三百六十度、ぐるりと見渡せば星が常闇を埋めつくしていった。いつもはおぼろげに浮かぶ二つの月が、いまやまっ黒に塗りつぶされて、さらに白くまたたく満天の星空で上塗りされている。
「きれい……」
アリアの眼にもフェイメルの眼にも、このきらめきと同じものが散りばめられていた。
天文学の教科書でしか見たことがない光景が、今まさに、彼らの眼前に悠然と広がっている。
ユーリの感動のしようはふたりの女子をゆうに凌ぐもので、まるで幼子が目を爛々(らんらん)と輝かせるようにして宝石よりも輝かしい光の粒をむさぼるように見つめつづけていた。
「すげえ! なーまらすげえ!」
ウルトだけが大の字になったまま、天を仰臥して叫んだ。
「すごい……!」
シキのつぶやきは、漆黒の空に広がる光の横溢に吸い込まれてゆく。
(まあきれい)
ふと、聞き慣れない声を拾ったキリクは、ある一点ではったと目をとめた。それはシキの肩に寄り添うようにとまる、手のひら大の光――それこそが声の主だった。
背に淡く光る羽を持った光の精霊。くもりのない肌も、つややかな髪も、身にまとうチュニックもすべて純白の、小さなひとである。
キリクがこの可憐な乙女と遭遇するのは、長い生の中ではじめてのことだった。
この精霊だけは、闇の力を持つ私の前にはけっして現れない……。
「うん、とってもきれいだ……」
シキは彼女に気づかず、星の海原を仰いだまま、素直に応じている。おそらく、フェイメルがささやきかけていると勘違いしているのだろう。
(素敵なプレゼント)
「……素敵なのはみんなのほうだよ」
照れくさそうにはにかんだ横顔が、キリク唯一の人間の友と重なった。
あいつは私の前でそんなふうにはにかんで笑ったことなどないはずなのに――。
ああ、そうか。おまえはこの子の前で、そんなふうに笑っていたのか――。
(そう、そのとおりですわ……)
うれしそうにふふっと肩を揺らした精霊は、光の鱗粉を散らせてふうっと消えていった。それすらシキの黒い瞳には映らなかったようだ。
「あっ、そうだ、先生、リュゼにも星を見せてやっていいですか?」
急にふり向いたシキの瞳がセルカークの光以上にきらめいているのだから、もちろん拒否などできるわけがない。
「ええ、みなさん幻魔獣を呼び出して構いませんよ」
いや、はなから拒否する選択肢など、キリクにありはしないのだ。
「フェイメル、平気ですか?」
両手に使役獣を乗せ、いまだほうと見とれて天を仰ぐ彼女に、声を落としてそう尋ねた。うなずくフェイメルのとなりに立つシキは、それが何のことだかわからないといったふうに首をかしげている。
「それはよかった。この光はセルカークの光を砕いて散りばめたもの……本物の星々に恋い焦がれた人間の手による、またたきです」
「……いつか本物の星空を、みなさんと一緒に見たいですわ……」
「フェイメル、必ず見よう、みんなで!」
リュゼを肩に乗せ、鼻息荒く賛同するシキの頬は真っ赤になっていた。それが凍てつく夜風のせいでないことは、キリクはもちろん、ユーリもウルトもアリアも、フェイメルもじゅうぶん知っている。
寒さすら忘れてしまえるほどの、素晴らしい三分間が終わろうとしていた――。
*
「みんなしっかり暖をとってくださいね。気をつけて寮へ戻るのですよ」
やっと屋外の強烈な寒気から解放されたはいいものの、しかし今度は顔面がヒリヒリと焼けるように痛んだ。いつも、外の寒さと変わらないんじゃないかと思っていた校内は、シキらが思う以上に暖かかったようだ。
片付けを手伝うようにと言い渡されたシキは、キリクと一緒に魔法学教務室へと戻ってきた。
シキがキットの空き箱(ただしビリビリに破かれ、すでに原型を失っている)をゴミ箱にすっかり渡し終えたとき、背後から白い蒸気がふわっとのぼるカップが差し出された。
ふり向いた先には青い目を細める、キリク。
「誕生日おめでとう、シキ。こうして無事にきょうを迎えられてなによりです」
何度か死にそうだったけど――。それは腹の内だけでつぶやいて、
「ありがとうございます、先生」
笑顔で応じる。
カップを傾けると、立ち昇る湯気が冷えた鼻の頭をじわりと蒸してくれた。キリク先生の淹れるおいしい紅茶はいつだって絶妙なタイミングで出てくる。
「ひとつだけ、いいことを教えてあげます」
キリクは折りたたみの椅子をシキにすすめて、自身も教務机用の椅子に腰をおろすと、少年のような笑みをその瞳に浮かばせ、まずこう切り出した。
