第三章 大女将のこと
託児所に順太を迎えに行くと、先生に丁度抱っこされた状態で迎えられた。しかも、教室の中に彩も居る。
「あれ、彩さん!どうしたんですか?」
「誠一が就職先にここを斡旋してくれて。見学と挨拶に来たんです。順太くん、すごくいい子でしたよ」
すっかり彩の腕が気に入ったのか、立希がおいでと言ってもなかなか来ようとはしないため、二人でそのまま彩お薦めのカフェに行くことにした。
先ほどおにぎりをたらふく食べた後だが昼食にパスタを食べ、デザートにプリンも食べる。
「彩さん、就職難なく決まってよかったですね」
「はい。藤龍に嫁ぐことが無くなりはしましたが、こうして誠一の家に義理が果たせるだけじゃなく、自分のしたかった仕事ができて幸せです。それに、すぐにでも働いて家を助けたいくて……。うちは兄が家業を継ぐのですが、正直厳しいようで、誠一が新館のお仕事を打ち切らないでくれて本当に助かりました」
そう言うと、彩は立希をじっと見つめ、その後テーブルに視線を落とした。
「……気を悪くされたらごめんなさいね。誠一が立希さんを連れて来たとき、本当にビックリしたんです。今までずっと一緒にいましたが、全くと言っていいほど異性に興味がないような人だったから……。大学でこそ離れたけど、私との婚約を破談にするために、偽の恋人を連れて来たのかなとさえ思いました。……失礼ですみません」
虚を突かれ、動揺しないようにするも顔は強張った。彩は続けて、
「でも、お子さんもいらっしゃるし、わざわざ嘘をつくために子連れの女性を京都まで連れて来ませんよね。……誠一は背負ってるものが大きくて大変で、周りに気を遣いすぎて自分を蔑ろにしてしまうんです。どうか、支えてあげてくださいね」
切実そうに声を震わせる彩に、二人の長年の歳月を思わせた。子供の頃から一緒の、数少ない、峰子氏が選んだ友達。きっと幼い頃から親友として過ごして来たのだろう。立希は紅茶を一口飲んだ後、
「……誠一のことよく分かっていらっしゃるんですね。それじゃあ、その、誠一が峰子さんの養子だってことも……」
昨日聞かされたことを思い切って尋ねてみた。あれから誠一は何も言わなくなり、気にはなっていたのだが踏み込めないでいたのだ。
「……はい。知ってます。誠一は、藤龍を継ぐ大切な跡取りとしてまだ物心つかない頃に迎えられたそうです。だから幼い頃から英才教育を受け、その期待に応えようと必死に頑張ってきました。……私も、その努力を間近で見てました」
「でも、誠一は、峰子さんは藤龍を潰して実家の西園寺に乗っ取らせるつもりだって言ってました。どういうことなんでしょうか」
彩は驚き、少しだけ逡巡し視線を伏せた後、ぽつぽつと話しだした。
「……私の篁家は峰子様のご実家である西園寺家の遠縁なので、私が知る範囲でのお話なのですが、西園寺家は大阪のそこそこ大きな商屋だったそうです。でもそれは、峰子様のお父上である先代まででした。先代には峰子様と弟君の正峰様がいらっしゃったのですが、先代は、家督を全て正峰様に譲られたんです。
峰子様は幼い頃より商才もあり聡明で、先代の事業の手伝いを卒なくこなしておいでだったのに、ただ女だからという理由で峰子様には継がせなかったんです。それどころか畑違いの旅館業を営む藤龍院家へ嫁がせた。これは、失礼ですがあまり商才がなかった正峰様が、才能もあり人望もあった峰子様に嫉妬したとか、正峰様を不憫に思った先代による当てつけだったとか噂があります。とどのつまり、その座を脅かされないよう峰子様は体よく厄介払いされたんです。
それでも峰子様は諦めず、今度は旅館の女将として頭角を現し、今では藤龍グループを旦那様に代わり統括するお立場になられた。……そしてそれとは反対に、先代が亡くなられてから西園寺の事業は傾き、今では正峰様のご子息が継いで入るものの、業績は藤龍院家とは比べ物にならないほど小さいものになってしまわれたようです」
