魔獣リムリット
「おっかねぇー!」
息のつまるような教室を出て開口一番、ウルトが叫んだ。
「話は聞いとったけど、ほんまに緊張するな」
うんと伸びをしてユーリが淡々と感想をのべた。
「ほかの先生と違ってめちゃくちゃ厳しいしね」と、シキ。
「あたしベルガモット先生、苦手だなぁ……でも、早くセントルクスで実践してみたい!」
アリアが右の中指にはめた指輪を見つめて、声を弾ませた。セントルクスはアリアの使役獣、魔獣フリージアの呼び名である。
親友たちが使役獣やベルガモットの話題で、侃侃諤諤の論議を繰り広げているさなか、フェイメルだけが黙して指輪を見入っていた。
「どうかした? フェイメル」
はっと顔をあげたフェイメルは、シキの存在にいまはじめて気がついた、とでもいうような表情である。
「……わたしの使役獣――スロウのことを考えていたんです」
「スロウの?」
「学生のわたしが持つにはもったいないほどめずらしい幻獣ですし……サーイーグルよりもずっとずっと貴重ですもの」
フェイメルの表情はなぜか浮かない。たとえばウルトのように期待はずれだったらまだしも、めずらしくて貴重な幻獣なのだから、浮かない理由なんて見当もつかなかった。じゃあなにが原因だろう。
「えーと、フェイメルは……バジリガナルじゃ、不満だった?」
東国の秋の夜空みたいな紺の目が、きょとんと丸まった。それからすぐにくすくす笑いだしたところをみると、まるっきり見当違いだったらしい。
「『ワ・グナー』という言葉を、シキくんは知っていますか?」
「うーん……僕の苗字に似てる、けど、イントネーションが違うよね……」
「ええ。『ワ・グナー』は、ずいぶん昔に使われていたおまじない……みたいなものですわ」
「おまじない?」
フェイメルがちいさくうなずく。
「生まれた赤ちゃんに、お母さまがそのおまじないをかけるんです。北国の古い言葉で『私はあなたを命に代えても守る』という意味がこめられているんです」
「へぇ」
「バジリガナルは、あるじに対して『ワ・グナーの誓い』をたてると云い伝えられていて、この『ワ・グナー』を現代で忠実に行うのは、幻魔獣の中でバジリガナルだけ……だからこの幻獣はとっても希少なんです」
「ようは、フェイメルの命が危なくなったら、スロウが身代わりになるってこと?」
「ええ……でも、それはあくまで云い伝えであって、実際はわかりませんけど……こんなに貴重な幻獣のパートナーがわたしでよいのかと思いまして……」
あくまで謙虚というより、むしろフェイメルは恐縮しているようにも見えた。けれど、シキにしてみれば、こうした幻獣を与えられて当たり前のように思える。そもそも、彼女は学年主席のユーリに次ぐ、きわめて優秀な生徒なのだから。
「でも、それってフェイメルの実力が認められてるってことでしょ? 自信もって、フェイメル!」
その言葉に、一呼吸おいてフェイメルが白い歯をそっとのぞかせて、笑った。
それはシキがはじめて目の当たりにする光景だった。
いつものお嬢様らしいほほえみ方とはまるで違った、素朴な――いや、むしろ幼い女の子のような……。
――ああ。僕、フェイメルのこの笑った顔が好きだな。
ちなみに、ゾルゲの眠たがりについて、顔が真っ赤になるまで悪態をついていなければ、ウルトも千載一遇のチャンスをものにできたというのに――。
