第一章 怪しげな勧誘
深夜のファストフード店。客は殆どいない中、落ち着いたBGMが店内を静かに彩っていた。
二階席の一番奥、人目を気にして縮こまるようにして座る女を見つけると、男はツカツカと正面にまわり、唐突に対面の席に深く腰掛け女を驚かせた。
怪訝そうに目を向ける女に、男は言い放つ。
「報酬は100万だ。お前の時間を、……2ヶ月でいい。俺に寄越せ」
無作法な男の立ち振る舞いに、女は───、秋も近いがまだまだ暑いというのに長袖の服を纏い、破れている袖から糸が飛び出て、いかにも貧乏然としたその女は、目の前の男を睨むようにして見つめ返した。
女は雑に髪を一つに纏め、化粧気もなく爪も割れている。更に目の下の隈が一層生気が無いのを強調しており、まだ若いだろうに相当な苦労が見てとれた。手に小さな子供を抱いており、二人のやりとりなど全く聞こえていないように、すぅすぅと寝息を立てている。
「……アダルトビデオや風俗のお仕事なら遠慮します。他当たってください」
女はそう言って席を立とうとするが、男はまぁ待て、と宥めてもう一度席につかせた。
「……あのなぁ。警戒するのも無理はないが俺はそういうスカウトじゃない。失礼だな」
男は苛立ちを隠さず、ジロリと切れ長の目で睨む。
「……いきなりあんなこと言われて、そう思わない方がおかしいですって」
「まぁちょっと落ち着いて俺の話を聞け。とりあえずそれだけじゃ腹減ってるだろ。なんでも奢ってやるから」
奢る、と言われて女は目を輝かせた。ついでに腹がぐぅ、と鳴る。
「え、じゃあ寿司か焼肉」
「……ここはハンバーガーショップだ。アホかお前は」
男はそう言って勝手にカウンターに向かって歩いて行き、カードでLサイズのチーズバーガーセットを注文してまた席に戻ってきた。
「勝手に選んだがいいな?あとで席まで持ってきてくれるそうだ。で、話を戻すぞ。お前、俺に雇われろ。そしたら二ヶ月で100万やる」
「内容によります〜」
適当にあしらったところに丁度チーズバーガーが運ばれた。女はいただきます!と叫んだあと貪るように口に運んでいく。先ほどまで店内で一番安いナゲットで空腹を誤魔化していただけに、バーガーだけでなくポテトとジュースの旨みと重量が五臓六腑に染み渡る。空腹から来る苛立ちと思考力低下で何も考えられなかったが、ようやく落ち着いてきた。
……正直助かった。今日はもう夜も遅く誰にも頼ることができず、このままこの店で夜を明かすしかなかった。ほぼ一文なしの状態で家を飛び出してしまい、どうするべきか考えあぐねいていた矢先、この男に声をかけられたのだ。
まだ1歳になったばかりの順太は夜の店内にいるというのに、肝が据わっているのか全く目を覚まさない。本来であれば、ちゃんと家に帰って頭を下げ、順太に寝床と食事を与えてやるべきなんだろう。───だけど出来ない。あのままあそこにいたら、今度こそアイツは順太に手を上げかねない。今はまだ私にその矛先が向いているだけいい。でもあの環境では、いずれ殺される。アイツのところで、順太を育てることなど、絶対にできない───。
ズズズ、とジュースを最後の一滴までストローで吸い込むと、ハァ、とようやく腹を満たし落ち着くことができた。
「食ったな?」様子を見届けると、男はニッと笑う。
「しまった。このハンバーガーセットが100万円ですとか言わないでよね?もう食べちゃったんだから返せないわよ!」
食べて引き返せなくなった後に言うこと聞かせる作戦だったかと慌てていると、男はため息をつきながら名刺入れから一枚の名刺を出して机に置く。
「見くびるな。俺はこういうものだ。話を聞く気があるなら、明日11時にここへ来い。店は貸切にしておく。ステーキはないだろうが、寿司かすき焼きなら用意しておいてやる」
サラサラとペンで名刺の裏に何か書くと、席を立って去っていく。見ると、地図の他に店の名前も書かれていた。
"───料亭・藤龍───"」
男はしばらく進んでから、ふと何かを思い出したように踵を返し戻ってくると、財布から万札を数枚取り出し強引に女に押し付けた。
「あとな、子供を連れて夜遅くまでこんな所にいるな。これで近くのホテルにでも泊まってちゃんと寝かせてやれ。わかったな」
そう言って今度こそスタスタと店から出ていってしまった。
───なんだあの人。いきなり不躾に金額を提示してきたかと思えば、私に食事を奢り、順太のことも気遣って宿賃までくれるなんて……。
───これが、訳あり子連れ女・立希と、謎のスカウト男・藤龍院誠一との出逢いだった。




