プロローグ・二百
第八地区に響き渡る戦闘音は日が沈むまで鳴り止まなかった。黎明は第八地区にいた幻獣のほとんどを狩り尽くし、生きていた捕虜一万人は全て救出された。
その後、黎明の勇名は全国に轟いたが、救出作戦に直接携わった者達の顔は暗い。
そもそも、第八地区は召喚士に占領された土地の中で最も外れにあり、守備も薄かった。
それでも尚、長らく奪還に動けなかったのは、それぞれの地区に配備された圧倒的強さを持つ幻獣のせいだった。
第八地区に本来なら居たはずの幻獣、酒呑童子。
それが定期的に姿を消している事を残夜が突き止め、何とか作戦を実行に移すことが出来た。というのが第八地区解放の実態だった。
「あ、雅ちゃん。おはよう」
「おはよう、菩提」
翌朝、黎明に与えられた寮の食堂にて、結と雅の二人は穿に呼び出された。
「それで、穿さん。話って何ですか?」
「うん、まずは昨日の作戦について、ありがとう。よく戦ってくれたね」
穿は雅とよく似た凛とした相貌を、柔和に崩して二人を労った。
「それと、昨日の今日で悪いんだけど、新しい任務の話をしようと思ってね」
「新たな任務?」
雅が口を挟むと穿は一つ頷き、先を続けた。
「幻獣は強い。幻器を装備した私達でさえ、その強さに追い縋るのがやっとな程に。それに加えて現代では召喚士が相性の良い幻獣を纏めて配備している。認めたく無いけど、昨日、第八地区で作戦を成功させられたのも運の部分が大きかった」
「そ、そんな……」
穿の言葉に結は声を失った。
「今までは、ね? でも、これからは違う。研究班がタイムマシンを作ってくれたのよ」
「タイムマシン、そんな物が」
「ええ、過去に戻れば幻獣は大抵の場合、単一の種類で生活しているから、共闘される心配は無いわ。それに、召喚された幻獣を倒しても過去に戻るだけだったけど、過去に戻って幻獣を倒せば蘇る事は無いそうよ」
結と雅は揃って息を呑んだ。幻獣を永久に無力化する為には幻器に封じ込めるしか無かった。しかし、その常識は塗り替えられたのだ。
「凄い……幻獣を完璧に無力化出来るんですね! ね? 凄いよね雅ちゃん!」
「ちょっと待ってくれ姉さん。過去に戻れるのならば、そもそも召喚士が現れる前に戻って対策を打つべきじゃ無いのか?」
「ええ、確かに可能ならそれが最善よ。でも、タイムマシンも完璧じゃ無いの。戻れるのは最短で、現代から百年前まで。もしも百年以内に戻っても、タイムマシンがエラーを吐いて、最悪、肉体が消えてしまうそうよ」
それを聞いて雅は胡乱げに片眉を上げた。
「まあ、そう言う反応になるわよね。……それで、さっき言った任務の話だけど。黎明の中から一人だけ、過去に戻ってもらう事になったの」
「ええ!? たった一人でですか?」
結は躊躇いがちに聞き返した。
「うん」
「要はタイムマシンが正常に機能するか確かめる為の、実験台という訳か」
「言葉を選ばずに言うと、そうね。後、任務の期間はタイムマシンの稼働限界である半年間になる予定よ」
穿の返答に、張り詰めた空気が少し緩んだ。
「でも、タイムマシンで過去に戻った場合、過去では現代の四百倍の速さで時間が流れる。肉体は半年分しか老いないけど、精神的には二百年間を過ごす事になるわ」
「「二百年!?」」
二人の少女は声を揃えた。
「うん。その間、幻獣についての情報を集めて欲しいの。戦いをより有利に進める為に」
「しかし、どうして菩提か私のうちのどっちかが任務に就かないといけないんだ? 幻器使いは他にも居るのに」
「そう、なんだけどね。幾ら肉体が老いなくても、折角、二百年の経験値を持ち帰れるのに、戻ってすぐに戦えなくなるのは勿体無いから出来るだけ若い二人にって話になったのよ」
穿は申し訳無さそうに眉を下げた。幻器は使用者を選ぶ。使い手は満十六歳未満でないといけない。黎明で最も若いのは結であり、その次に若いのが雅だったが、結ですら来月には十五歳の誕生日を迎える。
「ここまでの説明を踏まえて志願したい人がいれば手を挙げて」
結と雅は思わず顔を見合わせて、ほぼ同時に手を挙げた。
「雅ちゃんは強いもん。現代に残って皆んなを守ってあげて」
