第二章 京の女帝
一通り話をした後お勘定を済ませ、立希は外に出た。順太を抱きながらしばらく歩き、スマホで調べた旅館・藤龍を遠目から覗いてみようと思って地図と方角を調べると、意外とここから近いようだ。バスに乗って行ってみようと思い、荷物を取りに一度マンションに戻ることにした。ドアノブに手をかけると鍵が開いており、中に入ると、鬼の形相をした誠一が仁王立ちしてこちらを睨み上げていた。
「何処に行っていた!勝手に行動するな!」
「ご飯だよぉ。やっぱり京都に着いたら京都グルメ食べなきゃね」
緊張感などない立希に、もう何を言っても無駄だと思ったのかそのまま座り込んでしまった。その様子に立希は、誠一は昔生死を彷徨うほどの病気をした、というお婆さんからの情報を思い出した。
「……大丈夫?どこか悪いの?」
「悪かねぇよ。呆れてんだよ」
睨み返され、心配することなさそうだなと安心する。誠一は一度本家に帰ったが、こちらが気になりすぐに飛び出してきたそうだ。
「明日、まずは挨拶として俺の親に会ってもらう。そのために俺の家について軽く話しておくから、メモを見ながら覚えておいてくれ」
「明日いきなり行くの?ちゃんとした服とか着た方がいいのかな。着物とか」
先ほど一流一流、としつこく言われた手前、こちらも不手際があってはいけないと少し不安になって尋ねた。ただでさえ婚約者だなんて嘘をつくのだから、少しでも不安材料は消しておきたい。
「そんなに畏まらなくていい。式典のときは正装を頼むが、明日はもっとカジュアルな服で、自己紹介くらいを済ませられればいい」
そう言って誠一は鞄からメモとペンを取り出した。書き殴りながら説明していく。
「まずうちの藤龍院家についてだが、先祖代々宮廷に食事を献上し料理人を務め上げた一族であり、旅館・藤龍は老舗旅館の中でも指折りの歴史と伝統を持つ。そして今、この藤龍院の頂点に立つのが」
ペンを走らせ、或る名前を書いた。達筆である。
「藤龍院峰子───俺の母親だ」
この人が、先ほどお婆さんに人格者で数百年に一人の女傑と言われていた女将さんだろうか。
「旅館、料亭の他に、ツアーやクルーズイベントなど手掛けるうちのグループを全て牛耳り経営しており、一応どの管轄にも責任者はいれど、みな最高顧問の母には逆らえない。政財界にも口引きができ、京の女王とまで揶揄されている。この人を騙せなければ、この作戦は遂行できない」
───京の女王、と言われ恐ろしく厳格で笑わない、着物を見た妙齢の女性を頭の中で描いてみる。この千年の古都で絶対的女王として君臨する、誠一の母君とはどんなお人だろうか。なんだか会うのが億劫になってくる。
「……そんな人騙せるのかなぁ。というか、そもそもどうして偽の婚約者なんてわざわざ用立てないといけないの。次期後継にあなたはなる、って言ってたけど、その為に婚約者が必要なの?」
誠一は黙っている。続けて、
「婚約者なんて恋人か友達にでも頼めばよかったんじゃないの?それもいないの?」
「うるさいな!恋人はともかく友達はおるわ!」
我慢できなかったのか誠一は叫んで言い返した。恋人はいないんだ……。と内心憐れみながら、でも見てくれも悪くないし御曹司だし、恋人がいないなんてなんだか意外だなぁと心の中でつぶやいた。
「婚約者のフリ、その後は他人に戻るんだ。そんな嫌な役目を既知の仲の奴らに頼めるわけないだろう」
「私にはさせるのに」
「……金払って契約してるんだ。それくらい呑め」
「はいはい。それじゃあ話を戻すけど、なんで偽の婚約者のフリをしなきゃいけないの?」
誠一はぐっと喉を鳴らし、言いづらそうに、
「……次期代表になる条件に、世帯を持つことを求められているからだ。このままでは、母さんに言われるがままの相手と結婚させられる……」
しばしの沈黙。そしてブハッと馬鹿にしたような、憐れんだような、そんな鼻で笑う声が部屋に響くと、笑うな───!と誠一の渾身の叫びと怒りが爆発した。
「いやだって!!……ブフッ、お母さんの用意した女性とは結婚したくありません、だから他に好きな人ができたので、その女性との縁談は無しに、なんて……!ブハッ、あはははは!」
思わず座っていたフローリングをばしばしと叩いて笑い転げてしまう。誠一は真っ赤になり苦虫を噛み潰したような顔をしながら、
「お前は母さんの恐ろしさを知らないだけだ!あの人は白といえば鴉をも白に、信長に言われずとも城くらい一夜にして築いてしまうような恐ろしい人なんだぞ!これ以上、俺の人生を狂わされてたまるか!」
俺と契約しろと強くのたまって凄んでみせたあの時の態度とはかけ離れた情けない姿に、立希は腹を抱えながら大声で笑い飛ばし、ついにはその場に転げてしまった。あんなに傲慢な態度を人に見せておきながら、自分は母親ひとり逆らえないほど従順で臆病だなんて。そのギャップに眩暈がしそうだ。
