第七章 計画の終焉
「なんやねん。俺は間違ってないしこれだけは曲げへんぞ」
マンションに戻ってきた後、誠一は立希に言い放った。別に何も言ってないじゃない、と返すと誠一は、「あんな風に携帯で一方的に母さんとの会話聞かせてきたくせに」と恨みがましく言う。
「順太〜。あんたはあんなふうな意地っ張りになっちゃダメですよ〜」
おもちゃで遊ぶ順太をあやしながら晩御飯の準備をしつつ、誠一と峰子氏のやりとりを思い出す。
誠一は新館を建設し、新規顧客層開拓に向けての事業を成功させたい。次期当主として華々しくデビューするためにも、肝入りの計画を進める。そのため買い戻した狛犬をもう一度手放し、資金の確保に努めるべきだと言っている。
一方の峰子氏は、狛犬を手放したことは一族の教えに反することなので是が非でも狛犬を取り戻したい。
命に関わる手術の資金を作るため仕方なしに手放した昔と違い、今は新館事業を白紙に戻し堅実な経営をすべきだと述べている。
諸悪の根源は、新館建設のための金を把握せずに狛犬を買い戻した冬司だ。もう来週にまで差し迫っている次期当主披露会。このままだと、開催すら危ぶまれる。
「……そうか、もう来週なんだ。このマンションに来てから、もうすぐで2ヶ月経つんだね」
立希はようやく慣れて親しみも愛着も湧いた2LDKを見渡す。元々オシャレに片付いていたマンションの小部屋は、いつの間にか子供向けのおもちゃが散乱し順太のために集めた知育ポスターが壁に貼られている。
引継式に正式な婚約者として参上し、誠一が無事に次期当主になった後は、お金を受け取って東京に帰る。これが計画であり、立希は周りと峰子を欺くために用意された偽の婚約者。……だったはずなのだが。
「彩さんは六郎さんとうまくいったようだし、あなたが彩さんと結婚しないことは周りも把握してる。……それに、言いにくいんだけど……」
気まずそうに目線を泳がす立希に、なんや、と苛々しながら返す誠一。意を決して、
「峰子さん、私が偽の婚約者で、偽装結婚しようとしてたってことに気づいてたみたい」
しばらくの沈黙の後、はぁ〜、と大きくため息をついた。
「まぁ杜撰な計画やったしな。……俺としてはあの人が彩と俺との結婚を諦めたことでこの計画はほぼ成功してたようなものやし、次期代表者の条件として世帯を持つ、て言うのだって、母さんが彩と俺を結婚させるために言ってた薄っぺらな内容やから必須じゃないし」
眉根を揉みながら、「だから安心せえ。金も払うし、なんならお前の仕事は全部終わってるから今からでも東京戻ってもええ」と続けた。しかし立希は困ったように、
「今戻っても帰れる家がないよ。……順太を正式に養子に迎えるにはあと2年必要だし、私は……」
言葉に窮する。誠一には母親の彼氏から悪戯されそうになって家を飛び出した話はしていない。だから家に戻りたくないことも話せていない。話したって構わないのだが、ただでさえ未成年を匿ってもらい危ない橋を渡らせている以上、更に迷惑をかけるわけにはいかないのだ。前まではそんなこと考えたこともなかった。ドライなビジネスパートナーとしてしか互いに興味がなかったのに、今は情が湧いたのか、この計画の行く末まで見届けなくてはという気持ちが大きい。
「あと2年て。この生活はお前もしんどいやろ」
「うん……でも、旅館で働く仲居のお仕事って結構楽しいんだよ。私にもファンがついてくれたから、このままここで働くのも悪くないかな〜、なんて……」
尻すぼみで言葉を濁すも、やはり誠一も保護者の了承も得ずに働かせている現状を良しと思っていないだろう。計画が成功し用済みになった後も、ここに置いてもらえる理由はないのだ。
誠一はそういえば、と思い出したように、
「ファンといえば。大西さん覚えてるか?恵里ちゃんのところの。あの大西さんがお前を大層気に入ってくれたって前に話したよな」
「うん覚えてるよ。それがどうしたの?」
「大西さん、こないだSNSでお前の接客について写真付きで載せたらバズったらしくて。それで予約が今殺到してるみたいや。よかったな」
写真なんていつの間に撮られていたのか。びっくりしたが、しかしこうして予約が増えたなら自分の仕事を認めてもらえたみたいで嬉しい。峰子さんも死ぬほど辛い時に支えになったのが仕事だったと言っていた。この仲居業というものは覚えることも多くて体力勝負なところもあるけれど、やりがいも多くて自分に合っていると思う。
───ああ、私はまだこの仕事を続けたいんだ。
立希はそう思うと、この生活が終わることに一抹の不安と、そして母と吉田がいる元の生活に向き合わなければならないことに緊張と憂鬱を感じた。
「あのさ、東京に戻るのはもう少しあとでもいいかなって」
立希が言うと、「そうか?」と返す誠一。
「うん。やっぱりいきなり消えるのは良くないし、峰子さんに思惑もバレてはいるけれど、正式な誠一の引継式に参加したい。東京に帰るのはその後や、私の担当のお客様の予約分が終わってからでもいいかな」
お前がそうしたいならそれでええ、と言って誠一は手元の本に目線を戻す。
あと少し。あと少しでこの生活は終わってしまう。立希は背中を汗が奔るのを感じた。




