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二学年キャメロット

「キリク先生、やっぱりあれは僕の勘違いか、なにかだったと思いますか?」

「どうでしょう」

 白い息を吐くシキのとなりで、冷たい朝もやの奥に潜む太陽に顔を向けたまま、キリクは短くそう言った。

 そのひと言はそっけなく、むしろ冷淡にもとれる響きだった。もしかすると、痺れるような真冬の外気がシキにそう感じさせたのかもしれない。


 あの日の出来事――夜の古代文字研究室で聞いた恐るべき会話――は、翌朝すぐさまキリクに相談していた。そのあとで起床したふたりの友人に仔細を説明したことは、言うまでもない。

「とにかく、ようわからんことが多すぎる……ま、シキはあまり気にしなくてええ。俺たちがついてる」

「おう、しばらくはオレらから離れないようにしろよ!」

 その言葉にどれほど勇気づけられただろう。

 ただ、アリアとフェイメルには相談をせず、平静を装いつづけていた。その理由は至極単純で、「フェイメルちゃんを怖がらせるのはよくない」と、ウルトが断固反対したためである。(言ったあとでぼそっと「アリアも」と付け加えた)。

 もちろんシキもユーリもこれに同意した。


 暗澹あんたんたる気持ちでうつむいたシキに気づいてか、キリクはふだんの朗らかな調子でのんびり切り出した。

「私はバショカフ先生が悪いひとだとは思いません。彼は――信頼に足る人物、といってもいいくらいです」

 よりによってシキが期待していたものとは真逆の答えが返ってきた。


――あの先生が信頼に足る人物? まさか。


 ザラメ状の雪が積もる石造りのへりを素手で強く握れば、硬い結晶が皮膚にくい込んでチクチクと痛む。


――ユーリだって前から警戒しているのに……。


 シキは、不安ばかりがにじむ瞳を銀世界に向けた。

 屋根も壁もない西の見晴し塔の頂上から見下ろす景色は、気持ちをいくぶんか静めるにはうってつけだった。ここからは本校舎の屋上、ドーム型の競技場、目を凝らせばうっそうと茂った――現在はこんもり雪が積もった針の森、さらにははるか遠くに急峻きゅうしゅんな山岳地帯の輪郭が見える。

 

 目の前に広がる世界は、弱々しい太陽光が降り注ぐ広大な北国の大地。


 そこでシキは塔のへりに置いた小瓶に目を落とした。少年の憂いなどおかまいなしに、ゆっくり集めた朝日で、小瓶は燦々(さんさん)と輝いていた。


 キリクがなぜバショカフに対して全幅の信頼をおいているのか、シキには理解できない。けれど「なぜ」を追求するのは野暮やぼなのだろう。なぜなら、身の危険すらあるキリク本人が彼を信頼していると宣言したのだから。

 だから、それ以上は聞くべきでないと判断した。


「その恐ろしい会話から二週間経ったいまもきみは無事で、私も学校を追い出されていない――何事もなくて、なによりです」

「……はい」


 シキはもう一度、西塔から厳寒にして壮大な景色を見渡す。

 こうして何事もなく、無事に新学期を迎えられることがわずかな慰めに思えた。


――この国は、とっても寒い。


 東国の四月は、白や桃色の花弁がほころぶ季節だったというのに。


――北国に、春は訪れるんだろうか。


 シキが二学年としてスタートを切る、四月五日の早朝のことである。


 *


 早朝の魔法学校はどこかぞくりとするほど深閑としていた。

 手伝いを終えたシキを寮に見送って、キリクは地下教室よりもさらに深く階段をおりた、北国の秘宝が数々眠る保管庫へやってきていた。

 保管庫は国立魔法学校と、魔法省の二か所に存在する。ただし、存在自体が公然の事実であるのに、詳しい場所は北国国軍提督や魔法省勤めの高官たちですら、知ることはない。

 魔法学校校長と、魔法省司法裁判長だけがその存在を握っているのだ。

 秘宝は一対いっついのものをそれぞれ分けて、ふたりの番人が秘密を守る――。


「おや、ルキフェル……階段にいた番犬たちや、かわいいゴーレムたちはどうしました? わたくしの許可なくこんなところへ来るなんて。納得できる説明がなければ、いたーい処罰をしなくてはなりませんよ?」

「セーラ、私は『いたーい』のは嫌いなんです」

 背後に音もなく現れた魔法学校校長、セラフィト・ガヴェインに驚くでもなく、キリクはゆるりとふり返った。ついでに、いましがた取っ手をつまんで開けた引き出しを、指でそっと押し戻す。

 おとな二人が入るにはすこし手狭な部屋の、壁という壁に整然と並んで生えたような、銀細工の取っ手。

 きわめてシンプルな造りのそれこそが、国立魔法学校が保有する保管庫である。


「貴女にとても忠実で巨大なワンちゃんたちには眠ってもらっていますし、すこし荒っぽいやんちゃな彼らには、おとなしくしてもらいました」

 若葉色の寝間着ローブをまとう彼女は、陰々とした地下に似合わぬやわらかな笑みを見せていた。が、キリクの手に握られている小瓶を見つけて、細長眼鏡の奥の金の目がすかさず剣呑な光を帯びる。

