イカリクルウ
「あら、お帰りなさい。香織さん、菩提さん」
「ああ、ただいま。一旦昼休憩にしよう。雅もそれが済んだら家に戻ってくれ」
「香織さん? 何かあったの?」
「え? ううん、何でもないよ。凛ちゃん」
「そ、そう? なら良いんだけれど」
私は二人のやり取りを背中に聞きながら、家に入った。すると、ドアを閉じるなり二階から甲高い音が降ってくる。
「あ〜、もう! これで五枚目だあ〜」
「お〜い! 昼休憩にするぞ、二人とも下に降りて来なさい」
私が声を掛けると足音が一揃いになって、階段を下って来た。
「ムス姉。帰ってたんだナ! 陽夏は一枚たりとも皿を割ったりしなかったぞー。凄いだろー」
「陽夏は演技が下手だな。と言うより演技以前の問題だが。さて、陽夏が五枚と。透はどうだった?」
「は、はい。私は二つ程壊してしまいました。ごめんなさい」
「構わない。命じたのは私だからな。さて、昼食にしよう」
私はキッチンに向かい、適当に切った野菜と塩漬け肉を牛乳で煮た。そして、朝に作ったパンを食卓に並べる。準備をしている内に外にいた雅達も家に戻って来る。
「さて、言ったとおり私と香織で、人狼の集落の偵察に行って来た。見たところ異常はなさそうだったので、早速明日にも討伐に向かう」
「お、やっとだナ。腕がなるぞ」
「……作戦はあるのか?」
食事を摂りながら私は偵察の結果を報告する。陽夏が両肩をそびやかしながら鼻を鳴らした。一方で雅は冷静にその黒瞳で私を射た。
「うむ、と言っても単純なものだ。私、雅、香織、凛、透で人狼の注意を引き、陽夏には破封烈印の上位スキルで彼等の住む小屋を爆弾に変えてもらう。その後起爆し、一掃する」
傍らで香織が息を呑む気配がした。私はやはり一瞥もくれずに話を続ける。
「決行は早朝だ。本来なら夜襲を掛けるところだが、作戦が大味なだけに辺りが暗いと事故のリスクを無視できない。空が明るみ始めた頃に仕掛ける」
「ふ、アタクシ達の初戦には相応しいシチュエーション、と言うわけね」
「……ねえ、凛ちゃん。凛ちゃんも人狼とは話し合えないと思う?」
堪えきれないと言った様に香織は切り出した。陽夏が眉を寄せ、凛が困惑の表情を浮かべる。
「香織さん。相手は幻獣なのよ? 確か、貴女の親代わりだったと言う方も、幻獣に……」
「でも、その人が最後に私に言ったの。優しい人になりなさいって。だから、私は……」
「菩提。人狼戦には香織は外したらどうだ? 初戦から人型の相手と言うのも酷だろう」
雅は目を細めると、私の耳元で囁いた。私は少し逡巡し、首を横に振る。
「いや、参加させる……香織、誰かにとっての優しさは、誰かにとっての非情だ。その理を覆せる程、君は強くない。かと言ってニーベスベルグを腐らせるつもりもない。人狼を殺せとは言わない。ただ、私達を、人類を守る為に戦え」
凛は気遣わしげに香織を見やった。陽夏、透、雅も、それぞれの想いを込めて香織に視線を注いでいる。
「少し、考えさせて下さい」
「分かった。ただし、今夜はしっかり眠る事。それと、君が参加しない場合、人狼討伐は見送る。くれぐれも助かったなどと思わない事だ。この作戦にどれだけの人々の希望が詰まっているのか、それを忘れるな」
私の言葉に雅だけが固く頷いた。
「昼食を食べ終えたら、自由時間だ。明日の戦いに向けてしっかりと体を休める事。明日は準備や移動も含めて深夜に起きることになるからそれを計算して寝る様に。私は今から自室で寝る、用があれば起こしてくれて構わない。それでは、おやすみ」
その後、宣言通りに私は自室で横になり、あっという間に夜が来た。窓を覗いて月の位置を確かめ、いつの間にか私の隣で寝息を立てていた雅を揺すり起こす。
二人で一階に降りると既に透と陽夏がダイニングで待機していた。
「おはよう二人とも。凛と香織はまだか?」
「おう、二人はまだだナ」
「桑原さん。大丈夫でしょうか?」
透が心配そうに板張りの天井を見上げる。
「分からん。ただ確かなのは、人狼すら倒せないのでは召喚士を倒せる訳が無い」
すると雅が厳しい声で淡々と返した。
ダイニングを照らす燭台の火がグラリと揺れた。人影の輪郭が崩れて、すぐに元に戻る。私達は夜食を作り、食べ終える程の時間を待った。陽夏は苦い顔をし、透と雅も少なからず表情に落胆を滲ませている。
このまま時間を無駄にするくらいなら休んだ方がマシかも知れない。そう思って私が口を開き掛けた時、ギシッギシッと言う床の軋む音が頭上から聞こえて来た。
「香織!」
最初に声を上げたのは陽夏だった。
