二度目の学年末試験と冬休み
夢のような誕生日からはや一週間、現実に引き戻されるには充分すぎる日にちだった。
来月は年に一度きりの学年末試験が控えている。それがどれほど大変なものかを、シキは去年、その身でたっぷり味わっていた。
二年次の試験は、将来を左右するとても重要なものだとキリクから説明をされていたし、それを裏付けるかのように、どの教科も熱の入り方が尋常ではなかった。
だが、すべての教諭がそうかといわれれば、そうとも限らない。
「では次の授業までに問題集を仕上げてくること、わからないことがあったら吾輩ではなく、辞書に聞くこと。吾輩はいそがしいのでな……」
老猫のコンスタンティンがいい例である。
「ぜんぜんわっかんねぇー! お願いユーリ、チョットでいいからさ、写させてくんない?」
「アホか、勉強する気ぃあんのか?」
「ないっ!」
そして例外は教師に限ったことではなかった。
ユーリの目指すところは国軍の魔法医術士。
アリアは詠唱士。
フェイメルは魔法司法裁判官、ゆくゆくは父親と同じ高みまでと語っていた。
「オレはいたずら魔術発明家に、なるっ!」
ウルトの自由奔放ぶりは、もはや一般常識を超えている。それが担任のキリクの悩みの種だということは、いうまでもなかろう。
ところで、この四人に比べシキはなりたい職業はおろか、進む道というのがわからなかった。それは生まれてこのかた、ずっと旅をしてきたことが原因ともいえる。
幼い頃より生きることに精一杯で、将来の職業というのを考えたことは一度だってなかった。いや、そもそも父は旅人であり、商人や大工のように決まった仕事をもたず、日銭を稼ぎながら息子と共に東国を歩きつづけていた。
だから、シキには自分のゆく先を考える理由も必要もなかったのだ。
――第一、魔力がないんじゃ進む道なんて限られているじゃないか……。
ため息をひとつこぼして、シキはふたたび羽根ペンを動かした。
いま、もやもや悩んでいても解決するわけではない。まず進級できるようにやれることはなんでもやらなければ。
また二年生として、一歳年下のクラスメイトたちと机を並べることだけは、なんとしてでも避けたかった。
シキはふと思い出したように、左隣の勉強机でうつぶせになるウルトを見やった。
つい先ほどから豪快ないびきが613号室をふるわせていた。
「これやから寮で勉強すなって言うたんや」
あきれ果てたような声を背中にあびて、シキはくるりと首をまわす。
一人掛けソファにゆったり背を預けて、ユーリは本から目を離さずにため息をついた。
『双蝕と悪魔の関係にせまる』という難しそうな本は、もちろん授業にまったく関係しないものだ。
苦笑いのまま、ふたたびウルトに視線を戻した。
「まあ、図書室でもだいたい寝てるけどね」
「……本当はちゃんと勉強せぇば、できるやつやのになぁ」
少しだけ残念そうにつぶやかれたその言葉は、深い眠りに落ちた友には届いていないだろう――。
「フェイメルが学年五位やなんて、ヘンなもんでも食うたのか?」
壁に貼られた学年順位表の前で、ユーリは一瞬、見たこともない魔獣が横にいるかのような顔をした。そのめずらしい魔獣――もとい、フェイメルはちょっとも気にするそぶりを見せずに、涼しくこういってのけた。
「そんなときもありますわ」
一月中旬、冷えきった朝の玄関ホールに張り出された順位表を見ようと、多くの生徒が眠たい目をこすりながら三本柱のそばにどっと押しかけていた。
二学年の順位は、一位ユーリ・フェルマン、二位シムル・エーレーン、五位にフェイメル・モルガーナとあった。
つねに次点に位置していたフェイメルががくんと順位を下げたことで、前日に結果を知った一部の教員はショックのあまり放心してしまったり、魔法司法省のモルガーナ裁判長に慌てて謝罪文を送ったり、それはもう天地がひっくり返ったように騒然となったらしい。
