誕生日の贈り物
「さ、火を吹き消して」
薄暗いなか、四人の顔を順に眺めていく。全員がうなずいた。
アリアから言われたとおり、シキは深く息を吸い込み、ありったけの勢いでロウソクに息を吹いた。だがどうだろう、半分しか消せないうちに息が尽きて、ついには眉間にしわが寄る。
「あーもーしゃあねぇなぁ」
軽く笑ったウルトが、シキの横にならぶ。それからアリアとフェイメルもくすくす笑って、シキといっしょにロウソクに息を吹きかけた。
「おいユーリ!」
ひとり壁にもたれて腕を組んでいたユーリも、ウルトに呼ばれて渋々その輪に加わり――五人そろって、ようやくすべての火が消えた。
ユーリの魔法で厨房に明かりが灯ると、ウルト、アリア、フェイメルが笑顔で顔を見あわせる。
「せーのっ!」
もちろんユーリは不参加だ。
「誕生日おめでとう、シキ!」
つづいて、わっと拍手が沸き起こる。数瞬後、シキの黒い目がじわりと潤んだ。
なぜだろう、こんなにうれしくて泣きそうになるのは初めてのことだった。
「ありがとう、ウルト、アリア、フェイメル、ユーリ……!」
父とリュゼ以外にこの言葉をかけてもらったのは、そう、これが初めてなのだ……。
「んだよ照れんじゃんかー」
「ないしょにするの大変だったんだよ!」
「シキ君がよろこんでくれて、よかったですわ」
「おめでとおな」
そのひと言がユーリからだとはすぐに気づかず、シキはやや間をおいてから、クールな友人をはったと見た。
いつものフッと鼻先にかかる笑みが、きょうはなぜだかやわらかいように感じる。
「さてと、みんなでケーキ食べよ。シキはいっぱい食べてね」
調理台から鋭く光るケーキナイフを、恐るべき速さで手に取ったアリアがいう。手中でくるりと一回転させ、逆手に掲げる必要は果たしてあったのだろうか。
「う、うん……」
目じりにたまった雫が凍りついたのは、もちろん寒さが原因ではない。
「オレめちゃくちゃ頑張ったんだぜ! 魔法使うなってフェイメルちゃんがいうしさあ」
「シキ君へのプレゼントですわ。魔法を使っては意味がありませんもの」
「上出来やな」
余裕たっぷりの笑みを浮かべるユーリにアリアが肘で小突いた。
「ちょっとユーリ! 全然手伝ってないくせに、なんでそんなエラそうにいうのよ!」
「お……俺は料理とかそいうのはせぇへん主義やし!」
顔をまっ赤にして反論するユーリの手を見れば、火傷のあとがまっ赤になって残っている。きっと釜戸から出すときにでも負傷したのかな、と考えてシキはふふっと笑みをもらした。当の本人も、からかうウルトやアリア、フェイメルさえも可笑しさがこみあげてきたようだ。
とても、とても幸せな時間こそが、この四人からの最大のプレゼントに思えた。
「これは木精霊の種ですわ」
たらふくケーキを食べ終えてから、フェイメルが一粒の種が入った小さな巾着をシキの手に握らせた。
「土に種を落とせば、精霊がいっぺんだけ持ち主の助けになってくれる、ほんまに貴重なものや」
ユーリが興味深そうに種をのぞきながらいう。
「僕にはこんな貴重なもの、宝の持ち腐れだよ!」
「遠慮なく受け取っていただけると、わたしはとってもうれしいですわ」
巾着を握るシキの手に、フェイメルの華奢な手が重なった。
「……うん、ありがとうフェイメル」
シキの笑顔に、フェイメルはやや控えめに笑った。
サプライズの誕生日会をおえて、五人はそれぞれ寮へと足を向けた。本来なら五.五階のラウンジで消灯まで話し込むのだが、ケーキ作りに悪戦苦闘した四人はすっかり疲弊して、それどころではないようだった。なにせ、男子寮のお目付け役、ゴーストのファット卿が小言をまき散らしながらウルトの周りを飛んでも、怒る気力が湧かないほどである。
「シキ、ちょっと用があるのですが、いま平気ですか?」
「はい?」
男子寮への階段を登っていたとき、背後からキリクに呼び止められて、シキは首をかしげた。それもそのはず、キリクから頼まれる用事は、大概朝から夕方までなのだから。
「なにかの手伝いですか?」
「まあそんなものです」
くすりと笑うキリクに、シキはさらに首をかしげた。
ケーキの食べすぎで腹痛と戦いながら階段を登るウルトと、呆れた表情でそれを支えるユーリに手をふって、シキはキリクのあとにつづいた。
上ってきた階段を逆戻りして、胃がよじれる寸前に魔法学教務室にたどり着けたのは、本当に運がよかった。扉を閉めてふり向くやいなや、目の前に片手で持てるくらいの細長の木箱が差し出された。木箱は青いリボンで結ってある。
「今日は良い日になりましたか? シキ」
キリクを見上げると、優しく、穏やかな笑みがそこにあった。まるで、今は亡き父のほほえみを見ているような。
「は、い」
「そうですか。それはよかった」
「キリク先生……?」
「きみが生まれた十六年前のきょう、きみの父上は失いかけた命をふたたび得たのです。この日は、ふたつの命が救われた……」
