第三章 子息の秘密
マンションに帰ってきた。誠一も一緒だが、作戦会議が終わればまた実家に帰るという。とりあえず順太を広い居間に開放し、自分たちも何か飲もうとコップを用意する。
「はぁ。とりあえずお疲れさん。一時はどうなるかと思ったわ」
「ほんとに。じゃあ一回まとめようか」
お茶を淹れ、ソファに座ると流れを洗い出していく。
「まず、目的だった彩さんとの婚約破棄はできた……ってことでいい?」
「ああ。だけどその条件が、立希の女将修行と俺の擬似父親業……てことらしいな」
ふー、と肩を落と溜め息をついて、
「まぁ俺のはどうにでもなるとして、問題は……」
「わたし?」自身を指さし問う。
「せや。……旅館の女将業って、どんなものか分かっとるか?」
「旅館で働く仲居さんとどう違うの?」
「うちでいったら、館内業務を行う仲居さんのお仕事プラス、もっと踏み込んだ経営やスタッフ管理・指導、イベントや地域活動の総指揮を執り行うってところや。多くの場合、女将になれるんは総支配人の伴侶や長いこと仲居業勤め上げた人だけや」
「仲居さんのお仕事は具体的にどういったものなの?」
「旅館内での接客、配膳・下膳、客室業務として布団の用意や電話対応、ラウンジ対応てとこやな」
「へぇ〜、なんか楽しそう」
楽しそう!?と、誠一は酷い顔をしながら、
「非日常感ややりがいを求めて、やりたい!て言う奴は皆そういう浅はかな思い込みでやって来ては、想像の千倍辛いわ言って去っていきはる。この仕事は全然華やかじゃないし体力仕事やし、非日常感っていうのは、感じていいのはお客さんだけで提供側は受けたらあかんのや」
神妙な顔つきで続ける。
「特別感やおもてなしの裏側は、泥臭くてしんどくて、それでも辞められへん人だけが残っていく。そんな仕事や」
「めっちゃ脅すじゃん」
誠一はソファに肘を置き暗い顔をしながら、
「あんさんを巻き込んだんは俺やから、出来るだけ守るし2ヶ月の辛抱や、とは言うけど……、その2ヶ月が保たんかもしれん」
「でもさ、調べたら旅館で働く人は住み込みで働く人も多いみたいだし、衣食住も賄えるなんて理想だと思うんだけど。2ヶ月とはいわず、このままずっとここに就職しよかな」
「アホなこと言いなや。どのツラ下げて俺との破談後も働くんや。それに住み込みで働くっていうのはな、それだけ拘束時間が長くて何かあったときにすぐ駆り出されるってことや。嗚呼、ただでさえ仲居業はしんどいのに、それプラス母さんの女将業を個人指導される。……立希」
じっと瞳を見つめ、
「死ぬなよ」
「めっちゃ脅すやん」京言葉がうつった。
「私のことばっか心配してるけど、あなたも父親業するんだよ?2ヶ月だけとはいえ、しっかり順太のパパしてもらわないと」
「パパ業てなんだ?遊びに連れていくとか?」
立希も首を傾げ、
「わかんない。うち父親いなかったし。順太の父親も順太捨てて蒸発したし」
重い空気が流れる。そういえば、誠一も父親が今どこにいるかわからないと言っていた。峰子氏が誠一に課した、父親業というのは何なのだろうか。答えを出し立派に務め上げなければ擬似結婚の目的も達成できないのでは。
「とりあえず、明日から早速仲居の仕事を覚えてもらうように、お前を旅館に連れてくるよう言われている。しんどいとは思うが俺もサポートするから」
「ちょっと待って。その間、順太はどうするの」
「うちには託児所がある。うちで働く人は子持ちも多いからな。そこは安心していい」
「順太と離れて仕事するの?心配だなぁ〜嫌だなぁ〜」
順太を抱き上げ高い高いしてあげる。思いがけない方向に進みつつある日常に、眩暈がしそうだ。
「そういえば、彩さん。すごく綺麗で素敵な人だったねぇ。結婚しちゃえば良かったのに」
「アホ。軽々しく言うな」
誠一は言い捨てたが、彩さんに幸せになれと言ったあの切なげな表情や、寂しげな顔。決して嫌悪で彩さんとの婚約を破棄したわけではないのだろう。
「もしかして、彩さんには藤龍の女将じゃなくて、自分の夢を追って欲しくて私との擬似結婚なんて一芝居打ってるんじゃない?」
誠一は目線だけこちらに送ると、
「……なんでそう思うんや」
「なんとなく。でも、それくらいなら結婚は彩さんとして、仕事は自由にさせてあげたらいいのに」
誠一ははぁー、とため息をついた後、余計な口出しせんでええ、と吐き捨てた。
「私が旅館で働く間、彩さんに順太見てもらいたいくらいだなぁ。あの人なら子守もうまいだろうし」
「あいつの都合も考えろ。うちの託児所が無難や」
「そうだけど。でもそれを言うならあなたが見てくれたって……いや、無理だな。彩さんじゃなきゃ。託児所でいいや。ていうか、私が働いている間あなたは何してるのよ」
「俺はこの先の経営についての会議や、新しくできる新館の建設に向けた話し合いに呼ばれてる。俺も忙しいんや」
新館。先ほどの彩との会話で、新館の内装を……、と話していたのを思い出し、
「すごいねぇ。新しい旅館ができるんだ」
「そうや。新館は今ある本館のすぐ近くに作る予定や。シンプルやけど温かみのある、若年層でも泊まれる敷居の低さを売りにしたいと思ってる」
「へぇ、いいじゃん。それを任せてもらえるなんて、まだ若いのにやるね」
若いって。まだ高校生のお前に言われたくないわという気持ちをグッと抑え、
「……せやけど母さんと意見が割れとる。あの人は、更に豪華絢爛な高級志向、ハイランクな客しか泊まれないものにしたいそうや。……そんなん、時代に取り残されるだけや。あの人はいつも俺の真逆ばかり言う。俺を否定したいんや」
「そんなことないんじゃない?拗らせてるなぁ」
「そうやない。あの人は藤龍を恨んでるし、潰してから乗っ取るつもりや」
「なんでそんなこと」
「昨日、峰子の実家の西園寺家について話したな。商屋は廃業したが、今その西園寺家は峰子の甥が取り仕切ってる。だから、藤龍を落ちぶらせた後、この甥一族に取って代わらせるつもりなんや」
「考えすぎでしょ。どうやって取って代わらせるのさ。それにどうしたってそんな甥より自分の息子の方が可愛いって」
「息子やない」
「え?」立希は思わず聞き返した。
「俺は───あの人のほんまの息子やない。小さい頃、養子として迎えられただけの、なんの血の繋がりもない男や」




