凛の悪夢・陽夏の悪夢
割れるような拍手と眩暈がするほどのライトが注がれる会場に一人の少女が立っていた。
——あれは、アタクシ? そうか、これが夢なのね。
ステージの上で表彰状を受け取り、金色の長髪を揺らして微笑む少女に凛は憐れむような視線を送った。その少女の頭上には大きな垂れ幕がかけられている。その垂れ幕には第二十六回風景画コンクール 表彰式とある。
凛は有名な画家の一人娘であり。幼い頃から英才教育を受けた賜物か、東京都の絵に関するコンクールで数々の賞を取っていた。
しかし、画家である父は凛が取った賞には興味を示さず、描きあげた絵を見たがった。凛は実績ではなく自分の絵に興味を抱かれている事が嬉しく、一人の画家として誇らしく思っていた。
だが、それは凛の一方的な勘違いだった。
ある日、凛が家に帰ると玄関には家族の物とは別の靴が置かれている事に気付いた。その靴は凛の父の絵を卸す、ブローカーの物だった。
凛は来客を察すると台所でお茶とお菓子を用意して応接室に向かう。凛の父は、絵、一辺倒の人物で来客をもてなすと言う事をまずしない。
応接室の扉をノックしようと凛が手を上げた。
「それにしても娘さんは凄いですね。東京中のコンクールを総なめしているとか」
「ああ、そうらしい。だが、そんな物に価値は無い。幾ら凡人の非才の目に止まったところで、名誉どころか恥にしかならん。いや、名誉を求めて絵を描く事自体、恥と言える」
「ハハハ、これは手厳しい。しかし、私の目から見ても凛さんの絵は素晴らしいと思いますが、彼女が独り立ちした暁には是非、取り扱わせていただきたいものです」
夢の中の凛は扉をノックしなければと強く思ったが、固められたかのように彼女の手は動かなかった。
ここのところ凛の絵を見る度に父の顔が曇っていく様な気がしていた凛は、純粋に父の評価を聞きたいと思ってしまったのだ。
「ならば、私の絵と比べてどう思う?」
「はぁ、先生の絵と、ですか? それは、まあ、かなり画風が違っているとは思いますよ。凛さんの絵は輝いて見えますが、先生の絵は影の描写に重点を置かれていますから」
「それだ。凛には私の画風を引き継がせる為に仕込んできた。だのに、仕込めば仕込むほど娘の絵は派手に、輝いて行く。環境が悪かった、或いは甘やかし過ぎたのか」
凛は喉の奥が詰まるのを感じた。きっと、いや、確実に、扉の前で固まっているかつての凛も同じ感覚を覚えているだろう。
「しかし、もっと人生経験を積めば、いつかは今よりも渋い絵を描くようになるんじゃ無いですか?」
「いいや、人格の形成に大きく影響を及ぼす時期は既に終わりかけている。画家としての娘は死んだも同然だ。いっそお前が私の子だったら良かったのに、と、最近はそればかり考えている」
「はあ、しかし、私には先生はおろか、凛さんのような絵心もありませんし。金持ちのご機嫌を窺うのが精一杯な、しがない営業マンですよ?」
「ふ、それもそうか。ならば新しく代わりの子を産むまでだ。凛は失敗作だったが、ノウハウは得られた。同じ轍は踏まぬ」
夢の中の凛はカタカタと小刻みに震え、ふらつく足取りで自室へ戻った。用意していた茶器などはテーブルに置いてベッドに倒れ込む。
暫く枕に突っ伏していたが息苦しくなって視線を横に逃すと、額に飾られた下手な絵が目に入った。凛が幼稚園の時、初めて描いた絵だった。
それと同時に初めて父に褒めてもらった思い出の絵でもある。
凛は父が気に入らない自分の絵を破棄する様を思い出した。それは父の画家としての気高さを象徴していると思っていた。しかし今、その絵は自分となったのだ。長年積み重ねて来た信頼は唐突に崩れ去り、凛を無慈悲に突き放す。
——ッ。
泣きじゃくる夢の中の自分から堪え切れずに凛は目を逸らした。
それから、三十分ほどして突然大きな爆発音が響き渡った。夢の中の凛が慌てて飛び起き、外を見る。
「……何、あれ?」
