透の悪夢
「菩提さん」
「透、陽夏こっちへ来なさい」
透は表情を曇らせ、陽夏は私と目線を合わせようとしない。
私は二人を呼び寄せてさっきと同じ様に互い違いにノートを渡した。
「このノートには、私が君達を見て感じた事を記してある。陽夏、君に渡したノートは三日後に読みなさい」
三日。それが、私が透に許したタイムリミットだった。
「ムス姉。陽夏は何をされようとムス姉を仲間だと思ってる。ムス姉は陽夏達の事をどう思ってるんだ?」
「……手のかかる部下」
「やっぱり、ムス姉はムス姉だナ!」
陽夏は薄っすら笑うと一足先に部屋を出た。
「菩提さん、私は……」
「透。親友だからと言って全てを知り合う必要があると、私は思わない。だがな、君自身が話して楽になってしまいたいと思っているなら、君はもっと自分に素直になっていい」
「……あの、菩提さん。ひとつだけ聞いても良いですか?」
「何かね?」
「……いつから、ですか?」
私はその問いに一つ息をついて、穏やかに答えた。
「バジリスクと戦う前、髪を結うのを君が拒んだ時に、何となく察したよ」
「……! 菩提さん、ありがとう、ございます。時間をくれて」
私は片目を瞑り頷いた。安心したのか透は、お辞儀をすると陽夏の後を追った。
先日の一戦で、私達は積み重ねて来た強さを召喚士に示した。きっと間も無く攻撃は激しくなる筈。あの子達に残された時間は決して多く無い。
私はただ、ざわつく胸の予感を抑えて天井を見上げる。それは、純白とは言えない仄かな灰色をしていた。
「皆んな、今日はよく集まってくれたね。この後は一旦、解散」
穿は、結が隔離された部屋から透が出てくるなり、そう呼び掛けた。
五人は結と話したからか、さっきまでとは顔付きが変わっていた。
真っ先に穿がその場を離れ、雅、香織、凛が去り。陽夏もその後を追おうとした時、透が褐色の少女の裾を掴んだ。
「ん? どうしたんだ、透?」
「ヒーちゃん。ちょっと話しておきたい事があるの。この後、時間ある?」
透は顔を青くし、冷や汗をかいている。陽夏は心配そうに彼女の瞳を覗き込んだが、目に力を込め考えを悟られまいとしていた。
その後、透は陽夏を引き連れて無人の第八地区の目前まで向かった。度重なる戦闘に巻き込まれ、折角建設された巨壁は所々に穴が開き見る影もない。
「それで透、話ってなんだ?」
「うん……陽夏ちゃん。まずは、これを見て」
人気の無い景色を見回して陽夏は訝しげに切り出した。
「? これってペン公と同じ」
陽夏が腰まで垂らした亜麻色の髪をたくし上げ、うなじを晒すと、そこには放射状の痣が刻まれていた。
「そう、アラクネの寵愛の刻印。この前、同じ第八地区に居たのに、助けてもらうまで私の顔を見た事ないなんて不思議って言ってたよね?」
「ああ、住んでるエリアが違っても作業場で大体の人と顔を合わせてると思ってたからナ」
「実は、私ね。壁の建設作業には参加してなかったの。私がやってたのはもっと別の仕事」
透の瞳が揺れる。乱れそうな呼吸を必死に律して次の言葉を紡ぎ出した。
「処刑人……それが、第八地区にいた頃の私の呼び名。私は処刑人として、酒呑童子が定めたルールに反した人を幻獣に報告して、その代わりに毎日贅沢に暮らしてた。餓死しそうなヒーちゃんを助ける程度、訳ないくらいにね」
「……は?」
陽夏はあっけらかんと立ち尽くした。
「……突然言われても意味わかんないよね。順を追って説明すると、そもそも、私が病弱だったって言うのは知ってるよね?」
陽夏は神妙にコクリと頷いた。
「東京が召喚士に襲われた日も、私は病院のベッドの上だった。病院を襲ったのは蜘蛛型の幻獣、アラクネ。街も病院もメチャクチャになって廊下からは悲鳴が聞こえて来た。両親も生きてるかどうか分からない。そんな時なのに、私は不思議とドキドキした。ある日世界が一変して、常識が無くなって、嫌な事も、辛い事も無くなる。そんな日をずっと願っていたから」
「……透」
「でもね、いざアラクネが目の前に現れるとやっぱり死ぬのは怖くって、助けて、助けてって何度も叫んだ。そうしたらアラクネが話しかけて来たの」
——助けてあげようか?
