第二章 おばんざい万歳
ぐぅ、とお腹が鳴り、何処かにお昼ご飯食べに行こうか!と順太に話しかけると、嬉しそうに微笑み返してくれた。父親が違えど、大食漢で食いしん坊なのは紛れもない姉弟の血筋だ。
マンションから出て少し歩くと、昭和の下町のような路筋と、古めかしい看板が並ぶ場所に辿り着いた。ふと見ると、おばんざい屋と書かれた看板が掛かった、古民家のような建物がある。
おばんざい……?と疑問に思っていると、中から出汁の香しい匂いが漂ってきた。まるで引き寄せられるようにフラフラと引き戸を開けると、いらっしゃいませ、と優しい声がし、小さくてニコニコと笑うお婆さんが迎えてくれた。胸元で抱っこされている順太に気づくと、あらあら可愛らしいお客様で、と言い、皺が刻まれた指で順太の頬っぺたをクルクルこそばせた。順太も人見知りせず声を上げて笑う。入り口から遠い席へ案内されると、丁度一時を告げる時計の音が鳴りスーツを着たサラリーマンらしい男たち数名がゾロゾロとお勘定し出て行った。
───外からはわからなかったけれど、中は広くて地元の人が沢山来るのね。
お水を持ってきてもらったタイミングでおばんざいってなんですか、と尋ねると、京都の惣菜や家庭料理を小鉢にしてぎょうさん出すものです、と言われたため、どんなものかと興味が湧きそれを頼んだ。お客さん遠くから来られたんですか、と尋ねられ、
「はい東京から。しばらくこっちに住むんです」
「そうでっか。ようおこしやす。東京のお人はハイカラやさかい、京の味が馴染めば嬉しいわ」
お婆さんはそう言ってニコニコと笑い厨房へと入って行った。
店内は古いがとても手入れされており、ビールを持った美女のポスターは貼られてから何年も経過しているのか、古びて劣化しておりノスタルジーを感じさせる。しばらくすると厨房から若い男の人が料理を運んできた。おまちどおさまおばんざいランチです、とお盆いっぱいに積まれた小鉢を見せる。そこには、大豆とひじきの煮物の他にタコの酢の物、鶏の甘辛煮、茄子のおひたし、れんこんのきんぴら、麩のとろみ餡掛けなどが宝石のように輝いており、立希は一気に顔を綻ばせた。
「……ッ、おいしそう!いただきます!」
手を合わせて勢いよくガッついた。みるみるうちに小鉢から食材は消え失せていき、あまりの速さに給仕中のお婆さんも目を丸くし動きを止めている。順太が手を伸ばし食べたそうにしたため、食べられそうな食材を分けて与えてやると、お婆さんは「サービスや」と言って、順太向けに小さな茶碗に小盛りの白飯と出汁で煮た白身魚を分けてくれた。
「……いやぁ、お嬢ちゃんえらい美味しそうに食べてくれて。しかもあの量をよう残さんと。見てて気持ちええわ」
「ありがとうございます!ここ、長いんですか?」
「いいや。先先代からやってまだ100年足らずの新参者です」
ひゃく……?新参者?ジョークか何かかと思い軽く笑う。見渡すと、さっきまでいた客たちも仕事に戻ったのか、店の中は立希だけになっていた。
「そんでもこの店ももう閉じるんや。せやから最近はしばらく離れてたお客さんも最後やってことでまた来てくれるようになったけどな」
「ええ?お店閉めちゃうんですか?こんなに美味しいのに」
立希は眉を下げ残念がると、先ほど料理を運んでくれた若い男が厨房から出てきた。つい今し方まで手伝いをしていたと見受けられるエプロンを外しながら、
「俺は反対だよ。ばあちゃんの料理が皆に食べてもらえなくなるなんて寂しい。料理はばあちゃんの生きがいだっていつも言ってたじゃないか」
「そうは言っても、この店も老朽化が進んでるしねぇ。立退にサインもしてもうたし」
お婆さんは順太の頭を撫でてやりながら、寂しそうな顔をする。