見たことの無い生物が大挙として凛の住む住宅街に流れ込んでいた。凛は父に逃げるよう伝えるか迷って、結局、何も言わずに家を飛び出した。
それから、運良く東京を脱出すると、身を寄せたシェルターの屋上で凛は一人の少女と出会う。
「貴女、ここで何をしているの?」
「……見てるの、東京を。先生が帰ってくるかもしれないから」
その少女は名前を桑原 香織と言った。彼女は東京から命からがら逃げ出したものの、育ての親と離れ離れになってしまったと語った。
それから、凛は寂しさを紛らわせる為に毎日屋上に通った。ある時、凛は画用紙と鉛筆を持って行くと香織から先生の人相を聞いて似顔絵を描いて渡した。
「凄い! 凛ちゃん、先生と知り合いだったの!?」
「いいえ、ただ特徴を聞けば見た事なくても似顔絵くらい描けるわ」
「はぁ……凛ちゃんって絵の天才だね!」
別の誰かがそんな言葉を掛けてきたら凛は卑屈に切り返しただろう。しかし、香織の笑顔には一分の含みも無く、純粋な物にしか見えなかった。凛は素直に礼を言って、色んな絵を描いて見せた。
——ふん、悪夢だと聞いていたけど。これじゃあ、普通の夢じゃ無い。構えて損したわ。
「ありがとう。アタクシは貴女が大好きよ香織さん。貴女は父さんの代わりに愛情をくれた。絶対的で疑う余地の無い愛を」
——え? アタクシそんな事を言った覚えは、
凛が慌てて香織に訂正しようと一歩踏み出すと、屋上の景色と香織の姿は消え、夢の中の凛だけが残された。
「アタクシは香織さんが大好き。だけど本当に愛して欲しかったのは父さんよ。裏切られた寂しさを埋める為に、アタクシは香織さんを求めた」
——違う! 誰があんな人の事なんか! アタクシはもう新しい家族を得たのよ。香織さんと、榎本さん、菩提さん、國領さん、流森さん。皆んながいるから、アタクシは、
「嘘。貴女が本当に求めているのは父さんだけ。認められたい、愛されたい。だけど叶わなかった。だから香織さんはその代わり。代替品」
——出鱈目言わないで! あんな人、あんな男、大っ嫌い!
「なら、どうしてそんなにムキになるの? 自分の気持ちを信じられないからでは無いの?」
凛は再び、否定の言葉を口にしたが、それによって夢の中の凛が口を閉ざすことは決してなかった。
「遅刻するわよ? 早く支度なさい」
「分かってる。ママぁ、体操服は?」
掃き出し窓から日光が差し込み、明るいリビングで陽夏の表情は暗かった。
「よし、それじゃあ行ってきます!」
「ああ、いってらっしゃい」
「車に気を付けるのよ」
夢の中の陽夏がバッグを背負い、家を飛び出すと母親と父親の声が少女を追う。
「あ、陽夏! おはよう」
「おう、おはよう」
陽夏が中学校に着くと普段からよく話すクラスメイトが話しかけてきた。
「昨日のテレビ見た?」
「見たぞ! でも、最近はあんまりだよナ」
「そうだよねえ。あれは無いよねー」
「ほら、ホームルーム始めるぞ。席に着け」
他愛のない話題で話し込んでいると教室に担任が入って来た。
出席を取り簡単な連絡を伝えると、担任は教室を出て授業が始まる。それから、何事もなく一日が過ぎて行き四時間目の体育の授業でそれは起こった。
「陽夏、また足速くなったんじゃない?」
「そうかナ? ……何だ、アレ?」
陽夏が呆然と指差すと友達もその先に視線を向けた。そこには学校のフェンスをよじ登り校庭に侵入しようとする人影があった。
「何? 不審者?」
友達の声を聞きつけて体育の教師が人影に近づく。
「何をやっとるか! ここは私有地だ。フェンスから降りなさい!」
教師が声を尖らせて警告すると人影は地面に降り立ち鋭利な爪を振り下ろした。
「ぇ……?」
すると、教師の頭部はバターの様に簡単に切断され、血と脳がビタビタと垂れ落ちた。その人影は長く伸びた鼻先を教師の残骸に突っ込んで食い荒らす。
「い、いやぁ!?」
「逃げろお!」