「俺だって結婚相手くらい自分で見つける、って言ったさ。だけど次期代表の引継会までに紹介できないなら代表は別の人に譲るとまで言われたら……」
そこで慌てて行きずりの私に契約を持ちかけた、ってことだったのか。ゆきずりの私なら引継会が終わった後婚約破棄も気兼ねなくできるし、その頃には自分は次期代表の椅子に座ってるだろう、という魂胆。確かにこの役目は、既知の仲の知り合いには頼めまい。
「でもそのお母さんが選んだ婚約者さん、会ってみたら案外いい人かもしれないよ?」
「そうじゃないから足掻いてんだよ!」
「つまり知ってる人なのね」
「アイツと結婚するくらいなら生涯独身の方がマシだ!」
「でも次期代表にはなりたい、と」
「そういうことだ!」
フン、と腕を組みふんぞりかえる。まるで駄々をこねる子供だ。お金をもらう以上話は聞くが、内心呆れている。
「それで、あなたのお母さんがキーマンでラスボスで、それじゃあお父さんは?お父さんは何をされてるの?」
途端に誠一は黙り込んだ後、
「……親父は……いない」「死んだってこと?」
「いや、生きてはいるんだが……何処にいるかわからない。一応藤龍院グループの前当主だったんだ。だけど行方を眩ませて、それで母さんが留守を任されてるうちに現当主になり、絶対君主として君臨し今に至る。……らしい。俺も小さかったから当時のことはよく知らないんだ」
立希は定食屋のお婆さんが言っていた、蒸発したボンクラ亭主という陰口を思い出した。そのボンクラの父親不在で母親に厳しく育てられ、その結果逆らえないまま大きくなり、今は母親の言いなりか。そんなふうに思慮を張り巡らせている立希をよそに、誠一はメモをしながら続ける。
「あとは……篁彩。こいつは俺の元婚約者だ」
「さっき言ってた、お母さんが結婚相手に推してる女性?」
「そうだ。こいつは俺の幼なじみでもあり、篁家令嬢。つまり政略結婚の駒に息子を利用しようとしてるんだ。あの人は」
母親のことをまるで他人のように、憎しみを込めて言い放つ。
「その幼なじみの篁さんて方とは絶対結婚したくないのね」「そうだ。それにこいつは、母さんのスパイだ」「どゆこと?」
メモに西園寺家、と書き記す。
「母さんは元々西園寺という旧家から藤龍院家に嫁いだ。この西園寺家も有名な商屋だったんだが、先代が亡くなってから経営不振に陥り、今も厳しいらしい。あのとき藤龍院が、家族になったよしみで母さんの実家を援助してくれていたらそうはならなかったはずだ。それなのに、父さんも当時の先代……俺の爺さんだな。誰も助けてくれなかった。……だから母さんは藤龍グループを恨み、今度こそ乗っ取って藤龍院の名を西園寺に変えるつもりなんだ」
「それと篁さんがスパイっていうのはどう関係があるの」
「篁家は西園寺家の遠縁にあたるからな。彩も、藤龍院を乗っ取るために用意された駒の一つだ。だから俺は藤龍院の家を守るために、断じて彩とは結婚できないし、母さんの言いなりにはならない」
そう言い切る誠一を怪訝そうに見つめ、
「なーんかドラマみたいな話だなぁ。お母さんが悪いこと画策してるみたいに言ってるけど本当にそうなのかな。勘違いかもしれないよ?ちゃんと話し合った?」
「……話が通じない母親もいるだろう」
そう言われて、立希は自分の母を思い浮かべる。確かに、世の中には母親の範疇をゆうに飛び越えとんでもないことをしでかす人間はいる。
「そんな話が通じない人相手に、順太を連れて『誠一さんと結婚を考えています!』て私が現れて大丈夫かな。普通に追い返されそう」
「……そうなんだよな。俺も心配になってきた……」
誠一は顔を俯かせ、うーん、と唸った。
最初はなんとかなると思って、順太でさえ悲劇と信憑性を演出する手札の一つと思っていた。だが立希がまだ17歳の小娘で、世間知らずで緊張感なんて生まれてこの方感じたことがないといったような妙ちくりんである以上、計画は暗礁に乗り上げそうな勢いだ。プロの役者でも雇えば良かったのだが、あれはあれでバレた時に居た堪れないし簡単に調べ上げられそうで断念した。
「ま、お仕事受けた以上はバツイチ子持ちの悲劇のシングルマザーの設定でいくけどさ。当日も老けメイクでいくし」
「……明日母さんに会う際に、順太は置いて行けないか?ベビーシッターとか用意して……」
誠一の言葉に、キッと睨みつけ、
「何言ってんの!?順太は絶対に一緒にいる。私の都合でここまで連れて来ちゃったんだし、あなたも順太を守る義務があるの」
順太は二人の険悪な雰囲気など感知せず、持って来た車のおもちゃで遊んでいる。誠一はそうだよな、と溜め息をつき、
「とにかく、明日は絶対にバレないように頼むぞ。無事に2ヶ月後の引継式が終われば、お前も東京に戻すし金も支払う。……あと」
手で口元を触り、濁すように、
「覚悟しておいてくれ。母さんは……こわいから」
そう言って叱られ牙を抜かれた犬のように肩をすくめた。