しかもきわめつけは「悪魔の子分の影響だ」と声高に叫んだ教師――聞かずともブラッド教頭に間違いないだろう――がいたことだ。
が、本人はいたってのんびりしたもので、
「魔法学の試験でうっかり名前を書き忘れたんですわ」
こんな調子である。
それに対して、ユーリの態度は刺激物そのもののようにピリッとしていた。
「凡ミスもええところやし。それやったらシキかウルトレベルやろ」
「結果よければすべてよしじゃありませんか? それに、ユーリ君のように点数や順位にそこまでこだわっていませんもの」
「……点数や順位がようなかったら、勉強する意味ないやろ」
「勉強は自分を豊かにする手段のひとつにすぎませんわ」
紫の瞳と紺碧の瞳からチリチリ火花が散った。
その静かな戦いをよそに、シキとウルトは文字どおり真っ青になって固まっていたいた。
まばたきさえ忘れて順位表を見る。それも、最下位よりさらに下の赤点【追試】という太枠の中にある名前、一点だけを。
「そんな……これで僕は後輩から『おい、シキ』とか呼ばれることに……」
「なんかの間違いだ……! オレが赤点で、あのファクローが61位なんて……オレ、幻魔獣学はちゃんとできたのに……」
今回の学年末試験は、幻魔獣学以外はすべて筆記(いつもは自由気ままな魔法学でさえ)だった。シキは解答欄を一段ずつ間違えて書き込んだ科目がふたつと、裏表のある答案用紙に逆に記入したのがひとつ、とどめの一撃は、ウルトが答えを教えあおう、と試験中に耳打ちしたのにうなずいたため、0点となった科目がひとつ。
総じて赤点である。
ウルトにいたっては、幻魔獣学以外の科目をカンニングで乗り切ろうとしたことで、最後の魔法学でまるまる四十五分間、天井に磔にされてしまった。
抜け目のない先生方が、気づかないわけがなかった。
ちなみに余談だが、ユーリ曰く、ファクローの順位がまともな理由は、またしてもやつの父親が学校に圧力をかけたためらしい。
シキの魂が半分口から抜けていたそのとき、赤毛のボブヘアーを揺らしてアリアがうしろからひょこっと顔を出した。
「シキってば聞いてなかったの? 試験がはじまる前、パーシヴァル先生が引っかけ問題や解答欄に気をつけてね、って言ってたじゃない」
そういえばウルトがカンニングの方法についてあれこれ説明しているときに、キリク先生がそんなことを言ったような、言っていないような……。
「試験問題の監修をしたのはヒゲナットウ、って言ってたじゃん!」
「……えっ?」
それも聞いていたようで、聞いていなかった。
しかしこの結論からすると、どうやらブラッドはシキを退校に追い込む野望をまだ捨ててはいないようで、隠しきれない敵意が随所に感じられる。
頭を抱えたシキのすぐそばで、女子特有の甲高い歓声がはじけた。
「アリア、学年十一位だなんて、頑張りましたわね!」
「ありがとうフェイメル! 文字方陣学のメランコリアの法則を教えてもらったから、解けたんだよ!」
「ああっ……いいなぁ……オレもフェイメルちゃんにほめてもらいたい……!」
心底うらやましそうに眺めていたウルトに、やおらフェイメルはとびきりの微笑を向ける。
「ウルト君、追試、応援していますわ」
シキにはそれが計算しつくされたほほえみに思えてならなかった……。
「ねえユーリ、もし追試でも赤点だったら僕たちどうなるかな……」
「さぁな。後輩に呼び捨てにされたなかったら、せいぜい追試きばりや」
ポケットに手を入れて颯爽と玄関ホールを去っていくユーリの背中を見送ったシキは、となりでふるえるウルトにぎょっとした。
「だいじょうぶ、ウルト? そんなに追試がショックだった――」
「ふっ、ふはは……ハッハァー! 女神の声援を受けたからには追試なんて屁じゃねーべ、オレは最後の最後で一発逆転できる男だぜ!」
