第二章 第三節
第三節
一
「それじゃまた待ってます。帰りみちも頑張って。」
茶屋の前で「閼伽注」がゆめ達一行を見送る。
「滅歌」と「滅宵」はそこにはいない。
「閼伽注」によればどうにも腹が減ってしようがないという事で、朝早く「狩り」に出かけたらしい。
そんな二人の下男である「愚鼠」だけは、無言でわずかに震えながら盆を持ち、「閼伽注」の隣りに立っていた。
そこを動かない所を見ると、とりあえず見送っているようだ。
「あんたも元気でね、「閼伽注」。
まぁどうせあんたは変わんないだろうけど。」
「そうですよ。あたしはちっとも変わりません。」
「変われないの間違いじゃないのかい?」
「まぁそうとも言えますけどね。」
「丸嬰」と「閼伽注」は軽く軽口を叩いて、お互いにしばしの別れを告げていた。
「閼伽注」は幼女の「丸嬰」とさして変わらぬ背丈の小男であった。
相はいまいち判然としない。
枯れ木のようにこけているのか、それとも老いているのか、何とも形容しがたい様相をしている。
常に笑顔をたたえるその面は、まるでそういう面であるかのようにその顔に張り付いている。
決して人に温かさを与えるものではない無感の微笑み。
細い三日月を描くその両の眼は、わずかに光をみせるだけで線を引いたかのように黒い。
その言動から初めてその残忍な性格が見え隠れする、生きているのか死んでいるのかはたまたそこに在るのかすら疑わしくなるヒト、それが「閼伽注」であった。
長閑な田園風景はいつの間にやら深淵の虚に包まれた白い砂漠へと転じていた。
まだ夜を迎える時刻ではない。
けれどここは先程とは異なる世界。
永遠に夜の明ける事のない絶望の世界。
足元の白い砂がゆめ達の歩みを遅らせる。
どうもここの砂はわずかだが遺志を持つかのようにまとわりつく。
―――――あ…・…心が抜ける…・…。
「くるり!」
ゆめがそう思った時、背後で「とばねき」の声がした。
ゆめには振り向かなくてもそれが何を意味するのか分かっていた。
そう、どうも「くるり」はこことの相性があまり良くないらしい。
「丸嬰」の言葉を借りれば「相性が良すぎる」という事なのだろうが……。
見ればやはり「くるり」が膝をついていた。
「大丈夫かい?ほら、お乗りよ。」
「とばねき」が慣れた様子で「くるり」をその背に背負った。
「くるり」はいつもこの砂漠でこうなる事がわかっているのだが、決して始めから誰かの力を借りてここを越えようとはしない。
自分に出来る精一杯まで必ず自分の足で歩いていた。
―――――ぼうっとしているようで、結構頑固な子なのよね……。
ゆめは再び歩みを進め始めた「露歩き」の隣りに並び、そんな事を一人ごちた。
―――――どうして私はここじゃないんだろう…・。
色の無い無音世界は「くるり」のように気分が悪くなる事はないが、どうにも自分の心が良く見えてしまう。
ゆめは自分の心に問いかけていた。
――――――ここも「客死隧道」と同じ……。
生きてるものが何もない不自然な所。
――――――どうして私はあそこなんだろう……。
――――――誰にもみとられず、思われず、供養もされず…・・・
――――――客死…・・・・
「今日はこの位にしよう…。」
「露歩き」が砂漠の真ん中でその日の終わりを告げた。
この寂しい世界「無き原」は数日をかけて越えていく。
その間一度膝をついた「くるり」は、目的地に辿り着くまでほとんど自分の力で歩く事が出来なかった。
今も昏々と眠りについている。
「とばねき」はふぅっと息を吐いて「くるり」をそっと冷たい砂の上に下ろした。
女の「とばねき」が、子供一人を担いで何日も歩き続けるのは骨が折れる。
「大丈夫か?「とばねき」。」
「なぁに言ってんのさ、「露歩き」。まだ一日目だよ。
いつもの事さ。」
衣の襟元をぱたぱたとはためかせながら「とばねき」はからからと笑った。
いざという時の為に「露歩き」は「くるり」を背負う訳にはいかない。
「とばねき」も一通り武を修めていたが、この何が起こるかわからない冥獄の旅路で数人を守りながら戦う事は、とても難しかった。
「露歩き」にしても決して楽な事ではないであろう…・。
―――――幾らなんでもちゃんと動ける護兵が一人っていうのはどうなんだろ…。
ぬし様もせめてあと一人位護兵を付けてくれればいいのにな・・・。
どうせ宴休みなんだし…。
ゆめは、朗らかながらも多少疲れを見せる「とばねき」を見てそんな事を考えていた。
「あ~~疲れた~~。
眠い眠い。」
「丸嬰」が白煙を巻き上げて砂の上に大の字になる。
そしてそのままがぁがぁといびきをかいて眠ってしまった。
―――――そうよ!
「丸嬰」が「くるり」を背負えばいいのよ!
