第四章 怪しげな男
その日の夜。宴会の片付けも終わり、控え室でボーッとしていると、峰子が入って来て慌てて背筋を伸ばす。
「帰らへんのか。早よ帰って休むんも仕事のうちやで」
「はい、お疲れ様でした」
「そうそう。大西さんからお褒めの言葉を頂きました。次も何かあれば、立希に頼みたいそうや」
あんな失態をしたのにそう言って貰え、寛大な心に感謝する。それと同時に、ああすれば良かったという後悔も後を絶たない。
褒められたのに浮かない顔をしていると、
「おもてなしの答え、分かりましたか」
真っ直ぐに目を見て問われる。立希は俯き、
「……すみません。まだわかりません。独自のサービス、気付かせない心配り。……良かれと思ってやったことや、相手を思いやって行った行動も、ただの押し付けやお節介に終わることもある……。そうならないためにも、きっとコミュニケーションが必要で……」
「コミュニケーション、てのはなんや」
「……お、お客様と……」
言葉に詰まる。峰子は息をつき、
「まぁ、そこまで気付けたなら御の字や。おもてなしっていうのは十人十色。人に言われて得る答えやありません。人を見て、学び、自分でやってみて、その人独自の答えを見つけるもんや。今日も色々あったみたいやけど、それでも大西さんはまたあんたがええ、て言ってくれてるんです。これに甘んじることなく精進なさい」
峰子は続ける。
「うちは、この仕事におけるおもてなしは、三角形のピラミッドみたいになってると思ってます。一番下が、安全に美味しい食事がとれ、清潔な宿泊ができる施設としての安心面。基本。その上が、この宿でしか得られない感動体験。予想を裏切り理想を超える、唯一無二の体験。そして一番上が、真心と誠意を伝える従業員の振る舞い。この宿が、ではなく、この人がおるから藤龍に頼む。そう言うてもろてファンを獲得できれば、何度でも来て貰える。そう思ってます。
気付かせない心配りも素敵です。でも、心通わせるために言葉にするってのも粋なもんですぇ」
峰子の説法に、黙って返事もできず聞き入ってしまう。峰子は立ち上がり、
「今度の木曜。キャンセルが出たみたいやから料理長が順太くんと誠一連れて来よし、て言ってくれてます。祝い膳食べたこともないのに説明できませんやろ。しっかり食べて料理の説明できるようになりなはれ」
ええ、と思わず声を上げ、
「根回しをしてくれたんですか?」
「勘違いしなさんな。お食い初めしてもらってない順太くんが気の毒なだけです。ほな私は帰りますから」
峰子が部屋から出ていく。立希はありがとうございました、とお礼を言って、自分も更衣室へと向かう。
───心通わせるために、言葉にするのも粋。───そう。足りないのは、互いに理解し心通わせるための言葉。近くにいても、いや、近くにいるからこそ心通わせるために言葉を紡がないと、すれ違うんだろう。
立希は着替え終わり、旅館の前に車を待たせているため急いで駆けた。すると、玄関の前で中を覗き込みウロウロしている不審な男を見つけた。───誰だろうか。大きなキャリーバッグを持っており宿泊客のようだが、着ている服はボロボロで老舗旅館に似つかわしくない格好だ。
「あの、どうかしましたか?チェックインでしょうか」
既に着替え終わっていたがスルーするわけにもいかず、声をかけてみる。男はここの従業員だと悟ったのか、
「女将さんいる?なんか入りづらくって。でももう遅いか……」
時計を見ながら呟く。先ほど別れたばかりだが、どうしようかと警戒しながら思っていると、車から運転手の男が降りて来て頭を下げ叫んだ。
「……冬司様!!おかえりなさいませ!」
男は手をひらひらさせながら、
「ヤッフ〜、橋田くん。うちの誠一は元気?」
うちの誠一、という言葉に立希はピンときた。この一見浮浪者のような格好の男だが、運転手にも一目置かれ敬われている。そしてその勘は当たっていた。この男こそ誠一の父親でありこの旅館・藤龍の前当主。───そして、峰子の夫、藤龍院冬司だ。