「皆んな、お待たせしてしまってごめんなさい。やっぱりまだ話し合いを諦めた訳じゃ無いけど、でも人型で言葉が通じるからって分かり合えると思ったのは安直過ぎたかも知れないと、思って……だから、ムス姉の言う通り、まずはやるべき事をやるよ」
「勿論、アタクシも」
「二階堂、桑原。こちらからもよろしく頼む。菩提、行こう」
「うむ」
私は短く頷いて、松明を持ち五人と共に再び人狼の集落へ向かった。
月はかなり沈んでいた。灰色の境界線が空を侵し始めている。それでも集落に着いた時の辺りの明るさは理想的だった。体の輪郭で人狼と人間を見分けられる程度の暗がり。私達は音を殺し、それぞれの幻器と同化する。
香織は空色の羽毛を編み合わせたケープ。
透と陽夏は、深緑と黒に近い赤で色違いのぴっちりとしたスーツに身を纏う。
凛は豊満な肢体が溢れんばかりの、ゆったりしたキャミソールを着ていた。
上位スキルの都合上、仕方ないとは言え。可哀想になるほど薄手の戦闘装束だった。
「総員……攻撃、開始」
微かな光源を頼りに、全員が変身を終えた事を確認し、静かに指示を飛ばす。
すると、それぞれが武器を構えて底地に飛び降りた。
既に起きだしている人狼を透の弾丸が襲う。標的は九頭だったにも関わらず、破裂音が一つに重なって聞こえる程の速射だった。
見張り番が高らかに遠吠えを上げる。数十とある小屋から続々と人狼達が現れ、それと同時に陽夏が闇に溶け込んだ。作戦通り、上位スキル爆裂のシールを小屋に貼りに行ったのだ。
「透は雅と、凛は香織と固まれ。仲間と敵を見間違わない様に気を付けろ」
危機を認識した人狼の群れは、波濤の様に不規則なリズムで私達を攻め立てた。
私は斧を振り回して、人狼を切り刻み、雅は旗で殴る。
香織もまた拳で殴り飛ばし、凛はカマイタチを飛ばす。しかし、中でも目を瞠る活躍をしたのは透だった。
持ち前の空間認識能力で精密に人狼を打ち抜き、異常な勢いで死体の山を積んでいく。事、多数を相手にする場合、透自身の能力と強撃のアスラ・布石のタストラとの相性はこれ以上ないほど噛み合っている様だ。
私は、左側から飛び込んできた人狼を蹴り、私の白髪を掴もうとした人狼を手斧で斬り散らす。すると、むせ返る様な血煙の奥から、塊となって人狼が飛びかかって来た。私は瞬時に分身を作り出し、その肩を足掛かりに上空へと跳ね上がって手斧を眼下に投げ付ける。
その時、集落のハズレで爆発が起きた。その爆発は陽夏の下位スキルによるものだ。準備が終われば、そうして合図を出す様に伝えてあった。私は人狼の塊を踏み付け、集落の中心を駆け抜けた。敵の注意を一手に引き受ける。
「獅子独楽、寄越せ」
私は短く呟いた。身に纏う装束の装飾が派手になったが、変化はそれだけではない。同化する事で身体能力が更に向上し、上位スキルが解放される。
目を血走らせた人狼達が私一人に殺到するが、その爪牙が届く寸前に私はその場を去った。スキルの力で、最初に集落を見下ろしていた窪地の縁に飛んだのだ。手短に点呼を取り、全員の無事を確かめてから、私は単調に命じる。
「皆んな、木の影に隠れろ」
それぞれが木の幹に背中を押し付けて衝撃に備えた。
「陽夏、頼む」
私の声のすぐ後を追って、遠雷のような轟音が爆ぜた。早朝の静寂と冷気で張り詰めた空気がひび割れる。大地を揺るがす衝撃は私の腹の中を無邪気に弄んだ。
これまで、にわかに気色だっていた人狼達の気配は不気味な沈黙だけを残して、ふつりと消えた。
私と雅が最初に進み出て、変わり果てた集落を俯瞰する。
「特殊な状況下で、ポテンシャルをほぼ全て引き出せたとは言え、想像を絶する威力だな」
「ああ」
雅は私の言葉を呆然と肯定した。あちらこちらから立ち上る砂煙の奥に広がるのは、現代では見慣れた滅びそのもの。散乱した肉と、骨と、血痕。家屋は一つ残らず倒壊し、瓦礫が堆積している。
「ヒーちゃん!」
透が叫んだ。私と雅が振り返ると陽夏がすぐ背後にいた。ヨロヨロと進み、私達が見たのと同じ物をその視界に映す。
「……フフ、ハハハ。いいザマだナぁ! アッハッハ、ヒー、アッハッハ」
そして、陽夏は狂った様に笑い始めた。雅が嫌悪感で顔を顰める。すると、透が木立から陽夏に駆け寄り、小刻みに揺れる肩に手を置いた。
「ヒーちゃん。やめよう? いくら幻獣が相手でも、笑ったりなんて……」
「なんでだ透? 幻獣達は笑ったぞ。何も食べられなくて、苦しくて、痛くて死にそうな陽夏達を見て、奴らは笑ってた。だったら陽夏も笑ってやる。幻獣を一匹残らずぶち殺して、死体の山を笑ってやるんだ。アッハッハ、ヒヒ、アッハッハ」
陽夏の言葉に私達は反論を持たなかった。その代わりに、陽夏の気が済むまで続けられた狂笑を、ただ聞き続けた。




