第213話 カームとシッパルの行方
フロンティアの森が見えたとき、ヒトシはようやく息を吐いた。
背後には、三十名のドワーフたち。
煤と油の匂いをまといながらも、足取りは確かだった。
「……帰ってきたな」
誰に向けた言葉でもない。
ただ、胸の奥で重く沈んでいたものを、吐き出したかっただけだ。
そのときだった。
「ヒトシー!!」
森の奥から、駆けてくる影が三つ。
「――あっ!」
サラが、ヒトシの顔を見て目を見開く。
「ほんとに人化中だ!」
次の瞬間、三人は一斉に距離を詰め、勢いそのままにヒトシへと飛びついた。
「ちょ、ちょっと待て!」
「無事でよかったぁ……!」
「……抱きつくのは今じゃなくても」
言葉とは裏腹に、ヒトシは振りほどかなかった。
魔剣が、どこか愉快そうに呟く。
「ゴブリンじゃなけりゃ、ってところか?」
「ゴブリンも悪くないぞ」
ヒトシは肩をすくめる。
「人間より感覚が鋭い。
森じゃ、こっちの方が生きやすい」
「いやな」
魔剣は、妙に間を置いた。
「目線が違う」
「……?」
「いや、いい」
ヒトシは首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
そこへ、落ち着いた足取りで近づいてくる影がある。
「王、よくぞご無事で」
ラバルだった。
「ベスコの件、聞いています。
……辛いものだったでしょう」
ヒトシは短く頷く。
「だが、生き残りはいた。
彼らだ」
ドワーフたちに視線が集まる。
ラバルは一歩前に出て、深く頭を下げた。
「まずは身体を休めてください。
ここはフロンティア。
人も魔物も、区別はありません」
ドワーフの一人が、鼻で笑う。
「噂以上だな。
地下よりゃ、よっぽど空気がうまい」
「人も魔物も関係ねえ。
……こんな街、初めてだ」
その言葉に、サラが少しだけ胸を張った。
「でしょ?」
短い休息の後、ラバルがヒトシに近づく。
「王。
カームとシッパルの件を、今すぐ話したい」
ヒトシは一瞬だけ目を伏せ、そして頷いた。
「……分かった」
会議室の空気は、張りつめていた。
それは緊張ではない。
重さだ。
ヒトシは円卓の中央に立ち、皆の顔を見渡した。
サラ、メイ、アン、ヨーク、ラバル。
そして、壁際には救出されたドワーフたちの代表も控えている。
ラバルが一歩前に出た。
「では、報告します」
その声は落ち着いていた。
だが、ほんのわずかに――震えている。
「カームとシッパル。
両都市とも、すでに“奴隷解放後”の状況です」
メイが小さく息を吐く。
「……成功した、ということですね」
「はい」
ラバルは頷いた。
「ヒトシがフェールで行った奴隷解放。
それが、王国の想定を超える速度で伝播しました」
「カームでは商人ギルドが主導しました。
帳簿を握っていた彼らが、市民をまとめた」
「シッパルでは港湾労働者たちです。
王国軍の補給線を、内側から止めた」
ヨークが歯を見せて笑う。
「やるじゃねぇか、人間も」
「ええ」
ラバルは静かに続ける。
「どちらの都市も、王国軍を“撃退”しました。
殲滅魔法を撃つ大義が生まれる前に、です」
「王国軍は撤退。
現在、両都市は自治状態にあります」
一瞬、会議室が静まり返る。
アンが、そっと手を胸に当てた。
「……間に合ったんですね」
「はい」
ラバルは、そこで一度言葉を切った。
「そして――」
視線が、自然とヒトシに集まる。
「カーム、シッパル両都市より、
フロンティアとの連盟の申し出が届いています」
「正式な軍事同盟ではありません。
ですが、経済・防衛・人の往来を含めた、事実上の共同体です」
サラが、ふっと笑った。
「……ずいぶん大きくなったわね」
ヨークは腕を組む。
「四都市、か」
ラバルは最後に、低く言った。
「ベスコは……残念でした」
誰も、否定しなかった。
「ですが」
ラバルは、はっきりと顔を上げる。
「結果として、
フェール、カーム、シッパル――三都市は生き残り、
フロンティアの内側に入ることができました」
「四都市すべてを救えたとは言えません。
ですが――」
ラバルは、深く一礼する。
「私の立場から言えば、
これは“勝利”です」
沈黙。
ヒトシは、ゆっくりと頷いた。
「……そうだな」
その瞬間。
適応進化が、静かに鳴った。
【領土の拡大を検知】
【領民数の増加を検知】
【複数都市の統合状態を確認】
【集団規模の再定義を開始】
誰もが息を呑む。
ヒトシは、額を押さえた。
「……来たか」
【フロンティアは“都市国家”から“地域国家”へ移行】
【管理負荷を再配分】
【集団意識の階層化を実施】
ヨークが、ぽつりと呟く。
「……もう、街じゃねぇな」
「ええ」
メイは静かに答えた。
「“国”です」
会議は、そこで一区切りとなった。
緊張が解け、皆が席を立ち始めた――
そのときだった。
ヒトシの身体が、わずかに揺らぐ。
「……?」
次の瞬間。
ふっと、視界が低くなった。
「――あっ」
サラが、思わず声を上げる。
ヒトシの姿が、ゆっくりと変わっていく。
肌の色が変わり、骨格が縮み、
ゴブリンの姿へと戻っていく。
人化が、解けたのだ。
ヨークが吹き出す。
「おいおい、タイミング悪ぃな!」
サラは、少しだけ頬を赤くした。
「……もう少し、見ていたかったのに」
ヒトシは、苦笑する。
「すまん。24時間だ。」
ラバルは、その姿を見て、はっきりと言った。
「……ですが、こちらの姿の方が」
「王らしい」
ヒトシは、一瞬だけ目を伏せ、そして言った。
「そうかもしれないな」
会議室の外では、
新たにフロンティアの民となった人々の声が、
確かに響いていた。
国は、
静かに、だが確実に、
次の段階へ進んでいた。




