帰還
額から二本の角が生えた幻獣、酒呑童子はニヤニヤと親子を睥睨する。そして、そばには蜘蛛型の幻獣、アラクネを侍らせている。
「お、お待ちくらさい。う、うおぇ、い、今、はきらしました。陽夏は、陽夏だけは助けて、くらさい」
陽夏の父親は指を喉の奥に突っ込み、食べた物を吐き出して頭を下げた。
「そうかあ、なら助けてやろうか? なあ、お前はどう思う?」
酒呑童子は背後を振り返って尋ねた。
「何を恥ずかしがってやがるんだ? ほら、お前の家族だぞ」
酒呑童子が何かを掴んで、陽夏達の前に引きずり倒した。
「ま、ママ!」
「しゅ、酒呑童子様! ご命令通り規則違反した者を告発しました。私は助けて頂けるんですよね!?」
倒されたのは陽夏の母親だった。そして、彼女は酒呑童子の足に縋り付く。
「なんで、どういう事ナんだ! ママ!」
「見て分からねぇのか? お前らは売られたんだよ」
「どうか、何卒、何卒! 酒呑童子様ぁ!」
尚も半狂乱となって酒呑童子に縋り付く母親を見下ろして、鬼は笑みを更に深くした。
「ああ、この酒呑童子。約束は守る。おい、やれ」
「ハ、人狼達よ、この二人を棒に繋げ!」
指示を受けた人狼が陽夏と母親を抑え込み、手足に枷を付けた。
「な、何故私まで!? 私は規則なんて破っていません! 助けてくれるんじゃ」
「なあ、さっきの見たか? お前の旦那は吐いてまで娘を庇った。美しい家族愛だよなあ。そんな高尚なお前らが、ただ弱っていく家族を快適な場所から見てるだけなんて、さぞ心苦しいだろう?」
その言葉を聞いて母親の顔に絶望が満ちた。
「約束通り、そんな苦しい思いから助けてやろう! 最期の一瞬まで、たっぷりと家族水入らずで過ごさせてやる! 同じ苦しみを分かち合うと良い……。ギャハ! ギャハ! ギャハハハハ!」
「約束が違う! 私はそんな事頼んで無い! 外せ! 嘘つき! 死ね!」
「ウププ、残念、死ぬのはオ・マ・エ」
酒呑童子は三日月の様に口を歪めると、腰から取った瓢箪の酒を注ぎ入れた。
「ああ、極上の茶番を見ながら呑む極上の酒。たまにはこんなご褒美がねえとなあ」
それから、母親は酒呑童子を罵倒し続け、陽夏は父親と空腹に耐えた。そんな一家の様子から鬼は片時も視線を外さず酒を飲み続けた。真っ先に死んだのは父親だった。その翌日に母親が。
陽夏も食事を取らずに五日が経ち、ぼやけた視界の奥でアラクネが酒呑童子に何事かを囁きかけた。
「チッ、まだ一匹残ってるっつーのに、召喚士の野郎、相変わらず空気の読めねえ奴だ」
鬼は毒づくと重い腰を上げてアラクネと共にその場を去る。まともな思考力も無くなった陽夏が混乱していると、不意に誰かが彼女の頭を持ち上げた。
「……食事を持って来ました。もうすぐ助けが来るはずです。口を開いて」
鈴が鳴る様な可憐な声が陽夏に降り注いだ。
「……だ、誰、だ?」
辛うじて誰何の言葉を呟く陽夏を無視して、声の主は匙を少女の唇に当てる。乾き切っていた唇が湿り、そのまま柔らかい何かが喉を滑り落ちた。
その二日後、第八地区は黎明によって解放される。
「殺してぇか? 俺様を」
——殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す。絶対に殺してやる!