「出来るなら、もう少し料理を振る舞いたかったなあ。この身が動かんくなるまで。でも、ここで何年も商いやらせてもろて、勉強させてもらいました」
「また、どこかで雇ってもらってお料理作るわけにはいかないんですか?」
立希が尋ねると、お婆さんは笑いながら、
「こんな婆さん雇ってくれる所なんてあらしませんわ」
「そんなことないよ婆ちゃん。ほらこれ見てよ」
孫は何処からか新聞の広告欄を指差す。戸棚から老眼鏡を取り出し指さされた場所を注視すると、小さく呟いた。
「───トウリュウさんのところ、料理人の募集出してはるんか」
「ああ。経験者募集、て書いてあるだろ。年齢不問みたいだし、ここだったら婆ちゃんの料理これからもいろんな人に食べてもらえるよ。なんてったって一流の老舗旅館だから」
「ええ……そんでも一流旅館ははウチみたいな小汚い定食屋の料理受け付けてくれませんやろ。……でもそうか、あそこの女将さんなら、話聞いてもらえますやろか……」
トウリュウ、と言われて立希も広告に目を落とすと、立派な写真と募集要項と共に、旅館・藤龍と書かれている。
あ!と思わず間抜けな声を出してしまい慌てて口を閉じるも二人から注目されてしまった。手を仰ぎながらなんでもないです、とごまかし、まじまじと広告に再度目を落とす。料理人の他に客室業務を執り行う住み込みのスタッフの募集もしている。誠一の旅館は、人手不足なのだろうか。
「すいません、ここに書いてある旅館って、有名なんですか?」
立希の問いに、二人はそんなことも知らないのかといったような表情をし、
「有名も何も。ここら辺で知らん人はおらん老舗中の老舗で、今は料亭の事業の方がよく知れ渡っとるさかい、そっちで知ってる人も多いわな。お嬢ちゃんのおった東京にもいくつかあるはずやで。そんでもやっぱり京都で藤龍といえば、料亭じゃなくて旅館やな。高級老舗旅館・藤龍といえば国の要人も泊まらはる、ほんに格別な、一流の旅館や」
お婆さんはしみじみとしながら話し続ける。
「あそこの女将さんはえらい人格者でな。嫁にきんしゃった後もぼんくら亭主に代わりひとりで藤龍グループの経営を担い豪腕を振るわはってな。日々地域活動や政界への根回しも抜かりない。まさに数百年に一人の女傑や。確か一人息子のぼん(息子)がおったけど、女将さんが経営を任せるんはまだまだ先やろなぁ」
一通り聞かせた後、おや、お客さんにいらんこと聞かせてしもたな。あんじょう堪忍え、と続けた。すると今度は孫の男が、
「息子のぼんて、誠一くんやろ?僕学年一つ下やけど知っとるわ。めっちゃ頭良くて、私立のええとこ行ってたわ。なんや優秀やから東京の大学行ったって聞いたけど」
立希はあなた達が話してる誠一は、私の雇い主ですとは言い出せず、そのまま黙って二人の話を聞いていた。
「……せやけど噂によると、ちっちゃい頃病気して生死を彷徨ったって聞いたな。今も生きてるんやろか」
「そんな不謹慎なこと言ったらあきません。藤龍のぼんは手術してあんじょう良くなりましたって言ってたから、病気は治らはったんや。……けど、そっからやな。先代やったぼんくら亭主も蒸発し、藤龍グループが危なくなりだしたんは」
険しい顔をするお婆さんに、えっ危ないんだったら婆ちゃん行けないじゃん、と孫の男は言うと、あほ、ただの噂や、と一蹴する。
「あそこのぼんはえらい利発な子やったけど、女将さんが大事にするあまり付き合う子も決められとってな……。遊ぶ時間もないくらい習い事や勉強してて自由がなくて、えらい窮屈な思いしたんとちゃうかな」
食べた後眠たくなったのか、大人の話など聞くわけもなく順太は寝息を立てて腕の中で眠ってしまった。お婆さんは慈しむように見つめると、隣の孫の男に言う。
「懐かしいなぁ。お前にもこんな時代があったんよ。あのぼんにも。もう何年も前やけどね。いつの時代も、子供は宝やなぁ」




