第七章 あの女
新館の問題が解決しないまま、披露会は後数日まで差し迫っていた。
旅館の玄関の落ち葉を箒で履いて掃除をしていると、突然大きな声で名前を呼ばれた。その声に覚えがあったため、立希は恐る恐る振り向く。そこには明るい服を着た女が荷物を持って立ち尽くしていた。
立希の顔がみるみるうちに青ざめていき、隣で一緒に掃除をしていた鈴木愛子がどうしたの?大丈夫?と声をかけてくれたのだが、硬直したままその場を動けない。箒を持つ手は強張り、カラカラに乾いた喉で絞り出すように言葉を発した。
「……おかあ、さん……」
「立希!ああ、やっぱり立希だ。よかったあ。会えて……」
金に近い茶髪を振り翳し、笑みを浮かべながら近づいて来る。
「なんでこんなところで働いてるの。心配したでしょう」
「どうしてここが……」立希は震えながらなんとか尋ねると、
「そんなことどうだっていいのよ。ここの責任者はどこ?会って話がしたいわ」
そう言ってズカズカと旅館の中に入ってこようとするのを必死で止める。
「ちょっ……、今、仕事中だからっ!」
「だから未成年のあなたを保護者の了承も得ないで働かせてるなんて許せない!こんな立派な旅館なのに、そこの所しっかり話させて貰わなきゃ」
掴む腕を振り切って行こうとする母。そして自動ドアが開いた瞬間。そこには峰子が立っており、侵入を妨げた。
「……み、峰子さん……」驚いている立希を無視し、
「あなた誰?ここの責任者を出して頂戴」
峰子は動じず、深くお辞儀をすると、
「立希さんのお母様であられますね。ようこそいらっしゃいました」
中に入るよう手をかざし、
「さぁどうぞ。ご案内いたします。こちらへ」
そう言って喫茶へと先導した。立希は動揺していると、鈴木愛子が戻ってきてこっそりと耳打ちする。
「あの人、立希さんのお母さん?」
「……うん。でもどうして峰子さんが」
「私が呼んだの。もし立希さんのお母さんを名乗る人が訪れたら、必ず呼ぶように、って峰子様に言われていたから」
ええ、そうだったんですかと驚き、立希さんも行った方がいいんじゃないと言われ慌てて二人の背中に着いて行った。
喫茶室は旅館の甘味や軽食が食べられるということで、宿泊はしないお客様にも利用される人気の場所だ。いつもなら餡蜜やパフェを戴くのだが、今はとてもじゃないがそんな気分ではない。母と立希は峰子の対面に座り、茶が運ばれ、襖が閉められてから話し出す。
「私は責任者を出せって言ったのよ。貴女がここの女将さん?」
「そうです。私が責任者の、藤龍院峰子と申します」
サッと名刺を差し出す。受け取った後、「杭瀬亜希よ」と吐き捨てるように言った後、立希を指さし、
「この子まだ17歳なのよ。未成年なの。それを保護者である私に隠れて働かせて。これって問題なんじゃない?」
「お母さん、それは……」
腕を引っ張って話を聞くようせがむ。「私が歳を誤魔化して働かせてもらってたの。女将さんは何も悪くない」
「だからって家を飛び出して何日も帰って来なくて。どれだけ心配したと思ってるの!」
「それは……」
何も言い返すことができずにいると、峰子が、
「立希さんはほんまによう働いてくれはって。お客様からも好評なんです。是非これからもうちの看板として働いてほしいと思ってますが」
「だ〜から〜、保護者である私に黙って働いてるのがおかしいでしょって言ってるの!!」
バン!と机を叩き、湯呑みの中の茶が揺れた。萎縮し怯む立希だが、峰子は動じない。
「今は試用期間のアルバイトとして短い時間働いてもらってるだけです。でも、確かに保護者の方のお許しがないと我々も正式に立希さんをお迎えできませんね」
「そんなこと言ってんじゃないのよ!!」
再度、しかも今度は何度も机を叩き、立希はお母さんやめて、と懇願するも亜希はその手を止めない。
「ほな、何を所望されるんでしょうか」
「誠意を見せなさいってことよ」
目を光らせニヤッと笑いながら、
「調べたら、ここは格式高い老舗旅館なんでしょう?このことが明るみになったら貴女もこの旅館も、危ないんじゃない?」
亜希の言葉に、立希は驚いて遮る。
「何言ってるのお母さん。まさか……脅してるの!?」
「人聞きの悪いこと言わないで頂戴。でも今ってとてもいい時代よね。あなたを発見したのも、バズってたSNSの投稿だったもの。このまま何も無しにこの子を帰らせるなら、私も何か投稿しちゃうかもしれないわね」
───完全に脅迫だ。立希は愕然としながら母の顔を見ると、正義はこちら側にあると言わんばかりの表情で峰子を見下ろしている。峰子はしばらく黙った後、
「───何を投稿されるのか、それはお客様の判断となり我々は止めることはできません」
「何よそれ。だったら投稿してもいいってことね。知らないわよ、ここ有名な所なんでしょ。すぐ拡散されて炎上するわよ」