私の事だって全然なんて事ないみたいに背負えてたもの。
「疲れた~」とか言ってるけど、絶対私達より疲れてないもん。
ゆめはじっとりとした視線を「丸嬰」に送りながら、数種の干豆の塊をかみ砕いて茶屋の水で流しこんだ。
茶屋のすぐ近くで「閼伽注」が耕している菜園で採れたものである。
甘くも辛くも無い、粉っぽさだけがやけに残る素朴な干し豆。
大しておいしいものではなかったが、茶屋の水と一緒に少し食べるとそれだけでお腹はきちんと膨れた。
―――――お腹が減るって、すごく面倒。手水とかも一々あるし…。
「生人」も「さき」みたく食べ物がいらなければいいのに…。
ゆめは俯きがちに隣りに座りこむ「さき」を見た。
白い砂の光の反射が「さき」の死に顔の美しさを鋭く引き立てている。
まるで人の形をした芸術品のようだ。
―――――「さき」は良いなぁ…。
「ゆめ~。あたしにも豆くれるかねぇ。」
「あ、うん。はい!「とばねき」。」
闇の世界の夜は静かに更けていく。
二
数日が過ぎた…。
暗黒の世界は次第に蒼みを帯びていく。
夜から朝へ、絶望から希望へ、彼岸から此岸へ転じるように。
次第に光を帯びる天空の下を歩いていると、自然進む一行の心持にも光が差してきていた。
「ん~~、晴れてきたねぇ。
もうすぐ無き原も終わりじゃん。
ってまだここからが長いんだけどさ。」
そう…奉公先の茶屋からぬし様の御殿まではまだ半分も行っていない。
この後、「髪切り山」を越え「言霊河原」を渡り、「不命の森」を抜け、広大な褐色の平野を行ってやっと御殿が見えてくるのだ。
しかしこの無音無色の無き原は、身の危険こそ一番ないがこの旅路の中で最も精神に応える土地柄であった為に皆気持ちとしては半分を終えたような気分になっていた。
「あ~~、早く「言霊河原」まで行きたいよぉ。
このままじゃ「滅歌」になっちゃう。」
ゆめは一人声を上げた。
茶屋を出てから身体を清めていない。
身体と衣の間に薄皮を纏っているかのような不快感がある。
喉を潤し顔を洗う程度の清水なら「髪切り山」でも手に入れる事が出来たが、この不快感を取り除くに足る量の水を得るとなると、やはり「言霊河原」まで行かなければならなかった。
―――――旅の途中だから仕方ないけどさぁ…。
女の子なのに臭いとか嫌だし……。
ゆめはこの頃になると「露歩き」から距離を置くようになっていた。
勿論体臭を気にしての事である。
おそらく、いや間違いなく「露歩き」はそんな事を気にする事はなかったであろうが、ゆめの乙女心がそれを許さなかった。
「……いじらしい。」
そんなゆめに気付いた「さき」が微かに笑う。
「ほっといて!」
ゆめはぷいっと「さき」から視線を反らした。
一行は進む。
「無き原」を越え、「髪切り山」への道を往く。
「髪切り山」は、非常に強い風が常に吹いている。この風をまともに受けると命がない。
あまりに強く刃のように研ぎ澄まされた風だからだ。
腹に受ければ間違いなく一風で真っ二つになってしまうだろう。
山肌にはこの風で斬られた刀傷の様な痕が縦横無尽に刻まれている。
風と風が、風と山肌が、常に衝突し音を鳴らす。無き原とは異なる騒音の世界。
身を低くして、風向きを読み、山肌の窪みを利用しながら慎重に進んでいかなければならない。
しかし山肌の影にいる限り、決して風の太刀を受ける事はないのでそれ程気を張る事もなかった。
夜はその山肌の窪みの奥で、わずかに生える山草や清水で暖や食を済ませた。
遠く山吹雪を聞くかのように、「露歩き」は窪みの入口で外を見張り、他の者は焚火を囲んで眠りに落ちる。
「もう大丈夫だよ、ゆめ。いつも悪いね。」
「本当?本当に大丈夫?」
ゆめは「とばねき」の足に軽く按摩を施していた手を休めた。
指を通して伝わる「とばねき」の足の筋は、熱を帯び固く膨らんでいる。
人一人を背負い、小休止を入れるとはいえ一日中それで斜面を登るのだ。
疲労していない訳が無い。
毎度の事ではあるが、その度に「くるり」の目方は確実に増えていっている。
今回は特にその重さが堪え、大変そうだという事をゆめはその身体の筋と表情から認めていた。
「本当だよ。
ゆめだって疲れてるんだから。
明日もあるしさっさとお休み。」
「……うん。」
ゆめは按摩で痺れた指の筋を軽くもみながら俯いた。
後ろでわずか衣擦れの音がする。
見ればそれは「さき」だった。
「そう。ゆめはもう寝た方がいい。
随分と疲れてる。
「とばねき」の按摩なら私がする。」
「えっ…・…「さき」が??「さき」がするの?」
「私がしてはおかしい?」
「うん、面白い。」
ゆめと「とばねき」は同時に答えていた。
途端「さき」の眉根が険しくなる。
ゆめと「とばねき」は二人顔を見合わせてくすくすと笑っていた。
「お前達……」
「だってぇ~ねぇ?」
「あぁ、らしくないよねぇ。」
「ふん…。」
「さき」は顔を険しくさせたまま、そっと「とばねき」の足にその手を伸ばし丁寧に按摩を施していった。
「あ~、冷たくて気持ちいいねぇ…。」
「死んでるからね。」
「さき」はいかにもつぼを心得ているといった手つきで、「とばねき」の固くなった足の筋を解していった。
見ているだけでそれがとても気持ちよさそうな事がわかる。
「いいなぁ~。」
「ゆめはやらないよ。」
「けちッ!」
「さっさと寝たら?
