12月1日
*
ひどく寒い朝だった。
それは 前日の昼から降り出した雪が原因で、魔法がかかっているはずの校内にも、白い吐息がずいぶんと目立っていた。しかも夜には猛烈な吹雪となって、教師たちは校舎全体に保護魔法をかけ直すという、たいへんな作業に追われたようだ。
――男子寮だけ後回しにされたんだろうか。
シキはしばらく目をつむったまま、冷たい指先をぎゅっと握って、ベッドの中で体を丸める。けれど、胸の深奥からじわじわ滲みだすあたたかな何かが、シキが凍えてしまわぬように手助けをしていた。
暦はとうとう十二月迎えた。
きょうはシキの、十六歳の誕生日。
もちろん証明するものはなにひとつ持っていなかったが、毎年十二月一日になると、父は必ず「おめでとう」といって抱きしめ、贈り物まで用意をしてくれた。それは絵本を読んで聞かせてくれたり、不思議な国の不思議な生き物の話であったり、形に残るものではなかったが、シキにはそれが最高のプレゼントだった。
いいや、もしかすると父のうれしそうな笑顔こそ、最高の――。
父が亡くなってからは、誕生日というものの存在を知ったリュゼが、その言葉を引き継いだ。
冬は寒く厳しい季節だとしても、その言葉を聞けると思うだけで待ち遠しかった。
朝、目を開けると心臓がドキドキするのを感じながら、シキはユーリやウルトよりも早くベッドからこっそり抜け出した。
✳︎
「パーシヴァル先生、シキがヘンなの!」
「……え?」
アリアの唐突な発言に、小テストの準備のため机に向かっていたキリクは、豆鉄砲を食らったような顔でふり向いた。二時間目が始まる直前、アリア、フェイメル、ウルト、そして渋々と言わんばかりのユーリが、魔法学教務室を訪れてきたのだった。
キリクは突然のことで、ただ目を瞬くばかり。
動揺するアリアにかわって、ウルトがまくし立てた。
「一時間目の薬草学、あいつどうかしてるよ!」
どうやら薬草学の授業で、失神者が続出するほどの激臭を放つバッファベン薬草を、シキはこともあろうに、ニコニコしながら切り刻んだらしい。
「それはさぞメメリコーレ先生から大絶賛されたでしょうね」
「キャメロットの半分が保健室送りだってのに、シキだけが素晴らしい授業だったみたいな顔なんだぜ!」
青い顔で訴えるウルトも、アイゼン先生の治療を受けたひとりなのだろう、とキリクは憐憫のまなざしを向ける。
「いつも笑ってること多いけど、今日はちょっとヘンな気がして……パーシヴァル先生ならなにか知ってるんじゃないかと思ったの」
アリアが不安な表情を浮かべた。
「それは――」フェイメルが口を開きかけたとき、ウルトがたたみかけるように吠えた。
「とにかく、おかしいんすよ! なんかの呪いだ!」
「落ち着いてくださいウルファート。それならおそらく――」
キリクが机に置いた細長の箱に目をやって言いかけたとき、フェイメルのため息がはっきりと響いた。
「きょうはシキくんの誕生日ですわ!」
三人の生徒がえっ、と目を丸める。
「フェイメルのいうとおりです」
キリクがのんびりうなずいた。
「え、まじで? シキそんなこと、ひと言もいってなかったじゃん!」
「そういや今までいっぺんも聞いたこと、なかったな」
「そっか、それで機嫌よかったのね……」
うめく三人と違って、フェイメルだけがあきれたように肩を落とした。
「一週間前からきょうがシキくんの誕生日って、いっていましたのに。みんなうんうん返事をするだけで、あまり聞いてないんですもの」
「そういえば……」
きまりが悪くなったアリアは苦く笑って肩をすくめた。ふと、アリアの視線が机の上の箱に飛んだ。
さすがにリボンまでついていれば、好奇心旺盛な彼女が興味をもたないはずがない。