「シキが使っている姓、『ヴァグナー』の意味です」
「意味、ですか?」
入校の際、キリクから「シキ・ヴァグナー」と名乗るようにいわれて以来、ずっと使いつづけてきた苗字だ。
そもそも、キリク先生から教えてもらうまで人にはそれぞれ苗字があるなんて知らなかったし、東国を父と旅していた頃はあまりにも幼かったために、単純に必要としなかっただけかもしれない。
そういえば、僕は父さんの「名前」を知らない……。
僕にとって父さんは「父さん」だったけど、当然名前があるはずだ。それなのに、そんなことすら知らないままだったなんて――。
「ワ・グナーという言葉は知っていますね?」
キリクの問いかけにハッと目が覚めたのは、自己嫌悪の沼に足をとられかけた時だった。
「『わたしの命に代えてもあなたを守る』っていう、バジリガナルの『ワ・グナーの誓い』?」
「そうです! そのとおり。よく勉強していますね」
キリクの力強い肯定は、相手の機嫌を取るつもりだったり、持ち上げようなどという小賢しい感情はまったく感じなかった。むしろ裏がなさすぎて、つい先ほどの自己嫌悪がきれいに吹き飛ぶほどだった。
「ただ、大昔は……いえ、本来の発音は『ヴァ・グナー』といったのです。いつしか北国中で使われるようになって、いまのように『ワ・グナー』と変わりました。母親が生まれてきた赤子にかけるおまじないです。まあ、それすら知る者も少なくなってしまいましたが」
「ずっと前に、おまじないのことはフェイメルから教えてもらいました」
「なるほど……博識で、こころやさしい友ですね」
「しかもすごく美人です」
これにキリクはうなずいて、くつくつと笑った。
「この『ヴァ・グナー』を苗字に、と言いだしたのはきみの相棒です。ねえ、リュゼ?」
「えっ?」
「卿、それはいわない約束でしたでしょう!」
右手の指輪が金色に光ったと思うと、一瞬にして仔犬姿の魔獣リムリットがシキとキリクの前に現れた。それも、パートナーの呼び出しもなく勝手に、だ。
「ははは、それは失敬」
こんなに軽い謝罪があっていいのだろうか――いいや、キリクの前ではそれすら愚問に思えた。
「この学校で一年生の間は側についていてやれないから、せめて言の葉を、と懇願されまして」
「リュゼが……?」
「そうです。単なるまじないではありますが、名前を呼ばれるたびにシキはこの言霊で守られている……そういう強い想いを『ヴァグナー』に込めたのです」
いま一度、シキは小さな友をまじまじと見つめる。
リュゼは照れ隠しなのか、はたまたへそを曲げているのか、憮然としてそっぽを向いていた。
「ありがとうリュゼ、きっと僕が無事なのもリュゼのおかげだね」
「…………べつに、礼をいわれるようなことは……」
「ということは、リュゼは僕のお母さんだ?」
「……はっ? ど、どうしてそうなるんだ!」
「だってお母さんが子どもにするおまじないだって――」
「おれは男なんだぞっ!」
食い気味に反論するリュゼがあまりにも可笑しいのだろう、キリクは声をかみ殺しながら腹を抱えた。
これですっかりご機嫌ななめの友は鼻息荒く、「納得いかない」とぶつくさ文句をいって、椅子の足もとで丸くなった。
「ふふっ、リュゼがお母さんかは別として……シキが無事でいられたのはきみの父上がヴァ・グナーの誓いを守ったためでもあります」
「……でも、父さんからはその言葉は聞いたことがありませんでしたよ……?」
「本来は、声に出して誓うものではありません。バジリガナルは言葉を話さないでしょう?」
「そういえば、そうですね……」
「これは言葉ではなく、体現するもの……もともとは竜王がその身を賭して国民を守るという理を指すのです。それを、古い言葉で“我、汝を護らん”といいます」
「それをやってのけたんだ、シキの父さんは。本当に勇敢で誠実で、とてもやさしい人間だとおれも思う」
リュゼが足もとに身をうずめたまま、ぽつりと言う。
あたかも稲妻に打たれたかのように、シキは目を大きく見開いたまま、虚空を見つめた。
「忘れてはなりませんよ、シキを想う者は、きみが思う以上にいるのです……」
キリクが両手をゆるやかに広げてリュゼをすくい上げ、シキもろとも抱きしめた。
そこに、すでに久しい父のぬくもり感じる――。
眼窩は炎をくべたように熱い。
「十七歳の誕生日、おめでとう」
「先生……っ」
「きみは愛されてここにいるのです」
この言霊こそがシキに光を与える――孤独という名の闇を払う、魔法だった。




