第七章 ここに
「明日帰る!?」
マンションにて荷物を纏めながら立希はそう告げると、誠一は驚いた声をあげた。順太は荷物の山を登ろうとしており、慌てて止めてやる。
「いや……唐突やな。明後日の式くらいは見て行ってはどうや」
「お母さんが迎えにきちゃって……。それどころじゃないの」
「お前の母さんが?良かったやんか」
そう言われて、怪訝そうに顔を顰めてしまった。誠一は不思議そうに、
「どうした?虐待の話を聞いていたから最初はどうかと思ったけど、それでもお前は母親が好きなんだろうなと感じていたが」
……元々は好きだった。今でも母の思い出を大切にしている。それでも吉田や他の男に依存した挙句、自分と順太を蔑ろにされてきたことや、あんなふうに峰子さんを脅してお金をゆすろうとする姿を見たら自分が望み描いてきた母親像がガラガラと音を立てて無くなっていくのを感じてしまった。
───しかも、一貫して誠一の将来を想い、狛犬を手放す決断をした峰子を見た後だ。余計に母としての度量の差を見せつけられた気がする。
「……良かった、のかな。もう分かんない。本当はもっと働きたかったし、誠一の晴れ舞台見たかったな」
「晴れ舞台といえば!」
誠一がおもむろに手を取り目を輝かせながら、
「今日、ついに新館建設に向けて着手してええってお達しがでたんや!いや〜、一時はどうなるかと思ったわ。しかし、なんでなんやろ。資金の出所もわからん。あの母さんが狛犬売るはずがないし……」
「阿呆」
そう言って誠一のおでこにピンと1発食らわせてやった。いきなり何すんねや!と怒る中、更に言ってやる。
「峰子さんが誠一のために、あの狛犬払い戻すことお決めになったのよ。……あなたの社交界デビューに、最高の舞台を用意してくれたんだよ。感謝しなさいよ」
額を抑えながら、はぁ!?と驚く誠一。俄かに信じられないのだろう。続けて、
「本当、羨ましいくらい素敵なお母さんだよ。誠一も意地張ってないで、少しは歩み寄りな」
「いや、なんでお前が狛犬払い戻すこと知ってるんや。母さんと話したんか?」
「そうだよ。私のお母さんにも便宜図ってくれて、感謝しかないよ」
「そうなんか……」
誠一は黙りこくって何かを考えている。歩み寄れと言われても、どうすればわからず困ってい
るようだ。
「峰子さんはね、たらこスパゲティが好きだよ」
「は?」
「あと恋バナもしてくれる」
「なんの話や」
「お母さんとのコミュニケーションだよ。私もそうやって仲良くなった」
「なんやそれ。てか恋バナってなんや。俺の話したんとちゃうやろな」
「冬司さんの話だよ。ふふ、自意識過剰〜」
順太を抱えて笑い飛ばしてやる。ひとしきり笑って落ち着いてから、ゆっくり語りだす。
「……私たち、変な関係だったけどこの2ヶ月間楽しかったよ。ここで出会った皆のこと……峰子さんも冬司さんも。彩さん、六郎さん、藤川さんや愛子ちゃん、大西さんたち。一生忘れないと思う」
順太の手を取って誠一の頬に触れてやってから、
「順太のこと、可愛がってくれてありがとうね。どうかお元気で。またいつか、今度はお客さんとして誠一の旅館に泊まりにいくね」
誠一は黙り、順太の手を持つ立希の手ごと掴むと、ぎゅっと優しく握って、
「……このままここにおったらええやんか」
視線を逸らさずにそう述べた。
「東京に帰る必要ない。ここにおりたいんやったら、そうしたらええ」
「……無理だよ。これ以上迷惑かけられない。……あ、でもそうだな」
優しく手を離して誠一の膝に戻すと、笑って言う。
「本当の家族になれたらいいのに」
誠一は真顔でしばらく固まった。そして次の瞬間。
「ないな」「ないねーっ!」
二人で声をあげてゲラゲラ笑った。床を叩き、腹を抱えて、時間を忘れてひとしきり笑い合った。
「せーちゃ」
「ん?なんや?順太」
順太が誠一の膝に乗りたいとせがむ。せいちゃんと呼ばせてる、とは聞いていたが、実際に言っているのを見るのは初めてだ。抱っこして、肩車してやって仲睦まじく遊んでいる。そんな二人を見守りながら立希は小さく呟いた。
「……元気でね」
その声は小さすぎて、誠一に届いたかはわからなかった。




