第225話 本業
紙とペンを渡されたとき、指がわずかに震えた。
(……久しぶりだな)
スラトム侯爵への報告を終え、割り当てられた仮住まい。
簡素な土壁の部屋。寝台、机、椅子。
その机の上に、紙とペンが置かれていた。
――設計士。
その言葉を口にした瞬間、ヒトシは疑わなかった。
身元も、経歴も、忠誠も問わず、ただ「できるなら頼む」と言った。
(馬鹿な王だ……)
そう思いながら、ペン先を紙に当てる。
だが、線を引いた瞬間――
世界が、静かに戻ってきた。
土魔法で作る家。
まず考えるべきは、強度だ。
(土は便利だが、万能じゃない)
壁厚は最低でもこれくらい。
外壁と内壁は分ける。
支柱の位置を誤ると、雨季に崩れる。
線を引く。
壁、柱、屋根。
次に、住む人間を考える。
(家族単位が増えている)
子供の数が多い。
三人暮らしを基本にするか。
いや、将来を考えれば四人、五人も想定すべきだ。
寝室は分ける。
だが、完全に隔離しない。
空気が流れる構造にする。
窓。
(採光と風通し)
ここだ。
この位置なら、朝日が入り、昼の熱が籠らない。
窓は対角に二つ。
風が抜ける。
だが――
(隣の家が同じ配置だと、風が止まる)
ペンが止まる。
家単体じゃない。
街だ。
隣の家との距離。
窓の向き。
影の落ち方。
(家と家の間隔は……最低これくらい)
路地は狭すぎると湿気が溜まる。
広すぎると人の流れが散る。
道幅。
荷車が通れる。
だが、軍靴の行進を前提にしない。
(……あ)
そこで、ふと気づく。
(俺、何を前提にしてる?)
軍。
兵。
支配。
それは、王国の街の思想だ。
だが、ここはフロンティアだ。
(……違うな)
線を引き直す。
この街は、
「守るための街」ではなく、
「生きるための街」だ。
人も、魔物も。
なら――
区画。
中央に広場。
市場。
炊事場。
集会所。
家は、そこから放射状に広がる。
だが、権力の中心に近いほど裕福、という構造は作らない。
距離は平等。
誰もが、同じように歩き、同じように集まれる。
街道。
(フェール、シッパル、カーム、ベスコ……)
紙の端に、地図を描き始める。
これらを束ねるフロンティア。
交易路。
避難路。
連絡路。
(……全部、繋がる)
気づけば、紙は一枚、また一枚と埋まっていく。
夜が更ける。
だが、手は止まらない。
朝だった。
窓の外が、白くなっている。
机の上には、紙の山。
使い切った。
余白が、ない。
(……まだ、足りない)
区画ごとの役割。
将来の人口増加。
拡張余地。
それでも――
これは、俺の本業だ。
胸の奥が、久しぶりに熱くなる。
ヒトシのもとを訪ねる。
紙束を抱え、少し緊張しながら。
「王、昨日の件ですが……
こちらで、どうでしょうか」
ヒトシは紙の量を見て、目を丸くした。
「……やけに多いな」
数枚、ぱらぱらとめくる。
沈黙。
そして――
「メイ」
声が低くなる。
「来てくれ。
いや……皆だ。会議室に集まるぞ」
(……え?)
ざわ、と胸が鳴る。
これは、
ただの家の設計図のはずだった。
だが――
ヒトシの目は、
“街”を見ていた。
会議室。
メイ。
ラバル。
サラ。
メリー。
アン。
ヨーク。
紙が広げられる。
誰かが、息を呑んだ。
「……これは」
メイが、最初に口を開く。
「家ではなく、街……いえ、思想ですね」
ヒトシは、静かに頷いた。
「俺は、こういう国を作りたいと思っていたのかもしれない」
誰も、否定しなかった。
ただ、図面を見つめる。
命令のための街ではない。
支配のための区画ではない。
生きるための構造。
議論が始まる。
活発で、熱を帯びた議論。
その中心に、
自分の描いた線がある。
(……しまったな)
スパイは、心の中で苦笑した。
(俺は、入り込みすぎた)
だがもう、遅い。
この国は――
図面一枚で、思想を更新し始めている。
それを、止める術はない。