「それは危険なものじゃ……! 一歩間違えれば、破滅を招くものです」

「来学期はどうしても必要になるときが来ます」

「魔法や魔術の実践授業、じゃな」

「ええ……ですから、どうか私にお譲りくださいませんか」

 沈黙が流れた。

 生けるものの息吹が一切断たれたような、静寂。

 久方ぶりに、彼女が持つ強大な魔力を肌で感じたような気がする。

「七階に封じたあれ(・・)の使用は許可しましたが、その小瓶はいち教師に気安く譲れるものではありません」

 キリクは自身の手の中にある、小さなガラス瓶に目を落とした。それは、ほんのわずかな黒い液体が瓶の底に溜まっている――。

「北国の秘宝、前竜王の血の小瓶」

 空色の目がにやりと笑った。

「一対のうちの、ひとつじゃ」

「彼には必要なのです、セラフィト」

「以前、無茶をするのは感心しないといったことを、覚えておいでですか?」

「忘れてなど、いませんよ」

「ではこれもあなたの台本どおりで?」

「……もちろん」

 くちびるが歪みだすのを抑えて、断言。

 彼女は眉間に寄ったしわを指でほぐしてから、やがて、あきらめたようにちいさくため息をついた。


「……よろしい。正しくお使いなさい」


 *


「キャメロットの諸君、進級おめでとう。きょうからきみたちは二学年、授業はさらに高度な内容となります。勉学を怠らず、学友と競い、励まし、共に成長することを期待していますよ。とくに魔法学は、ね」

 クラスの担任である、キリク・パーシヴァル教諭のありがたいお言葉を頂戴した二学年キャメロットの四十名は、朝礼を終えて広々とした教室からぞろぞろと退室した。


 一時間目の授業に向かう途中、まっさらな制服をカチカチの表情で着込んだ大勢の生徒が列になってシキの横を通ってゆく。

 となりを歩くウルトがそっと顔を寄せた。

「新入生だぜ。見ろよ、みんなユーリみたいに一番上までボタンとめてら」

「ホントだ……ユーリがいっぱいいるみたい」

 吹き出しそうになるのを懸命に堪えていたとき、シキの一歩前をゆく、一年生のお手本ともいうべき人物があきらかに不機嫌な視線を投じてきた。

 これは断じて笑うことは許されない――それなのに。

「あっはっは! ユーリ、おまえ一年に混じれるっしょ! あはっ! まじうける!」

「ウルト、ほんまあとでわかってるやろな!」


 廊下で起こった上級生の取っ組み合いに、新入生たちは一様に青い顔でただ眺めるだけだった。その間に、シキはひとり戦線を離脱する――。



 二年になって最初の授業は新しく必須科目として加わった、幻魔獣学げんまじゅうがく。シキとウルトはすでにご存知のハッズ・ベルガモットが担当教諭だった。

「あーあ、オレもシキみたいに新しい教科書だったらテンションあがんのになぁ」

 新品の幻魔獣学の教科書を横目に、ウルトがブツブツと文句をこぼした。

「いいじゃない、お兄さんの使ってたやつだって。中身はほとんど変わってないんでしょ?」

 「まーそーだけどさあ」と、ウルトがくちびるを尖らせながらアリアに教科書を手渡した。それを無造作に開いたアリアの目が点になる。つづいてフェイメルも横から首をのばした。そして、同じく目が点。

 その様子に、シキとユーリは顔を見合わせてから教科書をのぞき込んだ。

「……ハッ。さすが兄弟」

「ははっ、余白まで落書きがびっしり……あ、ウルト! これベルガモット先生の似顔絵じゃない? 三白眼がそっくりじゃん!」

「あっはっは! まじだ、なまらソックリ!」

「ちょっとあんたたち、それ言ったら先生に怒られるよ……」

 フェイメルはひとり無言で、なにか憐れな生き物を見るようなほほえみをウルトに向けた。

「これで兄貴は魔法省勤め、弟も国立魔法学校の生徒っていうんやから、脱帽するわ」

「おほめにあずかり光栄です、学年主席。オレ、天才だからやるときはやるんです」

「ほんま、はったおすぞ」

 ユーリの拳がふるえたところで、予鈴が鳴った。

「やばい、ユーリ早く席に着こう、ベルガモット先生に怒られるから」

 シキとウルトの突然のあわてように、三人は即座に意図をみ取って、指示どおり着席した。

 一年のときにベルガモットから指導されていた幻魔獣生態学の生徒たちは、これから登場する教師の怖さを身に染みて理解していたけれど、その他の生徒――ユーリらはほとんど面識がない。だが、お調子者のウルトでさえ居住まいを正して着席するくらいなのだから、ベルガモットがどれほど厳しい教諭かは、なんとなく理解したようだった。

 本鈴が鳴ると同時に扉を開けて教室へやって来たベルガモットのじつに険しい表情が、生徒たちの緊張感を一気に高めた。それは、ベルガモットの本質を知っているシキでさえ、背筋がピンと伸びてしまうくらいに。 

 教壇から見下ろすライトグリーンの瞳が生徒一人一人を値踏みしているようだった。

 ささやき声さえ起こらない。

 ばしん、と教鞭が黒板を打った。

「二年から必須科目となる幻魔獣学を担当する、ハッズ・ベルガモットだ。授業中、私語は許さない。授業では使役獣の扱い方や、彼らの歴史について、基礎から始める。来月からは実践を踏まえた課外授業――それなりの危険もあるので、授業では集中するように。では、『使役獣の調伏と実用』三ページを開きなさい」

 教科書をめくる、ぱらぱらという音だけが緊張の海に漂った。

 堂々とおしゃべりどころか、ヒソヒソ話をしようなどという勇者は、この二学年キャメロットにはいない――。


 ウルトが楽しみにしていた使役獣の呼び出しは一切なく、背筋の凍る座学で一時間目の授業は終わりを告げた。



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