「ね、先生。もしかしてその箱、シキのプレゼントですか?」
ほかの三人もさっと視線を箱に注いだ。
「ええ、でもまだ内緒にしててくださいね」
キリクがくちびるに人さし指をあててほほえむと、シキの親友たちは顔を見合わせてうなずいた。
「当然っしょ」
*
魔法学の授業は教科書二百四頁「魔法魔術と幻影術のちがい Ⅰ章」について。
先週の授業のおわりに、来週は小テストをおこなう、と宣言されていたキャメロット生たちは、キリクがテストのプリントをうっかり忘れてきたことに、拍手喝采で喜びを爆発させた。ところが、教科書を読むだけの授業には、睡魔という思わぬ敵が潜んでいる。
そんななか、ウルトたちは授業そっちのけで、ひそひそ話をするのに大忙しだった。
「どうする、オレらもなんかあげてーよな」
「でも今日のきょうや。買い物に出るには、前日の申請が必要やってのに……」
ウルトとユーリが声を落として話しあっていたとき、そのうしろの席に座るアリアが、ふたりの背中に人さし指を押しあてた。
(フェイメルがプレゼントに木精霊の種を買ってあるんだって。でね、それにもうひとつ、みんなでシキにプレゼントあげない?)
これは内緒話にはひじょうに便利な、伝達魔法というものだった。ところが、子供だましの簡単な魔法ゆえ、キリクにはまるっきり筒抜けなのだ。
だがそれを知らぬ顔で、キリクはまじめに教科書を読みつづける。
(厨房をお借りして、ケーキを作るのはいかがですか?)
フェイメルが仲間の輪に加わった。
(お父様がお亡くなりになってからは、お祝いのようなことはしていないとおっしゃっていましたし)
全員がよし、と無言でうなずく。
そんな友人たちの秘密の作戦を知らないシキは、難しい幻影術の仕組みを、楽しそうに聴講している。
授業が終わるやいなや、四人はそろって「用事があるから」、とシキに告げて足早に階段を駆け降りていった。
「フェイメルまで走ってるの、めずらしいなぁ」
よそよそしい彼らをまったく疑う気配もなく、間の抜けた感想を残してシキはひとりで寮へと向かっていった。
キリクは数時間後にシキがどんなに驚くかを想像して、肩を揺らした。
「よい友を得ましたね、シキ」
*
時刻は午後二時半。
シキは寮の613号室に鞄を置くと、いつものように五.五階に足を運んだ。きょうはなぜだかユーリもウルトも、アリアもフェイメルもいない。
「あれっ、めずらしいじゃん、シキひとり?」
クラスメイトのハリスが談話室のソファから手をふった。
「うん、みんな用事があるんだって」
「ふーん、なら夕食までみんなと決闘ゲームしようぜ!」
ハリスのさわやかな白い歯がまばゆい。
フェイン・ティングがどんなものかをシキは知らなかった。だが、ウルトやユーリ以外の友人たちも、魔力のない人間にできる遊びとできない遊びを、もう十分理に解していた。だからシキはその笑顔に、笑顔で応える。
できるかぎりのありがとうを込めて。
夕方五時半になると、五.五階にいた生徒はほとんど一階の食堂へ降りていった。六時から夕食が始まるためである。
シキは一足先に食堂へ向かったハリスに手をふって、ひとり談話室のソファに深くもたれかかった。
独りになるのは本当に久方ぶりで、なんとなく心もとない気がする。
学校にやって来たばかりの頃は、独りになるのが怖くて怖くてしかたがなかった。なのに、いまはほんの少し胸にすきま風が吹き込むように、スースーするだけで済んでいるのは、ウルトやユーリたちのおかげなのだろう。
「父さん、僕、十六になったよ……」
目を閉じ、つぶやく。
こつん、とガラスを叩く音が聞こえてシキははっとまぶたをもちあげた。真横の大窓に、めいっぱい翼を広げた巨大な鳥――サーイーグルの姿があった。