陽夏は背後に現れた酒呑童子を殴ったが拳は虚しく空を切り、鬼の姿は逃げ水の様に消えた。激しい怒りに呑まれた陽夏は、夢から醒めることなど忘れて、ひたすら鬼の幻影を探し続けた。
「私は、何を考えてヒーちゃん達と一緒にいるの? 払暁は私なんかが、居ていい場所じゃ無い」
夢の中の透は剣呑に目を細めた。
——分かってる。それでも、私に出来る事があるなら、やりたいの。
透は俯きがちに返す。しかし、夢の中の透はその答えに納得しなかった。
「ヒーちゃんは何も知らずに私に笑いかけてくれる。私を信じているから。申し訳ないと思わないの?」
——それは、
透は言葉に詰まりその場で崩れ落ちる。夢の中の透は呆れて溜め息を吐くと姿を消した。
私はおもむろに懐中時計を見下ろした。刻まれた時間はタイムマシンの機能停止一分前を示している。
「ふむ、まさか一人も起きて来ないとは。流石にこれは想定外だな」
未だにうなされている五人を見渡して、バフォメットに視線を移す。
「君は五人にどんな夢を見せたんだ?」
私が話しかけるとバフォメットは無表情で首を傾げた。その直後、私達の体は光に包まれる。
閃光に目が灼かれ、再び視界が戻ると目の前には無機質な強化ガラスの扉があった。過去ではおよそ十日を過ごしたので、現代ではタイムリープしてから三十分ほど経過している筈だ。
「お、戻って来たであるな。今から検疫に案内する。そのままで待っていてくれ給え」
三世がスピーカーを通して言うと、すぐに防護服を着たスタッフが研究室に入って来た。
「私以外の五人は眠ってる。担架で運んであげなさい」
私は五人を運ぶスタッフの背中についていき検疫と簡単な検査を受けた。その後、中世で毎日測っていた体温を報告する。
私を含めた全員が脱水気味だった為、ベッドで横になり点滴を受ける事となった。
「お疲れ様、調子はどう? 結」
私が病室の天井を漫然と眺めていると穿が仕切りのカーテンを開いた。
「うむ、私は悪く無い。ただ五人は余り良く無いだろう。特に精神面が」
「ねえ、やっぱりいきなりバフォメットはやり過ぎだったんじゃ……」
「かもしれない。しかし、まともな方法で強くなろうと思えば時間がまるで足りん。外法だろうが邪道だろうが、選り好みはしてられん」
「その外法についてだが、そろそろ実験に移れそうなのである。体調が回復し次第、試してみるのである」
穿の足元から三世が現れ、口を挟んだ。
「まあ、今日のところはゆっくり休んでちょうだい。それじゃあ、おやすみなさい」
穿は軽く手を振るとカーテンを閉めてその場を去った。心地の良い眠気に逆らわず瞼を閉じると、私の意識はあっという間に沈んでいった。
翌日。目を覚まして検査を受け病室に戻ると既に五人が目を覚ましていた。
「あ、ムス姉。おはようございます」
「うむ、おはよう香織。察しているとは思うが、五人ともバフォメットの悪夢から醒められず現代に戻ってから既に一日経っている。加えて可能な限り夢の内容を共有して欲しい。他人に話す事で消化できる部分もあるだろうし、これからの方針を立てる上でも役立てたい」
私がそう頼むと真っ先に口を切ったのは陽夏だった。彼女は自身の経験した壮絶な過去を淡々と話してくれた。
「……陽夏もあと少しで死にそうだった。けどギリギリで透が食べ物をくれて、そのおかげで陽夏はまだ生きていられる……それにしても、同じ地区にいた筈なのに助けてもらうまで、透の顔は見た事なかったな」
「……他の地区に比べて小規模って言っても、かなり広かったから割り当てられた仕事が違えば、そういう事もあるんじゃ無いかな」
透は歯切れ悪く返して押し黙る。続いて凛が夢の内容を話してくれた。香織もそれに続いたが、雅と透は夢の内容を所々ぼかした。
「なるほど、大体分かった。嫌な思い出を蒸し返させて悪かったな。ただ、幻器の力を更に引き出す事が出来るかもしれない。その上で精神面の安定は不可欠だった。詳しい話は後ほど三世から伝えられるだろう」
「ふぅん、それは分かったけど。ちなみにムス姉はどんな夢を見たんだ? 陽夏達にだけ話させるなんて不公平だぞ」
「む? それもそうだな。私が見たのは息子の夢だ」
「息子……?」
雅は目を丸くして繰り返した。陽夏も驚きつつ更に話を掘り下げようと身を乗り出す。
それと同時に穿が病室に駆け込み、叫んだ。
「み、皆んな! 大変なの、ペランケン博士が召喚士に誘拐された」
その知らせは私達に取って文字通り寝耳に水だった。