そんな時だった。
「ヴァグナー」
背中に浴びた鋭く低い声は、つい先ほどまで軽やかに刻んでいたリズムを黙らせるには、じゅうぶん効果的な威力をもっていた。たとえ彼の本質すべてが厳格のひと言ではないと知っていたとしても、である。
「……はい」
恐る恐るふり返ってみれば、案の定、近づきがたい雰囲気をビシビシ放つベルガモット教諭が立っていた。
背後の四人に助けを求めようとしたとき、すでに彼らは(まさかのフェイメルまでが)シキだけをその場に残して、姿をくらましていた。
おそらく走って逃げたに違いない。
なんて薄情なんだ……。
「……なにか用事でしょうか、先生」
「少し確認したいことがある。私のあとについて来い」
ぐいとあごでしゃくって、ベルガモットは濃紺のマントを翻した。
幻魔獣学教務室のプレートが掲げられた扉を開けると、そこはなぜか言霊学で使う、防音の教室だった。それにどういうわけか、生徒用の椅子にキリクが腰を掛けている。おそらく自前であろう、紅茶カップをのんびり傾けていた。
「キリク先生? え、僕、いまベルガモット先生の教務室に……」
「やあハッズ、それにシキ。幻魔獣学最初の授業はどうでしたか?」
混乱するシキは、それに答えるどころではない。
「それにしても、部屋の外から鍵をかけるなんて悪い冗談だ。ハッズ、私がなにをしたと――」
「とぼけるな! お前がまともに答えないからこうしてヴァグナーまでつれて来たんだ! それより、いったいなにを考えている!」
ベルガモットの怒鳴り声にシキの頭から足先まで雷が駆け抜けた。
キリクは片耳に人差し指を入れながら、まるで意に介さぬふうに、またカップを傾ける。
「お前の仕業なのは分かっているんだ、ヴァグナーに悪魔をもたせるなんて!」
えっと驚くシキを無視して、さらにベルガモットがつづける。
「ヴァグナーの使役獣にはリムリットを選んだ。この俺が、だ! もちろんなんの変哲もないリムリットをな! だがお前がそばにいないというのに、さっきの授業で悪魔の気配があった……ヴァグナーのリングからだ! ついでにいえば、モルガーナとフェルマンの使役獣を勝手に入れ替えたのもお前だろう! どう説明する!」
ガーガーと猛り狂うベルガモットの迫力は魔獣のそれかと思うほどで、シキは教務室のすみっこでできるだけ小さくなっていた。
「ははは、私も生徒にお説教をするときは、この言霊室を借りることにします」
「……相変わらずひとをおちょくるのが好きなようだな、キリク!」
「ひとではなくてあなたは幻獣――」
すさまじい眼光で射抜かれ、揚げ足取りは不発に終わった。
「コホン……まあ、使役獣の割り当てをちょっといじったことは認めます……それにしても、悪魔の存在を感知できるのは現在、北国国軍提督と、わが校の校長だけといわれていますが……悪魔、それも肉体のない魂だけの悪魔を感知できるとは、おそれ入りました。さすがは北国最高の幻獣!」
キリクの高笑いで、ベルガモットの怒りがピークに達しているのは一目瞭然だった。
本人は心から賛辞を贈っているつもりでも、どうやら相手からすると、かなりの悪意を感じるらしい。
しかし、それよりも。
――使役獣……ってことは、リュゼのことだろうか?
――リュゼが、悪魔?
