雅の悪夢・香織の悪夢
暗闇が洗い落とされ、謁見の間で私は目覚めた。戦う前に私が睨んだ通りバフォメットは眠る五人を無表情で観察している。
「覚醒に三分もかかってしまったか。私もまだまだ、精進が足りないな……さて、せめて三人。いや、二人は起きて欲しいものだが。どうなるか」
私は懐から取り出した懐中時計に視線を落とし、そう呟く。
「それにしても、バフォメットは悪夢を見せると言う話だったのにな」
皆んなが目覚めるのを待つ間、私は暫く勝手に持ち上がる口角に苦労させられるのだった。
「雅! そっちお願い!」
雅は聞き慣れた声に鼓膜を強く叩かれて目を開く。
「分かった! 姉さん」
雅が戸惑っていると、彼女の声で別の誰かが答えた。驚いている間に視界の端から次々と少女が飛び出す。
——これは、黎明の、
四人の少女は、それぞれニーベスベルグ、一角太刀、獅子独楽、双戟旗の幻器を使って変身していた。
——そうか、これがバフォメットの見せる悪夢。
置かれた状況に思い至り、四人の少女が見据える先に、すかさず視線を走らせる。
そこに居たのはヘルハウンドと件と言う二体の幻獣。彼らはまさに破封烈印と強撃のアスラ・布石のタストラに封印された幻獣だった。
ヘルハウンドの喉は地獄と繋がっており、炎を自在に操る。そして、件は自身の予知能力を使いヘルハウンドに的確な戦略を伝えた。
「結! お願い」
「はい。よ〜し、やっちゃうよ〜! 同化!」
——菩提、
穿の短い指示を瞬時に察して、結は幻器と同化した。その直後、二人の姿はかき消えヘルハウンドの背後に忽然と現れた。
「駆けろ! 雷鳥!」
穿は渾身の一撃をヘルハウンドの背骨に叩き込もうとした。しかし、ヘルハウンドは一瞥もせずにその場を飛び去り、攻撃を躱す。
「嘘ぉ!?」
「クソッ、どこまで読まれてるのよ」
尋常では無い回避能力に結が目を丸くし、穿は毒づいた。
「どうする姉さん? 攻撃を当てられないんじゃ、倒しようが無い」
「分かってる。ちょっと考えるわ。その間、雅、恵、アイツらの相手してて」
「「了解」」
「結はこっちへ」
かつての黎明の様子を見て、今の雅は思う。榎本 穿のリーダーとしての能力は別格だった。指示も精神面のフォローも、もちろん一人の幻器使いとしての実力も。だが、穿と雅は違う。
——私は、私として戦えば良い。姉さんとは別の強さを作り上げる。
「誰がそれを待ってくれる?」
気づくとヘルハウンドと件は倒され、かつての雅がこちらをジッと見据えていた。光の無い黒瞳はゾッとする程深い。
——何だと?
「黎明の三人は死んだ。姉さんも引退し、菩提は変わり果てた。半年の間に私たちはどれだけ変わった? 私だけが取り残され、未だにそんな悠長な事を言っているのか?」
——焦って状況が好転するなら、いくらでもしてやる。
「本当は鬱陶しいんだろう? 穿の妹、黎明の生き残り、名門武家の娘。それらの肩書きのせいで、望むと望まざるとに関わらず、私は周囲から英雄視される」
戦場からは瓦礫や幻獣の死体が消え、暗闇の中で二人の雅だけが向かい合っている。
「その期待から逃れる為に、幻獣との戦いに没頭する事で、お前はさらに英雄譚の語り種となる。そのイタチごっこだ」
——それも、後、半年、
雅は言いさして、ハッと口元を手で覆った。
「ふっ、語るに落ちたな。私はもうとっくに限界だ。良いじゃ無いか。今までどれほど戦ってきた? そろそろ休んで良いんだ」
——そんな訳にはいかない。菩提は二百年戦ったんだ!
