第一章 ご馳走の前で
貰った金で駅前のビジネスホテルに一泊し、次の日のAM11時。立希は名刺の裏に書かれた地図に書かれた店、料亭・藤龍の前に立っていた。来てみて驚いたのだが、都内の一等地にドンと構えた場違いなほど広い敷地に、森が現れたのかと見紛うほどの広大さ。洗練されよく手入れされた庭園が店の外からもよく見え、まるで別世界に来たようだ。そしてその庭園の奥に、タイムスリップしたかのような古き良きモダンスタイルの建物が見える。
───抱っこ紐で順太を抱き、服は昨日と同じボロボロの長袖シャツ。メイクもしてない状態だけど、大丈夫かな。ドレスコードとかあったら追い出されたりして。
本当は来なくともよかったのだが、一応宿代まで奢ってもらった手前行かないのも不義理だし、話を聞くだけでもいいから行ってみようと思い立った。
というのも、昨日ホテルで寝る前に渡された名刺に書かれた名前をスマホで検索してみたところ、出てきたのは大学やサークル活動で活躍する男の名前と写真だった。昨日見たあの男と同じもので、風俗やアダルト関係の危険なスカウトではなさそうでひとまず安心した。いくらお金がなくとも、それだけはやるまいと思っていたし、できる自信がなかった。
だが、今は闇バイトやトクリュウといった、甘い話に乗せられた末に犯罪の片棒を担がされる事案もあることは知っていた。2ヶ月で100万くれると言っていたが、内容も不明だし、少しでも怪しいと思ったら断ろう。……可能なら、寿司とすき焼きを食べたあとで。
「ママッ!」
抱っこ紐の中で順太が手足をバタつかせる。朝ミルクを与えてやり、好物の子どもパンも残さず食べたが、私に似て食いしん坊なのだろう。何か求めて暴れている。
慌てて店の中を覗き見ようとしたところ、中から従業員らしき着物を着た女の人が小走りでやってきた。
「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました。ささ、若様がお待ちです。どうぞ中へお入りくださいませ」
若様……?
庭園を抜け、錦鯉が泳ぐ池を横目に建物に入る。赤絨毯が敷き詰められ、広い玄関には従業員らしき人たちが一堂に並び首を垂れている。
客は私しかいないようだ。貸切にすると言っていたけど、一体、何が起こっているのか。
こちらで若様がお待ちですと言われ、襖を開けると、中には何畳もあるような大客間と、そこに一人座る、昨日の男。
「───遅い。20分も遅刻だ」
男は深緑色の着物を着ており、凄むようにこちらを睨む。昨日の装いとは全く違い、貫禄と凄みで別人のようだ。見ると、置かれた御膳には握り寿司の他、ちらし寿司や巻き寿司も並んでおり、一人用に用意された鍋の隣に、霜降りの肉が置かれている。今までテレビの中でしか見たことのなかった豪華な食事が、目の前に置かれ輝いており、立希を待っていた。
「わざわざ来たということは話を聞くつもりがある、ということでいいか?───おい、ちょっと、まだ食うな!あっ!」
いただきます!と手を合わせながらズカズカと部屋に入り、男の姿など見えてないように風のような速さで強引に隣に座り込む。箸を掴むとひと掬いで鮪、鰤、鯛のお造りを口の中に運び、寿司も平らげていく。左手は茶碗蒸しの陶器の蓋を素早く開け、スプーンで銀杏を掬う。
頬張りながら、男の言葉が聞こえていなかったとばかりに、え?なに?と見上げると、男は立希の見事な食いっぷりと食い意地の激しさに度肝を抜かれたように顔を引き攣らせながら笑った。そして、もういいから落ち着け、と溜め息をつきながら零した。
「───子供。重いだろう。降ろしてやれ。あとその子には何をやればいい?よければ作らせる」
「えっと……じゃあ、おにぎりと具は少なめのお味噌汁と……何か焼き魚をほぐしたようなものがあれば」
「アレルギーは?」「ない」
店の人を呼び出し伝えると、男はもう一度こちらを見据え目の前に腰を下ろし無言で見つめてくる。寿司を一通り食べ終え、すき焼きに手を伸ばそうとしたとき、男は神妙な顔つきで切り出した。
「お前に仕事を頼みたい。昨日も言ったが、報酬もちゃんと払う」
「お断りします」
即座に返された予想外の言葉に、男ははぁ!?と声を荒げた。わなわなと震える手で空いた皿を指しながら、
「こ……、こんなに食ったのに!?」
「内容によるのでまぁ聞くだけ聞いてあげてもいいですよ」
「なんだその態度!……まぁいい。2ヶ月だけ俺に従事し、俺と共に実家のある京都へ来て婚約者のフリをして欲しいんだ」
