第四章 お食い初め騒動
日曜日。玄関で大西様をお迎えするようにと言われていたので気を引き締めて待機していると、黒の高級車が停まり中から家族が一斉に出てきた。議員を務めているという一家の大黒柱の父親は、まだ若いのに貫禄があり高級そうなスーツに身を包んでいる。その妻は長い髪を巻き、清楚な白のワンピースを着ており、腕には本日の主役である赤ちゃんが白いレースの産着を着て抱っこされている。最後に車から、髪をふたつに括り茶色のジャンパースカートを着た可愛らしい女の子も出てきた。立希でも知っている有名な子供服ブランドの服で全身を固めた、一眼でお嬢様だと分かるいで立ちだ。
「いらっしゃいませ大西様。お待ちしておりました。お席準備しておりますのでこちらへお越しください」
藤川が先導し、立希は最後尾に付く。奥さんの後をついていく女の子の歩幅に合わせてゆっくりと進むと、歩く度に何やらカンカンと軽快な音がすることに気づいた。どうやら目の前の女の子の靴から聞こえている。広い玄関に音が響き、赤ちゃんを抱いた奥さんが苦笑いし振り向いて立希に話しかけた。
「すみませんねぇ。この子の靴、踵が壊れていて。釘が出ちゃって歩く度に音が鳴るんです。こら恵里。静かに歩きなさい」
恵里と呼ばれた女の子は、ぷいと顔を背けてそのまま進む。反抗的な態度にますます母親は叱るが、腕の中の赤ん坊が泣き出したためすぐに意識をそちらへ戻した。立希は、恵里と呼ばれた女の子にこっそりと耳打ちする。
「恵里ちゃんていうの?その靴、可愛いね」
「……おばあちゃんに買うてもらった」
若干の人見知りを見せるも素直に返事してくれ、そうなんだ、と立希も返し予約されていた鳳凰の間へお通しする。靴を靴箱に並べ入れ、料理長を呼んで部屋に集合したのちに本日の食事内容を料理長から聞く。
お頭付きの鯛、なます、季節の茄子の煮物、蛤のお吸い物、紀州梅干、赤飯。込められた祝いと願いも説明を受け、部屋から退がった。ああ、美味しそうだなぁ羨ましいなぁと思いながら部屋の外で下駄箱の靴を磨こうとした時、以前峰子さんがお客様の取れかけていたジャケットのボタンを付け直したことを思い出し、そうだと思いついて急いで従業員控え室に向かうと、丁度誠一に出くわした。
「立希!?何しとるんや」
「誠一!あのさ、工具とかない?それか六郎さん呼べないかな。ちょっと直してもらいたいものがあるの」
「六郎ならさっき、何故か託児所にいるところ見たけど……」
誠一に頼み込んで六郎を呼び寄せて貰い、恵里ちゃんの靴をこっそりと渡す。
「ここの踵が剥き出しになっちゃってて。なんとか直せないかな」
無茶なお願いに誠一は驚いたが、六郎はお安いご用と言って鞄から道具を取り出してテキパキと直していく。
「お前、なんでそんな道具持ち歩いてるんや」
「海外にいた時に使うことが多くてね。副業で便利屋でもしようかと思って持ち歩いてるんや」
出来た!と綺麗に補正された踵を見て、立希は満足しありがとうと述べた。
「ただあくまで応急処置だから、ちゃんと専門の靴屋で直してもらった方がええで。あ、あと立希ちゃん」
六郎は鞄から何かを取り出すと立希に見せた。それは持ち手が付いた、鈴のおもちゃ。
「前にベビーカー直した時、ベビーカーのポケットに入ってたのを返しそびれてて。順太くんのやろ」
「ああ〜、そうだけど、今返してもらっても困るから、誠一預かってて」
誠一はえっ、と明らかに困惑した声を上げたが、有無を言わさず押し付けてから仕事に戻った。
お食い初めの食事会は無事に終わり、帰るタイミングで下駄箱の靴を並べた。靴を履き、歩き出すタイミングで恵里がピタリと動きを止めた。
「恵里?どうしたの?行くわよ」
「……ない」
「え?」
「靴がない。これ、うちのやないよ」
そんなはずないでしょ、と母親が言って靴を脱がせ確認すると、あら。踵が直ってる、と呟き、
「もしかして食事中に直してくださったんですか。凄い。ありがとうございます」
感激しながらそう言い、父親も「ここは靴をいつもピカピカに磨いてくれるからなぁ。でもここまでしてくれたのは初めてだよ。素晴らしい」と褒めてくれる。だがそれとは反対に、恵里はじっと俯いたまま動かない。心配になり、
「恵里ちゃん?どうしたの?」
「こら恵里。直してもらったんだからお礼言いなさい。音がするからもう捨てるって言っても嫌だと聞かなくて、母さんみっともなかったんだから」
