第二章 女帝VS新人類
翌日。
一応身なりを整え、抱っこ紐で順太を抱えマンションの前で誠一を待っていると、黒のハイヤーが目の前に止まり、助手席側からスーツを着た誠一が出て来て乗るように言った。車に乗り込むと運転手の男が立希を興味深そうに見つめ、赤子の順太がいることに驚いたのか、一瞬目を見開いた。一通り値踏みが終わったのか、発車します、と呟き車は進んだが、しかしそれからも運転中もチラチラと目配せをされる。居心地の悪さを感じていると、
「橋田。なんや今日は警察に追われとるんか?」
誠一がそういい放ち、橋田と呼ばれた運転手は慌てていえ、と返した。
「なら頻繁にバックミラー見んでよろし。お支えして長いあんたのことやから目ぇ瞑ってでも着ける思うけど、本家まであんじょう送り届けてくれたらそれでええ。おたのもうしますえ」
ピシャリと言われ、橋田もハ、ハイッと背筋を伸ばしそれからはこちらを一目も見ることなく黙々とアクセルを踏み車は進んだ。
車はしばらくして竹林が長く続く静かな道へと入っていく。それから大きな道に出たかと思うと、目の前に広がるのは広大で荘厳な白亜の建物。まるで城のように佇む外観に、漆黒の瓦やステンドグラスが埋め込まれた窓がキラキラと輝いている。老舗旅館とは聞いていたが、大きすぎる。想像以上だ。
間抜けに口を開けて眺めていると、代わりに順太が楽しげに声を上げた。立希も声をかけようとしたが、誠一が冷たく睨んできたため何も言わずに過ごし、車は旅館ので入り口に到着した。着物を着た使用人が何人も立って出迎えてくれている。立希と誠一は車から降りると、皆一斉に目を丸くさせ驚いたようだが顔には出さないよう努め、その中唯一人、他の従業員とは違う青い着物を着た年長の女性がにっこりとしながら近づき話しかけて来た。
「誠一様おかえりなさい。お待ちしておりました。さあさ、峰子様もお待ちです。こちらへどうぞ」
ササッとまわり、案内される。
「藤川さん、いつもおおきに。これ、またみんなで食べてや」
そう言って手に持っていた菓子折りの袋を渡した。
「あらまあ。いつもいつも、こんな末端で働くうちらにまで心遣いありがとうございます。ところでそちらの方は」
視線が立希と順太に向かい、顔を強張らせていると、
「おかあさんより先に紹介できへんのや。堪忍な。先に部屋案内してくれるか」
藤川は返事し涼しい顔で先導したが、一瞬見えた目は鋭く立希を観察している。
広々とした館内は朱色の絨毯が敷き詰められ、奥には庭園を臨む大窓と川を模した水辺が涼やかな音を立てている。異空間と非日常を体現したようなその場所は、立希にとって初めて体験する老舗旅館のおもてなしの空間だった。そして順太も然り。
「マーンマッ!!あう!!わぅわぁ〜ッ!」
閑静なロビーに甲高い声が響き、一斉に皆の視線が立希たちに集まった。
「わぁ、順太!」
慌てて落ち着かせようとするも、興奮しているのか楽しげな声は止まらない。
「子供は元気でよろしおすな」
藤川はにっこり笑う。立希も笑い、「えへへ、そうですね!」と返す。すると誠一がすごい勢いで肘鉄を喰らわしてきた。訳がわからず驚いていると恐ろしい顔で睨まれた。
館内にある庭園を横目にしばらく歩き、関係者以外立ち入り禁止の区域をさらりと抜け、長い廊下を抜けた先には新たな空間があった。今までの和を雅に演出した様式ではなく、ロココ調の調度品が置かれた、和洋折衷なスタイル。季節の花として、優雅に生けられた洋菊が鮮やかにその場を彩っている。
明らかに空気が変わり、要人を迎えるための場所だとわかる部屋。その中に入るのを、藤川も誠一も緊張しているのが伝わってくる。靴を脱ぎ高座に上がり、襖の前に立つと、藤川が中に向けて言う。
「峰子様、誠一様とお連れ様がいらっしゃいました」
はい、と中から鈴の音のような声が聞こえ、襖が開けられた。一瞬、威圧感のようなもので圧倒されそうになったが、そこに立っているのは小柄で、藤色の着物を着た上品な物腰の初老の女だった。