私はあまり睡眠がいらないから。気にしないで。」
「……うん。」
「ありがとう、「さき」。」
ゆめは、「さき」が「とばねき」を優しく労わる姿をぼんやりと眺めながらいつの間にか眠りに落ちていた。
三
「髪切り山」を越えてしばらく行くと、そこに「言霊河原」が広がっていた。
浅く川幅の広い河原が目の前に広がる。
ここ「言霊河原」には無数の火の玉が水面を幽々(ゆうゆう)と流れていた。
今現在、日の光を受けたそれらは内に秘める陰の力が弱まり全くの無害である。
まるで色鮮やかなしゃぼんの玉が幾つも流れているかのように見えるその様は長閑な雰囲気を醸し出している。
けれど夜ともなるとそこはとても危険な河原に変じていた。
暗闇の中水面を照らして揺ら揺らと流れていく火の玉達。
ある御魂は触れるものを焼き殺し、ある御魂は触れるものに凍傷を与え、ある御魂は触れる者の魂を道ずれに川の流れへと引きずり込んでいった。
「さぁ!身体洗うぞぉ~。」
ゆめは河原が見えると、目をきらきらさせて宣言した。
「そうだね。」
「とばねき」がやんわり微笑む。
見通しも良く昼間は無害なこの「言霊河原」は、ゆめ達一行のこの旅路で一番の休憩所であった。
ここで身体と衣を清め、川魚を食べて腹を満たし半日ほど日が傾くまでのんびりと過ごすのだ。
「とばねき」も「くるり」を下ろして久々に息がつけるに違いない。
「疲れてる所すまないが、頼む。「とばねき」。」
「わかってるよ。」
「「丸嬰」も……頼む。」
「ん?あたしもかい?」
「丸嬰」が少し驚いた顔をして己を指差した。
「あぁ、「とばねき」は疲れている。
悪いが「丸嬰」も注意を払っておいてもらいたい。」
「ふぅん?」
「丸嬰」は半眼で「露歩き」を捉えながら、ぽいぽいとその場で衣を脱いでいった。
全く恥じらいというものが無い。
あっという間に全裸になり「露歩き」に対峙していた。
「心配ならあんたもこっち向いて、一緒に入って皆に目を配ってればいいじゃないか。
昔みたいにさ。」
「私は別に構わないのだが……。」
そこで「露歩き」は「とばねき」とゆめに目を映した。
「い、いやぁ…・…それはもうやっぱりちょっと……。」
「絶対駄目!!」
「とばねき」とゆめは、頬を赤らめそれぞれの思う所を口にしていた。
「露歩き」が(この通り)と言わんばかりに、「丸嬰」を見つめる。
「べっつに気にするもんじゃないと思うけどねぇ~。」
「丸嬰」ははぁと溜息をつくと、一人河原に脱ぎ捨てた衣を持って入って行った。
「「露歩き」…・。」
「先に行ってきなさい。
私はここで背を向けて火を熾している。」
「うん。」
ゆめは「とばねき」と共に衣を脱いで河原へと入って行った。
「丸嬰」はまるで童女のようにきゃっきゃと水の中を跳ねまわっている。
あれで本当に注意を払えているのか疑わしい。
「さき」はまだ河原に入らず、眠り込んでいる「くるり」の隣りに座ってその様子を眺めている。
「とばねき」が身体を洗っている間、「くるり」を見ていてくれるという。
気遣う事が嫌いな「さき」も「さき」なりに「とばねき」を案じているらしい。
大丈夫大丈夫と「とばねき」は笑っているが、今回ばかりは荷が重いようだ。
―――――次奉公に行く時はもう「とばねき」じゃ「くるり」を背負えないかも……。
ぬし様に言ってみよう。
ゆめは衣を丁寧に洗いながらそんな事をぼんやりと思った。
透き通るようだった水の流れの中を衣から染み出した汚濁が流れていく。
見ていてゆめはげんなりとした。
―――――私ってこんなに汚なかったんだ……。
旅の最中に汚れた外気が染み込んだだけではないその穢れ。
ほとんどがゆめ自身から染み出したものである。
生きる為に身体が動いている事の証。
けれどその証はゆめの瞳に大層醜いものに映っていた。
―――――「生人」って…・・・汚い。
―――――ヤダナ…・…
「「とばねき」!!そこ、離れなッ!!」
「丸嬰」の突然の厳しい声にゆめははっと我に返った。
「とばねき」の方を見ると、「とばねき」はぽかんとした顔をしている。
見た所何も「とばねき」に異変は起きていない。
それは「とばねき」にしても同じ事のようで、膝下位の水かさのその中を不思議そうに見渡していた。
しかし遠目に見ればよくわかる。
何故か「とばねき」のいる流れには火の玉が流れていない。
皆その流れに身を任せるととたんに弾けて消えていく。
それだけは確かに不可解なことではあった。。
「いいからそこの流れから離れなッ!
こっちおいでッ!!」
「とばねき」はしぶしぶ衣を胸元に抱いてその場から離れ「丸嬰」の元まで訪れた。
「丸嬰」の瞳は何やら厳しい。
「何だって言うんだい?」
「丸嬰」の元を訪れてそう発言する「とばねき」を無視して、「丸嬰」はいきなり「とばねき」の足をひっつかみ、水の中に素っ転ばした。
途端、飛沫と火の玉が宙を舞う。
「とばねき」の手から離れた衣が川の流れに身を浸す。
が、「丸嬰」がその小さな足でばしゃりと音を立てて衣を踏みしめ、それが流れていくのを防いでいた。
「っぱぁ!べへッが……かはッ……。
ちょ……ちょっと!!いきなり何すんだい?!
悪ふざけにしちゃ随分とひどいんじゃないのかい?!
危うく火の玉飲み込むとこだったじゃないかッ!!」
両肘を水底に付け、顔だけ水面に突き出した状態で「とばねき」が「丸嬰」に文句を言った。
それでも「丸嬰」はどこか厳しい面持ちで両手で「とばねき」のふくらはぎを持ち上げたまま、その足の様を凝視している。
「あたしの足が何だって言うんだい?」
何やら冗談とは思えない「丸嬰」の表情に、「とばねき」はその無理な姿勢のままに質問を投げかけていた。
そんな二人の元にゆめは近寄った。
「丸嬰」の掴む「とばねき」の足を見つめてみる。
何という事はない、年相応に水を弾く張りのある健康的な足である。
その何処にも特に気になるものは見られない。
けれど「丸嬰」はしばらくじっとそうしていた。
銀髪から滴る滴がその睫毛に落ちても瞬きすらしない。
「「丸嬰」?」
ゆめがそう呟いた時、「丸嬰」は「とばねき」の足からその手を離していた。
「とばねき」がゆっくりとその足を水面に浸す。
「丸嬰」は呟いていた。
「良くないものが入ったね……。」
――――良くないもの?
