優しさと信念
雅は比較的酔いが回っていない様に見えたが、透と陽夏に絡まれた途端、顔が赤くなった。そして、それを誤魔化す様にコップに残ったビールを一口で呷る。
「ねえねえ、香織さん? アタクシ達、同じ部屋なんですって、今晩は期待しちゃっても良いのかしらぁん?」
「凛ちゃん任せて! 私の十八番で気付く間もなく寝かしつけてあげちゃうんだからぁ!」
「まあ、楽しみ!」
香織と凛も三人ほどでは無いが、頬が紅潮し素っ頓狂な会話を延々と繰り広げていた。どうやら、私以外の全員が酒に弱いらしい。明日は早起きして近くの村で牛乳を調達しておいた方が良さそうだ。
悪酔いして大騒ぎしていた五人を何とか寝床に就かせ、三時間だけ寝ると私は雅を起こさない様に身を起こした。よろい戸を開けて外を見るが、まだまだ真っ暗だ。
私は家を出て松明と財布だけ持ち最寄の村に向かう。懐中電灯とは比較にならない位、松明の光は頼りなかったが私は迷わずに足を進めた。当然だ。何千回、下手をすれば何万回と歩いた道なのだから。
小一時間歩き、村に辿り着くと既に仕事に手をつけ始めた村民達から牛乳と卵を譲ってもらう。
その後、人目の付かない場所で獅子独楽と同化し、瞬間移動した。私の瞬間移動は私自身か分身体が触れていれば自分の体重のプラスマイナス五十キロまでの物体は持っていける。
牛乳はともかく卵を割らない様に運ぶのは骨が折れるから、少し狡い気もするが幻器に頼ることにした。
私はこっそりと家に入り、朝食の支度を始める。作業に没頭し、ふとキッチンの窓から外を見ると空が白み始めてきていた。
「うう、おはようございますぅ……」
「うげぇ、菩提さん。何か飲むものは無い? ビール以外で」
「さっき、牛乳を仕入れて来た。悪いが自分達で加熱して飲んでくれ」
私はオーブンに休ませていたパン生地を入れながら、起きて来た透と凛に返事した。二日酔いで青白い顔をした二人の横顔を盗み見る。
「香織と陽夏はまだ寝てるのか?」
「はいぃ、ヒーちゃん、今動いたら吐きそうって」
「ウチの香織さんもよ。可哀想に……」
「そうか、なら牛乳を飲んだら二人と、ついでに雅も起こして来てくれ」
「ちょっと菩提さん。話聞いてたの?」
凛が怪訝気に目を細めて私を睨む。
「うむ、聞いていたとも。二日酔い程度の体調不良なら、幻器の変身の際の修復作用で回復出来るから、教えてあげなさい」
それを聞きながら二人は加熱した牛乳を片手鍋からマグに移し、有り難そうに口をつけた。
さらに、日は昇り私が食卓にパンや干し肉を加えたスープなどを並べていると、凛や透が残りの三人を連れて現れた。
「全員、食事しながら聞いてくれ。まず本日の予定だが、私と香織で討伐予定の幻獣の偵察に行く。雅と凛は水汲み。陽夏と透は家の中の清掃を頼む。それと、食べ終えたら体温を測って、これに記入しておいてくれ」
私はそう言いながら最低限、体裁を整えた表を掲げて五人に見せた。
「体温? そんなん測って何になるんだ?」
「体調の管理と、代謝のリズムを見る事、それと、体温の推移を記録しておけば現代に帰った際の検疫で役にたつ」
中世で流行っていた感染症や風土病などを持ち帰らない様、現代に帰れば真っ先に検疫を受ける事になる。タイムマシンが病院に設置されているのは検疫と怪我の処置などを同時に施す為だった。
「体温は昼と晩も測って事細かに記録する事。それと透、陽夏、部屋を掃除する際は幻器で変身した状態で行う事、家具や食器なんかを破損すれば、それも記録して後で私に提出するように。それに応じて罰を与えるから気をつけなさい」
「ええ〜、壊されたく無いんなら。普通に掃除させてくれよナ〜」
「我慢しろ、これも修行の一環だ」
陽夏はため息をついたが、私は構わずにスープを啜った。
朝食と数分の食休みを済ませると、それぞれが行動を始めた。私は香織を伴い、家に沿って流れるアムステル川の支流をさらに降った。
川は少しずつ浅くなり、水底が見える程になると再び林が行く手を遮る。
