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プロローグ・一

 「いよいよ明日だ。心の準備は出来ているか? 菩提(ぼだい)


 黒髪を一筋に束ねて垂らし、武人然とした仏頂面の少女が尋ねた。


 「うぅ、全然だよう。だけど、囚われている人達はきっと酷い目に遭わされてる。どっちにしても頑張らないと」


 同じく黒髪で、緊張からか赤い眼を潤ませた少女はぎこちなく頷く。


 二人は住宅街にある、廃屋と化した戸建てから紫紺の闇に染まっていく空を見上げていた。


 周囲には似た様な家屋が立ち並び、更に遠くには空を遮るビル群が見える。

 異様なのは、ビルに巻き付く巨大な蛇と、現代的な建築物に紛れて聳え立つ長大な巨壁だった。


 「まあ、気楽にな。何かあったら私がどうにかしてやるから」


 「うん! 頼りにしてるよ雅ちゃん。ふふふ、雅ちゃんが同期で良かったなあ」


 赤い眼の少女、菩提 結(ぼだい むすび)は友人で同期でもある榎本 雅(えのもと みやび)に抱きついた。


 「雅さん、穿(うがち)さんがお呼びです」


 「姉さんが?」


 すげなく結を引っ剥がし、一言礼を伝えると雅は屋外に向かって行った。


 「うう、雅ちゃん冷たい! ウサギは寂しいと死んじゃうだから、後、私も……」


 雅は必要以上に音を殺して移動した。何故なら彼女達が居るのは、とうに敵地だったからだ。


 結は再び窓に視線を戻す。ビルに巻き付いていた巨大な蛇が、唐突に頭を掲げた。蛇の頭上を翼の生えた獅子の群れが行き過ぎる。しかし、結の顔に動揺の色は無い。


 残酷なまでに幻想的な光景が、日常の物となってから、既に二年が経っていた。




 二千五年。それらは、唐突に現れた。スーツ姿のビジネスマンが忙しなく行き交う都心のオフィス街。

 個性の無い直方体が林立するガラスの峡谷に、大きな影が落ちた。


「ん? ……何だ?」


 長いトンネルに入り込んだ様な、深い闇に気付いた一人が呟き、顔を上げた。そして、大切な資料の詰められた使い古しの鞄をその場に捨て、来た道を取って返して行く。


 目の前を歩く男の背中を、何となく眺めていた女は直ぐに異常に気付いた。男と同じ様に空を見上げる。異形の鳥群によって光が遮られた空を。


——幻獣。


 神話や伝承で語り継がれ、最早、殆どの人類に空想上の存在だと思われていた。が、それらは空想では到底あり得ない質量と息遣いで東京都を蹂躙した。


 二十三区は例外なく陥落。必死の救助も空しく、その地域に住んでいたとされる一千万人の内、七百万人が魔都に囚われた。


 政府は暫定的に最高国営機関を郊外に移し、二十三区を放棄した。

 防衛省は捕虜とされた都民を奪還する為に専門の委員を設立し、情報収集の為、魔境と化した二十三区に密偵を放つ。


 密偵は東京、ひいては日本に落ちた闇を、探り足で動く事から残夜(ざんや)と呼ばれた。


 一方で、幻獣達は規律だった行動で捕虜とした都民に労働を強いて、彼らの占拠する土地をグルリと壁で囲ませた。

 それらは、八つの地区に分類され、それぞれの地区を幻獣が主導となって運営した。


 二千六年の冬。


 残夜の報告から幻獣達の主人が判明した。


 釣鐘 彼方。十四歳。


 彼は、珍しく雪の降りしきる東京で、銀景色に溶けて消えてしまいそうなほど、白い肌をした、黒髪の少年だった。

 歳の割に発育の遅れた、あどけなさを残した少年が幻獣を巧みに操り、魔境を統べていたのだ。


 少年が無に手を翳すと突如として闇の結晶が澱み、幻獣が現れた。そんな報告書から委員は少年を“召喚士”と呼称する。


 二千七年、春。


 敵が判明しても悪夢は醒めず。魔を従え、弱きを弄び、暴虐を欲しいがままとする召喚士の打倒が叫ばれた——。




 翌日。結達は身を潜めていた廃屋を出て、住宅街を縫う様にして最寄りの巨壁に向かった。

 それは、第八地区と呼ばれる収容所の内の一つだった。残夜が集めた情報を頼りにして、結達は救出任務の途上にあった。


 「結、頼んだ」


 「了解」


 耳に嵌めた無線から凛とした声が届けられた。結に指示を飛ばしたのは、「黎明」のリーダー、榎本 穿(えのもと うがち)