「もうやめて、お母さん」
「お客様の判断にお任せしてます。───ただ、万が一侮辱行為や営業妨害となり得た場合、損害賠償が生じる可能性があることは知りおきください」
峰子の言葉に、亜希は反発する。
「何よそれっ!そっちの方が脅迫じゃない!もういいわ。後悔させてやるから。立希、帰るわよ」
立ち上がり立希の腕を引くも、立希は動かない。何してるのと責め立てるが、立希はしっかりと目を見て、
「行かない。私だってあと数日で18歳になるの。成人するの。自分のことは自分で決める。それに今、担当してるお客様や私を指名して予約をとってくれた人もいる。その人たちの為にも、仕事をきっちりこなしたいの」
「ふざけんじゃないわよ子供の分際で。ここまで来るのにどんだけ時間とお金をかけてやったかわかってんの?こんな田舎の京都まで来てやったのよ!どれだけ大変だったか」
ピク、と峰子の眉根が動いたが、亜希は気付かずにがなり続けた。そして思いついたように、
「あ、もしかして……ヒデキ君のこと、まだ気にしてるの?」
ヒデキ君、という名前を聞き、それが自分が忌み嫌っていた吉田の名前であることに気づくと一気に鳥肌がたった。まとわりつく様な視線や、いきなり背後から抱きしめられたトラウマが蘇って声を震わせながら問う。
「お母さん、まだあの人と……」
「やだねぇ。あの人はもう出て行ったわよ。アタシもちょっとはアンタに悪いことしたなって反省してる。今考えると、アイツは金の無心ばかりのサイテーな奴だったし」
亜希は立希の両手を握ると、
「ね、お母さんと帰ろう。一緒にまた住もうよ。もう誰にも邪魔されずに楽しく暮らしたいんだ。それに新しい仕事見つけたから、今度こそアンタに苦労させない。ね?」
握られた母の手は乾燥とひび割れで荒れている。派手だけど以前よりは落ち着いているファッションは、以前までの歳に不釣り合いな不気味さが無くなっている。仕事を始めたことで多少なり健全さを取り戻したのだろうか。
「あの男がいないなら……まぁ」
小さく呟くと、立希!と名を呼びながら抱きしめられた。久方ぶりの母の体はかなり痩せて、いきなり家出をしたことで心配をかけてしまったのだと思うと、申し訳ない気持ちがふつふつと湧き出てきた。
「……それじゃあ、母さんと帰ろう」
「お待ちください」
遮るような峰子の声に、せっかくの団欒を邪魔されたことに苛立ったのか、亜希が睨みつける。しかし峰子は一切動じることなく立希を見つめると、
「ええんか。辞めて。これで終いでええのか」
真っ直ぐに見据えて問いただす。立希は動揺しながら目線を下方に移して黙ってしまう。
───辞めたくない。本当はもっとここで働きたい。お客様をもてなして、感謝し、感謝されたい。立希さんでよかった、また立希さんにお願いしたい、って言われて、達成感と充足感を味わって、働くことに生きがいをこれからも感じたい。
だけどお母さんを突き放せない。優しく子守唄を歌ってくれた夜も、遅くまで自転車の練習に付き合ってくれた思い出も。喧嘩しても次の日には必ず朝ごはんとお弁当を用意してくれてたあの日のことも。
全部忘れられないお母さんとの思い出で、その思い出に縋りながら、お母さんの見たくない姿を見ないように毎日を誤魔化してきた。
頻繁に変わるお母さんの彼氏に怯えて暮らしてきた。でももうその脅威がないなら、帰ってもいいのではないか。これ以上峰子さんや誠一に、他人の私が迷惑をかけることなんてできない。
「───はい。お世話になりました」
「あんたを待ってるお客様のことはどうするつもりや」
「……突然辞めることになって申し訳ございません、とお伝えください」
「……」
峰子は黙ったまま立希を見つめ、そして立ち上がった。
「……ほな、荷物を纏めなさい。今いてる同僚への挨拶も忘れんように」
立希は深々と頭を下げて礼を尽くすも見ずに部屋から部屋から出て行こうとする峰子。襖を開ける直前、ふと思いついたように、
「……お母さん。今日はどこかにお泊まりの予定で?」
「いいえ。このまま帰るつもりしてたわ」
「でしたら、今まで大切なお嬢さんお預かりさせて頂いたお礼とお詫びに、泊まっていきはったらいかがです?一番ええお部屋ご用意させて貰います」
願ってもない申し出に、亜希は目を輝かせた。
「勿論お代は結構ですし、どうせやったら京都楽しんでから帰られては」
「……そ、そう。そんなに言うなら、ここがどんなにいい旅館か知ってから帰ることにするわ」
破顔し上機嫌になる亜希とは対象的に、立希は心配そうな目で峰子を見る。
「ほな、亜希さんをお部屋にご案内しますので、立希。あんたは皆さんに挨拶していきよし。その後はうちの家に寄るように」
そう言って、亜希を引き連れて行ってしまった。