「逆だ。弱い結にそんな大事な任務任せられん」
「てっきり押し付け合いになるかと思ったけど、そっか」
依然として言い争いを続ける二人を見守りながら穿は暫く沈黙を保った。やがて、口論が落ち着くと穿は重々しく口を開いた。
「雅、ごめんね。私はこの任務、結に任せたい」
「な、姉さん! まさか—— 」
「姉妹だから贔屓してるって言いたいの? まあ、そう言われちゃうと耳が痛いんだけどね。ただ、性格の面にしても全く違う環境に適応出来るのは結の方かなって」
「それは、私だってやろうと思えば」
雅が穿に詰め寄った。しかし、穿は素気無く首を横に振る。
「出来るかもしれない、でも結なら多分もっと上手くやれる。一応黎明の他のメンバーに聞いてみたけど、やっぱり結の方が向いてると思うって」
雅は返す言葉が見つからず悔しそうに頭を下げた。
「雅ちゃん、私を信じて。それにあくまでも調査任務なんだから、やっぱり弱っちい私が行くべきなんだよ」
「ごめんね、結。大変な事任せちゃって。それと私は結が弱いと思った事は無いよ。でなきゃ、こんな任務、降りてきても絶対認めなかったんだから」
「ありがとうございます。穿さん」
「さて、それじゃあ急で悪いけど明後日には出発だから。結、準備しといてね。粗方必要な物はこっちで用意するけど、五百グラムまでなら好きな物持って行って良いらしいから」
「分かりました」
黙ったままの雅を横目に一瞥して、結は食堂を出ようとした。
「菩提、無茶だけはするなよ」
「うん! ありがと、雅ちゃん」
結は目一杯に破顔して頷いた。
そして、時間はあっという間に流れて出発の時が来た。結が向かうのは千三百一年の現代で言うオランダがある地方に決まった。時代考証班によって造られた衣服や小道具を身につけ、現代の品は懐に忍ばせている。
公立病院の地下に研究所が設けられており、その一室にタイムマシンは設置されていた。
無機質な白い壁を背後にして、流線型のカプセルが直立している。
結がカプセルの目の前に立つと、待ちかねていたかの様に、スライド式のドアが口を開いた。
「よいしょっと」
結は背中の荷物を背負い直し、ゴクリと喉を鳴らすとタイムマシンに入った。
「タイムマシン、起動するのである」
その部屋の天井付近に付けられたスピーカーから低い声が告げた。それと同時にタイムマシンが高い音で唸りはじめる。
「三、二、一。……タイムリープ、成功したのである」
再び開かれたカプセルの中には既に結の姿はなかった。様子を見守っていた「黎明」の面々は複雑そうな表情で一人、また一人と研究所を去っていった。
現代での半年間は間断なく召喚士の攻撃が続いた。解放された第八地区は放置され、まるで余剰の幻獣が溢れてきたかの様だった。
黎明の面々が次々に十六歳の誕生日を迎えて最終的に雅だけが戦場に残ったが、銃器による援護もあって急場は凌いでいた。
また、その水面下で持ち主を失った幻器の新たな使い手の選抜が始まる。召喚士対策委員は休む事なく活動を続けた。
そして、秋の暮れ。結が中世から帰ってくる予定日、穿と雅は例の研究室を訪れた。
ゴウン、ゴウン、と高い唸りが徐々に小さくなり、やがて音が止む。
スライド式のドアが開かれると何事も無かった様に、そこには一人の少女が立っていた。
「菩提!」
雅は思わず、少女の名前を叫んだ。
呆然とタイムマシンから歩き出てきた結の姿に、雅と穿は息を呑む。
少女の姿は変わり果てていた。
艶やかだった黒髪は輝きを失い、純白に。
ルビーの様に煌めいていた赤い瞳は窪んだ眼窩の奥で幽鬼の様に怪しく揺れている。
「あれは、本当に菩提……なのか?」
雅は誰へともなく問うた。
結は、虚ろな表情でゆっくりと視線を上げた。
「……そうか。ようやく終わったのか。不思議なものだな、遠い昔の出来事で、思い出すことすら出来なくなった筈なのに、戻ってみると、とても懐かしい」
結の頬を涙が伝う。次の瞬間、少女は膝から崩れ落ちた。
「結を検疫に、それが済んだら処置よ。早くして!」
穿は声を大にして指示を出す。結は懐かしい声を聞き届けながら意識を手放した。