獅子独楽(ししごま)……力を貸して」


 結は囁き声で口早にそう言った。すると、右手の人差し指に嵌めた指輪がキラリと光り少女の装いを一変させる。


 白銀のビスチェスカート、黒がかった紺色のシャツに、赤いタイ。そして、右手に不規則に歪んだ柄の片手斧を具現化させた。


 少女の身に一連の変化を齎した指輪には幻獣が封じられている。

 人類が幻器(げんき)と呼ぶ装身具は、銃器ですら大きなダメージを見込めない幻獣に対抗できる唯一の切り札だった。


 「……瞬間移動(テレポート)


 結が再び口を開くと、その華奢な体は家屋のリビングから、瞬きの間に第八地区の巨壁の頂上に移動した。


 「うおっ!」


 「しっ、貴方たちを助けに来ました。門を開ける装置は何処にありますか?」


 突如現れた結に、居合わせた捕虜が声を上げる。少女はそれを素早く制して、質問を投げた。


 捕虜の男は作業を監督する幻獣をこっそりと見下ろして、結に目配せで開門装置のありかを示した。


 「ありがとうございます。私が門を開けたら、すぐに幻獣との戦闘が始まります。巻き込まれない様に、建物の影に隠れて下さい。後、これと同じ事を他の人達にも伝えてあげて下さい」


 「分かった。いつか、こんな日が来るって信じてた……信じてたんだ」


 結の言葉に頷くと、男は感極まったのか眼の端に涙を浮かべた。少女は微笑みで返すと、再び一瞬で姿を消した。


 そこからは、目まぐるしく状況が移り変わって行った。結が門を開けると同時に雅、穿を含めた黎明の戦闘員五名が第八地区に踏み込み、各々の幻器で幻獣を蹴散らす。


 それに続いて救急班が入り、動ける捕虜を誘導して動けない者を担架で運び出した。


 「誰か! 助けて!」


 その時、結の耳に甲高い悲鳴が刺さった。強化された足を蹴り出し、ビスチェの裾を翻す。


 駆けつけると、二人の捕虜が幻獣に襲われている所だった。上半身が女、下半身が蜘蛛の幻獣。アラクネ。

 二メートルにも及ぶ巨体の周りを人型の紙片が旋回している。


 「ハァァッ!」


 「キシューーッ!」


 結が斧で斬りつけるも、アラクネは腕でその一撃を防いだ。鉄板すら切り裂く斬撃が、浅い傷しか刻めない。


 「もう大丈夫だよ。私が絶対、助けてあげるからね」


 結は肩越しに二人の捕虜を気遣った。悲鳴を上げた捕虜の少女は血色も良く、健康そうだった。ただ、その膝で寝かされている、もう一人の少女は酷く痩せ細り、息が浅い。


 「キシャーーッ!!」


 「タァッ!」


 今度はアラクネが前足で跳ね、その巨大で結を踏み潰そうとした。結はアラクネの腹の下を斬ろうと斧を振り上げる。が、斧の刃は浅く喰い込む程度に留まる。


 その場を離れ損ねた結はアラクネの全体重を支える形になってしまった。


 「何やってる、菩提!!」


 結にのしかかるアラクネの脇を、雅が旗の柄で強打した。横転した幻獣のそばで、端正な身のこなしで着地した雅は旗を器用に振り回し、穂先を地面に向ける。


 「ふう、困った時の雅ちゃん! ありがとう、助かったよ」


 穿は真紅のワンピースキュロットに身を包み、腰に黒いベルトを巻いている。それが穿の幻器、双戟旗(そうげっき)の戦闘装束だった。


 「人助けはいいが、あまり油断するな」


 「結! 雅! アンタ達は救急班の警護をお願い。私達は大物を狩る!」


 二人が合流すると、まるで見ていたかの様に穿が無線から指示を飛ばした。


 「分かった姉さん! よし、菩提、取り敢えずこいつを倒すぞ」


 「うん、これ以上カッコ悪いところは見せないんだから」


 雅の持つ双戟旗は体裁の上では旗だが、上下双方に尖端があり槍として使うことも出来た。


 結が素早く斧でアラクネを翻弄し、雅が旗の先端でアラクネの喉を貫く。すると幻獣は糸が切れた様に崩れ落ちた。


 「よし、まずは一匹」


 「やったぁ! ちゃんと倒せたよ雅ちゃん!」


 喜びのあまり結が抱きつくと、やはりうんざりした様に雅は身を離し、唖然とする捕虜の少女を見下ろす。


 「おい、この娘、かなり痩せ細ってるじゃないか、早く救急班のところへ運んでやれ」


 「は、はい。そうしたいんですが、私じゃ抱き上げられなくて……」


 「分かった。私が運ぶよ、一緒に逃げよう?」


 結は微笑んで捕虜の少女に斧を渡すと、痩せ細った少女を抱え上げた。


 「私は逃げ遅れた人がいないか見回りつつこの辺りの幻獣を狩る。菩提、お前も今度は気を付けろよ」


 「うん、分かった!」

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