ドルイドの一族が幻獣の保護の為に植林した、人工林だ。その林に踏み込み更に奥へと進む。
「あの、幻獣の偵察ってどこまで行くんですか?」
「もうしばらくだ」
「あの、戦おうとしてるのは、どんな幻獣なんですか?」
「人狼という種だ。簡単に言えば二足歩行で人の知能を得た狼だな。簡単な文化を形成しており、小屋を建て、集落を築いている」
私が人狼の詳細について話すと香織の足取りが心なしか重くなった。
「どうした、香織?」
「い、いえ。何でもありません」
私は背後を振り返ったが、香織は歯切れ悪く首を横に振った。
更に林を進んでいくと、突然地面が窪み、その底に人狼の集落があった。簡単な掘建て小屋が三十件ほど散然と建てられ二百体近い人狼が思い思いに過ごしている。
「ふむ、破封烈印を使えば一網打尽に出来そうだな。見たところ特別な個体や、他の幻獣も居ない。これなら襲撃出来そうだ……香織、君は何か気付いた事でもあるか?」
聞きながら私は双眼鏡を香織に手渡した。しかし、香織はそれを覗くでもなく俯いた。
「……戦わなきゃ駄目なんでしょうか?」
「何が言いたい?」
「だって、家を建てて皆んなで仲良く暮らしてるのに、それを襲うなんて。会話が可能なら、もしかしたら戦わずに済むんじゃ無いでしょうか?」
香織は双眼鏡を私に突き返して、キッとまなじりを吊り上げた。
「幻獣による最初の襲撃時、人狼も参加していたと記録が残っているが、命乞いをして生き残ったと言う類の人間は一人として居なかった」
「……」
「一つ聞きたいのだが、君はどうしたいんだ」
黙り込んでしまった香織の肩に私は軽く手を触れた。
「それは……ただ私はみんなが平和に暮らせるようにしたいんです」
香織の茶色い瞳が揺れた。私は嘆息を吐き、返すべき言葉を慎重にまとめる。
「みんな平和にか。そのみんなと言うのには幻獣も含まれているんだな?」
「はい。少なくとも人の言葉を理解できる幻獣となら、共存だって出来るかもしれない」
私は双眼鏡をしまい、香織に移動する様に促して再び林の中へとって返した。
「実は、昨晩は敢えて話さなかったが、私には一人の息子がいたんだ。ルークと言った」
「え?」
しばらく無言で移動して、人狼の集落から十分距離を取った所で、私は話を再開した。
「私よりはどちらかと言えばハンスによく似た元気な子だった。しかし、病気をしてな、七つの時に死んだよ」
「そんな……」
「こちらの時代じゃよくある話だよ。肺炎だった」
「肺炎……でも、それって」
香織は首を傾げた。
「ああ、現代であれば比較的簡単に完治できる病だ。もしかすればタイムマシンであの子、ルークを、現代の医者に見せてやれば助かったかもしれない。でも、私はそれをしなかった」
私は香織の言わんとする事を引き継いで俯いた。
「どうして、ですか?」
「理由は二つだ。一つは過去の人間を未来に送ることで現代にどんな影響が起こるか未知数だったから。一つはタイムマシンの私的利用が危険だと思ったからだ」
「……」
「タイムマシンは夢の発明だ。あらゆる人の願いや欲望を満たしてくれるだろう。しかし、だからこそ何人も、それを私的な欲のためには使わない。人智を超えた技術を欲望に任せて使えば、それは召喚士となんら変わらないんだ」
幻器を扱うものも同じ、私利私欲の為に使って仕舞えば、私達は召喚士を否定出来なくなってしまう。そうなれば対策委員は瞬く間に瓦解するだろう。
「何が言いたいのか、よく分かりません」
香織は胸の前で手をぐっと握って短く呟いた。
「つまり、誰もが叶えたい夢、欲している何かを、グッと堪えて戦っている、という事だよ。生きていれば迷うのは当然の事だ。……しかしな。もし、香織の場当たり的な同情心で、そういう者達の積み重ねてきた戦いを、努力を、魂を、無に帰したのなら。その時、私は君を許さない。絶対に」
「……」
「さあ、戻ろうか。今日は朝早かったから、そろそろ少し休みたい」
帰路に着く間、背後から聞こえてくる足音は、迷子の子供の様に調子が乱れていた。しかし、私が声をかける事は無かった。