「お断りします」
「だから決断が早い!!」
男は顔を真っ赤にして震えた。食いしばった歯で口を歪ませており、その様子が面白いのか、隣で順太がケタケタ声を上げて笑っている。
「だって私あなたのことよく知らないし。名乗られてもないし」
「昨日名刺を渡しただろうが!俺は藤龍院誠一。都内の大学に通う四年生で、藤龍グループの次期代表になる男だ!」
昨日スマホで調べた時にも出たが、藤龍グループは京都の老舗旅館を皮切りに全国に高級旅館、料亭を持つ一流企業。その次期代表になる、とは言っているが、目の前の男は若干二十歳程度の若造だ。次期代表を騙る偽物の詐欺師かもしれない。
「貴方が本当にそうか、まだ分からないし。嘘ついてるだけかもしれないし」
「ここの従業員全員に認知されてただろうが!俺がここの若様だよ!」
うーんでもねぇ、とデザートのババロアを口に運びながら、
「あの人たちもグルの犯罪集団かも。最近の詐欺師ってディテールまで作り込むらしいし」
「あーあーわかった!ならもっと証拠を見せてやる!!」
誠一は業を煮やしたように叫ぶと、部屋から出ていき、手に沢山書物やアルバムを携えて戻ってきた。
それから小一時間程度、立希は順太におにぎりやお味噌汁を食べさせながら、誠一の「俺は本物の藤龍院家の御子息様だ」という証拠プレゼンを聞いた。というより、聞き流していた。
自分が次期代表として取材された過去の雑誌のバックナンバーを提示したり、今までに受賞した経歴を暗唱し、スマホで実家を生中継させルームツアーもしてくれた。そろそろ飽きてきて順太もお昼寝をした頃、男もぜいぜいと息を切らせていたのを落ち着かせ、一息ついてから切り出した。
「……で、信じたか?俺は藤龍院グループの次期代表で、お前に仕事をくれてやると言ってるんだ。その間の衣食住はお前もお前の子供も保障してやるから、俺の言うことを聞け」
凄みながら立希の瞳をじっと見た。
立希は首を傾げながら、にべもなく言い放つ。
「……なんか嫌だなぁ。それが人にもの頼む態度?」
「おま……ここまで言ってるのに……」
誠一が肩を落とすと、むにゃむにゃ言いながら順太が寝返りをうった。立希は起こさないよう慌てて声を小さくして尋ねる。
「そもそもなんで、初対面の素性もわからない女である私にそんなこと頼むわけ?」
「……お前が素性の分からない女だからこそだ。これが互いに見知った知人女性だと却って都合が悪い。俺は、二ヶ月後に行われる次期代表披露会で婚約者がいるんだと周りに認識してもらう必要があるんだ。……だから、お前にそのフリをしてもらって親戚連中を欺き、式が済んだら破局したといってお前も自由にする。難しい役回りかもしれんが、その分、金は出すから……」
誠一は眉間に皺を寄せ渋い顔をしながら俯く。立希は頬を掻きながら、
「……なんか全然話が見えないんだけど。なんでそのお披露目会で婚約者が絶対いないといけないの。お金持ちのしきたり?じゃないと跡を継がせないとか言われてんの?」
「まぁそんな感じだ。あまり詮索せんでいい。本当は籍を入れてでも周りを欺きたいんだがな。こんなことにバツをつけさせるのも忍びないから、本当にフリだけでいいと言っているんだ。どうだ。頼まれてくれないか」
「断るわ」
ぐぅ、と情けない声が上がったかと思うと、誠一は行き場のない両の手を握り、ブルブルと震わせながら項垂れている。
「いやだって無理があるでしょ。なんでわざわざ子連れの私に頼むのさ。フリとは言っても婚約者の体で子供連れた私がいきなり現れたら、みんなびっくりして腰抜かすわよ」
「……それはそう、だが……。だが、だからこそ信憑性が出る。子持ちの寡婦に恋をして、それでも結婚を決めたなら純愛だと盛り上がってくれるだろうし、結局ダメになりましたと言ったら、まだ若いしそうだろうねと納得してもらえるだろう。この総会。総会さえ切り抜けられればいいんだ」
勝手に自分の理想を絵に描き出すように語る男の姿に、立希も眉間に皺を寄せ言った。
「私、夫死んでるの?そういう設定なの?失礼すぎる。それにそんな茶番に順太を使おうなんて最低だと思う」
「それについては謝る。だが、お前の相手に関しては、死んでるも同然……いや、死んだ方がいいような奴なんじゃないのか?その服の下の痕。……DVだろう」
言われ、立希はサッと腕を隠すようにした。目を泳がせるも、その態度で肯定してしまったようなものだ。
「……なんで分かったの」
