アリアの告白
翌日、朝一番の授業はメメリコーレ先生の薬草学から始まった。
クシャクシャーノ蔦という植物に魔法をかけて、「オリジナルの鉢オブジェを作ろう!」というなんとも楽しげな(魔力がない生徒にとっては、そうとも限らない)内容だ。いつになく熱心に取り組む生徒たちを、メメリコーレ先生がうれしそうに眺めている。
「さあさあ、自由に作っておくれ、今回は独創性とひらめきを評価しようじゃないか」
白衣を着たメメリコーレ先生が、光の魔術と闇の魔術学の教室の、二倍、いや三倍もあろうかという広い教室を、ひじょうにゆっくり歩いてまわった。
「ようシキ、オレ様が助けてやろっか?」
巨大な長机の隣に座るウルトが、こそっと耳打ちをしてきた。もちろんそんなずるはユーリやアリア、フェイメルが許さないことは承知の上での耳打ちだった。
「いいの? じゃあ僕のクシャクシャーノ蔦にもなんか魔法かけてくれない?」
「オッケー、見てろよォ……」
授業開始から十五分も経たないうちに、薬草学の授業は中止となった。もちろん、メメリコーレ先生のまったく意図するところではない――。
原因はというと、シキの鉢だった。
ウルトがかけた変身魔法で、ヒョロヒョロの蔦はみるみるうちに丸太のような「ゴンブトヅタ」へと変化をとげて、あろうことか薬草学室の壁をつき破ったのだ。それも、爆音をとどろかせて。
校舎の外から見れば、四階の壁から長い丸太が突き出ているように見えるだろう……。
まさかの授業中止に、ほとんどのクラスメイトが談話室で過ごすなか、教室を破壊したふたりの生徒は不気味な昆虫の抜け殻と戦っていた。授業終了のチャイムが鳴るまで、ただひたすらそれを粉末にするだけの、地味につらいペナルティだ。
すりこぎ棒をまわしてどれだけ経っただろう、シキは隣でのろのろ手を動かすウルトをちらと見た。
「教室から突き出たコンブトヅタ、元に戻んないってメメリコーレ先生がうなだれてたよ」
「そりゃ、あったりまえじゃん。天才の魔法だぜ? そうカンタンに戻るかってーの!」
「ウルトの魔法ってさ、スケールでっかいよね」
「だろ? オレはちっちゃい器じゃねーからな!」
わっはっはと笑う親友に、嫌味は通じなかった。
もう二度とウルトに魔法で手助けはしてもらうまい――。
気を取り直して臨んだ二時限目の悪魔学では、悪魔が人間にしてきた数々の残酷なおこないと、地獄の構造、人間と悪魔の対立について、細かい字で書きつづられた黒板をまるごと板書しなければならなかった。しかも悪魔学の教諭は、教科書を一字一句そのまま読むだけの授業をモットーにしている。
けれどなにより苦痛だったのは、「悪魔はすべからく人間に害成すものであり、人間の敵である」――と読んだあとに、「猫の敵でもある」と付け加えたことだった。
「悪魔がぜんぶ敵だなんて僕は信じない」
シキのそのつぶやきは、教室に充満する眠気に溶けて、だれの耳にも残らず消えた。
三時間目は地下一階にある、通称「地下教室」。
シキがはじめて足を運ぶ教室だった。
二年から選択授業を卜占学に変えたシキは(ウルトも卜占学を選んでいる)、地下教室の強烈な寒さに、授業を受ける前から逃げ出したくなっていた。
その寒さといったら、コート一枚でどうにかできるレベルではない。アリアの隣の席でじっと固まっているのが精一杯である。
そこへ担当教諭のグエネヴィア・キエが、なめらかな毛皮のコートを着込んで教壇に現れた。
「卜占学を選択された二年生のみなさん、これから一年間、いっしょにがんばりましょう」
とろける美声で、甘くほほえむ。
がんばりましょうのひと言は、ほとんどの男子生徒を虜にする呪文だった。妖精を思わせる容姿は女子生徒のあこがれの的だ。
ジン・ホランドと真逆の先生といってもいい。
「心を静めてください。目をつむって。机の上に置いた紙の上に、ペンを滑らせ、先を読むのです。あなたの中に眠る未知の力が、在るべき未来をうつしだします」
彼女の心地良い声で、いまにも現から夢に転がり落ちそうだった。
もしここで本当に眠ってしまえば、凍死は免れないだろう。
この選択授業という科目は選んだが最後、一年間変更がきかない。つまり、シキはもちろん、卜占学を選んだ生徒たちは、外と同じ気温の地下教室で、寒さ、眠気と一年も戦わなければならないのだ。
――ほかの科目とはべつの意味でツライ……。
ぴったり四十五分間が、二倍の長さに感じる中、授業の終わりを知らせるベルが鳴った。
「僕はアリアみたいに占いが好きってわけじゃないから、しんどいなぁ」
「オレ、占いとかちょっとも信じないぜ」
「じゃあなんで卜占学、選んだの? ほかにもあったじゃない」