生徒の悲鳴を聞きつけたのか人影は目の上に位置する耳をひくつかせた。
「ナ、ナんだあいつ! 狼人間!?」
陽夏は友達に手を引かれながら背後の人影を観察する。そのせいで陽夏は急に立ち止まった友達の背中にぶつかってしまった。
「うわ、どうした」
今度は陽夏が友達の視線を追う。すると、先程教師を殺した者と同じ姿形の怪物が校門から流れ込んでいた。
「こ、こんなの、何処に逃げればいいってのよ……」
絶望した友達に人狼が近づき、喉笛を噛みちぎって腹を貪る。
「ヒッ」
陽夏は恐怖で逃げることすらできず、友達の最後を見届け続けた。人狼は血塗れの鼻を陽夏に近づけヒクヒクと動かすと友達の血を体操服にベッタリと塗り付ける。
「オマエ、クワナイ。シゴト、サセル。ニゲタラ、クウ」
人狼は喉を器用に唸らせて、陽夏に言い含めた。その後、人狼は一部の人間を食べ満足したのか残った人間を後の第八地区へとさらった。
そこでは、堅牢な壁の建設や雑用などをやらされたが、陽夏にとっては幸運な事に父親と母親と再会する事ができた。
「陽夏! 無事だったのね!」
「ママ! パパ!」
「良かった、良かった……!」
陽夏達の一家は第八地区にあったショッピングモールの一画で生活を強いられた。それぞれの捕虜が簡単な仕切りを作って、毎日そこからそれぞれの仕事に出掛けて行く。
父親は壁の建設。陽夏と母親は幻獣の食事作り。捕虜達は幻獣の食べ残しを与えられた。決して楽な生活では無かったが一家が揃っていると言うだけで陽夏の心は慰められた。
そうして二年もの時が経ったある日、父親が足場から転落し大怪我を負ってしまった。一命は取り留めたが、作業に従事出来る状態では無かった。
第八地区は酒呑童子という鬼の幻獣によって支配されており、その幻獣が作った規則の中で統治されていた。
規則を破った者は、第八地区の中央広場で手足を鎖に繋がれ、食事を与えられずにゆっくりと死ぬ事になる。
「オマエ、ナゼ、シゴト、コナイ?」
「わ、悪いんだが。昨日の怪我で立つことも出来ないんだ。仕事はしばらく勘弁してくれ」
「ワカッタ。シゴト、サボル、キソクイハン。オマエ、シケイ」
人狼は怪我した父親を引きずると広場に刺さった棒に繋いだ。二日して、明らかに憔悴した様子の父親に陽夏は気が気では無かった。
「気の毒だ。処刑人に目を付けられた訳でもないのに」
「陽夏ちゃん、お父さんにご飯をあげちゃいけないよ。子供を飢えさせたい親なんて居ないんだからねえ」
遠巻きに見ていた老婆が陽夏に忠告する。罰を受けている者に食事を与えてはいけない。それもまた酒呑童子が定めた規則の一つだった。
しかし、翌日ついに堪えきれなくなった陽夏はこっそり隠しておいた自分の食料を持って父親に近付いた。
「……パパ、ご飯持って来たぞ」
「……来るな! はぁ、はぁ、パパなら大丈夫だから、戻りなさい」
「……でも」
父親は陽夏を拒絶したが、諦めきれず引きずる様にして一歩踏み出す。
「陽夏! はぁ、はぁ、戻りなさい」
苦しそうに声を張り上げる父親の剣幕に折れ、陽夏は遂に踵を返した。
しかし、それで諦めた訳では無かった。更にその翌日、今度は夜中に住まいを抜け出し、食料を届けに行った。
「パパ、これを、今なら見張も無い」
「もろりなさい。パ、パなら、らいじょうぶだから」
父親の目は虚で、意識もハッキリしていないのか呂律が怪しくなっていた。
「このままじゃ、死んじゃう。お願いだ、食べてくれよ」
頬はこけ、死に瀕しても尚、食料を拒絶する父親に陽夏は涙を浮かべて懇願した。それをぼんやりと眺め父親はしばらく考えた後で、陽夏から食事を受け取る。
四日ぶりの食事が受け付けないのか、咽せながらゆっくり食べる父親を見て陽夏が胸を撫で下ろした時、背後から強いライトが当てられた。
「あ〜あ、食べちまったなあ」
背後から、愉快そうな声がした。陽夏は苦い顔をして自身の長く伸びる影法師を見つめた。