「リュゼ!」
久々に姿を見せた友に、シキの目が輝く。
急いで廊下を駆け、石の階段をのぼって時計塔を目指して足を動かした。コートを持ってきていなかったから、皮膚に冷気が突き刺さって全身がヒリヒリ焼けるように痛い。これならば塔のてっぺんは、間違いなく無人だろう。
痛みに耐えて時計塔をのぼりきると、すっかり雪の止んだ見晴らし窓のへりに、優美で巨大な鳥が羽を休めていた。その大きく柔らかい羽毛が密生したリュゼの胸に、シキは思い切り飛びついた。
雪片がパッと舞う。
「リュゼ、久しぶり!」
「ああ……忙しくてなかなかこれなくて悪かった。変わりないようだな、シキ。いや、少したくましくなったか?」
「たくましく……なってたらいいんだけど」
照れくさそうに笑って、抱きしめる力を緩めた。ふわふわした羽毛に顔を埋めれば、ひと一人を殺しかねない屋外であってもなぜだかあたたかく、力が湧いてきた。リュゼは穏やかに目を細める。
「誕生日、おめでとうシキ」
大きな嘴がシキのほほを優しくなでた。
父が亡くなって以来、代わりのようにリュゼがその言葉をかけてくれた。それだけで本当にうれしくなれたのだ。
大切な友に祝ってもらえる。それは、孤独ではないと実感できる唯一の時間。
シキはもういちど羽毛に顔をうずめた。
しばしの間、学校での出来事、友人たちのこと、うれしかったこと、さまざまな話をリュゼに聞かせて、それをリュゼはただうなずいて聴いていた。
寒さも忘れて夢中でしゃべりつづけていると、頭上からこの世のものと思えぬ、美しい歌声が波打つように響いてきた。時計塔の住人と噂される、ゴーストが六時を告げる。
「さあシキ、もうそろそろ校舎に戻らなきゃな」
「うん……」
シキはうなずいて、もう一度だけ、リュゼを抱きしめた。
「ありがとう、リュゼ。またね」
手からなめらかな羽がするすると滑ってゆき、友は塔のへりを蹴って軽やかに宙を舞った。彼は甲高くひと鳴きすると、大きな翼をぐわっと広げて闇夜に溶けていった。
ふたたび胸に感じるすきま風は、友と離れる寂しさからなのか、はたまた強烈な寒気のせいなのか。
シキは急いで階段を降りて、食堂へ向かうことにした。その途中、聞きなれた声がシキを呼び止めた。
「いたいた、シキ!」
ふり向けば、そこには授業が終わってすぐにいなくなった四人の姿がある。
「みんな、どこ行ってたの? 五.五階にもいないから――」
「いーから、ついて来いよ!」
ウルトがニヤッと笑い、フェイメルがシキの手を取った。
「さ、行きましょうシキ君」
シキは四人に連れられて多くの生徒でにぎわう食堂を横切った。夕食のグリルチキンの香りが鼻腔をつく。
たどり着いた先は、食堂の奥にある厨房。そこは普段生徒が立ち入りを禁じられている場所だ。
ところが、中へ入ると厨房はまるで戦場のようで、白いコック服を着た調理人たちが、指をくるくる回したり、奇妙な呪文をとなえたり、あるいは皿を次々放り投げたりを繰り返して、料理を完成させている。
ひじょうに不思議な光景だ。
「シキ、ここじゃなくて、もう少し先の厨房だよ」
アリアがシキの背中をやさしく押した。
厨房の奥に、さらに扉がある。そこを押し開けると、シャボン玉が割れるように、甘い匂いがはじけた。ところが、なぜか目の前は真っ暗である。
「えっ?」
シキが声をあげたそのとき、ポッと小さな火が次々灯り、暗い厨房がぼんやり明るくなった。そこに浮かび上がったのは、調理台に置かれた大きな丸いケーキ。たっぷりのクリームの上に、色とりどりの果物がのっている。そのすき間にささった十六本のロウソクに灯った明かりを、シキはぽかんと見つめた。