「……私、断れなかった。断ったら、どんな目に遭わされるか分からない。それに、もし命だけ助かったとしても私を待ってる運命なんて碌なものじゃ無いって思ったから」
「それじゃあ、その代償として処刑人に?」
干上がってざらつく喉から無理矢理に出した。そんな風な声で、陽夏は尋ねた。
「うん、でも最初は処刑人の立場を逆手に取って捕虜の人達を一人でも多く助けようって思ってた。私の気持ちが変わったのは、ある日ルールを破った人をどうしても助けられなくてアラクネに突き出した時の事。その時、アラクネが、よくやった。これからも頼むよ。って私に言ってくれたの」
透は自嘲気味に笑った。
「!」
「私、初めてだった。褒められたり、期待されるの。スポーツなんて、てんで駄目だし、勉強はしてたけど、学校に行けないから成績だって良く無い。親にすら憐れまれるばかりで、謝られるばかりで。褒められる事も、期待される事もなかった」
「……それで、その後は?」
陽夏は抵抗を覚えつつも先を促す。
「アラクネの期待を裏切るのが怖くて、褒められたくて、皆んなを助けてあげようなんて、少しも思わなくなった。気付くと私は広場に横たわる死体を見ても何も思わなくなってた。本当の事言うとね、アラクネを裏切った癖に私はまだアラクネに感謝してるの、だって、もしこの刻印が無かったら私なんて何の価値もないから……最低だよね、私」
「何で、この話を陽夏にするんだ? パパがああなったのは怪我のせいだし、陽夏を売ったのは……ママだ」
「ずっと怖かった。幻獣を憎むヒーちゃんにこの事がバレたら、嫌われるって。だから、絶対に隠し通さなきゃって思ってた。でも、払暁の皆んなはとても真っ直ぐで、必死に隠し事をする私自身が恥ずかしくなった」
「陽夏は別に……」
「第八地区が解放される直前、見覚えのない人を見つけて、その人を問い詰めたら助ける為に潜入してるんだって教えてくれた。自分達の命を懸けて私達を助け出そうとしてる人がいる。その事を考えると、アラクネが私にくれた言葉が全部薄っぺらく感じた。そんな言葉一つの為に私は何人も殺したんだって思ったら何度も吐いた」
「それで、救助隊が来るって確信した透は、罪悪感を少しでも減らす為に、私を助けてくれたんだナ?」
透は吹っ切れた様に清々しく笑った。
「そうだよ。陽夏ちゃん……私はこんな人間。失望したでしょ?」
「透。前にも言ったよナ? 陽夏は仲間は信じる。例え透が過去に何をしていようと……」
「駄目だよ! 言ったでしょ、私はヒーちゃんを、払暁を、ううん、人類を裏切ってたの。私はヒーちゃんの敵なの!」
透は笑みを引っ込めて、掠れる声で叫んだ。
陽夏はそんな透を真っ直ぐ見据えて、一歩踏み込む。
「……なあ、透。飢えるのがどれだけ辛いか、知ってるか?」
「ううん。病院では少なくても食事が出たし、第八地区では病院で食べた事ないくらい食べ物を与えられてた」
透は頬の筋肉が強張るのを感じた。幾ら陽夏に裁かれる事を期待していても、恐怖への反射は抑えきれない。
「飢えるのがどれだけ痛いか、知ってるか?」
「ごめんね。分からないよ」
「お腹が減るとナ、凄く痛いんだ。目の前がチカチカして気も遠くなるのに、痛みも苦しみも無くならない。寝たくても、痛みで思う様に寝られない」
「……」
透はただ陽夏の次の言葉を黙って待つ。
「透。お前があの広場に突き落とした中にはもしかしたら、助けられた人がいたかもしれないんだよナ?」
「うん、そうだよ」
「透はそう言う地獄に人を叩き落とした。これから先どれだけの人を助けても、その罪は絶対消えない」
陽夏は厳粛に目を細める。
「うん、ごめんね。私……払暁を抜け——」
「でもナ! そう言う地獄から陽夏を助けてくれたのも、やっぱり透、なんだ」
「……!」
透は背を向けようとして足を止めた。
「罪が決して消えない様に、透が誰かを助けたって事実も絶対無くなったりはしない。助けられた人は、皆んな覚えてる。きっと、そう言うの全部ひっくるめて流森 透って言う一人の人間なんだ」
「陽夏ちゃん、駄目だよ。私なんかを許したら」
「なあ、覚えてるか? 透は私に言ってくれたよな。いざって時は命乞いでも何でもして生き延びなきゃ駄目だって……陽夏が今ここに立っていられるのは、その言葉のお陰なんだ。だから、今度は陽夏が透に言ってやるよ」
透は嗚咽を漏らす口を両手で塞ぐ。しかし、陽夏は気にせずに亜麻色の後頭部に手を回し、自分の額に透のそれを引き寄せた。
「あの時、助けてくれて……陽夏と出会ってくれて……どんな手を使っても、生きていてくれて……ありがとう、透」
「ヒック、わ、私……」
「もう良いんだ。陽夏は何もされてないから、透を許すか許さないかを決めるのは陽夏じゃない」
二人の少女の間を水滴が滴り落ちる。
「ヒー、ちゃん」
「もしも、皆んなが透を許さなくても、陽夏だけはずっと一緒だ。地獄だろうと、どこまでも……」
陽夏は額を離すと、透の瞳を覗き込み悪戯っぽく笑う。
「それに、ママに一言文句も言ってやりたかったし、ナ」
「うぅ、グズッ、ごめ、ん。ありがとう。ヒーぢゃん」