アリアが目をしばたいてシキを見た。横を歩くウルトを無視してシキだけを見ている。
「うーん、ユーリの科目は一年から選んでおかないとかなり難しいって聞いたし、フェイメルのやつはほら、僕にはムリだし……ホントは星読学にしようと思ったんだけど、卜占学はアリアがとってるだろ? 魔法を使わないって聞いたし、それに、いっしょに受けれたほうが、楽しいかなって」
照れ隠しに頭をかいてアリアに目を向ければ、驚きとうれしさをいっぺんに混ぜたような笑顔がそこにあった。
「いっしょにがんばろう、シキ!」
「うん!」
そう言って、アリアがシキの手をとる。
「おい、オレとはがんばんないっつーのかよ」
「ウルトはどうせキエ先生が美人だから選んだだけでしょ」
「へっ、占いなんて乙女趣味、オレにはねーし!」
「せいぜい中間と期末で泣いて、あたしに土下座すればいいわ!」
「だれがするか! ブース!」
「うっさい!」
この女子らしからぬ性格も、社交的で明るい性格もすべて含めて、アリア・ソロという人物である。
「僕はかわいいと思ってるし、アリアのこと、好きだよ」
「あたしもシキのこと大好き!」
鬼の形相から一転、輝く笑顔がこちらに向いた。
異性としての「好き」ではなく、親友としての「好き」だということは、互いにずっと前から自覚している。アリアもフェイメルも、シキにとってかけがえのない友人だ。
はじめて会ったあの日、僕の髪と目を見ても、ふたりは笑って手をにぎってくれた――。
「そうだ、ねえシキ、あたし相談があるんだけど……ちょっといい?」
四時間目の魔法学の教室は、もう目の前だった。おまけに予鈴も迫っている。だがしかし、アリアたっての頼みを断るなんて、できるはずがない。
「もちろ――」ん、を待たずに手首をつかんだアリアが走り出した。
ぽかんと目を丸めるウルトを置き去りにして――。
「ア、アリア。ウルトはいいの?」
「いいの! ウルトじゃ役に立たないし。シキだけに言うから、ナイショにしてね」
だれもいない三階の踊り場になかば無理やり座らされて、シキはただこくこくうなずいた。
「あのね……言うよ……」
アリアの真剣なまなざしに、シキののどがごくりと鳴る。よほど深刻な話なのだろうか。
「えっとね、そのー……」
言いよどむアリアの頬が、みるみる赤くなっていく。
はっ! これは、もしや――告白される?
そんな期待にシキの胸がときめいた。しだいに顔が火照り、耳までカーッと熱を帯びる。
――まさかそういうふうに思われているなんて!
「いやでも、僕はアリアを親友と思っているし、そんな、たしかにアリアはかわいいけど……!」
アリアがぱっと顔を上げた。
「あの、さ……ユーリって、だれか気になる子とか、いるかどうか、知ってる?」
「…………え?」
シキはパチパチ目をしばたく。
熱はすでに引いていた。
「……え? ユーリ? えっ?」
「そう……あいつ、その……いまだれかと付き合ってるとかはないと思うんだけど、好きな人とか……いるのかな、って」
「あー……」
なるほど、淡い期待なんてどの世界でも小気味よく裏切られると相場はきまっている。
「シキならなにか知ってる?」
盛大な勘違いをした少年は顔を真っ赤にしてかぶりをふった。
「あー、いや、たぶんいないと思うよ。勉強ばっかしてるし」
「そう!」
いままでに彼女のこんなにうれしそうな顔を見たことがあっただろうか。いや、あったとすればきっとユーリだけが見ているのだろう。
「始業式のとき、聞いたでしょ? 五月になったら新入生の歓迎会をするって」
「うん、毎年やってるってやつでしょ? 僕は今年はじめてだけど」
シキが魔法学校に入校したのは、去年の夏だった。だから歓迎会のことは、ウルトやハリスの誇張をたぶんにふくんだ話でしか知らなかった。そしてついに今年、歓迎する側として参加できるのだ。
「国立歌劇楽団が来るんだよ! 歌もすてきだし、ダンスがはじまると演奏もしてくれるの! 生徒も先生も自由に踊っていいし、楽しいんだよ! 去年の歓迎会なんて、パーシヴァル先生と校長先生のソシアル・ダンス、すごかったんだから!」
「ソシ……?」
「あたしも――」
目をキラキラさせるアリアがつぶやいたそのひと言で、シキは天啓が下ったようにひらめいた。
そうか、そうだ。
アリアはユーリと踊りたいにちがいない――と。
「アリア! 僕、応援するよ!」
白くてやわらかい手を両手で力強く握れば、目の前に明るくまぶしい笑顔が広がった。
「ありがとう! シキ!」
いきなりがばっと抱きつかれて、踊り場にひっくり返ったとき、シキははずかしさを押しのけてべつのことを考えていた。
――どうか偶然ここにユーリが現れませんように。