「……深夜に子供を連れて店に避難しに来たように見えたのでな。しばらく観察していたが、古着を着て店で一番安い物を買って食べていたし、DVから逃れて出てきたはいいが経済的にも困窮して、行くあてもないのだと推測した。だが服の下は見てない。すまん。鎌をかけた」
立希は黙った。
───その通りだった。暴れて手のつけられなくなったアイツから必死に逃げてきたはいいが、行くところも先立つものも無く、途方に暮れていた。頼れる友達も親戚もおらず、寒さと飢えを凌ぐ為に入れたのはあのファストフード店だけだった。
だから、あのときご馳走してもらえたチーズバーガーセットは、涙が出るほどありがたくて美味しかった。そして今日も。ただ豪華なだけではない、厳選し洗練された食材が織りなす食事の数々とそれをもてなす心に、本当はいくら頭を下げても足りないほど満ち足り、こっそりと心の中で感謝した。
「……本当は、生活に窮しているお前なら絶対に断ることはないだろうという打算があった。報酬を提示すればお前は食いつくと……。すまない。だが俺は金でお前を助ける。だから、お前も俺を助けてくれないか」
誠一は再度頭を下げて頼みこんだ。
飯の借りはある。だけど、このまま簡単に着いていっていいものなのかわからず返事ができない。会ってまだ1日のこの男を信用しきれるほど、信頼関係も築けていない。
「ママ……」
順太が起きてしまった。まだ伝い歩きしか出来ないため、這って立希に向かって近づいてくる。
「おいで。抱っこしてあげよう」
立希が腕を伸ばすも順太は急に動きを止め、その場に座り、今度は誠一の方を見つめる。
「……ん?どうした?」
子供……というより赤子に近い歳の順太に、誠一は優しく微笑みかけてやる。すると、順太は立希に背を向け、立ち上がる。そして一歩、また一歩と歩みを進め、前のめりに倒れかけた。
「わっ!」誠一と立希が慌てて体を支えてやり、互いに顔を見合わせた。
「すごい!見た!?初めて歩いた!」
「すごいじゃないか!やるなお前!!」
順太は頭を撫でられ、自分が褒められていることが分かると、自らも手をパチパチと叩いて声を上げて喜んだ。
───順太が、アイツよりもこの人に懐いている。私以外の人にこんな風に心を開くのは初めて見た。
……それにこの人は、最初からずっと順太のことを気にかけてくれていた。ちゃんとホテルで寝かせてやれと言ってくれたり、さっきも食事を用意してくれたり。
このまま、またあの家に戻ってアイツの暴力が今度こそ順太に向かってしまったら。
───いや、ダメだ。私は、順太を守るためにあの家を出たんだ。順太を生かし、育てる義務が私にはある。このままこの手を取らず路頭に迷わせ、二人共倒れなんてことだけは、してはいけない。あってはならないことだ。
会ったばかりの人を100%信用なんてまだできないし、甘言には裏があると踏まえた上で、見極めなくてはいけない。それでも、私は順太と一緒に生きるためにお金と安全な場所が欲しい。
「───今から2ヶ月間、衣食住は保証するって言ったわよね」
「ああ。言った」
「それって勿論順太も、よね?」
「勿論だ。───順太くん、というんだな。あんな風に夜出歩かなくてもいいように、安全な場所を用意してやる」
覚悟を決め、立希は向き直って言い切る。
「───わかったわ。協力してあげる。2ヶ月ね。それだけあれば、私にとっても都合がいいもの。京都に行って、披露会に婚約者として出席する。ただこれだけでいいのよね?」
「ああ。頼む。周りに偽者だと悟られないよう、しっかり演じてくれ。無事に俺が次期代表の座に納まったら、この計画は満了だ。お前も自由になる」
「この2ヶ月間、私はここを離れて安全に匿って貰えるなら願ってもないわ。でも約束して。絶対に順太のことは傷つけたりしないって」
真剣な目つきで言うと、誠一も返す。
「当たり前だ。子供は宝だからな。
───……ところで、まだ名前を聞けていなかった。お前、名前を何という」
立希は、うーん、と少し考えるポーズを取ってから、
「その『お前』ってなんかヤダ。雇い主でも一応婚約者って設定なんでしょ?対等な立場で頼めないの?亭主関白設定とかいらないし、あなた人間関係に難あるタイプ?」
おま、……と口をパクパクさせ、誠一は何か言いたげにした後、ぎこちなく発した。
「……貴女は、お名前、なんと言うのでしょう、か……」
屈辱と怒りと恥ずかしさで顔を赤らめ、震えながら言う姿にようやく満足すると、立希はニッコリ笑って言った。
「私は杭瀬立希よ。よろしくね。旦那さま」




