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漆黒の花  作者: 保野透香
◇雨降り前の雷鳴
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第三章 種明かしの夜会(1)

 ムカ男にクレイヴン公爵邸へ強制連行されてから五日後、私はまたもやムカ男とともに馬車に揺られていた。

 あの日は心身ともに大変な疲労に見舞われていたので帰って速効で眠ったが、翌日からはこれからのことを思って少々心配だった。普通の人間は、あんな醜態を晒してしまったら多少なりともそれを意識して気まずくなるものだ。


「エレン、今日はとても楽しみだね?」

「は? 何が? て言うか名前、馴れ馴れしいって言ってるでしょう」

「今日の宴、楽しみだろう?」


 しかしこの男、普通の人間ではなかったのだ。すっかり失念していた。危ない危ない、あれぐらいで絆されていてはいけない。この男と渡り合って行くには、感傷もろもろその他は屑入れに投げ込むことが必須条件だ。忘れてはいけなかったと言うのに、失敗だった。


「んな訳ないでしょ。寝言は寝てから言ってくれる?」

「こうして綺麗なドレスを着ているとますます美しいね」

「無視するな」


 おぞましいことに、私はこれから宴に出なければならないのだ。何てことだろう、と我が身の不幸を嘆いてしまう。どこででも上手くやって見せる自信はあるが、宴をはじめとする貴族の社交場はできる限り避けたい。


 今日も前と同じようにうちへいきなりやって来ると、絶賛領地経営についてハミッシュから扱かれ中の私にムカ男は言い放った。今日はこれから宴に行くから、と。そのさまは今まで同じで、気まずさなど微塵もなかった。図太い。

 その後は私そっちのけでムカ男とハミッシュが喋りまくり、ようやく話が終わったかと思うと何故か私が宴に行くことが決定事項と化していた。私の意思確認は一切なされなかった。一応ハミッシュはうちに仕えている筈なのに、と思わず哀愁を感じてしまうほど私の意見は無視だ。


 それから、ベルに散々心配されながらもの凄い速さで宴に行く準備を整えた。ベルには五日前のことが結局ばれてしまい、かなりご立腹だったのだ。ぷんぷんと言う擬音が聞こえてきそうなそれはまあ可愛らしい怒り方だったが、今日までそれは尾を引いている。おかげで宥めるのが大変だった。それもこれも全部あの男のせいだ。非常にムカつく。


「何で宴? 何の説明もされずに、というかどこの主催の宴かも知らされずに連れていかれるの? あり得ないから」

「ああ、確かに言ってなかったね。これから行くのはストレイス侯爵家主催の夜会だよ」

「叔父さまの……? ああ、そう言えば招待状が来てた気がする。でもそれ、招待されたのはクレイヴン公爵でしょう?」


 叔父はムカ男のことを嫌っている。真っ当な人間ならムカ男の所業に眉をひそめずにはいられないと思うので、それは問題ない。叔父は父さまに良く似た正義感に溢れた性格をしているのだから当然だ。だが、そんな叔父がムカ男を宴に招待するなどあり得ない。


「その通り、僕は代理だよ。それにしても、招待状が来ていたのにすっぽかす気だったのかい?」

「叔父さまも私が来るとは思っておられないからいいの。元から私がこう言うの嫌いだって知ってらっしゃるし、領地のことで忙しいのも理解して下さってるから招待状もほとんど形だけ。母も姉も、叔父さま主催の宴なんて死んでも出席しないしね」


 あっさりと告げる私に、ムカ男は嘆かわしいとでも言いたげな顔をした。本心ではないだろう。単なる嫌味だ。


「折角の叔父上の招待だ。是非、受けないと」

「何言ってんの。強引に連れて来ないと宴になんか私は行かないって分かっていたから、わざわざ迎えに来たんでしょう」


 馬鹿馬鹿しいと首を振る。嫌味に付き合うなど不毛だ。


「それだけでもないよ」

「じゃあ、何?」

「エレンが言ったんだろう。捜査の続きに呼ぶように、と」

「捜査? 何故、叔父さまの宴で……?」


 名前を呼ばれたこともそのままに呟いていた。叔父は結婚話とやけに私を褒めるのが玉に瑕であるだけで、その他のことに関しては公明正大な方だ。それがどうして捜査に関係するのか分からなかった。


「それは追い追い分かるよ」

「ちょ、今話して」

「無理だよ。もう着いたから」


 ムカ男の言葉に馬車の外を見ると、何年かぶりに訪れたストレイス侯爵家王都別邸が間近に迫っていた。夜会に出席するためにやって来た人々で正面玄関が賑わっている様子が分かる。悠長に話している暇は確かになさそうだ。


 馬車が正面玄関に寄り、扉が開くとムカ男は颯爽と地に降り立ち私へ手を差し出した。にこやかにほほ笑んでその手を取る。そのままムカ男と腕を組み歩き出した。あくまで恋人らしく見えるように。