「……何だい?あたしに何が憑いたんだい?」
「とばねき」も幾分真剣な面持ちで「丸嬰」に問いただす。
目に見える物だけが世界の有様ではないのが、冥獄の常である。
星の数程にありとあらゆる呪怨が散りばめられているのが、冥獄の常である。
この中ではその闇を最も知る「丸嬰」の言葉に、「とばねき」は自然緊張せざるをえなかった。
「とりあえずそれだけで何か出来るというものじゃないよ。
ただそれは呪いを呼ぶ。」
「つまり…「呼怨」の類かい。」
「そうさ。
あんたの足に染みついたのは何かの「花魂水」だ。
あたしらで言う所の雄の精液みたいなもんだよ。」
「いずれそれと対になる雌が惹かれてやってくる。
「魄子」を植え付けにね。」
「「魄子」…・・・。」
「卵さ…・…。」
「丸嬰」の瞳がぎらりと一瞬ひらめいた。
それだけいうと遠く上流に目を映す。
「まさかここで産卵する種がいたとはねぇ……。
それともたまたま尿と間違えて垂れ流しでもしたのかねぇ…。」
「そんな事より……「丸嬰」!!」
ゆめは「丸嬰」に詰め寄った。
「丸嬰」はゆめに目を転じて何事かと不可解な顔をしている。
「何だい?ゆめ。」
「何だいじゃないわよ!「丸嬰」!
「とばねき」はこのままで大丈夫なの?」
「だから言ってんだろ?とりあえず大丈夫だって。
勿論呪いを呼びはするけどね。」
「呼ばないようには出来ないの?!」
「勿論出来ない事もないさ。」
「本当?!」
ゆめの表情は一瞬華やいだ。
「とばねき」の表情にも希望がにじむ。
けれど「丸嬰」の次の言葉で一気に二人の表情は硬くなった。
「いますぐその両足を切ればいい。」
「そんな……。」
「そりゃ困るよ。まだ御殿まで歩かなきゃならないんだから。他にないのかい?」
「そう。だから今の所ないんだよ。
今足を切らなきゃ身体全体に「花魂水」が回って、「呼怨」の温床になっちまうんだけどさ。
それだって御殿に戻って何回か貪主の湯を借りれば、次第に薄まってくるだろうしねぇ。
完全には無理だけど、あの中にいる限り、十分大丈夫だよ。」
「そうかい……。」
「とばねき」は幾分沈んだ面持ちで己の足をそっとなでた。
変化が目に見えてわからないので実感がわかないのだろう…・・。
それでも冥獄に生き、呪いの恐ろしさを知る「とばねき」は、わずかに不安をその表情に滲ませた。
「本当は茶屋の湯があれば一番良かったんだけどねぇ…。
あれが一番効くんだけど。
今度からはちょっと取っといた方がいいかもね。」
そういうと「丸嬰」はそっと「とばねき」の肩をぽんぽんと叩いて励ました。
「まぁ次の奉公でちゃんと取れるんだし良いじゃないか。
世の中には、一生呪いと付き合ってじめじめ生きてかなきゃなんない奴だってごまんといるんだからさ。」
「うん、そうだね。」
「って訳で大丈夫だから、「露歩き」。
とりあえず岸辺に戻んな。」
「えッ・・!」
「ひッ…・・きゃァ!!」
そう……気づけばそこに「露歩き」が神妙な面持ちで佇んでいた。
四
ゆめ達一行はいつもより早く「言霊河原」を後にしていた。
「呼怨」の匂いは次第に強くなる。
昼も夜も関係なく対を求める「呼怨」。
「丸嬰」の言によれば、なるべく同じ所に留まらず早く御殿の中に入ってしまった方がいいのだそうだ。
という訳で一行は「言霊河原」で軽く眠りを取ると、一路「不命の森」へと足を運んでいた。
「不命の森」は、昼でも薄暗く日のあまり差さない森であった。
乱生する多種多様の草花の間に杉林が何処までも広がり、遠方は淡い霧に溶け込み果てが見えない。
常に獣の気配が纏わりつき、隙あらば喰らってやろうとしているのが肌に染みて伝わってくる。
賢い獣になると罠を仕掛けている事もあるので用心が必要になる。
「不命の森」自体はあまり大きな所ではない。
二日ばかりで抜ける事の出来る森である。
常の旅路であったなら、「言霊河原」と「不命の森」の間の畦道で一晩明かし、朝早い内に森に入り、出来るだけ森での夜の時間が少なくなるようにするのだが、今回は「丸嬰」の提案で時間帯より出来るだけ距離を稼ぎ、なるべく早く御殿に戻る事が優先される事となった。
「そんなに大変なものなの?「丸嬰」。
「とばねき」に憑いた「呼怨」って…・・。」
ゆめは「くるり」を背負う「丸嬰」の隣りに近づいた。
なんと「くるり」を背負う事を「丸嬰」が買って出たのである。
「いいよ。そんな。
別にそれであたし自身が今どうこうなってる訳じゃないしさ。」
「丸嬰」の突然の申し出にそう「とばねき」は返したが、「丸嬰」は軽く首を振って答えていた。
「今一番命が危ないのはあんたなんだよ。
そのあんたが「くるり」を背負ってたらいざという時動けないだろう?