恵里は黙ったまま。おばあちゃんに買ってもらったと言っていたから思い出の靴なんだろうなぁとは思っていたが、余計なことをしてしまっただろうか。
「……恵里ちゃん、ごめんね。嫌だった?」
立希がしゃがみ目線を合わせて言うと、キッと睨まれ両手で突き飛ばされた。
「余計なことしないで!」
「恵里ッ!」
バシッと父親が頭を叩いた。恵里は茫然とし、みるみるうちに目に涙を溜めると走って出て行ってしまった。慌てて起き上がらせて貰い両親に凄い勢いで謝られる。
「ほんまにすいません。お怪我はないですか」
「いえ全然。それより恵里ちゃんが。すみません、私が余計なことしたばっかりに」
「そんなこと。ほんま、なんであの娘あんな聞かん坊になってしもたんやろ」
「……もしかして、大事なお祖母様との思い出の品を勝手に触ったことが良くなかったんでしょうか」
「祖母にはあの靴に限らず何個も買うて貰ってますし、寧ろ足もサイズアウトしてきてるはずなんですが、何故かそれでもあの靴を履きたがるんです」
騒ぎを聞きつけた誠一がやってきて、早う追いかけんと、と立希を急かす。しかし赤ん坊が泣いて母親はその場を動けず、父親もあいつは頭を冷やした方がいいと言って頑として動かない。代わりに立希と誠一が周囲を探しに行くことにし、その場を後にした。
広い藤龍の園庭は庭師によって見事に四季を感じ愛でられるよう手入れされており、立ち入ることができない箇所が多くある。その中に一本、その存在感を圧倒的に示す神秘的な大木がある。龍のように幹をしならせ、うねらし空に向けて拡げるように腕を伸ばす藤の大樹。これこそが藤龍院家が先祖代々大切にしてきた御神木でありこの家の象徴。身を隠すにはもってこいの場所で、盲点でもある。その木のふもとに、恵里はうずくまっていた。
「恵里ちゃん。捜したよ。一緒に戻ろう」
息を切らせ立希が呼びかけるも、イヤ!と叫んで動かない。途方に暮れていると、誠一も追いついて声をかける。
「……恵里ちゃん。パパもママも心配してんで」
「してへんよ。……パパもママも、恵里のこといらへんねん。芙美のことばっか好きやねん」
なんとなく察しがついた。下の子が生まれた後によくあるという、赤ちゃん返り。親を取られたと感じる嫉妬。今日は下の妹が主役のセレモニーで、随分と息苦しい思いをしたのだろう。
「……わかるで。でももうお姉ちゃんやないか。我慢せんと」
「あんたに何がわかるの!今やてパパもママも迎えに来いひんやん!お姉ちゃんなんてなりたくなかった!」
子供に言い返され、苛立つ誠一。立希はしゃがんで、また恵里と同じ目線になると、
「……わかるよ。私もお姉ちゃんだから。弟とか妹ができると、パパもママもそっちに関心がいっちゃって、寂しいよね。好きで先に生まれたわけじゃないのに、なんでお姉ちゃんなんだからって我慢しなくちゃいけないのかわかんないよね」
ようやく目線が合う。立希は続けて、
「でも、弟や妹が一番最初に憧れて友達になれるのは恵里ちゃんなんだよね。それって羨ましいな。私も恵里ちゃんみたいなお姉ちゃんが欲しかったなって思うよ」
「……そんな歳でも?」
「いくつになってもだよ。憧れのお姉ちゃんになれるのって、カッコよくない?」
手を差し伸べ、遠慮しがちに伸びた手を掴むと今度はぎゅっと抱きしめてやる。きっと妹ができて素直に甘える機会も減ってしまって、飢えていたのだろう。恵里の両腕は、力強く胴にしがみついた。恵里は小さく呟く。
「……あの靴は、パパもママも恵里がここにいるって気づいてくれる靴なの。恵里は歩くのがおそいから、ちゃんと付いてきてるよ、ここにいるよって知ってほしかったの」
そうだったのか。歩く度に踵が鳴る壊れた靴は、私を忘れないでという不器用なメッセージ。私は、それを見抜けずに要らぬ親切を押し付けてしまっていたのだ。
「……ごめん。恵里ちゃん。私、そうとは知らずに……」
「せやからって、いつまでこんなワガママでご両親困らすんや。靴かていつかは直さなあかんし、これからどんどん大きなって履けんくなるやろ」
射るように誠一が言い、恵里は再度体をこわばらせた。ちょっと言い過ぎじゃない、と反論しようとした矢先、誠一は恵里と目線を同じくすると、
「せやからな、もう今日はパパもママも思いっきし困らせてやろうぜ。ええこと考えたわ」
いたずら坊主のような笑顔を向けた。




