第七章 家族
翌日、旅館の前で数名の従業員と板前が立希と亜希を見送る為に集まってくれた。だがそこに、峰子や誠一の姿はない。最後の挨拶が叶わず少し気落ちしていると、早く帰るわよ、と亜希がせっついた。
「皆さん、お世話になりました。……どうかお元気で」
「寂しくなるね。絶対また会いにきてくださいね。順太くんも、お元気で」
鈴木愛子がそう言って握手してくれ、後ろ髪引かれながらも背を向けて去る。
駅に向かうまでの間、タクシーの中で亜希は普段泊まれないような格別の部屋に寝泊まりできたことを自慢げに話していた。
……結局お母さんは旅館を堪能したようだが、一度も私に部屋に来るようにとは言わなかったな。食事も一人で満喫したみたいだし、私に会いにきた、と言うより、取り返しに来ただけで私に興味ないんだろうな。その証拠に、私に仕事についてのことは聞かないくせに、旅館でどれだけ稼いだかといった、お金のことばかり質問された。
亜希の話を聞きながら、立希は胸の奥で黒く渦巻く不満を宥めつつ、「いろんな母親がいる」という峰子の言葉を噛み締めた。
タクシーから降りて京都駅の新幹線のホームに向かい、発着を待っていると、亜希が切り出した。
「……立希が帰ってきてくれて助かったわ。やっぱり私一人で生活を切り盛りするのって大変だから。今までどれだけ働いたか知らないけど、その分のお金も家に入れて頂戴ね」
立希は少し疑問に思い、
「……でもお母さんも仕事見つけて働いてるって」
「勿論そうよ。でもアタシだけで金遣いの荒いあの人養うのは骨が折れるから。それにアンタを連れ戻せって暴れるもんだから、だからわざわざ京都まで来たのよ。ここまでさせたんだから、親孝行としてしっかり働いて頂戴」
「……ちょっと待って。あの人って……」
「ヒデキ君よ。また三人で暮らそうね」
眩暈でクラクラした。出て行ったと私に言ったのは嘘だったのか。亜希は立希の腕をガッと掴み、
「男手があった方が何かと便利でしょ。アンタがいるとヒデキ君もずっと家にいてくれるはず。仲良く暮らしましょ」
「……っ、嫌だ!離して!」
腕にまとわりつく手を振り解き、
「私言ったよね!?あの人は私を変な目で見てるの!一緒になんて暮らせない!」
パン、と平手打ちの鋭い痛みがすると同時に、亜希が凄まじい形相で叫んだ。
「アンタ一人が我慢すればいいだけでしょ!お母さんを不幸にする気!?コブ付きだからロクに再婚もできないのよ?ちょっとは役に立ちなさいよ!なによ、人の男を誘惑しておいて!」
ぜいぜいと肩で息をするほど激しくやり合い、がなりたてる二人にベビーカーの中の順太が驚いて激しく泣き出した。慌ててごめんね、と言って抱っこしてやり、悔しさと惨めさで涙を滲ませながら問うた。
「……お母さん、さっき三人で暮らそうって言ったけど、どうして順太を入れてくれないの。順太だってお母さんの子供でしょ!?」
亜希は心底興味がないといったように髪を触りながら、
「ヒデキ君が嫌がるんだから仕方ないでしょ。赤ん坊ってすぐ泣くし。その点アンタはもうすぐ18歳で働ける歳だし、大歓迎だって言ってたわ」
「……順太をどうする気」
「さあ。施設とかに預けたり、どこかに養子にやってもいいんじゃない」
少しも悪びれる様子もなく言い捨てる。
──────鬼だ。
愕然としながら、目の前の女は母親ではない、別の生物なんだと漠然と思う。峰子さんがいろんな母親がいる、とは言っていたが、今目の前にいるのは、卑しい獣。子を搾取する鬼だ。
それでも私は戻らなくてはいけないのだろうか。あの狭いアパートで、蹂躙されながら。順太とも引き離されて。
列車到着のアナウンスがぼんやりと聞こえ、早く来いとせがまれる。行きたくないのにふらふらと足を動かした。ふと、腕の中の順太がじっと亜希を見つめる。亜希も、自分が産んだ負い目かはたまた情が湧いたのか、顔を近づけその頬に触れようとした。その時、
順太が思い切り亜希の茶色の髪をひっぱった。
「イタタタッ、このガキ、なにすんのよっ!」
頭を殴ろうと勢いよく手を振りかざす。
その手を、何者かが寸のところで制止した。立希が顔を上げて見ると、そこには誠一が立って亜希の腕を止めていた。
「せ、誠一。なんで……どうして」
「児童虐待ですよ」
誠一は亜希に向けて言った。亜希は興奮し、はぁ!?と応戦する。
「家族の問題よ。他人が首を突っ込まないでくれる!?」
「家族の問題や言うんやったら、余計首挟ませてもらいます。立希はもううちの子なんで」
峰子と冬司も遅れて登場した。呆気に取られていると、亜希が苛々としながら叫ぶ。
「なにがうちの子よ。母親は私よ!ほらっ、立希帰るわよ!」
強引に腕を掴み連れて行こうとするのを今度は峰子が止める。
「杭瀬さん。立希は誠一と結婚するつもりでうちの旅館を継ぐ修行してたんや。あと数日すれば立希も18歳。結婚できる歳になります。杭瀬さんも子離れして、立希をうちの嫁にくれませんか」
「はぁ!?」
亜希は叫んだが、立希も声が出ないだけで口を開けて驚いたまま、事態が飲み込めず固まっている。
「結納金は……ざっとこれくらいでどないでっしゃろ」
懐から出した小切手にサラサラと金額を書いて立希にも見せた。驚きの金額に息を呑む。狛犬を買った金額には及ばないが、大金だ。
「み、峰子さん!いけません!やめてください!」
「あんたは黙っとき立希」
亜希と峰子は双方睨み合い、白い闘気のようなものがその場に立ち込める。フッ、と亜希が笑うと、
「足りないわよ。だって、順太もいるのよ?順太は引き取らないつもり?」
「勿論順太君は養子として迎え入れます。ほな、この金額はいかがですか」
小切手を破り更に金額を書いて見せた。亜希は満足そうにほくそ笑むと、
「そ、そんなに欲しいならくれてやるわよ。よかったわね立希。いい人に買われて」
小切手を強引に奪い、負け惜しみのように吐き捨てる。しかし思わぬ大金が転がり込むことに興奮しているのか、鼻を膨らませて緩んだ顔を戻せずにいる。そのまま峰子を睨むと、
「お金。必ず払いなさいよ」
そう言って凄み、その場から立ち去ろうとした。状況を整理しようと慌てている立希に代わり、峰子がその背中に向かって言った。
「立希と順太がお世話になりました。ほな、東京が千年の都になる頃、またお呼びするさかい、泊まりにお越しやす」
亜希の背中が見えなくなるまでお辞儀し続けた。