彩は茶で喉を潤した後、続ける。
「……峰子様の生活は多忙を極め、残念ながら子宝には恵まれず、養子を迎えられました。
それが誠一。くくしも西園寺の現当主と同い歳でした。なので誠一は気にしてない素ぶりしてますが、きっと西園寺の現当主のことをライバルだと思ってるんじゃないでしょうか。なので誠一は自分が峰子様の血を継いでいないことをコンプレックスに感じ、峰子様が西園寺の家を気にかけていることを良く思っていないんだと思います」
女傑と言われた母と血は繋がっていないけれど藤龍院の跡取りである自分と、繋がってはいるが厳しい経営状態の西園寺の当主、という図。今揉めている新館の建設の他にも、過去に色々とあったことが伺える。
「だから誠一は西園寺家とはあまり関わりを持ちたくないようなんです。遠縁である私との結婚に難色を示していたのも、それが原因かと。……でも、西園寺の家も藤龍院……というか峰子様のことを恨んでると聞いたことがあります」
「……それはどうして?」
「一度、西園寺家が離散するかもしれないという未曾有の経営危機の中、正峰様は峰子様に融資を願い出たんですって。そして、峰子様も最初は何千万か用立てる筈だったのに、金額が当初の三分の一程度に減らされたらしいです。
正峰様も、聞いてた話と違う、と大喧嘩したそうだけど、峰子様もこんなんで潰れるようやったら潔く潰れてしまえ、と一蹴したとか……。弟君への積年の恨みが露呈したのか、それとも藤龍院でも何か物入りでお金を用意できなかったのか。真実はわかりませんが、結局西園寺はますます事業を縮小せざるを得なくなり、現当主が継いでから少しは回復したそうですが今もあまり芳しくないようです」
「……ちょっと待って。私、誠一から、峰子さん自身はご実家の西園寺家を援助したかったのに、藤龍院家がしなかったから峰子様は藤龍院家を恨んでる、て聞いたけど。だからこそ今、西園寺に肩入れして藤龍院家を潰す気でいる、って。もし誠一の話が正しければ、西園寺家の恨みの矛先は峰子さんじゃなくて、藤龍院の方なんじゃ」
彩は首を傾げながら、
「そんなはずはないと思います。というのも、藤龍院の決定権はその時既に峰子様が握っていたからです。当時の当主───今不在の峰子様の旦那様は、……まぁ、ああいうお方なんでこの問題にあまり関与せず、お金のこともしっかりしてる峰子様に全てお任せしていたそうですから」
誠一と彩の言い分はどちらが合っているか分からないが、複雑な人間関係が大体把握できた。要は、誠一は西園寺家に負けたくない。正式に藤龍院家の後継となり経営を担いたい。そして、───峰子にも認めてもらいたい。こういうことなのだろう。
順太が彩の席へ行きたそうに手足を伸ばした。立希さん、お仕事中はやっぱり順太くんを預けられるんですかと聞かれたので、そうです、今日は慣らし保育だったんだとだと伝える。
「……お仕事と家庭の両立は大変ですよね。ただでさえ人の子の親という大仕事を既にこなしているのに。尊敬します」
……本当は私は親ではないのだけど。という言葉は飲み込んで、適当に相槌を打つ。彩は茶を飲み順太をあやしながら、
「旅館の託児所に預けられるなら、私も力になれます。一緒に手伝わせてください。どうか、一人で背負い込まないでくださいね」
「ありがとう。彩さんにそう言ってもらえると心強いな」
スプーン片手に笑ってみせた。この京都で特に友人などできなくてもいいと思っていたが、親切にされ、優しい言葉をかけてもらえると素直に嬉しい。───たとえ、こちらの素性や真実は明かさず、騙すような状況下であったとしても。
「……ほんまに、なんでも言ってくださいね」
彩はテーブルの下の手をぎゅっと握り締めながら、立希に言った。