いったい何の話をしているのかシキにはまるで理解できなかったが、木箱を受け取る心はとても静かで、風ひとつない水面のようだった。キリクの話し方や雰囲気がそうさせるのだろう。
「開けてごらんなさい。これは、私からのプレゼントです」
シキは促されるままにリボンを解き、蓋を開けて、全身があわ立った。そこには古びた羽根ペンが一本。羽根はすっかり剥げ落ちてみすぼらしくなっていたが、これがなんであるか、シキは一目で気づいた。
「これは……父さんがいつも使っていたペン……どうして、先生が……?」
「あの日……彼の遺体から私が持ち出しました。これはきみに渡さなければならないものでしたから」
「僕に……?」
箱からそっと羽根ペンを取り出すと、思い出が色鮮やかによみがえる。
幼かった頃、旅をしながら父と過ごした日々。
宿屋のサイン、シキの読み書きの練習、そしてだれかへ宛てた手紙は、いつもこのペンが青い軌跡を残して踊っていた。それは幼いシキにとって魔法のようだった。
だから、二度と会うことのできない父と再会したような気持であった。
「誕生日おめでとう、シキ」
目頭が熱くなって、鼻の奥がツンとする。泣くまいと、シキは歯を食いしばった。
そんなちっぽけな意地を見抜いてかどうかはわからないが、キリクが肩に軽く手を置いた。
「今度はきみの亡き父上からのプレゼントです。そっと紙の上に軸を乗せてごらんなさい。まっ直ぐ立てたら、手を離して」
一枚のメモ用紙を机の上に置くと、キリクは軽く片目をパチッと打った。
シキは狐につままれたような顔で、それでも言われたとおりに、ペンをメモ用紙の上に立てる。
「これにはたった一度きりの魔法がかかっています。シキだけに贈られた魔法です」
ぱちん、と指の鳴る音が深閑とする室内を鋭く抜けていった。
ペンから手を離す。すると、ゆらゆら倒れそうになっていた羽根ペンが急にしゃんとまっすぐ立ち、驚くことに、ひとりでにスルスル動き出した。インクもないというのに、踊るように紙の上を滑っている。
「せ、先生! ペンが――」
紙の上に青い文字が連なってゆく。シキが息をのんだ。
その筆跡は、幼い頃にいつも見ていたものだった。
“愛する息子へ
きょうでおまえはいくつになっただろう。きっと十五か十六だろうな。
旅の中では得られなかったものが、たくさんみつかっただろうか。
良き友にはめぐりあえただろうか。
心から信頼できる者がそばにいてくれているだろうか。
もっともっと、おまえのそばにいたかったけれど、それはできなくなってしまった。
さみしいおもいをさせて、すまない。
けれど忘れないでほしい。
おまえの父はいつだって心はそばにあって、いつも見守っている。
つらいときは、おまえの信じるものを信じるんだ。
そしてどうか優しい男でいてほしい。
おまえが生まれてきてくれたことを、心からうれしく思う。
誕生日おめでとう。愛する息子よ。
父より”
羽根ペンが最後の文字を書き終えたとき、それは力尽きて死んでしまったように見えた。何の変哲もない、古ぼけた羽根ペンがコトリと机に転がった。
青い文字が連なる紙に、大きな雫がいくつも滴り落ちる。涙が止まらなかった。
魔法はあっという間に解けてしまい、文字が紙面を離れて宙に昇ってゆく。
潤んだ視界に浮かぶ文字は、砂のようにサラサラと崩れて消えてなくなってしまった。
キリクがそれを手のひらですくおうとしてみたけれど、やはり文字はこの世にとどまってはくれなかった。キリク先生の名残惜しそうに見つめる瞳が、とても悲しそうに――泣いているようにさえ思える。
――いや、それは僕のほうなのかもしれない。
とうとう熱い雫がほほを流れていった。
「……先生!」
シキはキリクの胸にしがみついた。
うれしいのに、悲しくて寂しくて、胸が苦しかった。
――お父さん、おとうさん。
シキのからだは、ただただ優しく包み込まれた。
*
黒髪の少年はちいさな子どものように泣いていた。
たった一人の大切な家族を目の前で失い、どれほどの想いを抱えて五年間を過ごしてきたのだろうか?
私に理解することはできない。しかし、そばにいてやることくらいはできるだろう。
しがみつく少年の背に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
ああ、と胸のうちでつぶやく。
――おまえのせいでこの子を大切におもうようになってしまった。
愛おしい、という感情を知ってしまった。
おまえが託したこの子を、信じてみよう。おまえのいうとおり、この北国はきっと豊かになるだろう。
それにしてもまったく、私にしか解けない魔法をかけるなんて、なんて無茶なやつだ。
まあ、いまに始まったことではないか。
なあ、キリク・パーシヴァル……。
むせび泣くシキの黒髪を、キリクはできるだけ人間の父親がするように、優しくなでた。もちろんキリクは、人間の父親がどんなふうに子に愛情をそそぐのかを知らない。
それでも、自分にでき得るかぎりのやさしさを込めて、シキを抱きしめた。
「黒竜王に祝福あれ」