それに狙われてるのがわかってるのに、あんたはその危険に「くるり」も晒すのかい?」
その「丸嬰」の何とも的を射た言葉に「とばねき」はしょんぼりと従った。
「すまないねぇ」と何度もわびる「とばねき」に「丸嬰」は子供らしくない何とも大人びた笑いを口元に湛えて呟いていた。
「別にどって事無いさ。
あんたにはこの旅で結構世話になったりもしたしね。
そのお礼だと思ってくれればいいさ。」
そう言って「丸嬰」は「くるり」を軽々とその背に背負うとさくさく歩みを進めていたのである。
「そこが厄介なとこなのさ。」
ゆめの質問に「丸嬰」が応える。
全く息が乱れていない。
「くるり」を支える腕のどこにも力をかけている様子が見られない。
やはり「丸嬰」にとって「くるり」一人を背負って進む事は「別にどって事無い」もののようだ。
「くるり」の寝顔もどことなく穏やかに見える。
きっとゆめの感じた安心感と同じものを「くるり」もその背に感じているに違いない。
「厄介って……?」
「「呼怨」で身を結ぶヤツ等は本当にピンからキリまでいるからねぇ。
軽く足で潰せばそれで終わりの様なヤツもいるし……。
命が幾つあっても歯が立たない様なヤツもいるし……。」
「丸嬰」は前を往く「とばねき」に目を転じる。
「とばねき」は今や一行の真ん中を歩っていた。
「露歩き」が先頭を歩き、その後ろに「とばねき」、そしてその後ろを「くるり」を背負う「丸嬰」とゆめ、最後に「さき」が歩いていた。
「わからないから厄介なのさ。」
「丸嬰」が静かに呟いた。
遠くどこかで獣の咆哮が響き渡る。
その後を追うように、また別の沢山の獣たちの叫びが闇に包まれた森の中を木霊した。
この「不命の森」では夜でも獣の動きが活発だ。
闇を纏う事を得意とする邪な獣達が、時に己の糧とする為に、時に己の力をひけらかし他の命を玩ぶ為に、狩りを行う。
命を戯れに嬲る習性を持つ事は、冥獄に生息する獣達の本能の一部であった。
「でも、予感がする。」
「「とばねき」のはあまり良いものじゃない。」
突然銃声が閃いた。
遠くで何かが倒れる音がする。
それまでざわざわと騒がしかった森の音が一瞬止み、また遠くでかさかさと小さく蠢く音が聞こえるようになった。
見れば「露歩き」の肩口から細く煙が立ち上っている。
左手で肩口から真っ直ぐ前方に向けて銃を構える「露歩き」。
皆は緊張してその場に立ち止まった。
「「露歩き」……?」
「露歩き」のすぐ後ろの「とばねき」が銃を構えたままの「露歩き」に声をかける。
「露歩き」はまだ銃を構えたまま何も言わない。
「ねぇ…つ…ひゃッ!」
「露歩き」は「とばねき」の言葉の途中でまた前方に向けて銃弾を撃ち込んでいた。
ゆめは目を凝らしてみたが、その先の闇の中に何も見えない。
「露歩き」はまだ前方に銃を構えている。
一体何があるというのだろう……。
「ねぇ…・・「丸―――」
ゆめが「丸嬰」に声を掛けた時、「丸嬰」は「露歩き」とは正反対の方向、ゆめ達が今歩いてきた道をじっと睨みつけていた。
見れば「さき」も後方を向いている。
「どうし―――」
「挟まれてる。」
「みたいだねぇ。」
「さき」がわずらわしそうにぼそりと呟いた。
「丸嬰」は何故か嬉しそうにぼそりと呟いた。。
ゆめはどちらに注意を払って入ればいいものか、分からなくなった。
よくわからない、けれど不穏な空気の放つ不安にゆめのその小さな胸に恐怖が芽生える。
「弾が効かない…・・。」
「露歩き」が静かに呟いたその時、闇の中に白いものが浮き上がった。
そこには「もと」は可愛らしい顔をしていた女性が立っていた。
何故「もと」はというと、その額と胸元に風穴が空き、どろどろと黒い血を流している為である。
にっこりと微笑んでいるようだが、額から流れる黒血で鼻と唇はてらてらと塗れて薄気味悪い。
顔以外の姿形も不吉である。
全身が毒々しい赤と黒の羽毛に包まれている。
胸元から首にかけて走る赤と黒のぶつぶつと突起した斑点模様が本能的に怖気を引き起こす。
一見人型の様に直立しているが、その腕は翼で足も大きな黒い鍵爪の付いた鳥の様な形をしていた。
「だってお兄さァんんんん、それからっぽの弾じゃないいいい…。」
甲高く語尾を震わせ、まるで鳥が鳴くかのように目の前の血濡れの妖女は言葉を発した。
顎 を一定の感覚で前後させる不思議な動き。
どこを取ってみても、不吉であった。
「わたくし達姉妹は魂が淡いいいい、ですから肉を撃ってもあまり意味はないのですよおおおおほほほほほほおh―――」
――――姉妹……?
ゆめがその言葉を頭の中で巡らしている時、後方から同じように甲高い笑い声が聞こえてきた。
「おほほほほほほほほ。
呪いに勝てるは呪いだけけけけっけk。」
闇の中にでっぷりとした巨体が浮かび上がる。
こちらも鳥の形をした妖女であった。
ただ前方の妖女と異なり、橙と黒の羽毛に包まれている。
首の肉はたるみ乳房は淫らに垂れ下がり、丸い腹がまるで孕むかのように前へでっぷりと突き出している。
何とも重そうな体つきをしていたが、その鳥の様な二本の足は跳ねるように軽やかにゆめ達との距離を詰めていた。
「あァ~~~ああああ、たまらないいいいいいい。
何とかぐわしい「花魂」の香りいいいいいい。」
巨体の女は天を見上げてばさばさと身体を震わせた。
「妹よおおおおお、わかってますねえええええええ。
怨みっこなしの早い者勝ちですよよよよよお。」
「わかってますわかってますよよおおおお、お姉さまああああああ。
愛しい愛しいお姉さまああああああああ。」
姉妹の喉を鳴らす咆哮が、超音波のように耳の中を掻きまわす。
そういえばこれまで纏わりついていた獣達の気配が幾分遠くなっている。
どうやらこの姉妹を恐れて逃げたらしい。
そう、この姉妹は生き物とは違う…・。
生き物の形を纏った―――――――
「呪いそのものだね…・。」
「丸嬰」がぼそりと呟いた。
今やゆめは「丸嬰」のそばに張り付いている。
「さき」もじりじりと引きさがり、今や反対側の「丸嬰」の隣りに控えている。
物理攻撃が効かないとあっては下がらざるをえない。
「呪いが意志をもってるんだ。
生きる為に在るんじゃない。
呪う為に在るヤツ等だね。
元は誰かが起こした呪いなんだろう。
身を結ぶ為に他人の御魂を喰らうんだ。
喰らわれた御魂は輪廻する事すら叶わない。
それが何度も身を結び、今の形を作ってやがる。」
「ちょっと性質が悪いね…。」
「どうすればいいの?」
ゆめは歯の根があわない唇を何とか動かして「丸嬰」に尋ねていた。
「丸嬰」は小さく溜息をついていた。
「とにかく逃げるしかない。」
そう「丸嬰」が呟いた途端、「露歩き」は前方の血濡れの妖女に何発も鉛玉を撃ち込み、「丸嬰」は「丸嬰」で後方の太った妖女に、気合いのようなものを叩きつけていた。
二匹の呪いがそれぞれの後方へゆっくりと倒れる。
その倒れる間隙に、ゆめ達一行は前方に向けて全速力で走りだしていた。
「「露歩き」!間違ってもその銃剣であれを斬るんじゃないよッ!