この計りしれないポジティブ、彼はある意味天才なのかもしれない……。
二ヶ月間の冬休みに入って早々、シキとウルトは朝九時から夜九時まで補習漬けの一週間を過ごした。そうしてできた目のクマもそのままに、ついに追試にのぞむ時がきた。
いまならユーリとまったく同じ成績をとれる気が……いや、せめてヴァンブガー・ファクローの上はいけるだろう。
追試最後の科目は魔法学。
広々とした教室の、せり上がった座席に着くのはたったのふたりだった。
黒板を背にした教壇では、キリクがにこにこしながらなぜかほうきとちり取りを手にしている。
「さてと……きみたちには三階すべての教室を掃除をしてもらいます」
ウルトの目の前に空のバケツと雑巾がパッと現れた。
「はっ? ちょ、ちょ待ってパーシヴァル……センセー。追試は? オレらすげえ勉強してきたんだけど?」
「知っていますよ」
座席と座席のあいだにかかる階段をゆっくり上ってきたキリクは、ふたりの前に立ってそれぞれの耳にマスクを引っかけた。
「魔法学の追試は魔法を使わない掃除にしました。毎日学校を清掃してくれるビークルナッツたちは一週間休暇をとっていますので……さあ、頑張りましょう!」
キリクはむん、と意気込んで袖をまくった。どうやら本気で「魔法を使わない掃除」をするらしい。
「……ビークルナッツ?」
シキとウルトは声を合わせて不思議な名前を唱えた。
「そう、ビークルナッツ」
キリクはオウム返しをすると、軽快な足取りで階段を下りてゆく。鼻歌まじりで、手にしたほうきをくるくる回しながら。
いや、これでこそ本来の魔法学の試験――。
ようやく追試が終って、やっとシキの冬休みが有意義なものになっていった。
なにしろ、親友四人のうち三人も学校にとどまったのだから。
フェイメルだけは実家へ帰省したけれど、四人宛てにしょっちゅう手紙を寄こしてくれた。
それに天候はすっかり大寒波が遠ざかり、ウルトがひまを持てあます前に、例年の冬が戻ってきた。もちろん外に出れば太ももが埋もれるほどの雪があるし、手袋なしでは凍傷になってしまいそうだが、それでもあの凶暴な吹雪はひっそりと身をひそめている。
数ヶ月ぶりにホーネットに興じる生徒、魔法雪合戦をする生徒、五.五階でのんびり過ごす生徒と様々で、今年は学校に残ったとても生徒が多かった。そのほとんどが二学年の第二、第三セクター出身者である。
去年はシムル・エーレーンとふたりきりだった図書室には、驚くほど大勢の生徒が出入りしていた。
ただ去年と変わらないことといえば、シムルは今年も図書室の片隅でひとり静かにページを繰っている、それだけだった。
「あと二ヶ月で三年生かぁ。なんか、実感わかないなぁ」
アリアが談話室のソファーで大きく伸びをしながら、そんなことをもらした。
「あと二ヶ月もすればすぐわくやろ。二科目も授業が増えるゆうしな」
『通常医療魔法と竜王医療のあれこれ』という本に目を落とすユーリの返答は、的確かつ辛辣だ。
「やだぁー! これ以上増えるなんて、卒業までにあたしの頭、爆発しちゃうよ!」
「三年は留年しよるやつ、多いらしいしなぁ」
「おいおい、勉強のハナシばっかだとおまえら頭ハゲるぞー」
雪まみれで現れたウルトが、暖炉の前でコートにこびりついた雪をばさばさと払いながらいった。
「卒業かぁー……僕はもっとみんなと一緒にいたいけどなぁ」
シキの独白を漏れ聞いたユーリとアリアは、すぐさま互いに顔を見合わせ、なんだか照れくさそうに口もとをゆるめた。
「アハハ! ばっかだなあ! 卒業したって会えるんだし、親友なのは変わんねーよ! アハハ!」
ウルトにばしばし背中を叩かれて、むせ込みながらもシキは胸のなかでふと思う。
こうして穏やかな時間がもっと続けばいいのに、と。
長いようで短い冬休みが、まもなく明けようとしていた。




