第226話 スパイの失敗
会議室は、熱を帯びていた。
広げられた設計図の上に、無数の視線が落ちている。
紙に描かれた線は、ただの家ではなかった。
街の骨格であり、思想であり――未来そのものだった。
「……よし」
ヒトシが、静かに頷いた。
「この設計を採用する」
一瞬、空気が止まる。
次の瞬間、どっと声が上がった。
「本気ですか、王!?」 「これは……街の形を根本から変えますよ」 「いや、むしろ今のフロンティアに一番合ってる!」
肯定と驚嘆が入り混じる中、ヒトシは手を上げて制した。
「静かに」
ざわめきが収まる。
「これは、いい設計だ。
家がどうあるべきか、じゃない。
人がどう生きるか、を前提にしている」
その言葉に、スパイ――ウエスは、喉を鳴らした。
(……まずい)
本来、これは“内部に入り込むため”の仕事だった。
有能であることを示し、信頼を得るための餌。
だが、ここまで深く評価されるとは思っていなかった。
ヒトシは続ける。
「だからこそ、これは俺一人の判断じゃない。
フロンティアの在り方として、皆で受け止めたい」
ラバルが頷く。
「王の言う通りです。
この街は、もう“即席”ではありません。
腰を据える段階に来ている」
メイも、設計図を指でなぞりながら言った。
「土魔法前提で、ここまで長期利用を考えた設計……
正直、私一人では思いつきませんでした」
その視線が、ウエスに向く。
称賛。
評価。
――危険なほどの。
(……やばい)
ウエスは、背中に汗を感じていた。
その時だった。
ヨークが顎に手を当て呟く。
「……王」
「どうした?」
「いや……変だなって思って」
視線がウエスに向く。
「これだけ街全体が動く話なのに、
適応進化が一度も鳴ってねぇ」
静寂。
メイが息を呑む。
サラが眉をひそめる。
「……確かに」
適応進化は、変化・危機・分岐に必ず反応してきた。
それが、今回は――静かすぎる。
ヒトシはウエスを見る。
「なあ、君」
ヒトシが、首を傾げた。
ほんの一瞬の、違和感。
ウエスの心臓が跳ねる。
(……気づいた?)
ヒトシは、ゆっくりとウエスの方を向いた。
距離を詰める。
机を回り込み、真正面に立つ。
覗き込むように、その顔を見る。
「……君の名前は、なんだったかな」
一瞬、世界が遠のいた。
ウエスは、口を開く。
「ウ、ウエスです」
声が、わずかに震える。
「そうか」
ヒトシは、静かに頷いた。
「ウエスか……」
間。
ほんの数秒。
だが、ウエスには永遠のように感じられた。
「ウエス」
ヒトシは、淡々と続ける。
「これだけの設計、これだけの影響力。
それでも適応進化が反応しない」
視線が、逃げ場を塞ぐ。
「君は――俺たちの仲間、だよな?」
喉が、詰まる。
(……バレたのか?)
否定すれば、終わりだ。
肯定しても、どこまで信じられるかは分からない。
「……仲間、です」
言葉を選んだつもりだった。
だが、その曖昧さこそが、答えだった。
ウエスは、覚悟した。
(ああ……ここまでか)
一瞬、頭をよぎる。
(この設計図どおりの街が、完成するところを見たかったな……)
その瞬間だった。
――アナウンスが、響いた。
《適応進化が反応しました》
会議室の全員が、息を呑む。
《ウエスの精神状態を検知》 《秘匿された奴隷魔法の存在を確認しました》
ウエスの目が、見開かれる。
「……え?」
ヒトシは、納得したように息を吐いた。
「なるほどねぇ」
その声に、怒りはない。
ただ、理解だけがあった。
「君自身も、気づいてなかったんだろう。
命令じゃない。
強制でもない」
ヒトシは、静かに言う。
「“従ってしまう”魔法だ」
《秘匿された奴隷魔法を解析中》 《解除可能と判断》
ヒトシは、ウエスを見下ろしながら言った。
「すぐ、楽にしてやる」
何が起きているのか、分からない。
だが、逃げる気も、叫ぶ気も起きなかった。
《秘匿された奴隷魔法、解除》
――その瞬間。
胸の奥にあった、重たい鎖が、音もなく消えた。
息が、深く吸える。
「……あ」
ウエスは、膝に手をついた。
(なんだ……これ)
今まで、当たり前のように従っていた命令。
スラトム侯爵の言葉。
疑問すら持たなかった思考。
(……なんで、あんな奴の言うことを……)
視界が、少し滲む。
ヒトシは、静かに告げた。
「君は、もう自由だ」
会議室に、沈黙が落ちる。
そして――
《適応進化が反応》 《フロンティアの新たな設計思想を確認》 《領民に共通認識を付与します》
空気が、変わった。
理解が、広がる。
この街は、どう在るべきか。
なぜ、この形なのか。
ウエスは、床に座り込んだまま、呟いた。
「……俺は……」
スパイだった。
だが、それ以上に――
設計士だった。
そして今。
その“本業”が、
フロンティアという国を、内側から変え始めていた。
それが、
スパイとしての――決定的な失敗だった。