それが一気にぶっ壊れるからねッ!」
「「とばねき」!あんた長いほうの太刀「露歩き」に貸しときな!
あんたはとにかくアイツ等に対峙しちゃいけない。
逃げる事だけ考えとくんだ。」
「丸嬰」が全く息を乱さず走りながら、皆に指示を出す。
上空から怯える獣達の鳴き声が降ってくる。
視界の横を流れるように過ぎていく杉林。
同じような木が後ろへ後ろへと流れていく。
まるでそれは変わらぬ景色のようで、本当に前進しているのか、御殿に向かって走れているのかわからなくなってくる。
背後から怪鳥の甲高い耳障りな鳴き声が聞こえてくる。
その声は近づいたり遠のいたりして、全く距離感が読めない。
もしかしたらわざとそのようにして、ゆめ達一行を玩んでいるのかもしれない。
おそらくこのままこの森を走り続ける事が出来たとしても、この森を抜けるのにあと半日はかかるだろう…・。
それまであの物理攻撃の効かない呪いを相手に、逃げおおせる事はひどく難しい事のように思えた。
――――――それでも、もしそうなったら……。
ゆめは少し前を行く「とばねき」を見た。
物ごころついてすぐ自分たちの所にやってきた「とばねき」。
母親の様な姉の様な優しさでゆめ達をこれまで育ててくれた「とばねき」。
側にいるのが当たり前だった人間が消えてしまうかもしれない。
死んでしまうかもしれない。
ゆめは突如生々しく思えてきた死の恐怖にぞっとした。
――――――そんなの……ありえないよ。
やだよ。
「とばねき」がいなくなるなんて…。
そんな事考えちゃ駄目!
そう思っても恐怖で滴る頬の涙を止める事は出来なかった。
命を追われる恐怖…。
これまでに幾度か味わった事はあったが、今感じているものの比ではなかった。
何がどこで間違ったのか・・…。
もしあの「言霊河原」をあと半日遅く訪れていれば…・。
もしあの「言霊河原」で「とばねき」があの流れの所にいなければ……。
もし…・もし…・もし…・・
―――――もしあの「言霊河原」のあの流れに身を浸しているのが「私」だったとしたら。
―――――追われていたのは……「私」だったかも知れない。
突如「露歩き」が走りながら斜め上空に向けて弾丸を放った。
がさがさと何か黒い影が飛沫を散らして落ちてくる。
この森に住まう獣らしい。
「露歩き」は走りながら空中を落ちてくるその射止めた獣を銃剣で突き刺した。
獣は絶叫とともにもやのように消えていく。
と同時に「露歩き」の持つ得物の銃身が煌々と明かりを灯す。
「そのまま走れ。」
皆に静かに告げると「露歩き」は一人その場で振り返り、銃を構え後方の闇に向けて弾丸を放っていた。
これまで「露歩き」が放っていたただの鉛玉の弾とは異なり、それは鋭く黄色の尾を引いて闇を貫いていく。
「いあああああああああああああああああアあァあアア」
遅れて怪鳥の何ともいえぬ嘆きが響いてきた。
「露歩き」はさっさと踵を返し皆の進んだ方向に向けて走り出す。
「あああああああ、お姉さまお姉さまあああああああ。
よくもよくもおおおおおおおおおおお。」
闇の中から怪鳥の苦しむ声と呪う声が響いてくる。
呪いの吐く呪詛は、ぞくぞくと身体の筋をなでていく。
「魂は効くようだ…。」
逃げる一行に追いついた「露歩き」は、涼しい顔で皆に告げる。
「しかしあれを狩るには、とても多くの魂がいる。
ここにいる獣の魂は軽く色も薄い。
もっと重く激しい怨みの色を持つ魂をぶつけられれば有効なのだが……。」
「私を使う?」
「さき」が薄く口元に笑みを浮かべる。
「それはしない。」
「露歩き」も薄く口元に笑みを浮かべてそれに答えた。
そして「露歩き」はゆめを見た。
「まだ走れるか?ゆめ。」
そう、この中で一番体力が続かないのは「生人」のゆめだった。
先程からずっと走り続けている。
ほとんど全速力だ。
怪鳥達は、おそらくこの程度の速度に追いつく事など容易い事だろう。
しかしこれまでそれをしなかった。
ゆめ達を侮り、玩んでいたからだ。
けれど、傷を負った彼女らがこれからもそうとは限らない。
――――――私が皆の足手まといになってる……。
「わ…・・わたし…。」
「ゆめ……私の背に乗って。」
息乱さぬ死顔の「さき」がゆめに告げる。
「うん。」
どうしようとかそういう感情はゆめの中に芽生えなかった。
ゆめは「さき」の固く冷たい背の上に乗る。
「さき」は先程までと変わらず、いや先程までよりさらに早い速度で走り始めた。
とてもその容姿の少女の速度とは思えない。
脇をすり抜ける黒い木の影が一瞬で過ぎていく。
皆が「さき」のその速度に合わせる。
合わせるというより、さらに速度を上げ、互いに競いさらに速度を引き出すかのように加速して行った。
――――――皆…・・すごい。
ゆめは速度が速すぎて息を吸うのもやっとである。
しかし幾分か経ち余裕が出てくると髪をはためかせながら、背後を窺った。
ゆめはぞっとした。
すぐ後方までその恐ろしく早い速度を保ち二匹の怪鳥が迫ってきている。
「姉」と呼ばれていた黒と赤の怪鳥は、左腕が見当たらない。
おそらく先程の「露歩き」の弾丸で吹っ飛んだのであろう。
瞳は真っ赤に光り、縦に細く瞳孔が引かれている。
相当怒っているようだ。
それからしばらくの間、疾走劇は続いた。
「露歩き」は疾走しながら、獣を捕えその魂を相手に撃ちすえる。
けれど獣を捕えるという事前動作が入る為か、怪鳥に動きを読まれてしまい中々うまく当てる事が出来なかった。