───この人が、藤龍院家の頂点に君臨し藤龍院グループを牛耳る女傑、藤龍院峰子───。こわい、やり手、剛腕とさんざ脅され聞かされていたが、拍子抜けするくらい可愛いらしいおばあちゃん、という感じだ。
「おかえり、誠一さん」峰子は目尻に皺を寄せ優しく微笑んだ。
「ただいま、おかあさん。忙しい中時間作ってくれておおきにな」
ちら、と峰子の視線が立希に向かい目が合う。咄嗟にはじめまして、と挨拶しようとしたが峰子は目線を逸らし、立希の声は尻すぼみになっていく。空回りしている中、誠一が助け舟を出した。
「あ、おかあさん、実は紹介したい人がいて今日は連れてきた。杭瀬立希さんと、そのお子さんの順太くんです」
「は、はじめまして杭瀬立希と申します。よろしくお願いします」
順太を胸に抱きながら頭を下げる。数秒経ってからそっと頭を上げると、ゾッとするくらい冷たい瞳と視線が合った。
「……まぁ。かいらしいお嬢さんやな。ところで、まだお連れさんが来はるんえ?」
峰子からの問いに疑問符を散らしていると、誠一が黙って背後の襖を閉める。そして手元の紙袋を差し出し、
「これ、母さんの口に合うか分からんけど。あっちで人気の焼菓子や」
「……へぇ。銀座。えらいハイカラやなぁ。ところで誠一さんはいつ東京のお人になったんえ」
「……えろぉすんまへん、立希さんからや」
誠一と目が合う。必死で何かを訴えている。
「……美味しいお菓子です!お勧めです!」
───空気が、凍る。峰子はにっこりと更に皺を刻ませて、
「……美味しそやね。ほなお茶でも用意させます。座って待ってておくれやす」
そう言って、部屋から出て行ってしまった。静かになった部屋で、一気に緊張が解けたのか大きなため息をついた後、誠一は怒鳴った。
「───こんの、どアホがッ!!」
いきなり叫ばれて順太も驚いて引きつり泣きそうになり、誠一は慌ててああ、堪忍え、と取り繕った。向き直ると、
「アカンアカン。もう何もかも減点でこのままじゃ及第点どころか落第や。いつ母さんの雷が落ちるとも知らん!」
「えーそうかなぁ。優しそうなお婆ちゃま、って感じじゃない。脅かすから構えてたのに」
アハハ、と呑気に笑う。「ていうか、その喋り方なに?車の中からずっと気になってたんだけど」
「地元やとこうなるんや。特に旅館の中やとな。こうやって言葉を何重にも包んで互いに腹の探り合いして相手の出方を見る。それで言ったら、今日のお前はもうマイナス百万点や」
げっそりと疲れ切った顔で言い放つ。
「まず、藤川さんが順太に『元気でよろしおすな』て言ってたやろ。あれは『五月蝿い、黙らせろ』て意味や。それから母さんが『連れがこの後来るのか』て言ったんは、『襖も閉められへんのか』、土産を渡した俺に向けて『東京もんにいつなった』は、『東京から来た立希から土産を渡さんかい』てことや!!」
「へぇー!そうなんだ!ハッキリ言ったら良いのにね」
「アホ。ここは京都や!!」
純粋に驚いている立希に向かって呆れ返りながら言い放つ。
「互いに気を遣い合って腹の内を探り、言葉の裏を読んで、察し慮り話を進める。そうやって渡り歩いてきたんや」
「ふぅん。じゃあ私呆れられて追い返されるかもね」
アハハ、と楽観的な態度に、笑いごとやない!と一喝する。
「でもお茶を自分でとりにいくなんてびっくり。さっきの人に頼めば良いのに」
「……ああ。多分やけど、襖の向こうで聞き耳立ててた藤川さんを叱りに行ったのと、あとはこうして俺がお前に注意する時間を設けたんとちゃうかな。……嗚呼。全部見張られてるんや。こあいこあい」
「ビビりすぎじゃない?そんな構えなくて大丈夫でしょ。峰子さん、多分優しいよ」
「会って数分のお前に何が分かる!」
誠一が叫んだところで、スパン、と音を立て襖が開き、峰子が自ら茶を持ってきた。慌てて居住まいを正し峰子が座ったのを見届けてから茶を戴くと、