 こちらをうかがうような視線と低い声でなされる噂話は、決して愉快とは言えない。しかし、これぐらいで怯んでいてはこれから先の夜会を乗り切れないだろう。背筋を伸ばし、ムカ男と笑いあう。


 トレンス庭園に行った翌日のバレンバーグ日報では、エルバート・クレイヴンがついに本命を決めたのかと大々的に報じられていた。そこでは手のひらを返したようにエーミス家を褒めちぎる文が並んでおり、微妙な気分になりつつもほっとしている。それを壊すようなことだけは避けなければならない。


「エレンお嬢様、お久しぶりです」

「あら、ルパート」


 正面玄関から大広間へと足を進めていると、ルパートから声を掛けられた。どうやらルパートも今日の宴に招かれていたらしい。普段よりも畏まっているのはお互い様だ。この場ではいくら今勢いのある商家と言えども、敬語を使いへりくだった方がいい。


「しばらくは事後処理で大変だと思っていましたが、このような席でお会いできるとは。お元気そうで安心しました」

「そうでもありませんわ。ただ、今日はハミッシュが送り出してくれましたの」


 訳。無理やり叩き出されたの、あー本当に嫌だったのに。ルパートは私の言いたいことを察したらしく、僅かに苦笑した。


「彼はエインズワース商会の?」

「ええ、そうですわ。うちとも取引があって、親しくさせて貰っていますの」


 ムカ男の問いに淑やかにうなずいた。


「エーミス家の領地、ランプリング地方の特産は綿や絹をはじめとした布と、ルーベンス湖の澄んだ水を利用した布の染織と織物ですので。特にベリル織りは大陸一との評判です。洋服の類を扱う商家では誰もがベリル織りに目を付けると思いますから、うちもご多分にもれずと言うところですね」


 ルパートとの個人的な付き合いとは、つまり商談だ。ハミッシュとともに、一ネラスでも高くうちの布類を売りつけようとしている内に親しくなった。商売が絡んでいるだけに友人とは呼べないが、仲の良い方ではある。


「ベリル織りか。確かに、あれは素晴らしいからね」

「うちはお針子の育成にも力を入れていますので、特に評判が良いんですの。ありがたいことですわ」

「エレンお嬢様とクレイヴン様は仲が良さそうでうらやましい限りです。噂ではお二人は恋人同士でいらっしゃると聞きましたが」

「ああ、エレンは僕の特別な人なんだ」


 ルパートは探るように私を見て、口だけを動かした。恋人の振りをしているの、と読める。私は黙って頷いた。

 再びルパートは口を動かし、納得したと私に伝えた。ルパートにとってはさぞかし不思議な噂だっただろう。私がこんな男に誘惑されて、たちまちのぼせ上がるような娘でないことは良く知っている。


「なら、僕はお邪魔ですね。無粋と言われる前に退散しましょう」


 水面下のやり取りをおくびにも出さずルパートは言うと、さっと離れて行った。まだまだ挨拶しなければならない人がいるのだろう。跡取り息子は大変だ。


「ストレイス侯爵に挨拶したいな。紹介してくれるかい?」

「ええ、勿論ですわ」


 大広間への到着とともにムカ男からそう言われ、視線で叔父を探す。ほどなくして当主然として客人たちに挨拶する叔父を発見した。


「ストレイス侯爵はとてもエレンを可愛がっているとの噂だから、しっかり挨拶しておかないと」

「ええ、叔父さまはいつも私やエーミス家のことを気に掛けて下さっていますもの」


 ムカ男の艶を含んだ甘い笑顔を見つめ返し、叔父の元へと近付く。


「叔父さま、先日は姉の誕生祝いに来て頂き感謝していますわ。それと、あの騒動に巻き込んでしまって本当に申し訳ありませんでした」

「ああ、エレン。来ていたのか。そして彼は……」

「叔父さまも当然ご存じでしょうけれど、改めて紹介しますわ。エルバート・クレイヴン様です」


 もの言いたげな叔父を遮り告げる。叔父にはきちんと恋人同士であることを公衆の面前で報告しなければならない。


「エルバート・クレイヴンです。父から折角の招待に行けなくて申し訳ない、不肖の息子で勘弁して欲しいとの伝言を預かっています」

「いや、それは構いませんが……」

「それと、エレン嬢と結婚を前提にしたお付き合いをしています」


 その瞬間、叔父は目を見開いた。発言者であるムカ男を無視して私を凝視するが、無言を保つ。この場では何も言えない。


「このことについて、少しお話したいことがあるのです。お時間は取れますか?」

「少し待って下さい」

「それと、できるなら貴殿の第二子息と――ルパート・エインズワースも同席して貰いたいのですが」


 反射的にムカ男の方を向きそうになって、辛うじてこらえた。

 ムカ男が仕掛けたのだ、これは。何かが始まったのを瞬間的に察する。頭を今までの人生で一番と言えるほど働かせるが、一向に答えは見つからない。

 謎めいた微笑を浮かべるムカ男に挑むように、真っ向から叔父はその視線を受け止める。やがて、ゆっくりとうなずいた。

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