「ぃ……くえええええええええええええええ。」
数十発撃ち込んだ所で、「露歩き」の弾丸が巨体の怪鳥の足を貫いた。
避ける動きを読んでの攻撃である。
とてつもない速さで疾走していた怪鳥は突如体勢を崩したために、まるで鞠のように跳ねて後方の闇へと消えていった。
「おおおおおお、よくもよくもよくもおおおおおおおおおおおお。」
もう一匹の怪鳥は吹き飛んだ妹に構わず、そのままの速さでゆめ達一行を追いかけてきた。
しばらくすると巨体の怪鳥がばっさばっさと羽を鳴らして飛んでくるのが遠くに見えた。
姉妹はケェケェケェケェ鳴きながら、ゆめ達の後を付け回した。
「埒が……明かないな…。」
「こっちがあれらを呼んでるからね。
……にしても、「露歩き」。さすがのあんたでも息が上がってきたようだねぇ。」
「私は……人だ……仕方がない。」
「まぁね……「さき」はどうだい?」
「…・…ッ…・・・は。」
「……あんたも完全な「死人」じゃないからねぇ。
そろそろ疲れもするだろう。」
「「さき」……。」
「…・・・黙ってて…。」
―――――――「とばねき」は…・・・。
ゆめがそう思った時だった。
「くるり」を常に背負い、疲れを見せていた「とばねき」。
熱を持ち足の筋を固くさせていた「とばねき」。
普段は休みをきちんと取る「「言霊河原」」でも満足に休めなかった「とばねき」。
「とばねき」は足がもつれてしまった。
「「とばねき」ッ!!」
皆の声が「とばねき」の名を悲鳴を上げるように叫んだ。
突然疾走を止め、それまでとは逆の方向に返す事は難しい。
ゆめ達が「とばねき」の元へ返すより先に後方から迫っていた怪鳥が「とばねき」を捕える方が早かった。
「おほほほほほほほほほほほほほほほほほ。」
怪鳥は耳まで裂けるかのように大きくがばりと口を開けると、倒れた「とばねき」の足にねばねばとした赤黒い唾液のようなものを垂れ流した。
「ウッ…・・。」
「とばねき」が小さく呻く。
「露歩き」の銃弾がまたその怪鳥の顔を狙ったが、怪鳥は目的は果たしたとばかりにすぐ「とばねき」から離れると長く長く甲高い嬌声を上げながら闇の中へと消えていった。
「おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ――――」
「「とばねき」ッ!」
皆が「とばねき」の元へ一斉に駆け寄る。
「とばねき」はうつぶせにうずくまり、両の拳をぎゅっと握りしめじっと何かをこらえているように動けないでいる。
「「とばねき」「とばねき」ッ!」
ゆめは「さき」の背から下りると「とばねき」の肩に手をかけた。
「露歩き」がそっと上向きに「とばねき」を返す。
「とばねき」は額に玉のような汗を浮かべて苦しそうに目を閉じていた。
先程まで全力で走っていたにもかかわらず、その頬と唇は全く血の気が見られない。
寒そうに小刻みに身体を震わせている。
「もう駄目だね…・・。」
「丸嬰」がぽつりと皆の頭上に絶望的な言葉を落とした。
「とばねき」が薄く目を開ける。
虚ろながらもその瞳は、終わりを告げた「丸嬰」の方へと向けられていた。
「駄目って…・・そんなッ!
早く御殿に行ってぬし様にお願いしてッ……それでッ…・…!」
「無理だよ、もう呪いが始まってる…。」
そう言って「丸嬰」が指差した「とばねき」の足はまるで中で何かが蠢くようにぐねぐねと波打った。
「ぁああアッ!」
「とばねき」が苦痛に悲鳴を上げた。
「露歩き」の腕の中で必死にもがく「とばねき」。
ゆめは恐怖でただ震える事しか出来なくなっていた。
「と…「とばねき」…・・・。」
「丸嬰」に背負われていた「くるり」が重たいその瞼をゆっくりと開く。
「「とばねき」、「とばねき」…。」
「起きたかい?「くるり」。
しっかり見ておいた方がいい。
あんたの育ての親の最期だからね。」
そう言って「丸嬰」は「くるり」をその背から下ろした。
「くるり」も「とばねき」の危機を察したのだろう…・。
起きてまだぼんやりとしているようだが、すぐにもがき苦しむ「とばねき」の手を取り「とばねき」の名を呼んでいた。
ゆめには出来なかった。
「とばねき」が苦しんでいるのは悲しい、堪らない。
けれどそれ以上にその聞きなれない悲鳴と顔色は恐ろしくてならなかった。
――――――――「死」は、怖い…・・。
少しすると「とばねき」の旅装としてしっかり足に巻いていた布がびりびりと破けていった。
その下から「とばねき」の素肌が露わになる。
そこには気味の悪いものが浮かんでいた。
赤と橙の斑点模様である。
ちょうど先程の怪鳥の羽の色の様だ。
それが「とばねき」の健康的な肌の上に禍々しくぼつぼつと浮かび上がってくる。
小指ほどの大きさになるとそれは弾け空へ舞った。
「ああああああああッ!」
「とばねき」の悲鳴と「とばねき」から弾け産まれた怪鳥の耳障りな産声が奇妙に重なる。
耳を覆いたくなるような絶望的な声だった。
ぽつぽつ、ぽつぽつと「とばねき」の肌の上に踊る斑点模様。
そして弾け、飛んでいく。
新たな呪いをばらまきに…。
「「露歩き」…・今の内に殺してあげた方がいい。」
「丸嬰」が残酷な言葉を静かに呟く。
「露歩き」は表情を変えずに澄んだ蒼色の瞳を「丸嬰」に向けた。
その間も「とばねき」は呪いが弾けるたびに悲鳴を上げている。
みるみる足の骨が露わになってきていた。
「何言ってんのッ?!