キリクから正体を明かされたときのような軽い衝撃を感じているはずなのに、なぜか妙に納得している自分がいる。もしかすると、なんとなくリュゼが不思議な存在だと気づいていたせいかもしれない。
人語を解す狼だったり、鳥だったり、ましてやいまは愛くるしい子犬の姿だ。
――そっか、悪魔だったのか。
こうして心の中にすとんと着地する。
キリクは机にカップを置くと、ははぁと感嘆めいた息を吐いた。
「さすがはベルガモット先生。おっしゃるとおり、彼のリングにいるのは、悪魔です」
「やけにあっさり認めるな」
「そこまで見破られているのであれば、あなたに隠す意味はないでしょう? ですが、魔獣リムリットの肉体が必要なだけで、魂を入れる器としてお借りしているだけです。リムリットの魂は……食べてはいないので、いつか別の肉体で復活できますから、ご安心ください!」
満面の笑みを浮かべたキリクに、とうとうベルガモットが爆発した。
「そういう問題じゃない!」
「そんなに怒鳴っては疲れてしまいますよ」
「だれのせいだと思っているんだ……!」
「ああ、それと、軍には内緒にしていただけるとうれしいのですが……この魔獣の中にいる彼――『リュゼ』は、シキの大切な友達です。ひとりきりなってしまったシキを支えた、大事な……だから、どうしてもそばに置いてあげたかったのです……」
「それとこれとは――」
ベルガモットがカッとなって反論しようとした、まさにその時だった。
「ハッズ、どうか許可していただけませんか。お願いします」
ベルガモットとシキはハッと息をのんだ。あろうことか、キリクが椅子から立ち上がり、胸に手を添え、頭を下げたからである。
シキの知るかぎり、キリクはだれかに本心から頭を下げることなどなく、いつだって飄々と相手をかわしてきた。それなのに、いま、目の前では誠実な角度で腰を折っている。
シキ・ヴァグナーという少年のために。
重苦しい沈黙を破ったのは、ベルガモットのため息だった。
「まさかお前から懇願されるとは思ってもみなかったよ……」
顔を上げたキリクと視線を交えたベルガモットは、ライトグリーンの瞳をすいっとシキに向けた。
「……ヴァグナー。キミはそのリュゼとやらが悪魔だと知っていたのか?」
シキは急いで首を横にふった。
「悪魔だと知っても、友だと思えるのか?」
これにも急いで首をふる。しかし今度は、縦に。
「その……悪魔って聞いて……、驚きました。でも、大切な友達には変わりないと思っています」
「……そうか。キリク、お前はとんでもないことをしてくれるな……まあいい。いちど渡した使役獣に変更は認められない。よって、そのリムリットは卒業までキミのパートナーだ。いいな、ヴァグナー」
腰に手を当てて、ベルガモットはあきらめたように肩を落とした。
犬でも追い払う仕草でシッシと手をやるハッズ・ベルガモットは、やはり厳しいだけの先生ではない。
言霊室をふたりそろって追い出されると、さっさと帰ってくれといわんばかりに扉がひとりでに閉まった。ふり返った先に、やはり幻魔獣教務室のプレートが堂々ときらめいていた。
「キリク先生、本当にリュゼは――」
「それ以上はいってはいけませんよ、シキ」
シーッと人差し指をくちびるにあて、キリクは意味ありげにぱちりとウインクをする。
「ここはベルガモット先生の幻影術がかかっていませんからね」
術中にはまったことも気づかない、実体をともなう術。まぼろしを本物に変える――それが幻影術。
「使役獣についての校則は、終業式の日に説明したのを覚えていますか? 教員から許可されたとき以外、校内で使役獣の呼び出しは原則禁止。寮ではモラルをもって使役獣と接すること。そして、食堂での呼び出しはなにがあろうとも認められない、と」
「はい」
とは言っても、じつをいえば、ほとんど生徒がいなくなった冬休みや消灯前の校内を、リュゼを連れて何度も歩いている。
そのことについて怒られるのだろうか、と考えたときだった。
「いま、私が許可します」
にこりとキリクがくちびるの端をもち上げた。
「いいんですか?」
「ええ、もちろん」
キリクのひと言に後押しされて、右手のリングへ控えめに声を落とす。
「リュゼ」
すると、そこからふわりと広がった金色のもやから、魔獣が現れた。
子犬の姿をした低級魔獣リムリット。呼び名は、リュゼ。
魔獣はぴょんとシキに抱きつき、短い尻尾をちぎれんばかりにふった。
公然の場ではけっして人語を口にしないリュゼの頭をめいっぱい撫でて、目の高さまで抱き上げる。赤い目がキラキラとシキを見つめていた。
「これから卒業までの二年間のパートナーです。たとえ何者であっても、なにがあろうとも、彼は――リュゼはシキを裏切りはしません」
その日、二年生になって初めての授業がすべて終ると、五人は談話室に集まってそれぞれの使役獣について語りあったり、新しい科目のひとつ、幻魔獣学についてあれやこれやと意見を交わしあい、消灯時間までおしゃべりがつづいた。
小さな友の正体が悪魔であっても、シキの日常が変わることはない――。
いまは、まだ。