「アイツは特別だよ。でも、私はそうじゃ無い。私は弱い。強がるのはやめて楽になろう」
——私は、私は、
雅は急激に瞼が重くなるのを必死に堪えたが、敢えなく膝から崩れ落ちた。地面を両手で突き、何とか体を支える。だが虚しい抵抗も束の間、いよいよ雅は地面に寝そべった。
闇は苔の様にフカフカと雅の体を包み込み、適度に体の熱を奪う。鼓動がゆっくりと脈打ち、雅は自身の両足を抱えた。
「何だあれ?」
香織は呆然と空を見上げた。空は今となっては見慣れてしまった幻獣達に覆われている。
——これが悪夢?
幻獣の影に気付き、一早く逃げ出す者、好奇心に駆られて観察する者、反応は様々だが。一様にして彼らは幻獣の脅威をまだ知らない。それは、初めて召喚士によって東京が襲撃された時の記憶。それから、たったの三日間で多くの都民が殺された。
香織は元々暮らしていた孤児院で他の孤児や先生と立て籠もり、難を逃れていた。
「ねえ、香織お姉ちゃん。僕たちこれからどうなっちゃうの?」
「大丈夫! 何かあってもお姉ちゃんが守ってあげるから、そうだ。絵本読んであげようか?」
孤児院の中で年長の香織は他の子供達を励ました。絵本を読み聞かせるも子供達の表情は暗い。絵本の中に描かれている様な生き物が、今まさに彼らを脅かしているのだから。
香織が自分の失態に気付き、繕った笑みでその場を和ませようとした。
「皆んな! 明日、この辺りに救助のバスが来るそうよ」
すると、その場に孤児院を一人で切り盛りする老女が現れた。
——先生!
夢だと分かっていても、香織は叫ばずにはいられなかった。
「やった! これで安全な所まで逃げられるよ!」
夢の中の香織は子供達を元気付けようと声を張り上げる。子供達は希望と不安の入り混じった表情で、頷いた。
その翌日、老女の言った通りバスがやって来て孤児達を乗せてくれた。乗客は誰一人荷物を持っていなかったが、香織を除いた孤児が乗り終えるとバスは満員になってしまう。
「すみません。これ以上は乗れません。申し訳ないんですが、一時間後、隣町にも救助バスが来ます。そちらに乗ってもらえますか?」
バスの運転手が口惜しそうにそう言うと老女は静かに頷いて、香織と共に走り出すバスを見送った。
「ごめんなさいね、香織ちゃん。貴女だけでも乗せてあげたかったんだけど」
「大丈夫だよ、先生! 一人より二人の方が安心だもん」
——先生、
香織はかつての自分を見て、唇を噛んだ。その後、隣町のバスにありつく事は出来たが、一人しか乗り込む事が出来なかった。
「先生! 嫌だよ、一人だけ残して行くなんて!」
「大丈夫よ香織ちゃん。私はまた次のバスを待つから。貴女はとっても優しい子。成長してもどうかそのままで、優しい人になりなさい」
「先生! 先生!」
香織が東京を脱出して数日後、尚も救助バスは派遣されたが一台として帰ってくる便は無かった。香織は収容されたシェルターの屋上に登り、絶えず煙の立ち続ける東京を見守り続けた。
——先生、優しい人ってどんな人なんだろう。私、分からないよ。
情景は変わり、人狼の集落を偵察した日。結との会話が繰り返された。
「——その時、私は君を許さない。絶対に」
——ムス姉の言う事は正しい。でも、私は優しい人にならなくちゃいけないんだ、それが先生との最後の約束だから。
「どうやって?」
結に説き伏せられ俯いていたはずの夢の中の香織が、突然話しかけてくる。
——分からないよ。分からないけど、とにかくもっと強くなって、私は皆んなを助ける!
夢の中の香織は残念そうに首を横に振ると、姿を消した。
——早く、夢から起きなきゃ。
香織はそう意気込むと、存在しない夢の出口を探し続けた。