「……ほんで、誠一さん。どういうつもりや」
射るような一言。なのに顔は変わらずにこにこと微笑んでおり、顔と言葉の温度差で緊張が奔る。誠一は緊張しながら、
「……前に言いましたやろ。あては彩とは結婚せん。今付き合うとる人がいるって。この人が、その立希さんや」
そう言われ、流れるがまま頭を下げる。
「……誠一さんとお付き合いをさせて頂いてます。本日は突然お邪魔し、驚かせてしまい申し訳ございません」
昨日誠一と特訓した挨拶文だ。峰子は目を細めじっと見つめると、
「誰の子や」いつの間にか笑顔は消えている。
「まさか誠一、学生の身分でそんな取り返しのきかんこと」
「順太は!、前の主人との子です。誠一さんと出逢ったのは離婚してからです」
峰子は黙って茶を飲み、
「立希さん、アンタいくつや」
「……26です」
これも、昨日作戦会議で決めた偽りの年齢だ。誠一とは偶然職場のレストランで出逢ったという設定にしている。
「えらい苦労しはったんやねぇ。それで誠一さんつかまえて、また結婚しよう思てますのん。一回したらもう懲り懲りや思わはらへんなんて、見かけによらず強くてしっかりしたお嬢さんなんやねぇ」
語気を強め、笑ってはいるが刺すような言葉にさすがの立希も歓迎されていないことがひしひしと感じられた。今度は誠一に向き直り、
「なんでまた誠一はそんな子連れのお嬢さんつかまえて。苦労するのが目に見えてるのに」
「……それは、俺が立希さんを支えてあげたいと思ったからで」
「うちへの当てつけか」
遮るようにピシャリと言い放つ。
「うちの用意した縁談がそんなに気に食わへんからって、わざわざ子持ちのシングルマザー連れて来るなんてほんまあさましいわ」
寒気がするほどの怒気を孕んだ峰子の言葉に二人は圧倒された。そんな大人の思惑など感知することなく、順太の赤ちゃん語が部屋に響く。それは居た堪れない空気の中、僅かな緩衝材となった。そして次の瞬間。
「わたし、不幸に見えますか」
立希の声が響いた。まるで意に介さないような、あっけらかんとしたお馴染みの様子に峰子も誠一も立希の方を見る。
「さっきから誠一さんが私と結婚することでまるで不幸を背負うみたいに言ってますけど、私不幸に見えますか。私と結婚するのは苦労が多いと思いますか」
「……そらせやろ。まだ若い誠一さんが、いらん苦労背負う必要ないんやから」
真っ直ぐに見つめ、睨み合うような状態になる。
「藤龍グループの御曹司つかまえてゆくゆくは若女将。左団扇でこの先過ごそうなんて魂胆、見え透いてます。一度地獄見たおなごはなりふり構わへんようになる。これやからどこの馬の骨ともわからんおなごは嫌なんや」
「それを言ったらこんな大層な家に嫁ぐ方が苦労しそうですよね〜」
空気が凍る一言。無表情のままの峰子に、今度はにっこりと立希が返す。
「あと言っときますけど、私と順太と一緒になれるなんて、息子さん幸せだと思ってください。……ね?誠一さん」
キラーパスがいきなりやってきて、戸惑いと緊張と絶望で顔を引き攣らせている誠一。お、おう、としか返せず、目は泳ぎ全身に汗をかいている。
「悪いけど、もうお帰り頂いて。お話になりませんわ」
峰子が空気を変えるように言うと、ようやく立希も要らぬことを言ってしまったことに気づいたのか、目配せし動揺する。そんな中、なされるがままだった誠一がついに絞り出すようにして声を出した。
「……お母さんはなんも見えてないわ」
反抗するような誠一の態度に、峰子は眉を顰め、
「彩の家の、篁家と結婚したって一円の得にもならん。わざわざアイツと結婚する意味ないわ。それに彩の気持ちも無視して、俺のこともただの駒や思てる。ええ加減にしてくれ」
「誰に物言ってんのや」
峰子は立ち上がり、氷のような冷たい目線で見下ろす。
「……アンタや」
誠一は精一杯言い返したが声は震えている。二人は怒りのオーラを纏い睨み合った。一足触発の空気が流れどうしようかと立希も立ち上がった瞬間。
