12月1日(2)
ひどく冷えた朝だった。
カーテンを引いた室内はまだ暗がりのなかにある。
シキはまぶたを閉ざしたまま、ふるえる指を包み込むようにこぶしを握った。それでもからだの芯は凍えたままだ。
寒い。
とても、寒い。
その時、唐突に得体の知れない不安に襲われて、驚くと同時に目を見開いた。しかも心臓は異常なスピードでポンプし、これでもかと不安を煽っている。
「リュゼ、リュゼ……そばにいる?」
探るように枕元へ手を伸ばすと、すぐに、身体を丸めたリュゼに触れた。
胸部がゆっくりと上下し、トクトク脈打つ心音がシキの指を小さく打った。それが伝播したようにシキの心臓もゆるやかな鼓動を刻みはじめる。
枕から頭を少し浮かせば、離れて並ぶベッドにユーリとウルトの姿がある。それをみとめて、自然とほっと息をついた。
「……シキ、どうかしたのか?」
まどろみのなかでリュゼがささやく。
「こわい夢でもみたのか?」
「……ううん、なんでもない……」
こわい夢、だったのだろうか? ――いや、夢は見ていなかった。
僕はまだ闇に怯えているんだろうか?
リュゼは小首をかしげ、なにを思ったのか、もそもそと布団のなかに身体を潜り込ませた。もしかすると、シキの心の機微を悟ってのことかもしれない。
そうしてくるりと方向転換、小脇からぴょこっと顔だけ出して、
「ああ、そうだ」
愛らしい子どもの声でいう。そして魔獣である彼は人間よろしく、にこりと目を細めてほほえんだ。
「十七歳の誕生日おめでとう、シキ」
からだの深奥から、じわりと熱が広がる。
指先のふるえはもはや忘却の彼方――。
十二月一日の朝のことだった。
「シキ!」
食堂の扉をくぐった直後、躍り出るように登場した女の子にシキは目を丸くした。もちろん、一緒に食堂を訪れたユーリもウルトも同様の反応――と思いきや、なぜかふたりに驚いた様子はない。
「アリア! なんで……一昨日実家に戻ったはずじゃ……?」
「そんなに長居はできないよ!」
悲しみさえもくらますまぶしいほどの笑顔を見せるのは、二日間欠席をしていたアリアだった。
「んだよ、もっと休んだってよかったのに。アリアがいないほうがよっぽど……」
「よっぽど、なに?」
ぐほっ、と漏れ出た苦悶の声とともにウルトのひざが崩れ落ちる。
たったいま、みぞおちをグーで撃ったアリアの目は笑っていない。
「みなさん、おはようございます」
渇いた土の上のミミズさながら、のたまわる友がまったく視界に入っていないのか、フェイメルが銀の髪をなびかせ優雅に登場した。
こんな不憫はもはや日常茶飯事。
この五人が集まる光景こそがシキのごくあたりまえの日常であり、それはつまりだれかひとりでも欠けたとしたら、非日常に転じるということだ。
「さっ、早く朝ご飯食べちゃお!」
どんなにつらく、苦しかったとしても、強くあろうとするアリアがシキの目に本当にまぶしく映った。
去年と同様、授業を受けていても終始フワフワと地に足がつかない――とまではいかなかったけれど、朝イチの悪魔学にはじまり、本日最後の五時間目の授業、歴史Ⅱまでほとんど頭に入らなかった。
むろん、半分は誕生日にうかれて右から左であることはいなめない。ただ、およそ一年半前とちがって、自分の身にふりかかる危険や不安、それに、アリアたちを含めこの国に襲いかかる竜王不在の天災……もうなにも知らなかったあの頃のままではいられなかった。
さらにあと一ヶ月もすれば、またしても地獄の学年末試験が待っているのだ。
「おいおい、シキ、ぼんやりして大丈夫かよ?」
「へっ?」
夕食の席で、ウルトがあきれたようにシキを見下ろしていた。
当のシキはというと、ガラガラマドンのそぼろピラフをスプーンですくったまま、焦点の合わない目で声の主を見上げた。
「オレらもう食い終わったんだけど。モリスもいねーし、早いとこ談話室行こうぜ」
ハリスたちだって……と言いさして、ウルトはしゃっくりを飲み込むように口を押えた。
「……まあ、その、いいから、ホラ、早く行くぞ!」
「でもまだピラフが――」
「ピラフはほっとけよ!」
むんずと手首をつかまれて、なかば拉致されるようにシキは食堂を出ることになった。
階段を猛スピードで駆けあがるウルトについて行くのは、ある意味で拷問だった。たったいま胃袋に夕食をつめこんだばかりなのに、全速力で走ればどれほど横腹がキリキリ痛むかなど、ウルトはちっとも考えないらしい。
五階と六階の途中に赤い扉を見つけて、ウルトが蹴破る勢いで猪突猛進、飛び込んだ。
「よう、連れてきたぜ!」
「遅刻だぞ、七時からって打合せしてあっただろ?」