「丸嬰」!!
そんな事したらやだよッ!
かわいそうだよッ!」
「このまま呪いに食われる方が酷いさ。
そしたら「とばねき」の魂は永遠に呪いの輪廻から抜けられない。
永遠に他人を食い殺し怨み怨まれていくんだ。」
「そんなっ……でも…
でも殺すのも駄目だよ…。
そんなの・・・。」
「「とばねき」はもう確実に死ぬんだ。それは変わらない。」
「丸嬰」の言葉一つ一つが皆の胸を貫いた。
獣の気配が何処にもない。
呪いを恐れて身をひそめてしまったのだろう。
「あと出来るのはその魂の在り方を選ぶだけさ。」
「丸嬰」が「とばねき」を見下す。
「とばねき」は肩で小刻みに息をしながら「丸嬰」を見つめ返していた。
「完全に呪いの輪廻に堕ちるか…・・・「露歩き」の得物の一部になるか、どちらかさ。」
「とばねき」の瞳にはまだ弱弱しいながらも光りがあった。
己の強い意志を秘めた理性の光。
「とばねき」はわずかに微笑んでいた。
「お願い…・・。」
「とばねき」は自分を抱える「露歩き」にそれを求めた。
「露歩き」はそっと「とばねき」を地面の上に下ろす。
そして脇に置いていた得物に手をかけ、それを持ちゆっくりと立ち上がっていた。
「ぇ…「露歩き」…うそ…・やだよ…。」
手を伸ばそうとするゆめの腕を「丸嬰」が引きよせていた。
反対の手で「くるり」の腕も掴み「とばねき」から引き離す。
「丸嬰」はそのまま数歩「露歩き」と「とばねき」から距離を置いていた。
刃を伴う細みの銃。その柄を逆手に握る「露歩き」。
その切っ先の下に横たわる―――
「ごめん……ね……。」
死を見せる「とばねき」。
「いや、……や……やだッ!やだよっ!やめてよ「露歩き」!やめてよッ…やめてぇーーーッ!!」
「露歩き」の得物が「とばねき」の心の臓を貫いた。
一瞬苦悩の色を見せる「とばねき」。
けれどその姿はもやの様に消えてしまった。
あまりに一瞬の儚い最期。
そこには呪いで穢れた「とばねき」の両の足と衣のみが残された。
宿主を失ってもまだ汚らわしく、そこに残された魂の残りを貪り喰らい呪いは産まれ空へ逝く。
小さな鳥が空へ逝く。
耳障りな亡き声を遺して空へ逝く。
「不命の森」の夜が明ける頃には、そこに「とばねき」の衣と二本の足の白骨が残るばかりとなっていた。
五
ゆめ達一行は御殿を目指した。
皆走り続けたので疲れていた。
しかしそれ以上に皆「とばねき」の死に憑かれていた。
「露歩き」が先頭を進む。
その手に「とばねき」を宿した得物を携えて。
その隣をゆめが進む。
その手に「とばねき」の骨と化した左足を抱えて。
その後ろを「丸嬰」に背負われた「くるり」が進む。
その身体に「とばねき」の纏っていた衣を纏って。
その隣りを「さき」が進む。
その手に「とばねき」の骨と化した右足を抱えて。
それはそのまま葬列のようであった。
ゆめ達は御殿に着くと「とばねき」の両親の元へまっすぐに向かった。
この時期まだ「極楽貪主」は眠りについている。
ゆめ達にとってそれは大事であったが、「極楽貪主」からすれば下女の一人が命を落とした事など小事である。
起こす事は憚られた。
幾つもの建物を過ぎ、二人の元へ向かう。
まだ眠る御殿はまるで「とばねき」の喪に服しているかのように静かだった。
「ここで待っていなさい。」
そういうと「露歩き」は一人下男下女の住まう一角に進んでいった。
しばらくすると「露歩き」に伴われた二人の男女がこちらに急ぎ向かってくる。
わずかに老いた「とばねき」の両親だった。
今にも感情が破けてしまいそうな必死の形相、両手を前にさ迷わせ、求めたくないその事実を求めている。
ゆめは震える手で「とばねき」の骨と化した左足を差しだした。
「さき」は冷たい手で「とばねき」の骨と化した右足を差しだした。
「とばねき」の父親は、「とばねき」の左足を受け取った。
「とばねき」の母親は、「とばねき」の右足を受け取った。
あまりに変わり果てた姿にしばし二人はまじまじとそれを見つめている。
丁寧に、優しく、骨の形を指でなでる。
そこに「とばねき」の面影を求めて…。
ふいに視線を上げた「とばねき」の母親の瞳が、「くるり」の纏う「とばねき」の衣を捕えた。
「とばねき」の衣、「とばねき」の左足、交互に見ていたその瞳には、絶望の色が満たされていく。
感情は、弾けた。
「とばねき」の母親は、しかと「とばねき」の左足を抱きしめて、絞り出すように泣き声をあげた。
人の理性に満ちた声音ではない。
感情そのままの、獣の咆哮に近いそれ。
ゆめはその声に恐怖した。
「とばねき」の父親がそれを労わる。
その表情は、信じられない事実を受けとめつつある事を告げていた。
歯をきつく食いしばり、瞳に厳しさと悲しみ、そして悔しさがにじみ出る。
「とばねき」の母親は、「とばねき」の父親の腕に身を投げ出して泣いた。
しばらくその背を労わっていた「とばねき」の父親も同様に声を絞り出してその死を嘆いた。
「―――――――~ッ。」
誰もその死に声をかける事の出来る者はいなかった。
静かな御殿に二人の悲しみが声を上げる。
けれどそれはこの世界の中ではとても小さな声で、その死もとても小さな出来事で…。
まだ眠る御殿はやはり何処までものどかで、何処までも平和だった。