ぷぅん、と誰もが臭いの違和感に気づいた。それだけでなく、ぷぅ〜、と呑気な屁の音。
「……あはは、すいません、順太ウンチしちゃった。お手洗いお借りできますか」
「……廊下出て右や」
まさに空気の読まぬ醜態。すいませ〜ん、と背中を丸めて荷物を持ち退散しようとすると、
「ちょい待ち」止められ振り向く。「……そこの厠にオムツ台はない。ここで替えよし」
峰子からの思いもよらない提案に、
「えぇ!?いいんですか?」
「オムツ台がある厠は遠い。そんな臭いさせて館内歩かれたら溜まったもんやないわ。ほら、ぼんが泣いてますえ」
不快さに顔を歪ませている順太にごめんね〜、今綺麗にしようねと声をかけ、床に寝かせオムツとお尻拭きを用意し、テキパキと綺麗にしていく。その様子を興味深そうに眺める誠一と、何か思案するように見つめる峰子。
「はい、綺麗になりました!」
ぽん、とお尻を叩き、ようやくスッキリし爽快な表情を浮かべる順太に、思わず峰子も微笑んだ。その視線は、慈愛に満ちた母そのもの。
「手を洗ってきます。その間だけ順太を見ててもらって良いですか?」
「え?」
順太を誠一ではなく峰子に預け、立希は素早く厠へ向かうべく、部屋から出て行ってしまった。部屋に残された誠一と峰子。腕の中に、ずっしりと重い順太。
「……この子、指しゃぶりしてはるわ」
「ああ。だから指に辛子でも塗って辞めさせるよう言ってて」
「……ふぅん」
峰子はそう言うと、あやすように抱っこしながら上下に揺れてやる。順太も楽しげに手を伸ばし、峰子の頬に触れた。涎でベトベトな手だったため、誠一がアッと止めようとしたが全く気にしておらず、寧ろ微笑んでいる。立希が手洗いから帰って来て順太を峰子から受け取ると、峰子が口を開いた。
「……誠一さん。アンタ、この娘とぼんを養って世話していく気あるんか?」
不意を突かれ、勢いではいっと返事をする。鋭い目線で睨むと、
「悪いけどおむつ替えもようせんとボーッと立ち尽くしてるようなお人に、父親業が務まるとは思えませんえ。あんたには無理や」
そう言われ、誠一は俯き消沈する。
「けどな。もしあんたが、立派な父親になりましたら考えてもええわ。この娘と共に父親業果たしてみんさい。そしたら結婚も認めたるし、次期代表として送り出したる」
思いがけない提案に驚いていると、峰子は立希の方に向き直り、
「アンタも。藤龍院の次期当主の嫁にならはるんやったら、覚えてもらわなあかんことがぎょうさんありますえ。館内業務から勤め、若女将としての振る舞い、知識、お付き合い。ゆくゆくは誠一さんのお手伝いもしてもらわなあきません。できるんか?」
真っ直ぐ目を見て問われる。出来るも何も、2ヶ月後にはトンズラする気でいるのに。だけどここで出来ないと言ったら計画はおじゃんだ。なら、返事は一択。
「はい、出来ます!」
「ほな、ビシバシ鍛えたる」
ヤッター、と内心ガッツポーズをとった。とりあえず引継式が終わるまではこの女将さんに従い、従順な女将見習いとして働く。契約満了後は、まぁまた誠一の嫁候補が現れたらそれでいい。2ヶ月。耐えるのはこのたった2ヶ月だけでいいのだ。
ホッとしている立希を尻目に、鍛えたるって、お母さん、と心配そうにする誠一。
「大丈夫よ誠一さん。私体力と根性には自信があるの」
「せや。悪いんやけど立希さん。今うちの従業員が数名辞めて人手不足なんや。だからうちが直々に館内の仕事も全部教えたる。覚悟しいや」
そう言われ、ああ、と思い出したように、
「そういえば働き手募集の広告出してましたもんね。それじゃあ一石二鳥!人手不足の分もしっかり働きます。任せてください!」
ビシッと敬礼のポーズ。この自信と呑気さはどこから来るのか。誠一が呆気に取られていると、峰子は笑ってない目で一言。
「へぇ。こんなことやったら、最初から募集の広告なんざ出さんかったらよかったわ」