出迎えたのはハリスをはじめとする、キャメロットの友人たち――おもに男子生徒だった。
「だってシキがずっとピラフ食ってんだもんよ」
ウルトから手首を解放され、状況が飲み込めずにぽかんとつっ立つシキは、今度はハリスに腕を組まれて、ラウンジの真ん中のソファーまでやってきた。
楕円形のガラステーブルを囲んだ長ソファ。そこに座ったり立ったりして集まった人数は、ざっと見積もっても二十五、六人はくだらない。
そのなかには、ユーリやアリア、フェイメルの姿もあった。
「去年はユーリたちだけでやったって聞いたからさ、今年はみんなでやろうって」
なっ、とハリスが声を掛ければ、むさくるしい賛同があちこちから飛んできた。
まったく水臭ぇよな、とだれかが明るく笑う。
「つーか、俺らユーリから聞いたの朝だから、全然準備できなくてさ」
「……これって……」
黒目を大きくして見上げた先に、優しくて力強い笑顔があった。いや、ハリスだけではない。ぐるりとまわりを見れば、あたたかな眼差しばかりが降っていた。
「もちろん、シキくんのお誕生日会ですわ」
フェイメルのいうとおり、これはまぎれもない誕生日パーティー。しかもいつの間にやらテーブルには大皿に乗ったパイが置かれていた。それも、十七本の大小さまざま、色とりどりのろうそくが縦横無尽に突き刺さっている。
「どうだ! 夕食メニューで人気すぎてここ最近じゃ品切れ状態の、雷ウナギパイだぜ」
意気揚々と胸を張るハリスがいった。
「当たりだったら、しびれるぜ!」
「ハリスとウルトが上手くやって頂戴してきたんだ」
「ホールごとなんて、最高だろ?」
「エンリョなんてすんなよ!」
飛び交う明るく楽しげな声は、きっとラウンジを利用するほかの生徒のいい迷惑になっていることだろう。だが大勢の友人たちは人目もはばからず、こうして盛大な宴を用意してくれた。
「はいっ、シキ!」
つづけざまアリアから手渡された箱は、悪魔学のぶ厚い教科書がすっぽり収まっていそうな大きさで、ピンク色の包装紙とリボンでラッピングされている。
よもや本当に教科書が入っているまいとは思うが……。
「夜十時になったらパーシヴァル先生のところへ行きましょう。先生にはお話してありますわ」
それまで開けてはダメですよと、釘をさすフェイメルの小悪魔的微笑に、男子のほとんどがめまいを起こしたようだ。しかし小悪魔からもっともダメージを食らったのは、彼女の真正面に座っていたウルトだということは、いうまでもない。
ああ、これのどこが「全然準備できなくて」なのだろう?
「シキ! 誕生日オメットー!」
「おめでとう、シキ!」
「誕生日おめでとぉな」
「お誕生日おめでとうございます」
「おめでとう!」
ソファのまわりから次々とあがる祝福の声。もはやだれの声かはとてもではないが判別できなかったが、そこはさして重要ではなかった。
「みんな、ありがとう……! でも、僕みんなの誕生日って祝ったことないのに、どうして僕だけ?」
「ああ、いいんだ」
ハリスが白い歯を見せて、からりと笑う。
「俺たちはさ、シキよりもちょっと多めに『おめでとう』を言ってもらえるから」
シキははっと目を見開いてハリスを――集まったキャメロットの友人たちを見る。
彼らが与えてくれるあまりにも大きなやさしさに、のどが――いや、胸がつまった。
「誕生日おめでとうな、シキ!」
「……ありがとう……!」
それはおよそ一年半前の自分には想像もできない現実だった。
――「そろそろ十時や」
このユーリのひと言で、宴もたけなわになった定刻十分前、誕生日パーティーはおひらきとなる――。
コートとマフラーをがっちり着込んだ五人はキリク・パーシヴァル教諭の部屋の前に立っていた。
「まさかこれからどこかに出かけるの?」
「そうだよ、手袋もはめてね」
アリアはどこへとは言わずにただほほえむばかり。ただそれはアリアに限ったことではなかった。
ユーリも、ウルトも、フェイメルもまだシキに教えるつもりはないらしい。
「センセー! オレでーす、リンデルでーす」
魔法学教務室の扉を無遠慮にゴンゴン叩くと、扉の前に集まった五人のうしろにキリクがパッと現れた。
「お待たせしました」
フードつきのぶ厚いコートに身を包んで、こちらも準備万端のようだ。
「みんなそろっていますね。さて、では参りましょうか」
「先生の魔法で移動しねーの?」
明かりの灯ったランタンを手に歩き出したキリクを見て、ウルトはすっとんきょうな声をあげた。
「楽をして得る感動と、苦労して得る感動は、ずいぶん感じ方が違いますからね」
口を尖らせるウルトに、キリクは上品な笑みをこしらえて、チッチッチと軽く指をふった。




