香織の悩み
その後初めての戦闘を終え、家に戻っても尚、重い空気が私達の間に澱んでいた。
陽夏ですらひとしきり笑った後は、口を固く引き結んでいた。太陽は既に直上まで登っているが、起きるのが早かったのもあり家に入ると途端に疲労と眠気が襲いかかって来た。
ひとまずそれぞれの自室で一時間ほど昼寝をとって、昨日までと同じく香織と凛には部屋の掃除を。透と陽夏には水汲みをしてもらう事にした。
「私達は何をするんだ? 菩提」
「……獅子独楽の瞬間移動が、後二回分残っている。それを使って次の幻獣の様子を見に行く」
「なるほど、それで同化を解いていなかったのか。しかし、急ぎ過ぎじゃ無いのか?」
「今回は最後に大物を狙うのでな、回復の時間も考慮して、次の幻獣は明後日にも討伐したい」
私は雅の肩に手を触れ、再び瞬間移動した。家の周りを囲んでいるのが背の高いモミの木だったのに対して、今私達を取り囲んでいるのは沼だった。足がぬかるみに沈む。
「いきなり跳んだのか。それにしても随分元いた場所と様相が違うな、どこまで来たんだ?」
「百キロほど内陸に進んだ辺りだな。この辺りは人の手が加わっていないので、少々歩き難い。洗濯が大変だからコケるなよ」
「誰にモノを言ってる……で、今回の相手はどんな幻獣だ?」
「バジリスクと言う。黎明の時代に一度戦ったとデータが残っていたが、君は覚えているか?」
私が首を傾げると、雅は穿がそうした様に寂しそうに表情を曇らせる。
「覚えてる……私と菩提が黎明に加わって、最初に戦った幻獣だ」
「……そうか、悪いな。忘れてしまっていて。さて、昔話はこれぐらいにして偵察に向かおう」
「ああ」
私は雅を伴い、目的地に足を向ける。湿地はやはり歩き辛く、陽も差し込まないので肌寒い。しかし、景色は開けていたので道に迷う心配は無かった。
「菩提、もしかして今向かっているのは……」
私は無言で頷いた。私達の足の向かう先には、見上げる程の山が聳え立ち、足元には大きな洞窟が口を開いている。
「この奥か?」
洞窟の入り口に辿り着くと、乾いた地面に靴底の泥を擦り付け、再び歩き出す。
「うむ、もうしばらく歩くぞ」
洞窟はクネクネと蛇行し幾つもの道に分かれていた。私は現代から持って来ていた小型の懐中電灯で行く先を照らす。迷わずにルートを辿っていくと、やがて出口が見えて来た。
道を出ると、そこには大きな空間が広がっていた。岩壁の上の方が大きく抉れて、縦穴から日光が注ぎ込んでいる。そのおかげか、この空間だけは緑に溢れており、中央には鶏の体と蛇の尾を持つ幻獣が鎮座していた。
「バジリスクは厄介な敵だったな。鶏の目は視界に収めた物を全て石化させ、尾の蛇の牙は致死性の毒を流し込んでくる」
「うむ、だがあくまでも個人個人の能力であれば払暁は黎明の面々を超えている。順当に戦えば苦労せず倒せる相手のはずだ」
私は人狼の時と同じ様に双眼鏡を取り出して、異常が無いかを確認した。
「雅、君も何か気付いたことがあったら教えてくれ」
双眼鏡を私から受け取り、雅はその空間内をくまなく見回した。
「ああ。そう言えば、こんなデカい図体でどうやって洞窟の奥までやって来たんだ?」
「ふむ、確か小さい頃に洞窟へ入り中で成長して出られなくなったと聞いた事がある」
「間抜けな話だな」
雅は呆れたのか、短く息を吐いた。そして双眼鏡を持つ手を下ろす。
「よし、そろそろ戻るか」
私は再び雅の肩に手を触れ、瞬間移動を使って家に戻った。
「わ! いきなり現れるナよ!」
見慣れた森の中に戻って来ると陽夏の悲鳴が響き渡った。後からバケツを携えた透が追いついて来る。
「ふー、ふー、ヒーちゃん、待ってよお」
「皆んな、一旦これからの予定を話す。家に入ってくれ」
透と陽夏は樽に水を注ぎ込み、私の後を追ってドアを潜った。
「あら、菩提さん。皆んなも帰って来たのね」
「うむ、これからの予定を話す。香織は何処だ?」
「香織さんなら二階にいるわ。呼んでくるわね」
私達はダイニングで腰を下ろして凛が香織を連れて来るのを待った。二人が降りて来るまで、さほど時間は掛からず、早速私は話を切り出す。
「さて、まずは凛、香織。何か壊した物はあるか?」
「アタクシは一枚、お皿を割ってしまったわ。だけど、香織さんは……」
「アタシは何も壊さなかったよ、ムス姉」
「ナにぃ? 本当かぁ?」
陽夏は胡乱げに香織を見つめた。
「ちょっと! 香織さんが嘘をつく訳ないでしょ? 証人はこのアタクシよ」
「知らナいのか? 容疑者の家族や恋人は証人として認められナいんだぞ!」
「え、恋人……アタクシと、香織さんが……?」
陽夏に切り返されて凛は反論するどころか頬を赤らめた。
「凛は本当に香織が好きなんだナぁ」
「ふあ!?」
凛が素っ頓狂な声を上げる。
今更、何だこの反応は? 周知の事実だろうに。私は呆れつつ成り行きを見守った。
「きっと凛はあれだナ。ショタコンって奴」
「ちょ、ちょっとヒーちゃん!」
「い、言わせておけばぁ」
二人の語気は徐々にヒートアップしていき、透と雅が私に目配せする。言わんとする事は察したが、今は止めるべきでは無いと思った。今朝からの重い空気を解消できるかも知れない。
「ねぇ、透ちゃん。ショタコンって何?」
「え? え〜と、ショタコンと言うのは発育途中の小児男児が病的に好きな人の事、かな?」
「流森さん?」
「ヒェ、ごめんなさい!」
「小児男児……女児ですら無い……私やっぱり女の子っぽく無いんだ……」
「ち、違うわ!? 今のは國領さんと流森さんが勝手に言っただけで」
香織は左手で胸を抑え、右手で襟足を弄ぶ様な仕草をした。
「だってアタシ、髪短いし。胸も全然膨らまないし」
「ちょっと、あなたのせいよ。何とかしなさいよ、國領さん」
「ナ、ナんで陽夏だけ……あ、ほら香織あんまり気を落とす事ないぞ! ほら、ムス姉を見ろ。お前の仲間だ!」
「ブフッ! お、おい國領」
陽夏が私を指差し、雅が吹き出した。雅は今夜、床で寝て貰おう。
「香織は胸が小さいのを気にしているのか?」
「え? い、いやアタシはただ女の子っぽく」
「気にすることは無い。男の中には少なからず小さな胸を好む者も存在する。思えばハンスもそうだった」
「「「「ハハハ、ハンスさん!?」」」」
雅と私を除いた四人が声を揃えた。
「そう、あれはハンスが五十三歳の誕生日の時だったか。私にこう言ったんだ。"チーズやワインは歳をとる程旨くなるが、おっぱいは幼い方がいいなあ"と」
「「「「ハハハ、ハンスさん!?」」」」
「だから、香織も気にするな。君の胸はボジョレーヌーボーよりも価値がある」
「あ、ありがとうございます?」
香織は戸惑いながらも控えめに会釈した。
「絶対、適当言ってるナ」
「うぅ、私の中のハンスさん像がどんどん毛深くなってゆく……」




